第21話 北村の名産
朝の執務室には、まだ夜の冷たさが少し残っていた。
俺は机に向かい、羊皮紙へ最後の一文を書き入れる。
ハル領東方石切り場にて青輝石を確認。正式採掘権の申請を願う。
青輝石の等級、発見場所、押収した木箱の数、現場の状況。
父ガルドの名で王都へ出す申請書は、できるだけ簡潔に、それでいて抜けがないようにまとめた。
ペンを置くと、向かいに座っていた父がそれを受け取った。
「……十二歳の書く文ではないな」
「前に帳面ばかり見てたからね」
そう返すと、父は少しだけ口元を緩めた。
「石切り場の方はどうする」
「ルールが守られているなら、しばらくは現場に任せてもいいと思う」
俺は答えた。
「エドたちはまだ半信半疑だけど、少なくとも前のやり方に戻したいとは思ってない。ノルと兵を残しておけば、勝手な持ち出しも難しいはず」
父はうなずき、申請書を畳んだ。
「なら、次は北村か」
「うん」
石切り場は奪い返した。
でも、それだけで領地は豊かにならない。
人を戻し、村を回し、金が外へ逃げる流れを変えなければ意味がない。
俺は立ち上がった。
「今度は、北村にちゃんと稼がせる」
◇
北村へ向かう道で、ミアが馬の横を歩きながら聞いてきた。
「リオン様、本当に北村で何か作れるんですか?」
「作れるよ」
「小麦ですか?」
「いや。小麦は大事だけど、今の北村にそれだけやらせても弱い」
ミアは首をかしげる。
だから、少しゆっくり説明した。
「今のハル領は、他の領や王都との商いがほとんどない。つまり、外からお金を取ってこられてないんだ」
「外から……お金」
「うん。領内で物を回すだけだと、みんなで同じ金を分け合うだけになる。でも外に売れれば、新しくお金が入ってくる」
ミアは少し考えてから、はっとした顔をした。
「じゃあ、北村には……外に売れるものが必要なんですね」
「そういうこと」
俺は道の脇に流れる細い水路を見る。
「しかも、どこでも作れるものじゃ弱い。小麦は大事だけど、他の領でも作ってる。だったらまずは、この土地でしか強く育たないものを作った方がいい」
「この土地でしか……」
「北村の水路、覚えてるでしょ。山から引いた冷たい水だ。あの水と、あの湿った土に合うものがある」
ミアが目を丸くした。
「もう決めてるんですか?」
「だいたいね」
昨日、水路の脇を見た時から、頭の中ではほぼ決まっていた。
あそこに生えていた香草。
村人からすれば雑草でも、俺から見れば違った。
あれは、金になる。
◇
北村へ着くと、前より少しだけ空気が明るかった。
畑の脇に、若い男が立っている。
荷車を押す声に張りがある。
前に来た時は、老人と子どもばかりが目についた。だが今は、石切り場から戻った若者たちが何人か混じっている。
それだけで、村の景色はずいぶん違って見えた。
村長が、少し急ぎ足でこちらへやって来る。
「リオン様」
「こんにちは」
「このたびは、本当に……北村の者を戻していただき、ありがとうございました」
前よりずっと深い礼だった。
「まだこれからだよ」
俺は村の奥を見た。
「戻ってきただけじゃ、また詰まる」
「……はい」
「だから今日は、その先の話をしに来た」
村長が顔を上げる。
俺は水路の脇を指した。
「このあたりに生えてる香草、あるよね」
村長は一瞬ぽかんとしてから、困ったような顔になった。
「香草……ですか?」
「うん。細い葉で、潰すと強い匂いがするやつ」
「ああ……あれですか」
村長だけでなく、近くにいた村人たちまで顔を見合わせた。
「あんな雑草みたいなものが何か?」
「匂いが強いから、家畜もあまり食わん」
