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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第10章 王立学院一年 二学期

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第127話 芋とバター

 翌日の放課後、Sクラスの空気は朝からどこか落ち着かなかった。


 理由は単純だ。


 昨日、俺が「明日食べてもらいたいものがある」と言って、肝心の中身を明かさなかったからである。


 授業の合間にも、何人かがこっそり聞いてきた。


「で、結局何なんだ?」

「本当に食べ物なんだよな?」

「変な薬草煮込みとかじゃないだろうな」


 そのたびに俺は曖昧に笑ってごまかした。


 だから放課後になって、文化祭会議のためにまた皆が教室へ残った時には、昨日よりもずっと視線が集まっていた。


「さあ、出しなさい」

 セレナが腕を組んで言った。

「リオンのとっておきとやらを」


「期待値だけ上がってるけど、大丈夫か?」

 ヴィクトルが机に腰かけながら笑う。


「だめなら別の案を考えるだけだ」

 ガイルはいつもの調子で言うが、視線はしっかりこちらを見ていた。


「私は楽しみにしています」

 ナディアがやわらかく微笑む。


 エドガーは何も言わなかったが、昨日より少しだけ興味を見せているように見えた。


 俺は机の上に、持ってきた包みを順に置いていった。


 じゃがいも。

 塩入りのバター。

 そして青葉草。


 それを見た瞬間、教室の空気が微妙な沈黙に包まれる。


「……芋?」

 最初に言ったのはヴィクトルだった。


「昨日も買ってたわね」

 セレナが細い目でじゃがいもを見つめる。

「本当に、それなの?」


「それだよ」


 答えると、数人が顔を見合わせた。


「待て」

 クラスの一人が言う。

「まさか、蒸かし芋を出すつもりじゃないだろうな」


「それだと、さすがに弱いでしょう」

 別の生徒も首を傾げる。


「だから、そのままじゃない」

 俺は笑って言った。

「まずは作る。話はそのあとだ」


 ◇


 文化祭準備のために学院から借りられた小さな調理室は、工房ほど広くはないが、火を使うには十分な設備があった。


 俺たちはぞろぞろと移動して、台の周りへ集まる。


「で、何をするの?」

 セレナが俺の手元を見ながら聞く。


「見てればわかる」


「それ、昨日からずっと言ってるわね」


 言いながらも、セレナはちゃんと一歩下がって見やすい場所を空けてくれる。


 俺はまずじゃがいもを洗い、鍋へ入れた。


「皮ごと?」

 ナディアが少し驚いたように言う。


「うん。皮ごとの方が香りも残るし、崩れにくい」


「手順は多くないな」

 ガイルが観察するように言った。


「そこが大事なんだよ」


 火を入れて待つ間に、青葉草を細かく刻む。

 包丁を使う工程はこれくらいで済む。


 刻んだ青葉草を小皿へ置くと、セレナが少し身を乗り出した。


「その草、本当に使うのね」


「使う」


「香りづけ?」


「まあ、そんなところ」


 バターは小さく切って別皿へ分けておく。


 ヴィクトルがそれを見ていた。


「……なるほど。全部を一度に扱うんじゃなくて、先に小分けしておくのか」


「当日もそうするつもりだ。大きい塊をその場で切るより早いし、量もぶれにくい」


「そういうのは大事だな」

 ヴィクトルが頷く。

「売る時に一番面倒なの、だいたいそこだし」


 鍋から立ち上る湯気が少しずつ強くなる。


 じゃがいもが柔らかくなるのを待ちながら、クラスの何人かはまだ半信半疑の顔をしていた。


「本当にそれで店になるのか?」

「でも、匂いは悪くないな」


 その最後の一言を聞いて、俺は少しだけ笑う。


 そう。

 じゃがバターの強さは、言葉で説明するより、まず香りで伝わる。


 やがて、木の串がすっと通るくらいまで火が入った。


「よし」


 鍋からじゃがいもを上げ、布で軽く押さえる。

 それをひとつ、皿の上へ置いて、真ん中から割った。


 ほく、と音がしたような気がした。


 中から立ち上る湯気に、教室の空気が少し変わる。


 そこへ、小さく切っておいたバターを乗せる。


 黄金色の塊が熱に触れて、じわりと輪郭を緩めた。

 溶けたバターが割れ目へ流れ込み、じゃがいもの白い中身にしみていく。


「……あ」

 誰かが小さく声を漏らす。


 そこへ、塩をひとつまみ。

 さらに、刻んだ青葉草を散らす。


 湯気に混じって、芋の素朴な香りとバターの濃い香り、その上に青葉草の少し爽やかな香りがふわりと立った。


 今度は、教室のあちこちで明確に反応が出た。


「ちょっと待って」

 ヴィクトルが眉を上げる。

「それ、急にうまそうになったな」


「……悔しいけど、見た目も悪くないわ」

 セレナが率直に言う。

「むしろ、湯気がある分、変に飾るよりずっと強い」


「香りが想像以上です」

 ナディアが目を細める。

「温かくて、落ち着く匂いですね」


 俺はそのままもういくつか作った。


 定番のもの。

 青葉草を少し多めにしたもの。

