第270話 報告は後で
ベルンハルト先生の「よく戻った」という言葉の後も、洞くつの入口前は慌ただしかった。
補助員たちが点呼表を確認している。
医療班は俺たち三人の状態を見直していた。
管理人たちは洞くつの入口付近で何かを話し合っている。
戻ってきた。
けれど、それで終わりではない。
俺は布の上に座ったまま、右腕の包帯を見下ろした。
痛みはある。
でも、さっきまで洞くつの中にいたことを思えば、ずっとましだった。
ベルンハルト先生が医療班の一人に声をかける。
「この三人は、学院に戻って報告できる状態か」
その言葉に、俺は顔を上げた。
報告。
しなければならないことは多い。
崩落。
落下した先の階層。
第四層の標識。
グランリザード。
連絡路の巣。
頭の中で順番を並べようとして、少し重さが戻った。
医療班がまずクラウスを見る。
「レインフォード君。腕の痺れは?」
「残っています。でも、指は動かせます。受け答えも問題ありません」
「長時間の戦闘や訓練は不可です。今日は安静に」
「はい」
次にミラが確認される。
「ハーウェイさん。魔力切れの気配があります。気分は?」
「少し重いです。でも、歩けます」
「歩行は可能。ただし、長く話すのは避けた方がいいですね」
ミラは少し不満そうだったが、反論はしなかった。
最後に俺の番になる。
「ハル君。腕の痛みは?」
「あります。でも、動かせます」
「魔力消耗もあります。意識ははっきりしていますか」
「はい」
「なら、短時間の報告は可能です。ただし、長引くなら明日に回してください」
医療班はベルンハルト先生へ向き直った。
「三人とも学院への移動は可能です。報告も短時間ならできます。
ただ、まず休ませてください」
「分かった」
先生はすぐに頷いた。
「詳細は学院で聞く。今ここでは話させない」
その判断に、少しだけ肩の力が抜けた。
今ここで全部を話せと言われたら、たぶん途中で言葉が詰まっていた。
けれど、俺には一つ気になるものがあった。
「先生、討伐証明のことですが――」
言いかけた瞬間、ベルンハルト先生が俺を止めた。
「ここでは出すな」
短い言葉だった。
俺は動きを止める。
先生の視線が、周囲を一度だけなぞった。
Sクラスの生徒たち。
補助員。
医療班。
管理人。
ここには人が多すぎる。
「持っていることだけ分かればいい。確認は学院で行う」
「……はい」
俺は手を下ろした。
先生が何を警戒したのか、すぐに分かった。
爪そのものも重要だ。
でも、それ以上に、それをどこから出すのかを見られる方が危ない。
セレナが少し目を細める。
「ここでは言えない話、ということね」
「たぶん、そういうこと」
「なら、聞かないわ」
セレナはそれ以上踏み込まなかった。
ヴィクトルが肩をすくめる。
「戻って早々、また面倒そうだな」
「本当にね」
ミラが小さく息を吐いた。
エドガーが静かに言う。
「でも、今は休む方が先だろう」
「はい。短時間でも報告するなら、その前に水を飲んでおいた方がいいです」
ナディアが真面目に言った。
ガイルも頷く。
「話すだけでも体力を使うからな」
「みんな、俺を病人扱いしすぎじゃない?」
そう言うと、セレナがすぐに返した。
「今は病人に近いわよ」
ヴィクトルが頷く。
「少なくとも元気ではないな」
エドガーも少し考えてから言った。
「休むべき状態ではあると思う」
「エドガー、さっきから厳しくない?」
「事実を言っているだけだ」
その言い方が妙に真面目で、少しだけ空気が軽くなった。
ベルンハルト先生の声が、入口前に響く。
「本日の実習は中止。生徒は全員、学院へ戻す」
ざわめきが起きかけたが、先生が片手を上げるとすぐに静まった。
「二層目崩落地点は封鎖。三層以下の管理通路は再確認だ。許可が出るまで、生徒は洞くつに入れない」
管理人が険しい顔で頷く。
「承知しました」
「崩落地点は広げるな。下の通路まで潰す可能性がある。記録だけ取れ」
「はい」
補助員たちが散っていく。
洞くつの入口には、簡易の封鎖具が置かれ始めた。
さっきまで実習の入口だった場所が、事故現場に変わっていく。
俺はそれを見て、ようやく実感した。
俺たちだけの問題ではない。
あの洞くつには、まだ見えていない綻びがある。
「ハル班は医療班近くの馬車へ」
補助員が言った。
「歩けます」
クラウスが立とうとする。
「歩けることと、歩かせていいことは別です」
医療班に言われ、クラウスは黙った。
ミラは素直に立ち上がる。
俺も続こうとした。
すると、セレナがこちらを見る。
「また無理に動く気?」
「馬車に乗るだけだよ」
「なら、ちゃんと乗りなさい」
「分かってる」
ヴィクトルが笑う。
「信用されてないな」
「さっきから全員に言われてる」
「実績があるから仕方ない」
「そんな実績はいらない」
軽く言い返しながら、俺は補助員に支えられて立った。
立ち上がると、思ったより足が重い。
座っていた時よりも、疲労がはっきり分かった。
ミラが横目で見る。
「ほら。ちゃんと支えてもらいなさい」
「分かってるって」
「その返事が一番信用できないのよ」
言い返せなかった。
馬車の近くまで来ると、ベルンハルト先生が俺たちを待っていた。
「学院に戻ったら、まず医療班の確認を受ける」
「はい」
「その後、報告できる状態なら短く聞く。無理なら明日だ」
俺は思わず聞き返した。
「明日でもいいんですか」
「報告より、お前たちの体が先だ」
先生の声は変わらない。
けれど、その言葉は重かった。
「ただし、忘れるな。聞くべきことは多い」
「分かっています」
クラウスも頷く。
「報告できる状態なら、俺も話します」
ミラも続いた。
「私も話せます。ただ、長くならない方が助かります」
「それでいい」
ベルンハルト先生は頷いた。
「三人で戻ったなら、三人で報告しろ。一人の話だけでは足りない」
その言葉に、俺は少し驚いた。
俺だけが報告するわけではない。
クラウスが見たもの。
ミラが判断したこと。
それも必要なのだ。
「はい」
俺たちは馬車に乗った。
外から見た洞くつの入口は、思ったより普通に見えた。
ただの岩場。
ただの実習場所。
けれど、あの奥で何が起きたかを、俺たちは知っている。
持ち帰ったものもある。
まだ出していない。
人前で見せるには、危うすぎるものがある。
俺は右腕の包帯を見下ろし、馬車の揺れに身を預けた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
続きが気になったら、ブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




