第259話 動けるうちに
ミラの光が、黒い岩肌を照らしていた。
落下の衝撃で、まだ息が浅い。
けれど、止まっているわけにはいかなかった。
「クラウス、腕を見せて」
「このくらいなら――」
「いいから」
俺が遮ると、クラウスは渋々右腕を差し出した。
肘のあたりが腫れている。
擦り傷もある。
足は左をかばっていた。
骨が折れているようには見えない。
だが、このまま歩かせれば悪化する。
「ミラは?」
「私は平気よ。クラウスが庇ってくれたから」
ミラはそう言って、クラウスを見た。
その顔には、まだ血の気が戻っていない。
無傷でも、落ちた恐怖が消えたわけではない。
「先にクラウスを治す」
俺は腰袋を開けた。
包帯だけでは足りない。
亜空間収納から、予備の回復薬を取り出す。
手の中に小瓶が現れた瞬間、ミラが目を見開いた。
「今の……どこから出したの?」
「亜空間収納」
「収納魔法って、実在したの?」
ミラの声が少し上ずる。
クラウスも眉を寄せた。
「そんな未知の魔法まで使うのか」
「便利だけど、戦闘中に頼るものじゃないよ。取り出すのにも意識を使う」
そう言いながら、俺は回復薬の栓を抜いた。
半分をクラウスに飲ませ、残りを腕と足の腫れた部分に少しずつなじませる。
「冷たいな」
「我慢して」
次に、手のひらへ魔力を集める。
押し込まない。
薬の力が広がる流れに合わせる。
腕の熱を散らし、足首の強ばりをほどく。
浅い傷を塞いだ時より、ずっと集中がいる。
額に汗がにじんだ。
「……リオン」
ミラが小さく呼ぶ。
「大丈夫。もう少し」
クラウスの腕から赤みが引いていく。
足首の腫れも、目に見えて落ち着いた。
完全に元通りとまでは言えないかもしれない。
それでも、さっきとは明らかに違う。
「動かしてみて」
クラウスは右手を握り、肘を曲げた。
次に、ゆっくり立ち上がる。
一歩。
二歩。
顔をしかめることはなかった。
「……ほとんど問題ない」
「剣は?」
クラウスは剣を抜き、軽く構えた。
刃先はぶれない。
「振れる」
ミラが安堵の息を吐く。
「よかった……」
クラウスは腕を見下ろし、少し呆れたように言った。
「回復薬だけなら分かる。だが、回復魔法まで使えるとは思わなかった」
「低級だけだよ。回復薬があったから何とかなった」
「それでも十分すごいわ」
ミラが真面目な顔で言う。
「収納魔法に、回復魔法に、判断役まで。リオン、あなた本当に色々できるのね」
「全部が一流ってわけじゃない」
そう返しながら、俺は息を整えた。
魔力は減った。
ただ、動けないほどではない。
薬草も包帯も残っている。
回復薬は一本使ったが、まだ予備はある。
「これで三人とも動ける」
クラウスが剣を鞘に戻した。
「次は、どうするかだな」
俺たちは周囲を見た。
天井は高い。
落ちてきた穴は見えない。
ミラが光球を上へ向ける。
光は黒い岩肌をなぞり、途中で細く消えた。
「……届かないわ」
ミラは光を少し強めた。
それでも、上には何も見えない。
崩れた穴も、二層目の床も、落下してきた道も分からなかった。
「声を出せば、先生たちに届くか?」
クラウスが上を見上げる。
俺は耳を澄ませた。
返ってくるのは、水の音だけだ。
遠い。
それも、上からではない。
「厳しいと思う。かなり落ちた」
「ここが何層なのかも分からないわね」
ミラの声が低くなる。
俺は壁に手を触れた。
石の色も、湿り気も、二層目とは違う。
さっき見た大きな爪痕も気になる。
この場所でじっと待つべきか。
それとも、動けるうちに上へ向かう道を探すべきか。
どちらにも危険はある。
「先生たちは探してくれる」
ミラが言った。
「でも、私たちが落ちた場所を先生たちがすぐ見つけられるとは限らないわ」
「この場が安全とも限らない」
クラウスが続ける。
「魔物が来た時、待っているだけでは不利になる」
俺は頷いた。
「クラウスは動ける。ミラの魔力も残ってる。俺もまだ回復薬を持ってる」
今なら進める。
今なら戻る道を探せる。
時間が経てば、魔力も体力も削られる。
クラウスの怪我も、また痛み出すかもしれない。
「上層へ向かう道を探そう」
俺が言うと、クラウスはすぐに頷いた。
「賛成だ」
ミラも光球を胸の高さまで下げる。
「分かった。光は抑えるわ。魔力を使い切るわけにはいかないもの」
「無理に明るくしなくていい。足元と壁が見えれば進める」
「ええ」
クラウスが前に立つ。
俺はその後ろで、壁と通路の奥を確認する。
ミラの光が、黒い岩肌を淡く照らした。
上へ向かう道がどこにあるのかは分からない。
ここが何層なのかも分からない。
それでも、三人とも動ける。
なら、止まっているだけでは駄目だ。
「行こう」
クラウスが歩き出す。
俺たちは、正規の通路から外れた暗闇の中を進み始めた。
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