第17話 これはハル領のものだ
崩れた坑道の前で、土煙がようやく薄れていく。
俺は、助け出した若者の言葉を反芻していた。
「北村の連中は、まだ下の休み場にもいる。今日は上に出てきてねえやつが二人いる。」
まだいる。
しかも、別坑道に。
俺はシュリトラーを見た。
こいつの顔は、青輝石を見つけられた時より、今のほうがよほど悪い。
つまり、本当に隠したいのは――その先だ。
「ノル」
「はい」
「下の休み場まで行く。案内は、この人に頼む」
俺は、さっき助けた若者へ視線を向けた。
痩せてはいるが、目は死んでいない。
刺すような目で俺を見返してくる。
「名前は?」
「……エド」
「エド。歩ける?」
「おう、歩けるぞ」
「じゃあ、案内して」
エドは一瞬ためらった。
でも、横で青白く光る青輝石と、顔色を失っているシュリトラーを見て、短くうなずく。
「こっちだ」
◇
別坑道の入口は、崩れた本坑道から少し離れた岩陰にあった。
木板と布で隠されていて、外から見ればただの資材置き場にしか見えない。
なるほど。これなら、表の採石場だけ見ても気づきにくい。
視界に文字が浮かぶ。
《地下休み場:通行可》
《右側支柱:不安定》
《奥に二名》
《帳簿保管の可能性:高》
よし。
「ミア、外で人数と木箱を見てて。誰も勝手に持ち出させないで」
「は、はい!」
「でも危なくなったらすぐ下がること」
「わかってます!」
ミアはもう、ただ怯えるだけの子じゃない。
帳面を抱えたまま、すぐに木箱のそばへ回り込んだ。
ノルとエドを連れて、俺は狭い通路を下る。
中は冷えていて、空気が悪い。普通の土埃だけじゃない。喉の奥に嫌なざらつきが残る。
少し進むと、薄暗い空間に出た。
そこが休み場だった。
といっても、休めるような場所じゃない。
粗い木の台が二つ、汚れた毛布がいくつか、水瓶が一つ。
そして、壁にもたれて座っている若者が二人。
一人は腕に布を巻いている。
もう一人は咳き込みながら顔を上げた。
「……誰だ」
「ハル家のリオン・ハルだよ」
そう名乗ると、二人とも目を見開いた。
「坊ちゃん……?」
「何でこんなところに……」
エドが短く言う。
「上が崩れた。こいつが止めた」
それだけで十分だったらしい。
二人の顔に、信じきれないものを見る色が浮かぶ。
「立てる?」
腕に怪我をした若者が歯を食いしばる。
「なんとか」
「名前は?」
「カイル」
「俺はロブ……」
ロブは咳をしながら答えた。
視界に浮かぶ。
《青輝石接触による衰弱》
《過労》
《栄養不足》
《至急休養推奨》
やっぱりだ。
ただ働かされているだけじゃない。石のせいでも削られている。
その時、休み場の奥に並んだ木箱が目に入った。
青い光が、布の隙間から漏れている。
その横には、帳面が二冊。
視界が反応した。
《採掘記録》
《人員名簿》
《出荷先記録》
《重要証拠》
当たりだ。
「ノル、その帳面と木箱、押さえて」
「承知」
ノルが帳面を手に取る。
ざっと見ただけで眉が動いた。
「……かなり黒いですな」
「あとで読む。今は出る」
ここで長居したくない。
崩れた本坑道の余震が来れば、この休み場だって安全じゃない。
「エド、カイルを。ノル、ロブを頼める?」
「はい」
「任せろ」
俺は木箱を一つ抱えた。重い。
だが、これを置いていくわけにはいかない。
◇
地上へ戻った時、石切り場の空気は完全に変わっていた。
ミアが木箱の前に立ち、必死に見張っている。
若者たちはこちらを見ている。
見張りの男たちは、もうさっきまでの威圧感を失っていた。
シュリトラーだけが、まだ取り繕おうとしていた。
「勝手に中まで入るとは、ずいぶん乱暴だ」
「乱暴なのはそっちだよ」
俺は木箱を地面へ置いた。
中の青輝石が青く光る。
「地下休み場。負傷者。採掘記録。全部あった」
ノルが帳面を開き、淡々と読み上げる。
「青輝石、一級六箱。二級九箱。出荷先、ベルク商会本店経由、グレイヴ侯爵家家令宛」
周囲がざわめいた。
「侯爵家……?」
「そんな大物が……」
「じゃあ、ずっと本当に……」
シュリトラーの顔から、とうとう余裕が消えた。
「帳面の真偽もわからぬうちから、好き勝手に――」
「真偽はあとで王都に出せばいい」
俺は遮った。
「でも、今この場で一つだけはっきりしてることがある」
