第249話 ガイルの感覚
放課後、俺は一人で訓練場に残っていた。
訓練用の木剣を手に、前へ出る。
下がる。
横へずれる。
単純な足運びを、何度も繰り返す。
「ハル。考えすぎだ」
「最初の一歩がまだ遅い」
ベルンハルト先生の言葉が、ずっと頭に残っていた。
自分でも分かっている。
俺は動く前に、見ようとする。
相手の動き。
魔力の流れ。
姿勢の乱れ。
危ない箇所。
そして、そこにある綻び。
《綻びの目》は、俺にとって大きな武器だ。
人の不調も、組織の歪みも、物事の弱い部分も見つけられる。
けれど、戦いの中では、その一瞬が遅れになる。
見て、理解して、判断してから動く。
それでは間に合わない場面がある。
少なくとも訓練の中では、スキルに頼らず身体で反応できるようになりたかった。
俺はもう一度、同じ動きをしてみる。
「……やっぱり硬いな」
思わず声が漏れた。
「まだやってたのか?」
後ろから声がした。
振り向くと、ガイルが訓練場の入口に立っていた。
その少し後ろには、ナディアもいる。
「ガイル。ナディア」
「リオンさん、お邪魔でしたか?」
「ううん。ちょうどよかった」
俺は木剣を下ろした。
「ガイル、少し見てもらってもいい?」
「俺が?」
「うん。今日の足運び、一番自然だったから」
ガイルは少し照れたように頭をかいた。
「そうか?」
「そうだよ。踏み込みが速いのに、姿勢が崩れてなかった」
「よく分からないけど、見るくらいならいいぞ」
ガイルは木剣を手に取った。
俺と向かい合う。
「じゃあ、軽く動く。危なかったら止める」
「分かった」
次の瞬間、ガイルの身体が前に出た。
速い。
踏み込みの音が重いのに、動き出しに迷いがない。
俺は防御しようとしたが、木剣の先が先に肩の横で止まっていた。
「今の、見えてたか?」
「見えてはいた」
「でも遅れたな」
「うん」
ガイルは不思議そうに首を傾げた。
「リオンは、ちゃんと見てるのにな」
「見てるから遅いのかもしれない」
「どういうことだ?」
「動く前に、正解を探してる感じがする」
俺がそう言うと、ガイルは少し考えた。
そして、真面目な顔で言った。
「たぶん、見すぎなんだと思う」
「見すぎ?」
「相手の全部を見ようとしてる。俺はそんなに見てない」
ガイルは木剣を軽く振る。
「来ると思ったら行く。危ないと思ったら下がる」
「それが難しいんだけど」
「難しいか?」
「難しいよ」
俺が苦笑すると、ナディアが小さく笑った。
「ガイルさんの説明は、少し感覚的ですから」
「ちゃんと説明してるぞ」
「はい。ガイルさんは真面目に説明しています」
ナディアはそう言ってから、俺の方を見た。
「ガイルさんは相手の重心を見ているのだと思います」
「重心?」
「はい。攻撃する直前、身体の重さが少しだけ移ります。
足、腰、肩。そのどこかに、動き出す前の気配が出ます」
ガイルが頷く。
「それだ。重さが来るんだ」
「重さが来る……」
言葉だけ聞くと分かりにくい。
けれど、さっきの動きを思い返すと、少しだけ意味が見えた。
ガイルは剣の先を見ているわけではない。
肩だけを見ているわけでもない。
身体全体が動く前の、小さな偏りを感じている。
「もう一回、頼める?」
「いいぞ」
ガイルが構える。
俺は目に力を入れすぎないようにした。
綻びを探さない。
相手の弱い場所を見つけようとしない。
ただ、身体の重さを見る。
ガイルの足元。
腰。
肩。
呼吸。
来る。
そう思った瞬間、俺は横へずれた。
木剣が肩の横を通る。
完全には避けきれていない。
でも、さっきよりは早い。
「今のは良かった」
ガイルが笑った。
「本当?」
「ああ。さっきより早く動いてた」
ナディアも頷く。
「反応が少し早くなっていました」
俺は息を吐いた。
「でも、まだ怖いね。ちゃんと見えてないまま動く感じがする」
「全部見えてから動く方が怖くないか?」
ガイルが何気なく言う。
俺は少し黙った。
その通りかもしれない。
