第27話 道をつなぐ金
初荷が売れてから数日後。
ハル家の執務室には、珍しく明るい空気が流れていた。
机の上には、ミアがまとめた帳面が三冊。
北村の青葉草。
南村の作物。
そして、初荷の売上記録。
父ガルドはその最後の帳面を閉じると、指先で机を軽く叩いた。
「……思っていたより良かったな」
短い言葉だったが、声には確かな重みがあった。
母エマが横から帳面を覗き込む。
「初荷としては十分すぎるくらいね」
「うん」
俺も頷く。
北村の青葉草は予想以上の値で売れた。
南村の豆や芋も、状態の良さを認められて、前よりずっとましな額になった。
大金ではない。
でも、意味は大きい。
ハル領で作ったものが、初めてちゃんと外の金になったのだ。
父は帳面をもう一度開き、売上の欄を見たまま言った。
「では聞こう、リオン。この増えた分をどう使う」
来たな、と思った。
初荷が成功した以上、次はその金をどう回すかだ。
ここで間違えると、せっかく作った流れが止まる。
「道だよ」
俺は即答した。
「各村をつなぐ街道を、まず整えたい」
父が視線を上げる。
「理由は」
「北村の青葉草も、南村の作物も、結局は外へ出せないと意味がないから」
机の上の領地図を引き寄せる。
「今のハル領は、村ごとに点で立て直し始めてる。でも、その点と点が繋がってない。北村で作っても、道が悪ければ傷む。南村で損耗を減らしても、運ぶ途中で時間を食えば意味が薄い。石切り場の青輝石だって同じ」
地図の上を指でなぞる。
北村。南村。石切り場。屋敷。
その間を結ぶ線は、細く、頼りない。
「だから、まず血管を通す。村と村、村と屋敷、屋敷と街道。そこが繋がれば、物も人も金も回りやすくなる」
父は黙って聞いていた。
昔の父なら、ここで「金がかかる」と先に言ったかもしれない。
だが今は違う。少しやつれた顔のままでも、ちゃんと領主の顔で考えている。
「正しい」
やがて父はそう言った。
「正しいが、簡単ではない」
「わかってる」
「村道の補修程度ならともかく、街道の整備は王都への届けが要る。隣領との境が絡む場所なら、なおさらだ。人をどう使うか、予算をどう通すか、どこまで領地裁量でできるか――そういう話になる」
そこだ。
現場を良くする手は見えている。
でも、それを領地全体の仕組みに変えようとすると、急に別の壁が出てくる。
前世でも何度もあった。
現場の正しさと、制度の正しさは別だ。
現場だけ見ていても会社は回らないし、制度だけ見ていても人は動かない。
「……やっぱり、そこか」
小さく呟くと、父が眉を動かした。
「そこ?」
「今のハル領に足りないもの」
父と母がこちらを見る。
俺は少しだけ椅子に背を預けた。
「現場を立て直すやり方は見えてきた。でも、王都の制度とか、許認可とか、領地の外と話すための知識はまだ足りない。こっちが正しくても、それを通すための理屈や手順を知らないと、止められる」
父は、ゆっくりと頷いた。
「その通りだ」
母が、そこで小さく息をつく。
「……だから学院、なのよね」
俺は顔を上げた。
父は苦笑したような顔になったが、否定はしなかった。
「来年春に王立学院へ入るなら、今年の冬に入試を受けなければならない」
母エマはそう言いながら、俺の前へ新しい茶を置いた。
「ユリウス公爵があの場でわざわざ学院の話を出したのも、それだけ見込みがあると思われたからでしょう」
「見込み、ね」
ついそう返してしまう。
見込みがある子ども。
それはたぶん間違っていない。見た目だけなら。
でも中身は四十五歳だ。
前世では会社を回して、帳簿を見て、共同創業者に裏切られた末に倒れた男だ。
そんな自分が、今さら「進学を勧められる側」に座っているのは、どうにも妙な気分だった。
