第123話 四人で着く
翌朝、班の空気は少しだけ変わった。
劇的に仲良くなったわけじゃない。
信頼し合っているとも、まだ言えない。
それでも、前日までのように四人が別々の方向を向いて歩いている感じは薄れていた。
「次の目印、あの倒れた白樺だと思う」
マルクが地図と周囲を見比べながら言う。
昨日までなら、その声はもっと小さかっただろう。
たとえ気づいても、口に出す前に引っ込めていたはずだ。
「たぶん合ってる」
俺は頷く。
「その先の緩い坂を越えれば、二つ目の確認地点に出る」
「坂の右端は避けた方がいい」
今度はエミルが言った。
「朝露で滑ってる。真ん中寄りの方がまだまし」
「わかった」
短いやり取りだったが、それだけで前へ進む力はずいぶん違った。
カイルも黙って後ろを見ている。
荷の崩れや足跡、周囲の物音に気を配っているのはわかる。
だが、俺の中から引っかかりが消えたわけではなかった。
綻びの目で見えた文字は、まだ頭の奥に残っている。
《綻び:不自然な誘導》
昨日の時点では、まだ断定するつもりはなかった。
ただの偶然や、単なる相性の悪さという可能性もあったからだ。
けれど、二日目の朝から半日ほど歩いて、やっぱり確信は強くなっていた。
カイルは、時々わざとずらす。
露骨ではない。
だからこそ厄介だ。
疲れた頃合いを見て休憩の位置を微妙に悪い場所へ寄せようとしたり、足場の話をしている最中に別の論点を差し挟んで流れを散らしたりする。
どれも「悪意」と言い切るには小さい。
でも、積み重ねると班の歩調が鈍る。
偶然で何度も重なるには、少し出来すぎていた。
それでも、俺はまだ何も言わなかった。
言ってしまえば簡単だ。
問い詰めて、責めて、切ってしまうのはたぶん早い。
でも、それをやった瞬間に、この訓練の意味も、自分がこのスキルで考えたことも、全部薄くなる気がした。
◇
二つ目の確認地点を通過したあたりで、森の色が少しずつ変わり始めた。
標高が高いのか、木々の間を抜ける風が少し強い。
葉擦れの音も、前より細かい。
教師からの事前説明では、この先の尾根道を越えれば、あとはゴールへ向けて下るだけだ。
時間としても、順調なら日没よりかなり前に着ける。
ただ、その「順調なら」という前提が曲者だった。
「ここ、左に入った方が早いんじゃないか」
昼過ぎ、尾根へ上がる手前でカイルがそう言った。
示した先は、細い獣道だった。
一見すると近道に見える。だが地面は柔らかく、踏み跡も浅い。
エミルが眉を寄せる。
「そこ、歩きにくそうだけど」
「でも本道は回り込んでる」
カイルは淡々と続けた。
「距離だけならこっちの方が短い」
その瞬間、視界の端にまた淡い文字が浮かぶ。
《綻び:意図的な攪乱》
――やっぱりか。
俺はすぐには答えなかった。
もし今ここで「それはおかしい」と強く返せば、空気はまた崩れる。
エミルは反発し、マルクは黙り、カイルは閉じる。
だから、先に地図を広げた。
「マルク、どう見える?」
マルクが少し驚いた顔をしたが、すぐに地図へ目を落とす。
「本道の方が遠回りに見えるけど……目印はこっちの方が多い。獣道の先は、途中で沢筋に近づくかもしれない」
「エミルは?」
「足元は本道の方がいい。こっちは一回ぬかるんだら終わりだと思う」
俺は頷いた。
「じゃあ本道で行こう」
カイルは一瞬だけ俺を見た。
表情は変わらない。だが、視線の奥にわずかな緊張が走ったのはわかった。
そのまま歩き出す。
少ししてから、俺はカイルの歩幅に合わせて、半歩だけ速度を落とした。
「少し話せる?」
カイルが横目だけを寄こす。
「今か」
「今の方がいいと思う」
後ろでマルクとエミルが地図の話をしているのを確認してから、俺は声を落とした。
「フェルド男爵家は、グレイヴ侯爵家と近いんだよね」
数拍、沈黙が落ちた。
カイルは前を見たまま答える。
「それがどうした」
「昨日、ガレスと何か話してたんじゃないのか?」
カイルの喉がわずかに動いた。
「だいたい想像はつく」
「……そうか」
返ってきた声は、思っていたよりもずっと静かだった。
「怒らないのか」
「怒ってほしい?」
「いや」
また少し沈黙。
風が枝を揺らし、乾いた葉が足元を転がっていく。
「本当は、もっと早く班を崩せると思ってた」
カイルがぽつりと言った。
「少し言葉をずらして、少し空気を悪くして、それで十分だと思ってた」
やっぱり、そうだったか。
