第273話 詰める前に
次の日の昼休み。
食堂の列に並びながら、俺は昨日より少しだけ周囲を見ていた。
皿を受け取る生徒。
配膳する係。
奥で鍋をかき混ぜている料理人。
どこも、いつも通りに見える。
だからこそ、分かりにくい。
「……やっぱり少ないな」
席に着くなり、ヴィクトルが皿を見て言った。
昨日と同じように、パンと肉の煮込み、それから野菜スープ。
見た目は普通だ。
でも、昨日より戻っている感じはない。
ガイルも自分の皿を見下ろす。
「肉が薄い。気のせいじゃないな」
「そんなに違うものなの?」
セレナが皿を見比べる。
ヴィクトルが肉を一切れ持ち上げた。
「違う。俺の腹はごまかせない」
「判断基準が少し不安ね」
セレナはそう言ったが、表情は笑っていなかった。
ナディアが下級生たちの席を見る。
「昨日も話していましたけど、午後に実技がある人たちは大変そうです」
その視線の先では、下級生がパンを小さくちぎって食べていた。
「購買に寄る?」
「今日はやめておく。今月、もう余裕ないし」
そんな声が聞こえる。
俺は皿の上のパンを見た。
たった少し。
肉一切れ。
パン一口分。
でも、それが毎日続けば違う。
特に、午後に体を動かす生徒には響く。
セレナが低く言った。
「これが意図的なら、かなり品のない話ね」
「まだ決めつけない方がいい」
俺が言うと、セレナがこちらを見た。
「昨日、何か見つけたのでしょう?」
「納入の数が合っていないように見えた。でも、まだ確認が足りない」
「足りないものが分かっているのに、待つの?」
セレナの声には、少し苛立ちがあった。
悪いことを見つけたなら、すぐに正す。
それはセレナらしい。
間違っているとは思わない。
でも、今はそれだけでは足りない。
「今日、もう一度見る」
「私も行くわ」
セレナが即答した。
俺は少しだけ止まった。
「セレナも?」
「放っておける話ではないもの。食堂の方々が疑われる可能性もあるのでしょう?」
セレナは皿の上の肉を見た。
「なら、なおさらはっきりさせるべきよ」
その言葉は強かった。
怒っている。
でも、自分のためではない。
ナディアが心配そうに言う。
「私も行った方がいいですか?」
「ナディアは下級生の話を少し聞いておいてくれる? 最近いつから少ないと感じているか」
「分かりました」
ガイルが肉の煮込みを口に運びながら言う。
「俺は袋の数を見る。あと、重そうか軽そうかも」
「それは助かる。ガイルはそういうの得意そうだ」
「たぶん分かる」
ヴィクトルが笑った。
「なんか、食堂の肉一切れで作戦会議みたいになってきたな」
「肉一切れを軽く見るな」
ガイルが真面目に返したので、ヴィクトルが肩を揺らした。
昼食を終える頃には、だいたいの役割が決まっていた。
大げさに動くつもりはない。
騒ぐつもりもない。
ただ、もう一度数える。
それだけだ。
◇
放課後。
俺たちは食堂裏の搬入口が見える場所にいた。
俺。
クラウス。
ミラ。
セレナ。
少し離れて、ガイルもいる。
正面から堂々と見ているわけではない。
けれど、隠れているわけでもない。
ただ、通路の端で話しているように見せながら、搬入口の様子を確認する。
「本当に、ここで待つだけなの?」
セレナが小声で言った。
「まずは見る」
「見ている間に、また同じことをされたら?」
「されたなら、記録できる」
セレナは納得していない顔をした。
ミラが横から言う。
「セレナ、リオンは止めるために見ているのよ。見逃すためじゃないわ」
「分かっているわ。でも、目の前でおかしなことをされたら、黙っている方が難しいの」
セレナの声は低い。
苛立っている。
ただ、それを表に出しすぎないように抑えているのが分かった。
クラウスが搬入口の方を見たまま言う。
「詰めるなら、逃げ道をなくしてからだ」
セレナが少しだけ目を細めた。
「あなたまでリオン側なのね」
「そういう話ではない。急ぐと、相手が逃げる」
クラウスらしい短い言い方だった。
しばらくして、昨日と同じ荷車が来た。
納入業者の男が降りる。
食堂の担当者も出てきた。
昨日と同じように、帳簿を持っている。
「本日分です。小麦十袋、肉樽四つ、野菜籠六つ。いつも通りで」
「はい。確認します」
食堂の担当者が荷台へ目を向ける。
俺も数える。
小麦袋。
一、二、三。
