第16話 崩れる坑道
パキ、と乾いた音が、坑道の奥で二度鳴った。
嫌な音だった。
木が悲鳴を上げる時の音だ。
「石を捨てろ! 今すぐ出ろ!」
俺が叫ぶと、坑道の中にいた若者たちが一斉に顔を上げた。
だが、すぐには動けない。何が起きたのかわからない顔だ。
「何を騒いで――」
シュリトラーが苛立った声を出しかけた、その瞬間、支柱の一本が目に見えて沈んだ。
土が落ちる。
青輝石を抱えていた若者の足元で、小石が跳ねた。
視界の端に文字が走る。
《左壁沿い:退避可》
《中央通路:三息後に落盤》
《荷車付近:危険》
《青輝石の塊:落下誘発》
「中央を走るな! 左だ! 左壁沿いに出ろ!」
今度はさすがに全員が動いた。
若者の一人が石を取り落とし、別の二人が我先に出口へ走る。
だが、いちばん奥にいた痩せた若者が、崩れた足場に足を取られて倒れた。
「くそっ……!」
その背後で、天井の亀裂が広がる。
「ノル!」
「承知」
ノルが迷いなく坑道へ踏み込む。
俺も続いた。
「リオン様!」
後ろでミアの叫ぶ声がしたが、止まらない。
ここで止まったら、あの若者は埋まる。
坑道の中は、外より冷たい。
粉塵が舞って、喉が痛い。
だが《綻びの目》は、こんな時ほどよく見える。
《右側の梁:接触厳禁》
《三歩先の岩:滑落》
《救出可能時間:短》
「そこ、踏まないで!」
転んだ若者のすぐ横へ走り込み、腕を掴む。
見た目より重い。だが持ち上がる。
「立てる?」
「む、無理だ……足が……」
見ると、脛のあたりに石が噛んでいた。
普通に引けば抜けない。
視界にまた文字。
《石の支点:左下》
《押し上げ可》
「ノル、こっち!」
ノルが無駄なくしゃがみ込み、俺が指した場所へ手を入れる。
ぐ、と力が入る。
石が少し浮いた。
「今だ!」
若者の足を引き抜く。
その直後、後ろで大きな音がした。
ドン、と坑道の中央が崩れ落ち、土煙が一気に押し寄せる。
危なかった。
本当に、紙一重だ。
「外へ!」
ノルが若者の肩を担ぎ、俺は前へ出る。
左壁沿いだけが、まだ生きている。
外へ飛び出した瞬間、ミアが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!?」
「俺は平気。中は何人出た?」
ミアはすぐに答えた。
「四人出ています! 今助けた人で五人目です!」
人数を数えていたのか。
いい仕事だ。
救い出した若者は地面に座り込み、荒い息を吐いていた。
顔は真っ青だ。だが生きている。
その時、別の若者が坑道の入口を見て叫んだ。
「待て! まだ奥に道具箱が――」
「いいから出ろ!」
俺が怒鳴ると、相手はびくりとして口をつぐんだ。
次の瞬間、坑道の入口脇の木組みまで崩れ、土砂が吹き出した。
あと一歩遅ければ、全員まとめて埋まっていた。
石切り場が静まり返る。
見張りの男たちも、用心棒たちも、口を開けて崩れた坑道を見ていた。
さっきまで偉そうにしていた連中が、今は誰も動けない。
その中で一人だけ、動いた男がいた。
シュリトラーだ。
こいつは若者たちではなく、崩れた坑道の脇に隠してあった木箱へ走った。
木箱の蓋がずれて、中から青白い光が漏れている。
青輝石だ。
なるほど。
人より石か。
それを見た瞬間、周囲の空気が変わった。
「おい……」
「人より石かよ……」
「今、何を守ろうとした……?」
若者たちの目が、初めてシュリトラーへ向いた。
怯えじゃない。
怒りだ。
シュリトラーははっとして足を止めたが、もう遅い。
俺はそのまま木箱へ近づく。
「触るな!」
シュリトラーが叫ぶ。
「危険な石だ!」
「知ってるよ」
俺は木箱の中を見る。
青白く光る石が、布に包まれていくつも入っている。
