第285話 文化祭の試運転
それから二週間ほどが過ぎた。
毎日が、少しずつ慌ただしかった。
授業が終われば、文化祭の準備がある。
輪投げの線を引き直し、的当ての的を作り、札合わせの絵札をそろえ、重さ当ての袋の重さを調整する。
景品用の飴は少しずつ包まれ、焼き菓子の材料も調理室へ運ばれた。
その合間に、俺は何度か王立研究所へも行った。
ベルンハルト先生が同行する日もあったし、学院長から確認の手紙を預かる日もあった。
研究所では、小さな金属片を浮かせる実験が続いている。
前よりは、少し安定するようになった。
そして、夜や早朝には、俺自身の練習も少しだけ続けた。
うまくいく日もあれば、すぐに姿勢が崩れる日もある。
それでも、完全にやめる気にはなれなかった。
浮遊魔法も、文化祭の準備も、止めればそこで進まない。
そんな日々を繰り返しているうちに、文化祭まで、あと一週間になっていた。
◇
王立学院の空気は、明らかに変わっていた。
廊下では、上級生が大きな板を運んでいる。
別の教室からは、劇の台詞を練習する声が聞こえた。
下級生たちは飾りつけの紙を抱えて走り、調理室の前では、順番を確認する生徒たちが集まっている。
三年Sクラスの教室の中には、ほとんど形になった遊び場ができていた。
入口の近くには受付と説明係の机。
左側には輪投げ。
奥には的当て。
窓側には札合わせの机。
反対側には重さ当ての台。
出口寄りには景品交換所。
まだ本番ではない。
でも、ただの準備中には見えなくなってきた。
エドガーが手元の紙を見ながら言った。
「それと、料金を取ったり釣銭を渡す流れも確認した方がいい」
「そうか。受付でお金を受け取るんだったな」
俺が言うと、ヴィクトルが反応した。
「売上が多い方がいいんだろ?」
エドガーは頷く。
「去年と同じく、文化祭の売上は寄付に回される。売上の多いクラスは学院長から表彰される」
「表彰か」
ヴィクトルの目が少し輝いた。
「それなら、呼び込みにも力が入るな」
「品のない呼び込みはやめなさい」
セレナがすぐに言う。
「寄付のためとはいえ、客を煽るものではないわ」
「分かってるって」
「その返事が軽いのよ」
クラウスは受付の机と景品交換所を見比べていた。
「料金を受け取る場所と景品を渡す場所は分けた方がいい」
「混ざると揉めるね」
「そうだ。釣銭を扱う場所に人が集まりすぎても困る」
俺は教室の入口から出口までを目で追った。
「受付で料金を受け取る。遊び終わったら点数札を渡す。
その後、景品交換所で点数札を見せてもらう。景品交換所ではお金を扱わない」
エドガーが紙に書き込む。
「その方がいい。会計係と景品係を分けられる」
ナディアも受付の机を見て言った。
「料金を受け取る係の近くに、寄付に回されることを書いた札を置くのはどうでしょうか?」
「いいと思う」
ミラが頷いた。
「ただ遊ぶだけじゃなくて、何のための料金なのか分かる方が、払う人も気持ちよく出せるわ」
セレナも納得したように言う。
「どのクラスも寄付するのは同じだけど、意外と知らない人もいるかもしれないわね。
その札は、きちんと整えて書きましょう」
最初に、受付から試すことになった。
客役のヴィクトルが教室に入る。
受付の机を見ずに、そのまま輪投げへ向かおうとした。
「待って。最初に受付だ」
クラウスが止める。
「客は説明を見ないかもしれないだろ」
「それはありえる」
エドガーがすぐに紙へ書き込む。
「入口の札が弱い」
ミラが入口の横に立った。
「最初はこちら、という札をもっと大きくした方がいいわね。矢印もつけましょう」
ナディアも頷く。
「受付と説明係の場所が一目で分かるようにした方がいいですね」