九。
肉樽。
一、二、三。
四つ目はない。
野菜籠は六つ。
ただ、一つだけ明らかに軽そうだ。
ガイルが少し離れた場所で、指を一本だけ折った。
数が合わない、という合図だ。
視界に文字が浮かぶ。
《納入数不一致》
《受領印確認前》
《不足量:小》
《継続発生》
セレナも数えていたらしい。
その表情が変わった。
「今、十袋と言ったわね」
小声だった。
だが、かなり冷たい声だった。
「でも、下ろされたのは九袋ではなくて?」
セレナが一歩前へ出ようとした。
俺はすぐに手を伸ばして止めた。
「待って」
セレナが俺を見る。
「なぜ止めるの?」
「今詰めると、相手は数え間違いだと言える」
「実際に足りないのよ」
「今はまだ、俺たちが見た数だけだ」
「それで十分ではなくて?」
セレナの声に怒りが混じる。
俺は首を横に振った。
「十分じゃない。ここで騒げば、食堂の人が確認を怠った話にされる。
受領印を押す前なら、なおさらだ」
「悪いことをしている相手に、こちらが遠慮する必要があるの?」
「遠慮じゃない」
俺は搬入口の方を見た。
食堂の担当者が、荷物を確認しようとしている。
でも、業者の男は慣れた様子で帳簿を差し出していた。
「逃げ道を潰してから動く」
セレナは黙った。
納得したわけではなさそうだった。
でも、足は止まった。
ミラが小さく息を吐く。
「セレナの言いたいことも分かるわ。今すぐ止めたいもの」
「なら――」
「でも、食堂の方々まで疑われる形は避けるべきよ」
ミラがそう言うと、セレナは唇を結んだ。
クラウスが短く続ける。
「今日は見る。次に言う」
「……腹立たしいわね」
セレナが小さく言った。
それでも、前には出なかった。
食堂の担当者が荷物を確認し、帳簿に印を押した。
納入業者の男は、何事もなかったように頭を下げる。
荷車は空になったわけではない。
荷台の奥には、布をかけられた小さな箱が一つ残っていた。
業者の男はそれを下ろさず、荷台の奥へ押し込んだ。
《余剰積載物》
《納入外保管》
《流出経路候補》
俺は目を細めた。
小麦袋一つ。
肉樽一つ。
野菜籠の中身。
そして、下ろされなかった箱。
小さい。
けれど、つながっている。
「今の箱、見た?」
俺が言うと、クラウスが頷いた。
「下ろしていない」
ミラも言う。
「納入分ではないのかしら」
「たぶん、帳簿には載っていない」
セレナが低い声で言った。
「なら、なおさら今止めるべきだったのではなくて?」
「いや。今ので、もう一つ分かった」
「何が?」
「足りない分が、どこかへ残されている可能性がある」
セレナの表情が少し変わった。
ただの数え間違いではない。
そう伝わったのだと思う。
俺たちは納入業者が去るのを見送った。
その後、俺は食堂の担当者へ向かった。
相手を責めるためではない。
まず、確認するためだ。
「すみません。少しお聞きしてもいいですか」
食堂の担当者は驚いたようにこちらを見た。
「生徒さんが、どうかしましたか?」
「最近、食材の量が合わないと感じたことはありませんか」
その一言で、担当者の顔がわずかに強張った。
「……どうして、それを」
「今日と昨日、搬入された数が帳簿と合っていないように見えました」
担当者は周囲を見た。
それから声を落とす。
「実は、少し前から変だとは思っていました。
ですが、帳簿上はいつも通りで……こちらの見間違いか、調理場で使いすぎたのかと」
「食堂側が量を減らしたわけではないんですね」
「違います。できるだけ同じ量で出そうとはしています。
ただ、最近は少し足りない日が続いていて」
担当者の声には、疲れがにじんでいた。
俺はセレナの方を見た。
セレナは何も言わなかった。
ただ、目の怒りの向きが変わっていた。
食堂の担当者ではない。
その前だ。
「受領印を押す時、袋数は毎回確認していますか?」
「しています。ただ、荷下ろしと同時に帳簿を出されるので、細かい重さまでは……。数も、忙しい時間だと流れで確認してしまうことがあります」
「昨日と今日の納入記録は残っていますか」
「あります」
担当者は少し迷ったが、帳簿板を見せてくれた。
小麦十袋。
肉樽四つ。
野菜籠六つ。
昨日も今日も同じだ。
だが、実際に下ろされた数とは合わない。
俺は頷いた。
「ありがとうございます。これは、先生に報告した方がいいと思います」
