第236話 護送の朝
二日後の朝。
まだ空が白み始めたばかりの時間に、騎士団の詰め所前には護送用の馬車が用意されていた。
詰め所前の広場には、司法院の護衛と、ノルが選んだハル領の護衛たちが集まっている。
普段、荷を運ぶための馬車とは違う。
車輪は太く、扉には鉄具が付けられている。
窓は小さく、外側から封じられる造りになっていた。
ガザルと思われる男は、事件後、この詰め所で拘束されていた。
今朝、その身柄と証拠品を王都司法院へ移す。
父上は、この場には出ていない。
昨日の中間報告を聞くだけでも、かなり無理をしていた。
護送に必要な判断は、昨夜のうちにノルへ伝えられている。
今朝の実務は、司法院の調査官とノルが進めることになっていた。
俺はレナードと一緒に、広場の端に立っていた。
見送りというより、確認に近い。
事件の中心にいた男が、ハル領を離れる。
その区切りを、自分の目で見ておきたかった。
「証拠品の封印は」
ノルが低い声で確認する。
司法院の調査官が、護送馬車の横に置かれた小箱を示した。
「黒い魔石片、術式に使われた道具、調書。すべて司法院の封を施しています」
小箱には、昨日見たものと同じ封が貼られていた。
黒い魔石片。
死骸を動かす術式。
ガザルと思われる男の所持品。
それらは、もうハル領だけで扱うものではない。
王都司法院へ移され、正式に調べられる。
「護送中は、証拠箱を馬車から離しません」
調査官が言った。
「宿場に入る場合も、司法院の護衛二名が必ずつきます」
「承知した」
ノルは短く答え、ハル領の護衛たちへ目を向けた。
「道中は司法院の指示を第一とする。勝手な判断はするな。だが、周囲への警戒は怠るな」
「はっ」
護衛たちが揃って返事をする。
ノル自身は、護送には同行しない。
西の森の見回りと、領内の警備を空けるわけにはいかないからだ。
その代わり、信頼できる者を数名選んでいた。
司法院の護衛と、ハル領の護衛。
しばらくして、詰め所の扉が開いた。
司法院の護衛と、ノルの部下に囲まれて、男が連れてこられる。
手には枷。
足にも、短く歩ける程度の鎖。
さらに首元と手首には、術式を封じるための札のようなものが巻かれていた。
男は、ガザルと見られている。
だが、本人はまだ名を認めていない。
やつれた顔をしていた。
それでも、目だけは濁っていない。
周りを見ている。
こちらの出方を測っている。
そう感じさせる目だった。
男の視線が、一瞬だけ俺の方へ向いた。
俺は思わず背筋に力を入れた。
憎しみなのか。
嘲りなのか。
それとも、ただこちらを観察しているだけなのか。
はっきりとは分からない。
男は何かを言いかけたように唇を動かした。
だが、声にはならなかった。
司法院の護衛がその肩を押し、護送馬車の扉へ向かわせる。
男は抵抗しなかった。
抵抗するだけ無駄だと分かっているのか。
それとも、まだ何かを隠しているのか。
その沈黙が、かえって不気味だった。
男が馬車へ乗せられる。
扉が閉められる。
鉄具が下ろされる。
それで、男の姿は見えなくなった。
「若様」
司法院の調査官が俺に声をかけた。
「はい」
「この男については、王都到着後、正式尋問に入ります」
「背後関係も、そこで調べるのですね」
「はい。ただし、証拠がなければ名は出せません」
調査官の口調は慎重だった。
「今回の調書には、外部支援者の可能性として記します。
特定の貴族名は、現段階では記しません」
「分かっています」
俺は頷いた。
頭の中には、やはりグレイヴ侯爵の名があった。
だが、ここで口にすることではない。
疑いと証拠は違う。
そこを間違えれば、こちらが足元をすくわれる。
「ハル領には、今後も追加確認をお願いすることがあります」
「はい」
「特に、西の森で不自然な死骸や、黒い魔石片と似たもの、見慣れない術式痕跡が見つかった場合は、すぐに司法院へ知らせてください」
「分かりました」
調査官は一礼した。
「ご協力、感謝いたします」
俺も頭を下げる。
その横で、レナードが静かにそのやり取りを聞いていた。
いつものように表情は大きく変わらない。
だが、きっと頭の中では、今の話を西の森役場の仕組みと結びつけている。
俺も同じだった。
司法院の調査官が馬車へ合図を出した。
御者が手綱を握る。
護衛たちが配置につく。
証拠品を積んだ小型の馬車も、その後ろに並んだ。
ノルが最後に一歩前へ出る。
「道中、何かあれば司法院の判断に従え。ただし、ハル領の者として恥じるような動きはするな」
「はっ」
ハル領の護衛たちが返事をする。
ノルはそれ以上、何も言わなかった。
その短さが、かえって重かった。
やがて、馬車がゆっくりと動き出した。
車輪が広場の土を踏む。
朝の冷たい空気の中に、軋む音が響く。
護衛たちが前後につき、列が外門へ向かって進む。
俺は黙って見送った。
ガザルと思われる男が乗った馬車が、王都へ向かう。
外門を抜け、道へ出る。
しばらくすると、馬車の音は少しずつ遠ざかっていった。
「行きましたな」
レナードが静かに言った。
「うん」
「これで、事件の扱いは王都へ移ります」
「でも、西の森で起きたことが消えるわけじゃない」
「はい」
レナードは頷いた。
俺は門の向こうを見たまま、しばらく黙っていた。
屋敷の中では、もう朝の仕事が始まっている。
西の森でも、作業員たちが動き出す頃だろう。
食事小屋では朝食の準備が進み、湯屋にも火が入る。
夜になれば、夜間学校も開かれる。
西の森の日々は止まらない。
だからこそ、こちらはこちらで進めなければならない。
「レナード」
「はい」
「戻ろう。役場の話を進める」
「承知しました」
「エルムとマルク、それからリタに話をしないといけない」
「はい。ノル殿にも、護送が出た後で改めて安全連携の話をいたしましょう」
「うん」
俺はもう一度、馬車が去っていった道を見た。
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