父が机に肘をつき、まっすぐこちらを見る。
「リオン」
「うん」
「お前は、同世代の子どもらしくない」
それはそうだろう。
中身が四十五なんだから。
心の中でそう返しつつ、表では黙って続きを待つ。
「それは長所でもある。だが同時に、子ども同士の中でぶつかり、競い、学ぶ場を知らないということでもある」
父の言葉は思ったより静かだった。
「領地を回す頭はある。現場を見る目もある。だが、それだけで全部が済むわけではない。王都の空気も、人の繋がりも、貴族社会の理も知らなければ、いずれ必ず詰まる」
母が柔らかく続ける。
「王立学院は、ただの学校ではないわ。将来、王都で何かを通す時に、どの家の誰と学んだか、誰に認められたか、そういうことも効いてくるの」
「つまり、人脈ってこと?」
「ええ」
母は笑った。
「身も蓋もない言い方をすればね」
たしかに、それは強い。
知識だけなら本で拾えることもある。だが、人の繋がりはその場に行かなければ作れない。
俺は茶に口をつけた。
少し冷めていたが、頭はむしろ冴えた。
学院に行く。
今の自分からすると、どうしても居心地が悪い響きがある。
前世の感覚で言えば、生徒側というより、どちらかといえば講師か、少なくとも保護者寄りの年齢感覚だ。
でも、それは前世の話だ。
今の俺は、リオン・ハル、十二歳。
そして、この領地を守るなら、王都の理屈も知っておいたほうがいい。
父が低く言う。
「無理に行けとは言わん。だが、考える価値はある」
母は少し身を乗り出した。
「せっかく公爵様が気にかけてくださってるのよ。受けるだけ受けてみてもいいじゃない」
俺はしばらく地図を見ていた。
北村。南村。石切り場。
少しずつ動き始めた領地。
その先に必要なもの。
結局、答えは一つだった。
「……受ける方向で考える」
母の顔がぱっと明るくなる。
「本当?」
「うん。街道の整備だって、いずれは王都の仕組みを知らないと進まない。だったら避けても意味がない」
父は静かに頷いた。
「そうか」
それだけだったが、どこか安心したようにも見えた。
でも、そこで終わらないのが現実だ。
俺はふと顔を上げる。
「で、その入試って何をやるの?」
父と母が揃って少し黙った。
嫌な沈黙だった。
「……筆記はあるわ」
母がまず言う。
「それから面接」
父が続ける。
「あと、実技もあったはずだ」
「実技?」
「魔力測定、基礎戦闘、あるいは状況判断課題……年によって少し変わると聞く」
なるほど。
何もわからないわけじゃない。
でも、思っていたよりずっと“普通の受験”ではない。
「つまり」
俺は小さく息を吐いた。
「勉強だけしてればいいわけじゃないってことか」
父がうっすら笑う。
「そういうことだ」
母は少し困ったように微笑んだ。
「あなた、頭のほうは大丈夫そうだけど、そこ以外は準備が必要かもしれないわね」
それはたしかにそうだ。
前世の知識と今の目で、領地の綻びは見える。
でも王立学院の入試がどれほどのものか、まだ想像がつかない。
窓の外では、秋の風が少しずつ強くなり始めていた。
もう九月だ。
冬の入試までは、思ったより時間がない。
俺は地図の上から手を離し、ゆっくり立ち上がる。
「わかった。じゃあまず、何が出るのか調べよう」
父が言う。
「王都へ問い合わせはできる」
母も頷いた。
「ユリウス公爵のところにも、失礼のない範囲で聞けるかもしれないわ」
なるほど。
道はある。
だったら、やるだけだ。
学院。
正直に言えば、まだ妙な気分はある。
でも、この領地を守るための次の一手だと思えば、座りの悪さも多少は飲み込める。
俺は心の中で、小さく苦笑した。
四十五歳だった自分が、十二歳として入試の心配をする日が来るとは思わなかった。




