第271話 翌朝の報告
学院へ戻った俺たちは、そのまま医療室へ運ばれた。
クラウスの腕には薬が塗られ、固定用の布が巻かれた。
ミラは魔力消耗が大きいということで、魔力を使わないよう強く言われた。
俺の右腕の噛み傷も洗い直され、薬を入れられた。
痛かった。
けれど、洞くつの中で噛まれたまま歩いていた時よりは、ずっとましだった。
その後は、食事を取って、休むように言われた。
報告は翌朝。
医療班がそう判断し、ベルンハルト先生もそれに従った。
だから俺たちは、その日は何も聞かれなかった。
何も話さなくていい。
そう言われると、逆に体の重さが一気に出た。
寝台に横になると、洞くつの暗さがまぶたの裏に残っていた。
グランリザード。
グレイラットの巣。
第四層の標識。
全部が頭の中で混ざった。
それでも、気づいた時には眠っていた。
◇
翌朝。
医療班の確認を受けてから、俺たちは学院長室へ向かった。
右腕はまだ痛む。
クラウスの腕の痺れも残っている。
ミラの顔色も完全には戻っていない。
それでも、三人とも歩ける。
短く話す分には問題ない。
医療班はそう判断した。
学院長室の前で、ベルンハルト先生が待っていた。
「無理なら、今からでも延期する」
「話せます」
俺が答えると、クラウスも頷いた。
「俺も問題ありません」
ミラも静かに言う。
「長くなければ大丈夫です」
「分かった」
先生は扉を開けた。
中にいたのは学院長だけだった。
他の教師も、記録係もいない。
学院長は俺たち三人を見て、まず立ち上がった。
「よく無事に戻ってきた」
その声は、昨日のベルンハルト先生とは違って、少し柔らかかった。
「規則や報告の前に、それを言っておきたかった。君たちが三人そろって戻ったことが、何よりだ」
「ありがとうございます」
俺たちは頭を下げた。
学院長は座るように示した。
「長くは聞かない。医療班からも、短時間にするよう言われている。
まず、起きたことを順番に確認しよう」
俺は、できるだけ簡潔に話した。
二層目で崩落に巻き込まれたこと。
落下した先が、かなり下の階層だったこと。
後で第四層の標識を見つけたので、その前にいた場所は五層目付近だった可能性があること。
魔物を避けながら上へ戻ったこと。
階段を塞ぐグランリザードと戦ったこと。
連絡路を抜け、第三層に戻ったところでベルンハルト先生と合流したこと。
俺が話し終えると、クラウスが補足した。
「戦ったのは、倒すためではありません。通るためでした。
避けられる相手は避けました」
学院長は黙って聞いていた。
ベルンハルト先生も口を挟まない。
必要なことだけを聞く。
そんな空気だった。
俺は一度、右腕の包帯を見た。
「討伐証明があります」
学院長の視線が俺に向く。
「ベルンハルトから聞いている。ここなら出して構わない」
俺は一度、クラウスとミラを見た。
二人とも、何も言わなかった。
昨日、あの洞くつの中で見せたものだ。
今さら隠せる相手ではない。
俺は亜空間収納を開き、グランリザードの爪を取り出した。
太く、重い爪が机の上に置かれる。
学院長の目が細くなった。
ベルンハルト先生も、改めてそれを見る。
「これは……確かに二層目の魔物ではないな」
「はい」
学院長は爪に直接触れず、形と大きさを確認した。
「三層でも通常は出ない個体だ。君たちが危険域まで落ちていたことは、これで裏づけられる」
俺は息を吐いた。
持ち帰ってよかった。
そう思った。
けれど、学院長はすぐに俺を見た。
「もう一つ確認する。今の魔法だ」
部屋の空気が少し変わった。
クラウスとミラも、表情を引き締める。
「亜空間収納です」
「洞くつの中でも使ったのだな」
「はい。回復薬、保存食、青輝石の携帯灯を出しました。
討伐証明も中に入れました」
学院長はしばらく黙っていた。
怒っているようには見えない。
ただ、判断している目だった。
「本来なら、未知の魔法を不用意に人前で使うことは勧めない」
「はい」
「だが、今回の状況では、生存と班の維持を優先するべきだった。
君がそれを使ったことを咎めるつもりはない」
俺は思わず息を止めた。
学院長はクラウスとミラを見る。
「レインフォード、ハーウェイ。今見たこと、洞くつ内で見たことを不用意に話さないように」
「はい」
クラウスはすぐに答えた。
「話しません」
ミラもはっきり言った。
「私も話しません」
「よろしい」
学院長は頷いた。
「ただし、ハル。便利な魔法ほど、使い方を誤れば目立つ。
今後も、使う場所と相手は選びなさい」
「はい」
その言葉は、昨日の青輝石の携帯灯のことを思い出させた。
便利なものほど、危険も増える。
それは、魔法でも同じだった。
報告はそこで終わった。
細かい聞き取りは、体調が戻ってから改めて行うことになった。
ベルンハルト先生が爪を保管用の布に包む。
学院長は最後に、もう一度俺たちを見る。
「今日は通常授業に戻ってよい。ただし、医療班の指示に従うこと。
気分が悪くなれば、すぐに申し出なさい」
「はい」
学院長室を出ると、廊下の空気がやけに普通に感じた。
洞くつの外に出た時とは違う。
学院の匂い。
歩く生徒の声。
窓から入る朝の光。
俺たちは教室へ向かった。
扉を開けると、三年Sクラスの視線が一斉にこちらを向いた。
セレナが小さく息を吐く。
「遅かったわね」
「学院長室に呼ばれてた」
ナディアが机の上に水の入った杯を置いてくれていた。
「飲んでください。医療班からも言われていますよね」
「ありがとう」
ガイルが軽く手を上げる。
「座れよ。立ってるだけで怒られそうだぞ」
「みんな、俺を何だと思ってるの?」
ヴィクトルが笑う。
「昨日の今日で動き回ろうとするやつ」
エドガーが真面目に頷いた。
「その認識で大きく間違ってはいないと思う」
「またエドガーが厳しい」
クラウスが自分の席へ向かいながら言った。
「座れ、ハル」
ミラも続く。
「授業を受けるだけでも体力を使うわよ」
「分かったよ」
俺は自分の席に座った。
右腕の包帯が少し引っ張られる。
痛みはある。
でも、ここは洞くつではない。
ベルンハルト先生が教室に入ってきた。
いつものように教壇に立つ。
「授業を始める」
その一言で、教室の空気が戻った。
何もなかったように、授業が始まる。
けれど、俺の右腕には包帯が残っている。
洞くつの奥で見たものも、まだ消えていない。
それでも、俺たちは席に着いた。
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