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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第2章 ハル領の発展

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第23話 変わり始めた小領地

 朝の風が、ハル領の丘をゆっくりと渡っていく。


 東の石切り場では、もう誰も怒鳴っていなかった。


 危険な本坑道には縄が張られ、崩落した場所の周りには新しい支柱が運び込まれている。青輝石の木箱は布で丁寧に包まれ、荷札と一緒に兵の監視下に置かれていた。


 前のように、借金で縛られた若者が青い顔で地下へ押し込まれる光景はない。


 代わりにあるのは、決められた時間に始まり、決められた時間に止まる作業だった。


「その箱はそっちじゃない、乾いた台の上だ」


 エドが声を飛ばす。


「布、巻けよ。素手で触るなって言っただろ」


 前なら反発しかなかっただろうその声に、今は「わかってる」と返事が返る。


 まだぎこちない。

 でも、回り始めていた。


 ◇


 北村では、水路の脇に新しい緑が広がっていた。


 青葉草だ。


 まだ一面ではない。

 試験区画として作った一角に、若い葉が揃って立っているだけだ。


 だが、その一角だけでも、村の景色は確かに変わって見えた。


 朝の水やりをしていたテオが、腰を伸ばして笑う。


「前はこの時間、親父みたいな顔した爺さんばっかり畑にいたのにな」


「誰が親父みたいな顔だ」


 すぐ隣で老人が返し、周りから小さな笑いが起きた。


 そのやり取りを見ながら、北村の村長は水路の流れを見下ろす。


 応急修繕だった西水路は、今では木と石を使って少しずつ補強されていた。まだ完璧じゃない。だが「いつ崩れるかわからない水路」ではなくなっている。


「坊ちゃんの言う通りでしたな……」


 誰に言うでもなく、村長が呟く。


「若いのが戻って、水が回って、草に値がつく。あの時は、まさかと思いましたが」


 その視線の先で、女たちが摘んだ青葉草を日陰で束ねていた。

 乾かしたものは王都へ送る試作品になる。料理屋へ売り込めれば、小麦よりずっと高くなる。


 北村は、少しずつ「食っていける村」に変わり始めていた。


 ◇


 南村では、倉の匂いが変わっていた。


 前に来た時の、鼻にこびりつくような腐敗臭はほとんどしない。


 袋は壁から離して積まれ、床には木板が噛ませてある。乾燥棚には麦束が風を受けて並び、選別された豆袋には印が付けられていた。


「これが今日売る分、こっちが干してから回す分、こっちは保存用!」


 村の女たちが手際よく声を掛け合う。


 若い男たちは荷車道の轍に土を入れ、溝を切り、ぬかるみを避ける流れを作っていた。前よりも荷車が揺れず、積荷の痛みが減っているのは、村の誰の目にも明らかだった。


 南村の村長は、倉の戸口に立って帳面を見つめる。


「先月は、豆が三袋、芋が四箱、倉の中で駄目になった」


 ぽつりと言ってから、次の頁をめくる。


「今月は、まだゼロだ」


 その一言に、近くにいた若い衆が思わず顔を見合わせた。


 南村は大きく変わったわけじゃない。

 だが、同じだけ働いて、前より減らない。前より安く叩かれない。


 それだけで、人の顔色はずいぶん違ってくる。


 ◇


 その日の夕方。


 ハル家の屋敷の執務室では、机の上に三つの帳面が開かれていた。


 石切り場。

 北村。

 南村。


 ミアが、いつになく真剣な顔で数字を読み上げる。


「石切り場は、事故ゼロが継続です。地下坑道は封鎖中ですが、地上作業と仕分けだけでも前より損耗が減っています」


「うん」


 俺は頷いた。


「北村は?」


「青葉草の試験区画、定着見込み良好。戻った若者三名が中心になって水路沿いの区画を管理しています。通常畑の収量はまだこれからですが、労働負担は確実に下がっています」


