第125話 文化祭の出し物
行軍訓練が終わってから数日。
十月も半ばに差しかかり、朝の空気ははっきりと秋のものになっていた。
教室の窓を少し開けると、ひやりとした風が入ってくる。
夏の終わりのような生ぬるさはもうない。空は高く、校舎の向こうの木々も少しずつ色づき始めている。
そんな朝だった。
ホームルームの終わり際、担任のローヴェン先生が教卓の前で軽く咳払いをした。
「連絡がある」
ざわついていた教室が少しだけ静まる。
「来月、文化祭がある」
その一言で、空気がぱっと変わった。
教室のあちこちで、すぐに小さな声が上がる。
ローヴェン先生はそれを止めずに続けた。
「王立学院の年間行事の中でも、文化祭は最も盛り上がる大きなイベントだ。学院内の生徒だけでなく、保護者、卒業生、王都の関係者も多く来る」
そこまで聞いただけで、ただの校内行事ではないとわかる。
「クラスごとに出し物を決める。展示、実演、体験型、条件付きだが飲食も可能だ」
飲食、という単語で教室の反応が一段変わった。
「なお」
先生はそこで一拍置いた。
「文化祭で出た利益は、王都内の孤児院などに寄付される」
少しだけざわめきが収まる。
「もともとはバザー形式だったが、ここ数年は学生たち主導の出店形式が主流になった。見せ方も売り方も、全部含めて文化祭の評価対象になっている」
なるほど。
ただ楽しいだけの祭りではない。
学院らしく、ちゃんと学びと実践が混ざっている。
「このSクラスでも何をやるか決めるように。今日の放課後、方向性くらいはまとめておけ」
そこで朝のホームルームは終わった。
ローヴェン先生が教室を出た瞬間、空気が一気に動く。
「飲食ありなら強いな」
「いや、Sクラスで普通に食べ物屋ってどうなんだ」
「展示は地味すぎるか?」
「でも雑に店を出すのも違うよね」
早くも議論が始まりかけていた。
◇
一時間目が始まる前の短い時間、いつもの六人も自然とその話になった。
「飲食ありなら、人は集まりやすいだろうね」
ヴィクトルが椅子にもたれたまま言う。
「人が来ればいい、ってものでもないわ」
セレナがすぐに返した。
「雑然とした屋台みたいなのは嫌よ」
「でも、誰も来ない展示をやるよりはましじゃない?」
ヴィクトルも引かない。
横でナディアが柔らかく口を開く。
「私は、来てくださった方が楽しめるものがよいと思います。見て終わり、よりも、少し関われる方が記憶には残りそうです」
「運営が回るかどうかも大事だ」
ガイルが短く言った。
「文化祭は人が多い。見栄えだけで詰む案はやめた方がいい」
「結局、何をやるにせよ、まとまるかどうかだ」
エドガーが静かに言う。
全員、言っていることは間違っていない。
そして全員、見ている場所が少しずつ違う。
その会話を聞きながら、俺はなんとなく苦笑した。
「たぶん、クラス会議はすぐにはまとまらないな」
「でしょうね」
セレナが即答する。
「Sクラスだもの。全員、自分の理屈くらい持ってるわ」
それは確かにそうだった。
◇
その日の放課後。
授業が終わると、ローヴェン先生は予定通りすぐには出ていかず、教卓の前に立ったまま言った。
「文化祭の出し物について、このあとクラスで話し合え。最終決定まで今日中にやる必要はないが、少なくとも大まかな方向性は定めろ」
言うだけ言って、先生は教室の後ろへ下がった。
完全に任せるつもりらしい。
最初に立ち上がったのは、魔法実演を推す生徒だった。
「Sクラスなんだから、まず実力を見せる形がいいと思う。魔法の実演なら学院らしさもあるし、見栄えもする」
それに対して、すぐ別の意見が飛ぶ。
「でも実演だけだと一回見たら終わりじゃない? 人の流れも止まりにくい」
「展示系の方が落ち着いて見てもらえるだろ」
「いや、展示は他のクラスでもやる」
「だったら体験型は?」
「事故が起きたらどうする」
あっという間に教室が騒がしくなった。
意見そのものはどれも筋が通っている。
だからこそ、簡単には引っ込まない。
「茶会みたいな形なら品も保てると思う」
「それなら飲食をやる意味が弱い」
「演劇でもいいんじゃないか?」
「準備に時間を取られすぎる」
机の間を見回しながら、俺は少しだけ前世の会議を思い出した。
全員が真面目に考えている。
だから逆に、まとまりにくい。
少しずつ空気が停滞し始めた頃、俺は立ち上がった。
「一回、全部書き出さないか」
数人がこっちを見る。
「このままだと、何が出ていて、何が重なってるのかも見えにくい。似た案をまとめた方が決めやすいと思う」