全部見えた時には、もう遅いことがある。
「ガイルは、全部分かってから動いてるわけじゃないんだよね」
「そんなの無理だろ」
「だよね」
「動いてから分かることもある」
ガイルの言葉は、難しくない。
けれど、今の俺にはよく刺さった。
俺はもう一度構えた。
「もう一回」
「よし」
ガイルが動く。
今度は踏み込みではなく、横へずれるふりをした。
俺は一瞬つられかける。
でも、腰の向きが違う。
前だ。
俺は半歩下がった。
木剣が空を切る。
「おお」
ガイルが嬉しそうに声を上げた。
「今のはいい」
「少し分かった気がする」
「なら、あとは練習だな」
「急に雑だね」
「練習するしかないだろ」
ナディアが口元を押さえて笑った。
その後も、何度か同じことを繰り返した。
ガイルが動く。
俺が反応する。
遅れる。
避ける。
間違える。
また構える。
完璧にはほど遠い。
けれど、さっきより身体が先に動く瞬間があった。
それだけで、少し感覚が変わる。
「今度は逆に、ガイルの魔力制御を見てもいい?」
俺が言うと、ガイルは嫌そうな顔をした。
「それは今やるのか?」
「今やる」
「足運びだけじゃないのか」
「さっき助けてもらったから、こっちも返したい」
ナディアが嬉しそうに頷く。
「いいと思います。ガイルさん、魔力灯では少し力が入りすぎていましたから」
「殴ってないんだけどな」
「魔力が殴ってるだっけ?」
俺が笑いながら言うと、ガイルは渋い顔をした。
「先生と同じことを言うな」
「実際そう見えるんだよ」
俺は小さな魔力灯を一つ借りた。
「光らせようとするんじゃなくて、流す感じ。押すんじゃなくて、通す」
「押すな、通す……」
ガイルが魔力を流す。
魔力灯が大きく光った。
「押してる」
「今のもか」
「うん」
ガイルは眉間に皺を寄せ、もう一度試す。
今度は少し弱い。
だが、すぐに揺れた。
ナディアが横から静かに言う。
「息を止めない方がいいと思います」
「息?」
「はい。力を入れる時に、呼吸も止まっています」
ガイルは目を丸くした。
「そんなところまで見てるのか」
「見えます」
ナディアは穏やかに言った。
ガイルは息を吐き、もう一度魔力を流した。
魔力灯が、さっきより落ち着いた光を出す。
「今のはいい」
俺が言うと、ガイルは少し嬉しそうにした。
「なるほど。殴らないって、こういうことか」
「だから最初から殴ってるって言ったでしょ」
「殴ってはいない」
俺とナディアは顔を見合わせ、少し笑った。
◇
訓練場の窓から、夕方の光が差し込んでいた。
ガイルは木剣を片付けながら言った。
「リオンは、考えるのが悪いわけじゃないと思うぞ」
「そうかな」
「ああ。俺は考えるのが足りないって、よく言われる」
「それは否定しないんだ」
「事実だからな」
ガイルは真顔で言った。
「でも、動く時に全部考えてたら間に合わない。俺はそう思う」
ナディアも静かに頷く。
「リオンさんは、正しく見ようとしているのだと思います。それは強みです。
でも、反応の訓練では、正しさより先に動くことも必要なのかもしれません」
「うん」
俺は木剣を握り直した。
《綻びの目》は、俺の武器だ。
けれど、それだけで全部を解決できるわけではない。
見る力と、動く力は違う。
見抜くことと、間に合うことも違う。
ガイルの一歩は、俺にはないものだった。
ナディアの目も、俺とは違うものを見ていた。
三年Sクラスには、俺より先に動ける仲間がいる。
俺より丁寧に支えられる仲間がいる。
なら、学べばいい。
スキルに頼らず、身体で反応できるように。
俺はもう一度、訓練場の床に線を引いた。
「あと少しだけ、付き合ってもらっていい?」
ガイルが笑う。
「いいぞ」
ナディアも頷いた。
「私も見ています」
俺は二人に向き直り、構えた。
答えを探す前に、まず一歩。
今日の目標は、それだけだった。
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