第25話 初荷を守れ
初荷の日は、夜明け前から慌ただしかった。
ハル家の屋敷の前庭には、荷車が二台並んでいる。
一台目には、北村で束ねて乾かした青葉草。
二台目には、南村で選別し直した豆と芋、それから痛みの少ない麦袋。
量としては、まだ大したことはない。
けれど、意味は大きかった。
これが売れれば、北村の青葉草は“雑草”ではなくなる。
南村の改善も、“気休め”ではなくなる。
領地が変わり始めたことを、外へ出して証明する最初の荷だ。
「北村の青葉草、全部で三十八束。南村の豆袋二十六、芋箱九、麦袋七……」
ミアが帳面と荷札を何度も見比べながら、震える声で読み上げる。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です。たぶん」
「たぶんか」
「たぶんです」
正直でよろしい。
でも実際、俺も緊張していた。
こういう時に限って、何か起きる。
前世でもそうだった。現場がようやく整い始めたところで、最初の外向けの仕事はだいたい狙われる。
しかも今回は、グレイヴ侯爵家が黙っていないとわかっている。
ノルが荷車の周りを一周して戻ってきた。
「馬の具合は悪くありません。御者も問題なし」
「ありがとう」
その横では、エドとカイルが荷の積み方を見ていた。
「青葉草は上にしろ。豆の箱の下に押し込んだら潰れるぞ」
「わかってるよ」
「わかってねえ顔してた」
エドの言い方は相変わらず尖っている。
でも、今はそれが頼もしかった。
前なら“運ばされる側”だった若者が、今日は“守る側”に回っている。
それだけでも大きい。
俺は一台目の荷車へ近づいた。
青葉草の束は、布で包んだうえで細縄でまとめてある。
香りが飛ばないよう、直射日光を避ける布もかけてある。
ここまではいい。
そのまま二台目へ向かい、豆袋と麦袋を一つずつ目で追った。
視界の端に、薄青い文字が浮かぶ。
《荷札:正常》
《積載順:概ね良好》
《豆袋:乾燥良》
よし。
そう思った直後、最後尾の車輪に目が止まった。
《車輪軸:異常》
《固定具:緩め加工》
《半刻以内に破損の恐れ》
《原因:人為》
俺は足を止めた。
「……止めろ」
声は自分でも思った以上に低かった。
前庭の空気が止まる。
「リオン様?」
ミアが顔を上げる。
「二台目、動かすな」
ノルがすぐに近づき、俺の視線を追った。
「どうされました」
「右後輪。固定具を見て」
ノルがしゃがみ込む。
ほんの数秒後、その眉がわずかに動いた。
「……緩められておりますな」
エドが顔色を変えた。
「は?」
俺も膝をつき、車輪軸の金具を見る。
表面はきれいに見える。だが、締め具の一つに新しい擦れ傷があった。普通に積んでいるだけではつかない位置だ。
「途中で外れる」
「どこでだ」
エドが聞く。
視界にまた文字が走る。
《北街道の坂道》
《衝撃増大》
《積荷転倒》
《商品価値大幅低下》
「街道へ出て最初の坂だね」
俺は立ち上がった。
「そこで荷がひっくり返るようにされてる」
ミアが青ざめる。
「そ、そんな……」
「だから落ち着いて。まだ出る前でよかった」
そう言いながらも、背中に薄い汗が出ていた。
やっぱり来た。
初荷を潰すつもりだったんだ。
俺は周囲を見回す。
荷車。
馬。
御者。
積み込みに関わった人間。
使用人。
村の若者。
そして、視界の端にもう一つ、文字が浮いた。
《荷札差替え意図》
《実行者:門脇の男》
《逃走準備》
「ノル、門の右!」
言うより早く、ノルが駆けた。
門脇で荷縄を持っていた男が、ぎょっとして身を翻す。
一瞬早い。
でも、ノルのほうが早かった。
肩口を掴まれた男は、そのまま地面へ叩きつけられる。
「ぐっ――!」
「動くな」
低い声だけで十分だった。
前庭が一気に騒がしくなる。
「誰だこいつ!」
「見たことねえぞ」
「さっき荷札の近くにいた!」
エドが男のそばへ駆け寄り、その懐を荒っぽく探った。
出てきたのは、小さな金貨袋と、折りたたまれた紙片。
灰色の鳥の印。
グレイヴ侯爵家だ。
「やっぱりな」
俺が言うと、エドが舌打ちした。
「初荷ひとつでここまでやるかよ」
