第18話 新しいルール
石切り場の風はまだ乾いていたが、空気はもうさっきまでとは違っていた。
崩れた坑道。
押さえられた青輝石の木箱。
そして、借金で縛られて働かされていた若者たち。
今までは全部、シュリトラーの顔色ひとつで決まっていたのだろう。
けれど、もう違う。
「まず、今日の採掘は全部中止」
俺がそう言うと、ざわついていた若者たちが一斉にこっちを見た。
「中止……?」
「本当にか?」
「また後で怒鳴られるだけじゃ……」
「本当だよ」
俺は崩れた坑道を指した。
「見ただろ。あれでまだ掘らせるほうがおかしい」
ぐうの音も出ない空気になった。
ノルが一歩前へ出る。
「ハル子爵家の名において、本日以降、この石切り場の作業は一時停止とする。異論のある者は、領主家に直接申し立てよ」
その声は低いのに、よく通った。
見張りの男たちも、もう文句を言えない。
「ミア」
「はい!」
「名前を書いて。ここにいる全員の名前、出身の村、怪我の有無。あと、帰りたいか残りたいかも」
「わかりました!」
ミアはすぐに帳面を開いて、若者たちの前へ出た。
最初は戸惑っていた連中も、彼女が本気で書き始めると、少しずつ口を開き始める。
北村。南村。東の開拓地。
やっぱり名簿どおりだ。
「それから」
俺は木箱の青輝石を見た。
「この石には、素手で長く触るな」
若者たちが顔を見合わせる。
「やっぱり、あれのせいだったのか」
「咳が止まらなかったのは……」
「手が痺れる日があった」
「全部が全部それだけじゃないけど、関係はある」
《青輝石接触による衰弱》の文字を見ていた俺には、もうはっきりわかっていた。
「だから今後は、勝手に触らせない。運ぶなら布と革手袋を使う。今日は誰も近づくな」
シュリトラーが歯噛みする。
「勝手にルールを――」
「勝手だったのは、お前だよ」
俺は振り返りもせずに言った。
「うちの領地で、うちに黙って、国に届けもせず、危険な石を掘らせてたんだから」
シュリトラーは何か言い返しかけたが、兵たちが近づくと口を閉じた。
屋敷から来た追加の兵が、坑道の前と木箱の周りを固めている。
これでもう、青輝石をこっそり持ち出すことはできない。
「飯は?」
俺が聞くと、若者たちはまたきょとんとした顔をした。
「……飯?」
「飯だよ。朝からろくに食ってないでしょ」
エドが苦い顔で笑う。
「昼に薄い粥が出る日もある、って程度だ」
「今日は?」
「今日は崩れたから、何もまだだ」
最悪だな。
「兵が持ってきた携行食があるよね」
ノルが頷く。
「最低限なら配れます」
「配って。水も」
ノルは兵へ指示を飛ばす。
ほどなくして、乾パンと干し肉、水袋が運ばれてきた。
たかがそれだけでも、若者たちの目が変わった。
借金の鎖を外すと言われてもすぐには信じられなくても、腹の減った体に飯が渡ることは、誰にでもわかる。
エドが受け取った干し肉を見つめながら、低く言った。
「……本当に、今日は掘らなくていいんだな」
「掘らせない」
俺ははっきり答えた。
「今日だけじゃなくて、条件が決まるまでは止める」
「条件?」
「うん」
俺は、若者たち全員に聞こえるように声を張った。
「帰りたいやつは、帰っていい」
空気が止まる。
「村に戻りたいなら戻れ。家族のところへ帰れ。もう借金のカタでここに縛ることはしない」
誰もすぐには動かなかった。
嬉しいとか、助かったとか、そういう顔になるには時間がかかる。長く縛られすぎている。
「……残るやつは?」
カイルが聞いた。
「残るなら、今度は雇う」
俺は青輝石の木箱を軽く叩いた。
「この石は、父上が王都へ正式に申請する。青輝石の採掘権はハル家が持つことになる」
ざわめきがまた広がった。
「正式に?」
「じゃあ、違法じゃなくなるのか」
「でも俺たちは……」
「だから条件を変える」
俺はひとつずつ区切るように言った。
「賃金を払う。休みも入れる。危険な場所は整える。怪我人を無理に入れない。借金で縛らない」
ミアが、書きながらこっちを見上げた。
少し驚いた顔をしていたが、すぐにまた筆を動かす。
