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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第2章 ハル領の発展

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第26話 初値

 初荷が出てから、俺はどうにも落ち着かなかった。


 執務室に戻っても、帳面の数字が頭に入らない。

 水を飲んでも、窓の外を見ても、心のどこかがずっと引っかかっている。


 理由ははっきりしていた。


 最後に浮かんだあの文字だ。


 《次の綻び:街道の先》


 街道の先。

 それが盗賊なのか、買い叩きなのか、別の何かなのかまでは、あの時点では見えなかった。だが、少なくとも「出して終わりではない」ということだけはわかっていた。


「……やっぱり行く」


 そう言うと、帳面を整理していたミアが顔を上げた。


「えっ」


「追いかける。初荷が町へ着く前には間に合うはずだ」


「でも、ノルさんは屋敷に残るって……」


「ノルは残しておいて正解だよ。ここを空けたくない。だからミア、君も来て」


「わ、私もですか?」


「荷札と帳面の確認ができる人が必要」


 ミアは一瞬だけ慌てたが、すぐにうなずいた。


「……行きます」


 その返事は、最初の頃よりずっと強かった。


 ◇


 初荷が向かった先は、王都へ続く街道筋の中継町、ラーデンだった。


 王都そのものほど大きくはない。

 だが周辺領の荷が集まり、王都へ流れる前に相場が決まる場所でもある。


 昼を少し過ぎた頃、俺たちが町へ入ると、市場は思った以上に賑わっていた。


 香辛料。干し肉。豆。芋。布。

 呼び込みの声、値段をめぐる怒鳴り合い、馬のいななき。

 人と物と金が、狭い路地の中でぶつかり合っている。


「……すごいですね」


 ミアが目を丸くする。


「うん。でも、こういう場所ほど顔色で値が決まる」


 つまり、小領地の初荷なんて、最初は舐められる。


 視界の端に、青い文字が浮いた。


 《価格操作の綻び》

 《結託》

 《新規荷の買い叩き》

 《標的:ハル領初荷》


 やっぱり、そこか。


「こっち」


 市場の一角、地方荷を扱う並びへ向かうと、すぐにエドたちの姿が見えた。


 二台の荷車は無事だった。

 だが、その前でエドが苛立った顔をしている。


「だから、草じゃないって言ってるだろ!」


「草は草だろうが」


 荷の前に立っていたのは、腹の出た仲買人だった。

 脂っこい髪、細い目、口元だけが笑っている。


「そんなもんに値なんかつかねえよ。まとめて買ってやるって言ってんだ、ありがたく思え」


 視界が反応する。


 《相場操作》

 《虚偽説明》

 《周辺仲買との談合》

 《グレイヴ侯爵家側と接触歴あり》


 当たりだ。


「その値じゃ売らない」


 俺が声をかけると、エドが振り返った。


「リオン!?」


「来たんだ」


「そりゃ来るよ」


 仲買人が眉をひそめる。


「坊ちゃんが責任者か?」


「そうだよ」


「なら話は早い。そっちの草は全部まとめて銅貨八枚。豆と芋と麦も、小領地の初荷じゃ信用がねえ。合わせて銀貨一枚半ってとこだな」


 安すぎる。


 市場を知らない人間なら、「そんなものか」と思って飲まされる額だ。


 ミアが悔しそうに帳面を抱き締める。

 エドは今にも殴りかかりそうな顔をしていた。


「断る」


 俺が言うと、仲買人は肩をすくめた。


「ほう。じゃあ、他に買うやつがいると?」


 その瞬間だった。


「その草、ちょっと見せて」


 横から入った声に、仲買人が露骨に顔をしかめた。


 人垣の向こうから、一人の女が歩いてくる。


 二十代後半くらい。

 すっきりした顔立ちで、髪は後ろでまとめている。

 飾り気は少ないが、服の布はいい。歩き方に迷いがなく、周囲の人間が自然と道を空けていた。


 彼女は青葉草の束を一本持ち上げ、布を少しだけめくる。

 そして葉を指先で潰した。


 すっと、香りが立った。


 女の目が、わずかに変わる。


「……これ、どこの草?」


「ハル領、北村の青葉草です」


「青葉草」


 彼女はその名を一度口の中で転がすように言ってから、今度は束の乾き具合を確かめた。縄の締め方、葉の揃い、砕け具合まで見ている。


 見る目がある。


 視界の端に文字が浮いた。


 《食材鑑定適性:高》

 《王都販路あり》

 《価格評価:適正》


 よし。


「あなたは?」


 俺が聞くと、女はようやくこちらを見た。


「レティシア・モーヴ。王都へ食材を流してる商会の実務を見てる」


 やっぱり来た。


 彼女は青葉草の束を置き、二台目の荷も見る。

 豆袋を開け、指先で一粒つまみ、芋の表面の傷み具合も確かめる。


「豆の選別がきれいね。芋も悪くない。麦も、少なくとも湿った袋と混ぜてない」


 横で仲買人が鼻を鳴らした。


「モーヴさん、そんな地方荷に構っても――」


「黙って」


 一言だった。

 でも、その場の空気がすっと冷えた。


 レティシアは俺へ向き直る。


「青葉草、試した?」


「魔物肉で」


「やっぱり」


 彼女は少しだけ笑った。


「この香りなら、臭みの強い肉にも使える。王都の料理屋なら欲しがるところがあるわ」


 エドが、はっきりと顔を変えた。

 半信半疑だったのは俺たちだけじゃない。こいつも、実際に売り先の人間がそう言うのを待っていたんだろう。


「……じゃあ、売れるのか」