「受付で料金を払って、説明をする。そこまでを最初にやらないと駄目だな」
俺はそう言って、受付机の位置を少し動かした。
入口から入った時、最初に目に入る位置。
そこに置いた方がいい。
次に、ガイルが客役として入ってきた。
まっすぐ景品交換所へ向かう。
「焼き菓子はどこだ」
セレナが無言で見た。
「まだ料金も払っていないでしょう」
「景品が見えたからな」
「それを本番でやられたら困るわ」
エドガーがまた書き込む。
「景品交換所にも、点数札を持ってきてください、と書く必要がある」
ミラが景品の見本を少し奥へ下げた。
「見えるけど、直接手は届かない位置がいいわね」
「客の目には入る。でも、勝手には取れない」
クラウスが頷く。
「その位置でいい」
今度は輪投げを試す。
ヴィクトルがわざと線の前へ出る。
「近い方が入るだろ」
「戻れ」
クラウスが短く言った。
ヴィクトルは笑いながら戻る。
「怖いな。客役だぞ」
「本番ならもっと早く止める」
ナディアが投げる線の横にしゃがんだ。
「線の意味が分からない人もいるかもしれません。
この線から投げると、みんな同じ条件で遊べます、と説明した方がいいですね」
「ただ前に出るな、よりいいわ」
セレナが言う。
「注意だけだと、怒られているように聞こえるもの」
その言葉に、俺は頷いた。
止めるだけではなく、理由を伝える。
文化祭に来る人は、こちらの決まりを知らない。
知らない人に分かるように作らなければ、決まりはないのと同じだ。
的当てでは、さらに問題が出た。
ヴィクトルが投げた後、ガイルが落ちた布玉を拾おうとして前に出る。
次の投げ手役だったミラが、思わず止まった。
「これ、危ないわね」
クラウスがすぐに配置を見る。
「玉を拾う係が必要だ」
「客に拾わせない方がいいな」
俺が言うと、エドガーが頷いた。
「投げ終わったら、係が回収して次の人に渡す。客は線の外で待つ」
ナディアが注意札を書き直す。
「投げている人の近くには入らないでください、だけだと少し硬いですね」
セレナが横から言う。
「係が玉をお渡しします、でいいのではなくて?」
「それなら柔らかいです」
ナディアが嬉しそうに頷いた。
札合わせは、別の意味で問題が出た。
エドガーが説明を始める。
「札は全部で十六枚あり、同じ絵柄が二枚ずつある。
順番に二枚めくり、同じ絵柄なら取ることができる。同じでなければ元に戻し――」
「長い」
ヴィクトルが途中で言った。
エドガーが眉を寄せる。
「まだ説明の途中だ」
「客役として言うけど、たぶん途中で分からなくなるぞ」
ナディアも少し考えてから言った。
「最初は、同じ絵を探してください、だけでもいいかもしれません」
ミラが絵札を並べる。
「遊びながら説明を足せばいいわね。まず一回めくってもらった方が早いと思う」
エドガーはしばらく黙った。
それから、紙に短く書き直す。
「同じ絵を二枚そろえる。まずはこれでいいか」
「うん。そっちの方が分かりやすい」
俺が言うと、エドガーは小さく頷いた。
「詳しい決まりは係用に別で持っておく」
「それがいいと思います」
重さ当てでは、ガイルが説明役になった。
「同じ袋を持って、どれが一番重いか当てる」
「それだけ?」
ヴィクトルが聞く。
「それだけだ」
「地味じゃないか?」
「持てば分かる」
「いや、それはガイルだけだろ」
ミラが袋を一つ持ち上げる。
「見た目が同じだから面白いけど、どれを比べればいいか分かる札がいるわね」
ナディアも言う。
「軽い、中くらい、重い、の三つにした方が小さい子には分かりやすいかもしれません」
クラウスは袋を見ていた。
「振る人が出る」
「振る?」
ガイルが首を傾げる。
「中身を確かめようとする」
試しにヴィクトルが袋を振ろうとした。
クラウスがすぐに手を押さえる。