大事なのは、ここで言い切ることだ。
まだ全部は整っていない。けど、未来の形は最初に示したほうがいい。
そうしないと、人は動けない。
エドがしばらく黙っていたが、やがて言った。
「……本当に変えるつもりなんだな」
「変えるよ」
「青輝石で儲かるから、ってだけじゃなくて?」
いい質問だ。
「儲けは必要だよ」
俺は正直に言った。
「でも儲けるために人を潰したら、結局またどこかで破綻する。北村も、石切り場も、それでこうなってたんだから」
エドはじっと俺を見ていた。
それから、小さく息を吐く。
「俺は……少し休んでから決める」
「わかった」
「でも、北村の連中は先に帰したほうがいい。親が待ってる」
「うん。それも手配する」
エドはそこで初めて、少しだけ肩の力を抜いた。
その時、シュリトラーが吐き捨てるように笑った。
「甘いな」
全員の視線がそっちへ向く。
「人を帰す? 賃金を払う? 休みを与える? そんなぬるい真似で青輝石が回ると思うか?」
「回すよ」
「できるものか。お前は商いを知らん」
「知ってる」
俺は静かに言った。
「少なくとも、お前のやり方が長く続かないことはわかる」
シュリトラーの目が細くなる。
「……グレイヴ侯爵家が、この石の回収が止まったと知ったらどうなると思う?」
そこだ。
周囲の若者たちは、まだ侯爵家という言葉の重さを完全には理解していない。
でも、こいつがそれを切り札にしているのはわかる。
「その時は、その時だよ」
俺は答えた。
「先に怒られるべきなのは、国に届けるべき石を勝手に掘ってたほうなんだから」
ノルが横で淡々と付け加える。
「ベルク商会の店主シュリトラー殿。あなたにはこの件について、後日正式に事情を聞きます。今は現場から離れていただきましょう」
兵が二人、前へ出る。
シュリトラーは舌打ちしたが、もう何もできなかった。
流れは完全に変わっている。
俺はミアの帳面を覗き込んだ。
「何人いた?」
「地上に五人、地下休み場に二人で、合わせて七人です。うち北村が三人、南村が二人、東の開拓地が二人」
「怪我人は?」
「カイルさんの腕と、他に打撲が二人。咳がひどい人が三人です」
「ありがとう。十分だ」
ミアは少しだけ照れたようにうつむいた。
その時、兵の一人が駆けてきた。
「リオン様!」
「どうしたの?」
「屋敷から急使です!」
受け取った封書には、ハル家の封ではない印が押されていた。
灰色の鳥。鋭い羽。
グレイヴ侯爵家だ。
シュリトラーの口元が、わずかに歪む。
やっぱり来たか。
俺はその場で封を切った。
中の文は短かった。
東の採石場について、軽率な処置は慎まれたし。
既存の商流を乱すことは、両領にとって損失である。
必要なら、改めて話し合いの場を設ける。
回りくどい。
でも要するに、勝手に止めるなだ。
俺は紙を折りたたみ、懐に入れた。
「脅しですか?」
ミアが小声で聞く。
「半分はね」
「もう半分は?」
「焦ってる」
俺は青輝石の箱を見た。
こいつらは今まで、ハル領を素通りして石を持ち出せていた。
でも今日、それが止まった。
だから侯爵家まで手紙を寄越した。
それだけでも、止めた意味は大きい。
俺は若者たちへ向き直った。
「今日は全員休め」
そして、ゆっくりと言った。
「この石切り場は、もう前みたいにはしない」
エド、カイル、ロブ。
それに他の若者たちも、黙って聞いている。
「うまくいくかどうかは、これからだ。でも少なくとも、勝手に連れて来られて、危ない坑道で使い潰されるのは今日で終わりだ」
風が、崩れた坑道の土を少しだけ巻き上げた。
その向こうで、青輝石が青く光っている。
昨日までは誰かの隠し財産だった石。
でも今日からは違う。
ハル領のものだ。
そして、うまく使えば、この領地を立て直す力になる。
問題はまだ山ほどある。
グレイヴ侯爵家も、きっと次の手を打ってくる。
でも、ようやく手元に残ったものがある。
人。
石。
現場。
そして、選べる未来。
俺は崩れた坑道を見ながら、小さく息を吐いた。




