第126話 何を売るか
翌日の放課後、Sクラスの教室には昨日よりも少しだけ前のめりな空気があった。
文化祭の出し物を飲食にするところまでは決まっている。
なら次に決めるべきは、何を売るのかだ。
授業が終わるや否や、昨日と同じように自然と席が寄せられ、教室の前後から次々に声が上がった。
「甘いものはどうだ? 焼き菓子なら食べ歩きもしやすい」
「いや、秋なら温かいスープの方が喜ばれそうじゃないか」
「軽食の方が客単価は上がりそうだな」
「肉料理なら匂いで人を引けるんじゃない?」
「茶会風の喫茶も悪くないと思うわ」
「チーズを使った料理なら少し珍しさも出せるかもしれません」
どれもそれなりに魅力はある。
魅力はあるのだが――。
「ちょっと待て」
そこで口を開いたのはヴィクトルだった。
いつもの軽い調子より少しだけ真面目な声に、教室の空気が一度止まる。
「どれもうまそうだし、客も来そうだ。そこはわかる」
ヴィクトルは腕を組みながら、教室を見回した。
「でも、俺たちだけでやるんだぞ?」
その一言で、何人かの顔つきが変わる。
「そんな手の込んだ料理を、大勢の来場客に安定して出せるのか?」
ヴィクトルは続けた。
「文化祭当日に慌てて、味がぶれたり、列が詰まったりしたら終わりだろ」
正論だった。
美味しそうかどうか。
売れそうかどうか。
それはもちろん大事だ。
だが、それより前に考えなければいけないことがある。
「たしかに」
「見た目だけ立派でも駄目ね」
セレナが言う。
「途中で失敗して出せませんでした、なんて話になったら目も当てられないわ」
「寒い時期ですし、来てくださる方に温かいものをお出ししたい気持ちはありますけれど」
ナディアが静かに言う。
「作る側が慌てるようなものだと、結局よい形にはなりませんね」
そこで教室は、一度ちゃんと考える空気に変わった。
さっきまでは「食べたいもの」「やってみたいもの」が先に立っていた。
けれど今は違う。
生徒だけで安全に回せるか。
味がぶれないか。
人が来ても崩れないか。
文化祭の店というのは、そういう現実まで含めて考えなければいけないらしい。
議論が少し静かになったところで、セレナがこちらを見た。
「君は何かないの?」
その問いに、教室の視線が一斉に集まる。
俺はすぐには答えなかった。
十一月の文化祭。
来場客の多さ。
生徒だけで回すこと。
温かさ。
香り。
そして、覚えやすさ。
条件を一つずつ頭の中で並べてから、ようやく口を開く。
「一つあるな」
何人かが身を乗り出した。
「たぶん、今出てる条件にはかなり合うと思う」
俺はそう言ってから、少しだけ間を置いた。
「でも、言葉だけじゃ伝わりにくい」
「なんだそれ」
ヴィクトルが笑う。
「もったいぶるなよ」
「とっておきってこと?」
セレナが半分呆れたように言う。
「そんな感じだな」
俺は苦笑した。
「明日、皆に食べてもらいたい。それで採用するか決めてもらえばいい」
「食べてもらう?」
前の方の席から声が上がる。
「何を作るつもりなんだ?」
そこで俺は肩をすくめた。
「それは明日のお楽しみだ」
教室が一瞬静まって、それから小さくざわつく。
「絶対変なものじゃないだろうな」
「でも気になる」
「ここで隠されると余計に食べたくなるんだが」
悪い反応ではなかった。
セレナは腕を組んだまま、少し細めた目でこちらを見る。
「そこまで言うなら、明日はちゃんと驚かせてもらうわよ」
「そのつもり」
ローヴェン先生は教室の後ろからそのやり取りを見ていたが、特に口は出さなかった。
最後に短く、
「なら、今日はそこまででいい。明日、実物で判断しろ」
とだけ言った。
それで会議は終わった。
皆が帰り支度を始める。
だが教室には、さっきまでとは少し違う期待が残っていた。
◇
夕方の王都は、昼よりもぐっと涼しかった。
市場へ向かう道を歩きながら、俺は自然と襟元を軽く押さえる。
夏ならこの時間でもまだ熱気が残っていたはずだが、今はもう違う。日が傾くと空気はすぐに冷える。
「本当に教えてくれないのね」
隣を歩くセレナが言った。
結局、教室を出る時についてくると言い出したのはセレナだった。
別に断る理由もなかったので、そのまま一緒に市場まで来ている。
「明日のお楽しみって言っただろ」
「そうだけど、買うものを見ればだいたいわかるかもしれないじゃない」
「わかるかな」
「わかるわよ。たぶん」
そう言いながらも、セレナの声には少しだけ自信が薄い。
市場へ入ると、夕方らしい活気がまだ残っていた。
野菜を並べる声。
肉を切る音。
焼きたての香り。
行き交う人の足音。
俺は迷わず、まず野菜を並べた店へ向かう。
「芋?」
セレナが少し意外そうに言う。
目の前にあるのは、土のついたじゃがいもだ。
大小いろいろあるが、その中から文化祭向きに揃えやすそうな大きさのものをいくつか選ぶ。
「うん」
俺は手のひらで重さを確かめながら答える。
「大きすぎても小さすぎても駄目なんだよな」
「それで何をするの?」
「それはできた時のお楽しみだよ」
「本当に徹底してるのね」
呆れたように言いながらも、セレナはちゃんと一緒に選んでくれる。
形のいいもの、傷の少ないものを見分ける目はさすがだった。
次に向かったのは乳製品を扱う店だった。