俺は青輝石の箱、崩れた坑道、若者たち、そしてシュリトラーを順に見た。
「ここはもう、お前の石切り場じゃない」
静まり返る。
石切り場の全員が、俺を見ている。
「ここはハル領だ。ハル領で出た青輝石だ。なのに領主家への報告はない。国への届け出もない。しかも村の若者を借金で縛って危険な坑道に入れてた」
一歩、前へ出る。
「だから、シュリトラー。お前の管理権は、この場で剥奪する」
その言葉は、自分でも驚くほどよく通った。
「ノル」
「はい」
「石切り場の出入りを止めて。青輝石、木箱、帳面、荷札、全部押さえる」
「承知いたしました」
「ミア」
「はい!」
「ここにいる若者の名前、出身の村、怪我の有無を書いて」
「はい!」
ミアは震えながらも、声は強かった。
いい。流れはこっちだ。
シュリトラーが一歩踏み出す。
「待て! そんなことをして、ただで済むと思うな!」
「ただで済まないのはそっちだよ」
俺は言い切った。
「違法採掘、未届け出、強制労働。しかも青輝石だ。国が聞けば、お前の言い逃れのほうが難しい」
シュリトラーは歯を剥いた。
「子どもが……! 商いを何もわからんくせに!」
「わかるよ」
俺は若者たちを見た。
「人を使い潰して儲けるのは、商いじゃない」
エドが、小さく息を呑む。
カイルもロブも、黙ってこっちを見ていた。
「今日から、借金のカタでここに縛るのは終わりだ」
今度は若者たちのほうがざわついた。
「……終わり?」
「じゃあ、帰れるのか……?」
「俺たち、本当に……?」
「帰りたいやつは帰っていい」
はっきり言う。
「村に戻りたいなら戻れ。家族のところへ帰っていい」
誰もすぐには信じられない顔をしている。
そりゃそうだ。
だから、もう一歩踏み込む。
「残りたいなら残ってもいい。でも条件は全部変える」
俺は青輝石の箱を叩いた。
「この石は、父上が王都へ正式に申請する。青輝石の採掘権は、ハル家が正規に持つ」
ざわめきがさらに大きくなる。
「無届けのまま隠して売るのは終わり。採るなら正式に採る。その時は賃金を払う。休みも安全も見直す。借金で縛ることはしない」
これは宣言だ。
まだ全部が確定したわけじゃない。
でも、ここで言うことが大事だった。
ハル領は、奪われた石を取り返すだけじゃない。
この石を、ちゃんと領地の利益に変える。
シュリトラーが吐き捨てる。
「……グレイヴ侯爵家を敵に回す気か」
来た。
俺は少しも引かない。
「違う」
「何?」
「勝手にうちの領地で掘って、うちの人を使って、うちの利益を持っていったやつが敵なんだよ」
シュリトラーの口が歪む。
「後悔するぞ」
「先にするのは、お前のほうだと思う」
ノルがその横で、静かに付け足した。
「石切り場は本日より、ハル子爵家の直轄管理とします。ベルク商会の者は、無断で石一つ持ち出せません」
見張りの男たちは、もう誰も前へ出なかった。
シュリトラーを見ても、俺たちを見ても、どう動けばいいかわからない顔だ。
流れが変わったのを、全員が理解していた。
俺はエドに向き直る。
「北村に帰る?」
エドは少し黙ってから答えた。
「……帰りたい」
「わかった」
次にカイルとロブを見る。
「二人は?」
「俺も帰る」
「……少し休んでから、考えたい」
「それでいい」
どっちでもいいんだ。
大事なのは、自分で決められることだ。
借金に押し流されるんじゃなくて。
その時、石切り場の外から馬の音がした。
屋敷から追加で来た兵たちだ。
ミアがほっとした顔をする。
ノルも、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
間に合ったな。
俺は最後にもう一度、崩れた坑道と青輝石を見た。
ここはずっと、誰かの金儲けの穴だった。
でも今日で終わりだ。
「まずは全員、飯を食わせて休ませよう」
ミアが顔を上げる。
「ここで、ですか?」
「うん。帰すにしても残るにしても、話はそれからだ」
エドが、今度は少しだけ違う目で俺を見た。
まだ信用ではない。
でも、最初の拒絶とも違う。
それでいい。
石切り場の風は相変わらず乾いていた。
けれど、その空気の中に、ようやく別の匂いが混じり始めている気がした。
奪われていたものを、取り返した時の匂いだ。