「雑草なら売れない。でもこれは商品よ」


 その言い方は、妙に気持ちよかった。


 レティシアは青葉草の束を持ち上げたまま言う。


「全部で三十八束?」


「はい」


「全部買う」


 ミアが息を呑む。


 仲買人が慌てた。


「おいおい、ちょっと待て――」


「あなたの話はもう終わり」


 レティシアは視線すら向けない。


「値は、束ごとに銀貨一枚」


 エドとミアが固まった。

 俺も内心では少し驚いた。想定より上だ。


「ただし条件がある」


 彼女はすぐ続ける。


「次も同じ品質で持ってこられること。乾かし方を崩さないこと。束ね方もこのまま。勝手に量だけ増やして質を落とすなら買わない」


「できます」


 俺は即答した。


「言い切るのね」


「言い切れないものは出さないので」


 レティシアの口元がわずかに上がった。


「嫌いじゃないわ、その言い方」


 今度は二台目へ顎を向ける。


「豆と芋、麦は全部は買わない。でも、南村のこれは状態がいい。半分は私が取る。残りは市場の別口へ回しても、前より上で売れるはずよ」


「助かる」


「助かるかどうかは次第。続けば、だけど」


 そう言ってから、レティシアは少しだけ声を落とした。


「この市場、最初の荷は舐められるの。今日みたいにね」


 視線の先には、さっきの仲買人。


 男は顔を歪めたが、何も言えない。


「でも、一度“売れる”とわかった荷には群がる。だから次はもっと面倒になるわ」


「でしょうね」


「それでも出す?」


「出します」


 俺がそう答えると、レティシアは今度こそはっきり笑った。


「なら話は早い」


 その場で彼女は従者に命じて銀貨袋を持ってこさせた。

 青葉草三十八束分の銀。二台目の半分の買い取り分。

 初荷としては十分すぎる額だった。


 ミアが震える手で帳面へ書きつける。


「銀貨……三十八、豆と芋と麦で……」


「間違えるなよ」


 エドが低く言う。


「わ、わかってます!」


 でもその声は、半泣きというより半笑いだった。


 ◇


 売買が一段落したあと、俺たちは市場の端の荷下ろし場に腰を下ろした。


 エドは銀貨袋を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。

 それから、ぽつりと呟く。


「……本当に、売れた」


「売れたね」


「しかも、あんな草が」


「草じゃなくて青葉草」


「わかってるよ」


 エドはそう言って、少しだけ笑う。


「でも、あれを抜いて捨ててたんだよな、前まで」


「うん」


「南村の豆も、もっと安く流すと思ってた」


「そうならなかった」


「……ああ」


 その返事は短かったけど、重かった。


 前世で何度も見た。

 人は口で説明されるより、最初の売上の方を信じる。


 北村も南村も、今日から少し変わる。


 そこへレティシアが戻ってきた。

 今度は仕事の顔だった。


「これ」


 差し出されたのは、小さな木札だった。商会の印と、王都内の荷受け先らしい記号が入っている。


「次の荷を持ってくる時、それを見せなさい。私のところへ回るように言ってある」


「継続で買ってくれるってこと?」


「品質が落ちなければね」


 レティシアは淡々と言う。


「北村の青葉草は面白い。南村の荷も、“ちゃんとした地方荷”としては悪くない。量が揃えば、王都側で回せる」


 その“回せる”という言い方が、彼女の仕事の温度をよく表していた。

 情けではない。

 商売として成立するから、繋ぐ。


 だから信用できる。


「一つ聞いてもいい?」


「なに?」


「なんで最初に青葉草の価値がわかったの?」


 レティシアは少しだけ首を傾けた。


「香りが立ってたから。それに、乾かし方が雑じゃなかった」


 彼女は青葉草の束を一本持ち上げる。


「雑草は雑に扱われる。でも、これは違った。試されてる荷の顔をしてた」


 なるほど。


 こっちが本気で作ったものは、見る人が見ればわかる。

 そういうことか。


「覚えておく」


「ええ。覚えなさい」


 そこで彼女は一度だけ俺をまっすぐ見た。


「あなた、見た目ほど子どもじゃないわね」


 思わず少しだけ息が止まる。


 まさか、とは思ったが、彼女はそれ以上は何も言わなかった。


「でも、若いのは武器よ。地方の小領地の子どもが、こんな荷を持ってきた。そういう話は、王都でよく回るから」


「いい意味で?」


「さあ」


 レティシアは肩をすくめた。


「でも、埋もれるよりはましでしょ」


 それはたしかにそうだった。


 ◇


 帰りの荷車は、行きより軽かった。


 青葉草は全部なくなった。

 南村の荷も半分以上が売れた。

 残りも、値のいい買い手をつけてから帰れる。


 市場を出る時、エドが後ろを振り返った。


「リオン」


「うん?」


「次は、もっと積める」


「そのつもり」


「でも質は落とさねえ」


「そこが大事だね」


 エドはうなずく。


 前よりずっといい顔だった。


 視界の端に、青い文字が浮かぶ。


 《初荷:成功》

 《販路確保》

 《継続取引の兆し》

 《次の綻び:供給量と品質》


 俺はその文字を見て、少しだけ笑った。


 次は量と質、か。

 いい。

 それならやることははっきりしている。


 初荷は売れた。

 ハル領にとって貴重な外貨となった。


 次は、それを続く形に変える番だ。

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