「やはりな」
「客役だって」
「本番で出る動きだ」
俺は苦笑しながら頷いた。
「袋は振らない。投げない。両手で持つ。これも書いておこう」
ガイルは袋を見て、少し真面目な顔になった。
「破れたら中身が出るな」
「そういうこと」
「じゃあ、袋の口はもう少し固く結ぶ」
自分たちだけの試運転なのに、思ったより問題が出る。
受付。
料金と釣銭。
点数札。
投げる線。
玉の回収。
札合わせの説明。
重さ当ての袋。
景品交換所。
直すところは多い。
けれど、直せばよくなるところばかりだった。
その後は、全員で一気に仕上げに入った。
◇
その日の後半は、調理室へ移動した。
飴と焼き菓子を自分たちで用意するためだ。
参加賞の飴は、すでにかなりの数が包まれている。
焼き菓子は、食堂の人に教わりながら作ることになっていた。
ガイルは調理台の前で妙に真剣だった。
「焼き加減は大事だ」
ヴィクトルが横から覗く。
「味見も大事だな」
セレナが即座に言う。
「味見は一つまでよ」
「一つで分かるか?」
「分かりなさい」
ミラが焼き上がった菓子を冷ます場所へ運ぶ。
「包む前に冷まさないと、紙が湿るわ」
ナディアが包み紙を並べる。
「小さい子が持ちやすいように、あまり大きくしない方がいいですね」
エドガーは数を確認していた。
「焼き菓子セットは予定数に届く。高得点景品は数を決めて出す。
参加賞の飴も、この分なら足りる」
「足りそう?」
「想定より多めにはある」
クラウスが保存用の箱を見た。
「当日まで置く場所も決める必要がある」
「そこも確認しよう」
俺は頷いた。
焼き菓子の甘い匂いが、調理室に広がっていた。
文化祭が近い。
そう感じる匂いだった。
◇
教室に戻る頃には、外は少し暗くなっていた。
机の上には、包まれた飴と焼き菓子の見本。
黒板には、役割分担。
入口には、大きく書き直された案内札。
受付の机には、料金を受け取る箱と釣銭を入れる小箱。
その横には、売上が寄付に回されることを知らせる札。
床には、待つ場所の印。
的当ての横には、玉を拾う係の札。
重さ当ての台には、袋を振らないことを示す絵札。
景品交換所には、点数札を出してください、という文字。
最初に案を出した時とは、まるで違う。
ベルンハルト先生が教室に来たのは、その時だった。
先生は教室の中をゆっくり見回した。
「形になったな」
「はい」
俺は答えた。
「細かい調整はまだあります。でも、大体はできました」
ベルンハルト先生は、受付の机と景品交換所を見た。
「金を扱う場所と景品を渡す場所を分けたのか」
「はい。混ざると混乱するので」
「いい判断だ」
先生は床の印を見た。
「入口から出口まで、人が流れるようになっている」
「クラウスとエドガーがかなり見てくれました」
「他の者も動いているようだな」
「はい」
先生は少しだけ口元を緩めた。
「なら、あとは本番で崩れないかだ」
その言葉に、教室の空気が少し引き締まった。
ヴィクトルが笑う。
「そこは俺の呼び込みで何とかしますよ」
「騒がしくしすぎるな」
「……はい」
セレナが小さく頷いた。
「本番でも、そこは私が見ます」
「頼む」
先生は短く言った。
俺は教室の中を見回した。
魔法を使わない遊び場。
最初は、頼りなく見えた案だった。
子どもの遊びのように見える、と言われたこともある。
それでも、ようやく一つの出し物になってきた。
文化祭まで、あと一週間。
まだ直すところはある。
けれど、入口から出口まで、人が流れる形は見えてきた。
三年Sクラスの教室に、魔法を使わない遊び場ができようとしていた。
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