「やるよ。ここで失敗すれば、“ハル領の改革は口だけだった”って言えるから」
しかも最初の出荷だ。
失敗の印象は長く残る。
ミアが荷札を抱えたまま、悔しそうに言った。
「ひどいです……」
「だから守るんだよ」
俺は二台目の荷車を指した。
「車輪を交換。固定具も全部見直す。ミア、荷札を再確認。エド、積み込みに触った人間を洗って」
「洗う?」
「積み込みに関わった人を全部出して、誰がどこを触ったか確認するってこと」
「……ああ、そういう」
エドはすぐに理解した顔になった。
「わかった。カイル、ロブ! こっち来い!」
若者たちが走る。
前よりもずっと速く、迷いがない。
ミアは深呼吸を一つして、帳面を開いた。
「荷札、青葉草三十八束……豆袋二十六……」
「焦らなくていい。ゆっくりでいいから、絶対に間違えないで」
「はい!」
その返事は、最初の頃よりずっと強かった。
◇
三十分後。
二台目の車輪は交換され、固定具も締め直された。
荷札は全部、ミアが再確認した。
偽の荷札が一枚、男の懐から見つかった。
「……青葉草の束数が違う」
ミアが紙を見比べて言う。
「こっちは二十束になってます」
「到着先で“数が合わない”って騒がせる気だったんだろうね」
嫌らしいやり方だ。
転倒だけじゃなく、帳面でも傷をつけるつもりだったわけだ。
ノルが、縛った男を見下ろしたまま言う。
「口を割らせるまでもなく、筋は見えますな」
「うん」
グレイヴ侯爵家が動いている。
少なくとも、その名を使って動く人間がいる。
でも、今日はそれでいい。
今はまず、初荷を出す。
俺は荷車の前に立った。
「もう一度確認する」
声を張ると、全員がこっちを見る。
「一台目、北村の青葉草。三十八束」
「はい!」
ミアが答える。
「二台目、南村の豆二十六、芋九、麦七。車輪交換済み、固定具確認済み」
「確認した!」
エドが答えた。
「護衛はノル――じゃなくて、今回はノルは残って」
「私が残りますか」
「うん。ここを空けたくない。代わりに兵を二人つける」
ノルは一瞬だけ考えたが、すぐに頷いた。
「承知」
「エド」
「なんだ」
「行く?」
聞くと、エドは少し目を丸くした。
「俺がか」
「初荷だから。現場を知ってる人間が一人いたほうがいい」
少しの沈黙。
それからエドは、ふっと笑った。
「……乗る」
いい顔だった。
昨日まで借金で縛られていた若者が、今日は自分の意思で初荷に乗る。
それだけで、この改革は意味がある。
エドは荷車へ近づき、青葉草の束を一つ叩いた。
「絶対にひっくり返させねえ」
「頼む」
◇
荷車が門を出る直前、北村の村長と南村の村長が並んで立っていた。
北村の村長は青葉草の束を見つめ、南村の村長は豆袋の縄を握りしめている。
「坊ちゃん」
北村の村長が言った。
「これが、本当に王都まで行くんですな」
「行くよ」
「売れるでしょうか」
「売る」
言い切ると、二人とも少しだけ笑った。
不安と期待が、ちょうど半分ずつ混じった顔だった。
俺もたぶん同じ顔をしていたと思う。
「出せ!」
御者が声を上げ、車輪がゆっくり回り始める。
初荷だ。
小さい。
でも、間違いなく最初の一歩だ。
俺は動いていく荷車を見送りながら、小さく息を吐いた。
その時、視界の端に文字が浮かぶ。
《初荷:出発》
《妨害排除》
《信用獲得の起点》
《次の綻び:街道の先》
俺は少しだけ目を細めた。
街道の先、か。
まだ終わっていない。
でも、それでいい。
ここまで来たら、もう誰かに黙って奪わせるつもりはなかった。
門の外へ消えていく荷車を見ながら、ミアが小さく呟く。
「……行きましたね」
「うん」
「なんだか、緊張します」
「わかる」
俺は頷いた。
「でも、こういうのは出さないと始まらない」
ノルが背後で静かに言う。
「止められると困るほど、ここまで来たということです」
「そうだね」
北村の青葉草。
南村の作物。
石切り場から戻った若者たち。
改善された現場。
そして、妨害してまで潰したい相手。
全部まとめて、ハル領が前へ進み始めている証拠だった。
俺は初荷が消えた道の先を見ながら、心の中でひとつだけ決めた。
次は、売れた後の話だ。