異論は出なかった。
俺はそのまま黒板の前へ出て、チョークを手に取る。
「今出てるのは……」
黒板に順に書いていく。
魔法実演。
作品展示。
体験型。
演劇。
茶会。
飲食。
模擬店。
工房実演。
そのままだと散らかるので、少し考えてから大きく括った。
【展示系】
【実演系】
【体験系】
【飲食系】
「たとえば、茶会は飲食系。工房実演は実演系。資料展示や作品展示は展示系。ゲームや参加型のやつは体験系」
黒板へ振り返ると、さっきまでより教室の空気が少し静かになっていた。
見える形になるだけで、頭は整理しやすい。
「まず大枠だけ決めないか」
俺は言った。
「いきなり細かい内容まで決めようとするからまとまらない。まず軸を投票で決めて、その後で中身を詰める方が早いと思う」
「投票?」
前の方の席から声が上がる。
「うん。いきなり最終決定じゃなくて、まず展示系、実演系、体験系、飲食系のどれを軸にするか決める。その方が全員も納得しやすいと思う」
少し間があって、ヴィクトルが口元を上げた。
「それ、いいな。今のままだと夜まで決まらない」
「理屈は通ってるわね」
セレナも腕を組んだまま頷く。
「少なくとも、今よりは前へ進みそうだわ」
「大枠を先に決めるのは妥当だ」
ガイルも短く言う。
「皆さまも、選びやすくなると思います」
ナディアが続ける。
エドガーは黒板を一度見てから、いつもの調子で一言だけ言った。
「それでいこう」
そこでようやく、クラス全体の流れが決まった。
◇
投票自体はすぐだった。
それぞれが候補を一つ選び、黒板へ印をつけていく。
展示系。
実演系。
体験系。
飲食系。
結果はわりとはっきり出た。
一番多かったのは、飲食系。
次いで体験系と実演系が競り、展示系は少し少なめだった。
「やっぱり飲食か」
ヴィクトルが満足そうに言う。
「でも、ただの食べ物屋ではつまらないわ」
セレナがすぐに釘を刺した。
「Sクラスでやるなら、それなりに品も工夫も必要よ」
「そこは賛成です」
ナディアも頷く。
「来てくださる方に、きちんと心地よく過ごしていただける形がよいと思います」
「回せることが前提だな」
ガイルが言う。
「人が集まりすぎて崩れる店は最悪だ」
「つまり、飲食を軸にするのは決まり」
ヴィクトルが黒板を見ながら言った。
「問題は何を出すかだな」
その言葉で、また教室の空気が少し動く。
焼き菓子。
軽食。
飲み物。
甘味。
茶会風の喫茶。
今度は大枠が絞られている分、議論の熱も前より建設的だった。
ただ、今日はそこまでにしておいた方がいい気もした。
方向性だけは決まった。
それで十分前進だ。
「今日はここまででよくないか?」
俺は黒板を見ながら言った。
「飲食を軸にするところまでは決まった。次は、何を売るかをちゃんと考えた方がいい」
「たしかに」
ガイルが頷く。
「無理に今日全部決めるより、その方がいい」
セレナも息を吐いた。
「中途半端に決めて雑になるよりはましね」
「じゃあ次は商品会議だな」
ヴィクトルが笑う。
ローヴェン先生は後ろからその様子を見ていたが、特に口は出さなかった。
最後だけ短く、
「では、今日はそこまでにしておけ」
と告げた。
クラスの空気は、放課後の疲れより少しだけ前向きだった。
◇
皆が帰り支度を始める中、俺は少しだけ黒板の前に残った。
飲食系。
そこに書かれた文字を見ながら、頭の中ではもう別のものが動いていた。
ローヴェルの乳製品。
バター。
焼き菓子。
温かい飲み物。
数量限定の冷たい乳菓子。
ただ食べ物を出すだけじゃない。
このメンバーだからできる見せ方と、空気の作り方があるはずだ。
「もう何か考えてる顔ね」
気づくと、すぐ横にセレナが立っていた。
「少しだけ」
「飲食に決まった瞬間からでしょう」
「否定はしない」
セレナが小さく笑う。
「まあ、いいわ。どうせ君のことだから、また何か面白いことを考えてるんでしょう」
その少し後ろでは、ヴィクトルがこちらを見ていた。
「売れる案なら歓迎だぞ」
「回せる案ならな」
ガイルが続ける。
「皆さまで考えるのが楽しみです」
ナディアも柔らかく言った。
「そうだな」
窓の外では、秋の夕方の光が校舎の壁をやわらかく染めていた。
文化祭までは、まだ少し時間がある。
だが、出し物の方向は決まった。
次は、何を出すか。
頭の中では、いくつもの案が静かに形を取り始めていた。
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