「南村」


「損耗見込み、大幅減少です。倉の腐敗率は前回報告より大きく低下、商人の買い取り価格も少し持ち直しています」


 父ガルドが、その報告を黙って聞いていた。


 病で痩せた顔はまだ本調子ではない。

 それでも、以前より目に力が戻っている。


「……帳面を貸せ」


 短く言い、ミアから南村の帳面を受け取る。


 しばらく数字を追い、それから今度は石切り場、北村へと目を移す。


 やがて父は、小さく息を吐いた。


「本当に、数字が動き始めているな」


 俺は机の端に肘を置いた。


「まだ小さいけどね」


「小さいからこそ価値がある」


 父は帳面を閉じた。


「無理に税を上げたわけではない。村を追い込んだわけでもない。作ったものが減らず、流れたものが戻り、若い人手が動き始めた。これが一番強い」


 母エマが、その横で静かに微笑む。


「ようやく、息をし始めた感じね」


「うん」


 俺もそう思った。


 まだ豊かな領地とは言えない。

 でも、死にかけた小領地ではなくなってきている。


 父は新しい羊皮紙を引き寄せた。


「王都へ追加報告を出す」


「青輝石の正式申請だけじゃなくて?」


「それだけでは足りん」


 父はペンを取り、ゆっくりと言った。


「石切り場の現場改善。北村の試験作物。南村の損耗減。徴税見込みの回復。この短期間で起きた変化は、数字として出す価値がある」


 ミアが目を丸くする。


「王都は、そこまで見るんですか?」


「見る」


 父の声は低かった。


「特に、沈んでいた領地が急に浮き上がる時はな」


 ◇


 王都。


 夕方前の執務棟では、各領地から届いた報告書が山のように机へ積まれていた。


 税収見込み。

 収穫報告。

 損耗率。

 労働人口の推移。

 新規申請。

 違法採掘の疑い。

 徴税官と監察官が、それらを日々選別し、王都の帳面へ落としていく。


「次です」


 若い記録官が、一枚の報告書を上席へ回した。


 中年の監察補佐は何気なく受け取り、ざっと目を走らせる。

 だが、二行目で手が止まった。


「……ハル領?」


 その名は、これまであまり良い意味で上がることのない小領地だった。


 国内でも下位常連。

 しかも直近では落ち込みが続き、徴税見込みも最低ランク帯に沈んでいたはずだ。


 だが、今回の報告では違った。


「どうされました」


 若い記録官が問う。


「前期比……かなり伸びている」


 補佐官は頁をめくる。


「しかも増税ではない。石切り場の正常化、違法採掘の差し止め、損耗減、村ごとの生産改善……」


「そんな短期間でですか?」


「だから妙なんだ」


 帳面の端に並ぶ各領地の徴税順位表へ目を移す。


 ハル領はこれまで下位の底を這っていた。

 それが、今回の見込みでは一気に中位圏に食い込んでいる。


 絶対額ではまだ大領には及ばない。

 だが伸び率と改善幅が異様だった。


「……面白い数字ですな」


 そう言った声に、記録官が顔を上げる。


 部屋の奥、窓辺に立っていた人物が、いつの間にか机のそばまで来ていた。


 深い色の外套。

 静かな目。

 数か月前、バスクの調書を読んで「十二歳の子どもにしては珍しい」と言ったあの人物だった。


 補佐官が軽く頭を下げる。


「例のハル領です。以前の事件報告に出ていた、リオン・ハルの領地」


「……そうか」


 外套の人物は、差し出された報告書を受け取った。


 視線が、紙の上を静かに滑っていく。


 東の石切り場における青輝石の正式申請。

 北村での試験作物導入。

 南村での損耗率改善。

 若年労働力の流出停止。

 徴税見込み順位の上昇。


 読み終えたあと、その人物は少しだけ目を細めた。


「事件を暴いただけではないな」


 低い声だった。


「領地の数字まで動かしているのか」


 若い記録官が、恐る恐る言う。


「ただの偶然、ではないと?」


「偶然で、最低ランク帯の小領地が、短期間でここまで綺麗に立ち上がるものか」


 報告書の一番上に記された名前へ視線が落ちる。


 リオン・ハル 十二歳


 しばらく無言で見つめたあと、その人物はほんの少しだけ口元を緩めた。


「……ますます面白い」


 窓の外では、王都の夕鐘が鳴り始めていた。


 その音の中で、ハル領の報告書だけが、机の上に残されたまま薄く光を受けている。


 変わり始めた小領地。


 その変化は、もう王都にも届いていた。

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