普通の石材じゃない。
しかも木箱の底には紙が敷かれていた。
荷札だ。
拾い上げる。
《青輝石 一級》
《数量:六》
《出荷先記録あり》
もう一枚。
そっちはベルク商会の印。
さらにもう一枚、小さな紙片の端に、見慣れない紋章が押されていた。
鋭い羽を広げた灰色の鳥。
視界が反応する。
《グレイヴ侯爵家の紋章》
《正式契約ではない》
《秘匿輸送》
やっぱりそこか。
「……リオン様?」
ミアが息を呑む。
俺は荷札を握ったまま、シュリトラーを見た。
「ただの石切り場じゃないどころか、届け出が必要な青輝石を隠してたんだね」
シュリトラーは、もう笑っていなかった。
「証拠になると思うなよ」
低い声だった。
「崩れた坑道で何が見つかろうと、子どもの戯れ言で――」
「戯れ言じゃない」
俺は木箱を軽く叩いた。
「青輝石。未届け出。違法採掘。しかも村の若者を使って」
若者たちがざわつく。
「青輝石って……」
「国に届けなきゃいけねえ石じゃ……」
「じゃあ俺たち、何を掘らされてたんだ」
そうだ。
ようやく、そいつらも理解した。
ここはただの石切り場じゃない。
自分たちは借金返済のために働いていたんじゃない。
違法な儲けのための、使い捨ての手だったのだ。
助けた若者が、まだ座り込んだまま掠れた声で言った。
「……俺たちが、咳き込んでたのも……」
視線が青輝石に向く。
《長時間接触で衰弱》
《防護なしでは危険》
「その石のせいもある」
俺がそう言うと、若者たちの顔色が一段変わった。
怒りと、恐怖と、今さらの理解。
シュリトラーは周囲の空気が変わったのを感じたのだろう。
一歩下がった。
「ノル」
「はい」
「この木箱と荷札、全部押さえて」
「承知」
ノルが前へ出ると、見張りの男たちもさすがに道を塞げなかった。
さっきの崩落を見たあとでは、もうこの場で俺たちを強く押し返す気力もないらしい。
ミアはすぐに帳面を開いた。
「石箱三つ、荷札四枚、若者五名、坑道崩落……」
「あと、見張りの人数も書いて」
「はい!」
いい。
このまま押し切れる。
その時、助けた若者がようやく立ち上がり、俺を見た。
目つきは鋭い。
感謝より先に、長い苛立ちが滲んでいる。
「……来るのが遅い」
その一言に、ミアがむっとした顔をした。
だが俺は止めた。
「そうだね」
若者は一瞬、言い返されると思ったのか、少しだけ目を見開く。
「もっと早く来るべきだった」
俺はそう言ってから、崩れた坑道を見る。
「でも、来たからには終わらせる」
若者はしばらく俺を見ていたが、やがて吐き捨てるように言った。
「……北村の連中は、まだ下の休み場にもいる。今日は上に出てきてねえやつが二人いる」
それは大きい。
まだいるのか。
しかも別の場所に。
視界に、新しい文字が浮かぶ。
《地下休み場:別坑道に接続》
《未探索》
《さらなる証拠の可能性》
なるほど。
坑道は一つじゃない。
シュリトラーが、それを聞いた瞬間に顔色を変えた。
今のが、本音だ。
この男はまだ何か隠している。
俺は小さく息を吐いた。
「……まずは怪我人を休ませる。次に下の休み場だ」
シュリトラーが歯を食いしばる。
「勝手な真似を――」
「勝手なのはそっちだよ」
俺は木箱の青輝石を見下ろした。
「うちの領地で、うちの人間を使って、国に隠れて掘ってたんだから」
石切り場の風は乾いていた。
でも今、その空気の中には、昨日までなかったものが混じっている。
隠されていた秘密が暴かれた時のざわめきだ。
若者たちの視線。
ノルの無言の圧。
ミアの走る筆。
そして、追い詰められていくシュリトラーの顔。
ようやく、現場の綻びが表に出始めた。