「抜いて捨てることはありますが……」
予想通りの反応だった。
俺はうなずく。
「その雑草みたいなやつが、この村を救うかもしれない」
沈黙。
それから、村人の一人が吹き出しかけた。
「いやいや、坊ちゃん。さすがにそれは――」
「じゃあ、試そうか」
俺はノルを見た。
「森の手前で、ウサギ型の魔物って出るよね」
「おりますな」
「一匹、頼める?」
「承知」
◇
それからしばらくして、村の広場には小さな火が起こされていた。
ノルが仕留めてきた灰ウサギの魔物は、思った通り肉の匂いが強い。
食えなくはないが、そのまま焼くと獣臭さが残る。
村人たちもそれを知っているのだろう。
遠巻きに見ながら、半信半疑の顔をしていた。
俺は水路脇から摘んできた香草――青葉草を、石の上で細かく刻む。
葉を潰した瞬間、すっと青くて鋭い香りが立った。
「……あれ、こんなに匂い強かったか?」
「普段は気にしたこともねえ」
ざわめく声を聞きながら、刻んだ青葉草を肉にまぶし、少しだけ塩と一緒に揉み込む。
それを串に刺して火へかざすと、じゅっと脂が落ちた。
やがて、広場の空気が変わる。
さっきまでの獣臭さが、青い香りに押し流されていく。
脂の匂いに、草の爽やかさが混ざる。
村長が目を見開いた。
「……なんだ、この匂いは」
「食べればもっとわかるよ」
焼き上がった肉を切り分け、村長へ渡す。
村長は恐る恐る口へ運び、一度だけ咀嚼し――そのまま止まった。
「……うまい」
小さな声だった。
でも、それで十分だった。
「臭みが消えてる……」
「さっきの草か?」
「嘘だろ、こんなに違うのか」
村人たちが次々に手を伸ばす。
食べた者から、表情が変わっていく。
「やわらかい」
「いつもの魔物肉じゃないみてえだ」
「これなら売れるぞ……!」
俺はその反応を見てから、ゆっくり言った。
「この香草は青葉草って呼ぶことにしよう」
「青葉草……」
「他の領ではあまり育たない。でも北村なら育つ」
水路の方へ視線を向ける。
「この村の冷たい水と、湿った土だから香りが強くなるんだ。だから価値が出る」
村長がまだ肉を見つめたまま言う。
「これが……そんなに」
「王都の料理屋なら欲しがる。臭み消しにもなるし、焼き物にも煮込みにも使える」
ミアが横で、はっとした顔をした。
「じゃあ、北村で作って、それを王都へ売れば……」
「小麦より高く売れる可能性がある」
はっきり言う。
「しかも一年中育てられる。もちろん、いきなり全部をこれにする必要はない。でも、水路沿いの一角から始めるにはちょうどいい」
村人たちは、もうさっきまでみたいな顔をしていなかった。
雑草を見る目じゃない。
食える。
しかも、うまい。
そして売れるかもしれない。
その三つが揃えば、人は動く。
「まずは試そう」
俺は村長を見る。
「水路沿いの区画を少しだけ使って、青葉草を育てる。うまくいったら広げればいい」
村長はしばらく黙っていた。
それから、広場の向こう、水路の脇に群れて生えている青葉草を見て、ゆっくりとうなずいた。
「……やりましょう」
その声は、もう迷っていなかった。
「若い者も戻ってきました。水路も前よりましです。試すだけの価値はあります」
周りの村人たちも、口々に言い始める。
「なら、あの一角を使うか」
「抜いて捨てるより、育てて売れたほうがいい」
「水路の脇なら世話もしやすい」
いい。
動いた。
俺は青葉草の香りが残る指先を見下ろした。
石切り場で取り返したものが、ようやく村へ返り始めている。
まだ小さい。
でも、こういう小さな一歩が大事なんだ。
北村は、水と香りで稼ぐ村になる。
そう思えた。