 塩をやや強めにしたもの。


 複雑な料理ではない。

 でも、並べてみると、思った以上に表情が変わる。


「これで終わり?」

 セレナが聞く。


「終わり」


「……本当に工程が少ないのね」


「だから出せると思った」


 俺は皿を並べ、皆の方へ向けた。


「食べてみて」


 ◇


 最初に手を伸ばしたのは、意外にもエドガーだった。


 無言のまま一口食べて、少しだけ目を伏せる。


 そのまま二口目へ行く。


 それだけで十分だった。


「どう?」

 ヴィクトルが面白そうに聞く。


 エドガーは短く答えた。


「強いな」


 いかにもこいつらしい感想だった。


「何の店なのか、一口でわかる」

 続けてそう言う。

「温かい。香りが立つ。寒い時期に合う。」


「へえ」

 ヴィクトルが感心したように笑う。

「そこまで言うの珍しいな」


「珍しいか?」


「珍しい」


 次に、ヴィクトル自身が一口食べる。


 ほくほくとしたじゃがいもが崩れ、溶けたバターが口の中へ広がる。

 あとから青葉草の香りがふっと抜ける。


「……ああ、これか」

 ヴィクトルが言う。

「止まらないな」


 もう一口食べて、続けた。


「しかも、工程が少ない。これなら人数が来ても回しやすい」

 皿の上を見ながら、商売人みたいな顔になる。

「味違いも作れるな。定番、香草、塩強め。これだけでも十分売れる」


「それに」

 ガイルが食べながら言った。

「仕込みと提供を分けやすい。芋は事前に火を通せるし、当日は仕上げを中心に回せる。崩れにくいな」


 ナディアも一口食べて、驚いたように目を丸くした。


「おいしいです……」


 その言い方があまりにも素直で、思わず少し笑ってしまう。


「温かくて、ほっとします」

 ナディアは続けた。

「それに、手が込んでいるわけではないのに、ちゃんと特別な食べ物に感じます」


「特別、か」

 俺はその言葉を小さく繰り返した。


「はい」

 ナディアは頷く。

「誰でも食べられそうなのに、でも、食べたことはない味です」


 それは、かなり嬉しい感想だった。


 セレナは少し遅れて皿を持ち上げた。


 香りを確かめるように一瞬だけ目を細め、それから口へ運ぶ。


 静かに噛んで、飲み込み、もう一口。


 しばらく何も言わない。


「……どう?」

 誰かが聞く。


 セレナは皿を見下ろしたまま、少し悔しそうに言った。


「すごくいいわ」


 その一言に、教室が少しだけ沸いた。


「そこまでか?」

「セレナがそこまで言うなら本物だな」


 セレナは軽く息を吐く。


「悔しいけれど、見た目が素朴すぎると思ったのは間違いだった」

 そう言って、皿を軽く持ち上げる。

「この料理、湯気と香り込みで完成してる。器と包み方、素朴だけど

、むしろ安っぽくならない」


 そこまで言ってから、ちらりとこっちを見る。


「リオン、最初からそこまで考えてたでしょう」


「まあ、少しは」


「少し、で済ませないで」


 でも、その声には怒りよりも感心の方が強かった。


 クラスの他の生徒たちも次々に口にし始める。


「これなら寒い日に食べたいな」

「単純なのに、思ったよりちゃんとしてる」

「青葉草の香りがいい」

「芋って、こんな食べ方があるのか……」


 否定的な声は、ほとんど出なかった。


 ◇


 皿が一通り空になった頃には、教室の空気はもう昨日までとまったく違っていた。


 文化祭の飲食店。

 その中心に置くものが、初めてちゃんと見えたのだ。


「これ、名前は何て言うんだ?」

 クラスの一人が聞く。


 そこで俺は少し考えた。


 前世なら、答えは簡単だ。

 でも、この世界にはまだその呼び名がない。


「……芋とバター」

 とりあえずそう言うと、ヴィクトルが吹き出した。


「そのまんまだな」


「まだ仮だよ」

 俺も笑う。


「でも、わかりやすくはあるわね」

 セレナが言う。

「少なくとも、主役が何かは一瞬で伝わる」


「文化祭用の名前は後で考えればいい」

 ガイルが現実的に言った。

「大事なのは、これでいけるかどうかだ」


「そこは、もう十分見えた気がします」

 ナディアがやわらかく言う。


 エドガーが最後に一口分だけ残っていた皿を見て、短く言った。


「採用でいいだろう」


 その一言で、クラス全体の流れが決まった。


 異論は、もう出なかった。


 ◇


「じゃあ次は、味違いと飲み物か」

 ヴィクトルが言う。


「そうね」

 セレナも頷く。

「これ単体でも強いけど、店として仕上げるならまだ詰めるところはあるわ」


「包み方も考えないとな」

 ガイルが黒板に目を向ける。

「持ち歩きやすさも必要だ」


「飲み物は温かいものが合いそうです」

 ナディアが言った。

「寒い時期ですし」


 文化祭まで、まだ少し時間はある。

 だが、主役は決まった。


 芋とバター。


 素朴な名前のその料理が、教室の真ん中で、確かに次の形を取り始めていた。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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