樽や陶器に入った乳脂肪の加工品が並ぶ中から、塩入りのバターを見つける。
香りを確かめて、いくつかのうち状態の良いものを選ぶ。
この世界の塩入バターは常温でも平気なようだ。
そこでようやく、セレナの眉が少し動いた。
「芋に、バター?」
「そう」
「……まだ見えないわね」
「見えない方が明日面白いだろ」
「それはそうだけど」
さらに市場の奥へ進む。
香草を扱う小さな店先で、俺は足を止めた。
並んだ葉の中に、見慣れたものがあったからだ。
「青葉草……」
思わず口に出る。
ハル領ではよく見かける草だ。
爽やかな香りがあって、細かく刻むと肉料理とも相性がいい。
セレナが横から覗き込む。
「知ってるの?」
「故郷で使う草だよ」
「これも必要なの?」
「あぁ。あった方がいい」
そう言って青葉草も買うと、セレナはますます怪訝そうな顔になった。
「芋と、バターと、草」
買ったものを見比べながら、セレナが言う。
「本当にそれで何かになるの?」
「なる」
俺は即答した。
「たぶん、寒い日にかなり強い」
セレナはまだ納得していない顔だったが、それ以上は聞かなかった。
市場を出る頃には、空の色はすっかり夕方のものになっていた。
◇
「少し休んでいかない?」
市場を抜けたところで、セレナがそう言った。
石畳の通りの角に、小さな茶店がある。
窓から橙色の灯りが漏れていて、外の冷えた空気とは違う、やわらかい温もりが見えた。
「いいよ」
俺は頷く。
店の中は落ち着いた空気だった。
木のテーブル。
壁際に並ぶ瓶。
湯気の立つ茶器。
夕方の客が何組かいるが、騒がしくはない。
俺たちは窓際の小さな席に腰を下ろし、温かい茶を頼んだ。
席について、ようやく少し肩の力が抜ける。
買ったものは椅子の横へ置いた。
じゃがいも。
バター。
青葉草。
傍から見れば、文化祭の目玉商品へ繋がるようにはまったく見えないだろう。
湯気の立つ茶が運ばれてきて、一口飲む。
温かさが喉を落ちていくだけで、外の冷えが少し遠のいた。
しばらくして、セレナがふっと笑った。
「こうして君と二人きりになるの、久しぶりね」
その言葉に、俺は少しだけ目を上げた。
「そうかもな」
「前はもっと自然に、話す機会があった気がするわ」
「最近はいろいろあったしな」
夏休み。
ローヴェルの視察。
行軍訓練。
文化祭会議。
思い返せば、ここ最近は時間の流れが妙に速い。
「でも」
セレナは湯気の向こうでこちらを見る。
「リオンは相変わらずね。何かあるたび、少し考えて、急に面白いものを持ってくる」
「褒めてるのか?」
「半分は」
少し前に聞いたような答え方で、セレナが笑う。
「もう半分は、ずるいと思ってる」
「ずるい?」
「皆が考えて考えて詰まってる時に、一人だけ『一つある』なんて言うんだもの」
その言い方が少しだけ拗ねたようにも聞こえて、俺は思わず笑ってしまった。
「別に、一人で全部考えてるわけじゃないよ」
「でも、リオンの頭の中ではもう何か形になってるんでしょう」
「少しだけな」
セレナは茶杯を持ち上げながら、じっとこちらを見た。
その視線には、いつもの鋭さだけじゃないものが混じっていた。
興味とか、信頼とか、たぶんそれだけじゃない何か。
「リオンって」
セレナが静かに言う。
「本当に人を驚かせるのが好きよね」
「そんなつもりはないけど」
「そういうところ、嫌いじゃないわ」
さらりとした口調だった。
でも、その言葉は思ったより深く残った。
俺が何か返そうとするより先に、セレナは視線を茶杯へ落とす。
「……文化祭、少し楽しみになってきた」
「それはよかった」
「まだ何を作るのか全然わからないけどね」
「だから明日だって」
「本当に教えないのね」
外はだいぶ暗くなってきていた。
窓の向こう、通りを歩く人の足取りも、昼間より静かだ。
店の中の灯りは温かく、こうして座っていると、少しだけ時間がゆっくりになる。
セレナは、いつもより少し柔らかい顔をしていた。
こういう顔を、最近あまり見ていなかった気がする。
行軍訓練のあと、文化祭の話が始まって、皆がそれぞれ前へ進んでいる。
その中で、こうして二人で茶を飲む時間は、妙に静かで、妙に心地よかった。
やがて茶を飲み終え、席を立つ。
店の外へ出ると、夜気はさらに冷えていた。
セレナが肩をすくめる。
「やっぱり、もう結構寒いわね」
「だから温かいものが強いんだよ」
「……まだそれを言うのね」
俺は持っていた紙袋を少し持ち直した。
じゃがいも。
バター。
青葉草。
これで、たぶんいける。
歩き出したところで、セレナがもう一度こちらを見る。
「で、本当にそれで文化祭の目玉になるの?」
その問いに、俺は少しだけ笑った。
「なるよ。たぶん。」
セレナはまだ半信半疑のままだった。
けれど、その顔はどこか楽しそうでもあった。
明日、皆の前で初めて形になる。
そしてたぶん、この世界ではまだ誰も知らない味になる。
秋の夜風の中、俺は次の試食会のことを考えながら、王立学院への道をセレナと並んで歩いた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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