担当者の顔が不安そうに曇る。
「私たちが疑われるのでしょうか」
「そうならないように報告します」
俺がそう言うと、ミラが横で頷いた。
「食堂の方々が困っていたことも、ちゃんと伝えます」
担当者は少しだけ目を伏せた。
「お願いします。生徒さんたちに足りない食事を出すのは、こちらもつらいんです」
その言葉を聞いて、セレナが静かに拳を握った。
◇
ベルンハルト先生への報告は、その日のうちに行った。
俺たちは、食堂の担当者にも同席してもらった。
セレナも来た。
最初は勢いで詰めようとしていたが、今は黙って話を聞いている。
俺は順番に説明した。
昨日と今日、食堂の量が少なかったこと。
下級生にも不満が出ていること。
搬入時の帳面上の数字と実数が合わないこと。
食堂側も最近の不足に気づいていたこと。
受領記録は、以前と同じ数量になっていること。
ベルンハルト先生は最後まで口を挟まなかった。
聞き終えると、短く言った。
「分かった。ここからは学院側で確認する」
「お願いします」
「ハル」
「はい」
「よく、食堂側を先に責めなかった」
先生の声は淡々としていた。
だが、その一言で、食堂の担当者の肩がわずかに下がった。
セレナが少し目を伏せる。
ベルンハルト先生は続けた。
「一度なら間違いで済む。続けば別の話だ。
納入業者には学院から確認を入れる」
「はい」
「お前たちはここまででいい。これ以上は勝手に動くな」
クラウスがすぐに頷く。
「分かりました」
ミラも頷いた。
「はい」
セレナは少しだけ不満そうだったが、きちんと頭を下げた。
「承知しました」
俺も頷く。
「分かりました」
その後の確認は、数日にわたって行われた。
学院側が納入記録と実数を照らし合わせると、同じような不足が何日も続いていた。
小麦袋一つ。
肉樽一つ。
野菜籠の中身の不足。
一回ごとの差は小さい。
だが、全校分の食事となれば話は違う。
納入業者の担当者は、最初は数え間違いだと言ったらしい。
けれど、食堂側の証言と、複数日の記録が揃うと、言い逃れはできなかった。
悪かったのは、食堂ではなかった。
納入業者の担当者が、帳簿上は以前と同じ数を納めたことにして、実際には一部を荷車に残していた。
ただ、食堂側の確認も流れ作業になっていた。
学院側も、毎日の検収を食堂だけに任せすぎていた。
だから、小さな不足が何日も見落とされていた。
担当者は外され、学院は納入時の確認方法を見直すことになった。
食堂の担当者が責められることはなかった。
それを聞いて、俺は少しだけ安心した。
◇
数日後の昼食。
食堂で皿を受け取ったヴィクトルが、すぐに笑った。
「戻ったな」
ガイルも皿を見て頷く。
「今日は足りる」
ナディアがほっとしたように下級生の席を見た。
「下級生たちも喜んでいますね」
エドガーが静かに言う。
「小さいうちに見つけたのが大きかったと思う」
セレナは自分の皿を見てから、俺を見た。
「正面から叩けば、悪いものが全部壊れるわけではないのね」
「壊すだけなら早いけど、直すなら順番がいる」
俺が答えると、セレナは少し不満そうに目を細めた。
「……腹立たしいけれど、覚えておくわ」
「セレナがすぐ止めようとしたのも、間違ってないと思うよ」
「慰めはいらないわ」
「慰めじゃない。早く止めたいと思うのも大事だと思う。
ただ、今回は順番が必要だっただけ」
セレナは少しだけ黙った。
それから、視線を皿に戻す。
「次は、詰める前に数えるわ」
「それがいいと思う」
ミラが小さく笑った。
「でも、セレナが怒ってくれたのは少し安心したわ」
「安心?」
「ええ。誰かの昼食が削られることを、ちゃんと怒れる人がいるのは悪くないもの」
セレナは少しだけ顔をそらした。
「当然でしょう。品のないことは嫌いなの」
クラウスが肉の煮込みを見て言う。
「今日は午後の訓練も問題なさそうだ」
ヴィクトルが笑う。
「結局、そこが大事だよな」
「大事だよ」
俺は皿の上の昼食を見下ろした。
パン。
肉の煮込み。
野菜スープ。
数日前より、ちゃんと足りている。
午後の授業まで、ちゃんと動けそうだ。
それを確認してから、俺はようやく息をついた。
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