でも、その声にはもう最初の棘がなかった。
「理由は、ガレスに言われたから?」
「……半分は」
「もう半分は?」
カイルは苦い顔をした。
「リオンみたいな人、昔からあまり得意じゃない。最初から正しい道が見えてるみたいな顔をされると、勝手に腹が立つ」
思わず、小さく息を吐いた。
「それは、少しわかる」
「わかるのか」
「俺もそういう時期があるから」
カイルが初めてはっきりこっちを見た。
当然だ。
ここで前世の話をしても通じるはずもない。だから、詳しい説明をするつもりはなかった。
「とにかく」
俺は言い直す。
「自分では正しいつもりで、人を押してたことがある。ついてこないのは相手が悪いと思ってた」
「……今は違うのか」
「違いたいと思ってる」
それは、たぶん本音だった。
歩きながら、少しだけ間を置く。
「切るのは簡単なんだ」
「切る?」
「班から外す。教師に言う。皆の前で問い詰める。そういうこと」
カイルの顔がわずかに強張る。
「でも、それをやったら四人で着けない」
「……」
「この訓練は、四人で着く訓練だ。だから、俺はそうしたくない」
そこで、ようやくカイルは完全に黙った。
俺は続ける。
「カイルは、後ろを見るのがうまい。荷の乱れも、足跡も、周りの気配も見えてる。だから、その力は班のために使ってほしい」
「そんなふうに、まだ言えるのか」
「使える力があるなら、使ってほしいと思うのは普通じゃない?」
少しだけ皮肉っぽく返すと、カイルは逆に困ったような顔をした。
「……変な人だな」
「よく言われる」
それで会話は一度切れた。
けれど、空気は前よりずっと静かだった。
◇
尾根へ上がる最後の斜面は、思っていたよりきつかった。
土が乾いていて、踏ん張りどころを間違えると足を取られる。
荷物を背負ったまま登るには、地味に体力を削られる道だった。
先にエミルが足場を見て、行きやすい場所を指す。
「そこ、避けた方がいい。崩れる」
「わかった」
マルクは地図と目印を確認しながら、息を切らして言った。
「この斜面を越えたら、尾根沿いに一本道があるはず……!」
「大丈夫。合ってる」
俺が答えた、その直後だった。
後ろから、カイルの声が飛ぶ。
「止まって!」
普段よりずっと強い声だった。
反射的に全員が足を止める。
「二歩前、左」
振り返ると、カイルは地面を指していた。
見ると、落ち葉の下に細くえぐれた穴がある。
そこへ足を置けば、確かに踏み抜いていたかもしれない。
エミルが顔をしかめる。
「……よく見つけたな」
「たまたまだよ」
カイルはぶっきらぼうに言ったが、その声はもう前と違っていた。
たまたまじゃない。
ちゃんと見ていたからだ。
その一件から、班の流れはさらに変わった。
マルクが目印を拾う。
エミルが足場を見る。
カイルが後ろと周囲を見る。
俺は全体の速さと休憩の間をつなぐ。
誰か一人が突出しているわけじゃない。
でも、四人の視界が少しずつ重なり始めていた。
尾根へ出た時、風が強く吹いた。
木々の切れ間から、ゴールのある平地が遠くに見える。
「あれか……」
マルクが息を呑む。
「まだ少しある」
俺は言った。
「でも、見えた」
その一言が、なぜか班全体を軽くした。
◇
最後の下りは、登りよりずっと速かった。
疲れてはいる。
足も重い。
でも、班としてのリズムはもう崩れなかった。
途中、何班かを追い抜きもした。
だが一位とか二位とか、そういうことはあまり頭になかった。
四人で着く。
そのことだけが、今は妙にはっきりしていた。
ゴールの目印が見え、教師の姿が大きくなる。
「リオン班、到着!」
教師の声が響く。
俺たちはほとんど同時に足を止めた。
胸が上下する。
肩が重い。
でも、四人とも立っている。
教師が班員を見回し、短く頷いた。
「確認。四人、全員到着だな」
「はい」
俺が答えると、教師は記録板に印をつけた。
「途中で立て直したな」
その一言に、少しだけ驚いた。
見ていたのか。
「班単位で崩れず着いた。そこは評価する」
それだけ言って、次の班へ目を向ける。
派手な賞賛はない。
でも、それで十分だった。
マルクがその場にへたり込みそうになりながら笑う。
「つ、着いた……」
エミルは肩で息をしつつ、少しだけ口元を上げた。
「まあ、悪くなかったな」
「悪くないどころじゃないだろ」
俺は言う。
「四人で着いたんだから」
その言葉に、エミルはふっと笑った。
カイルだけは、少し離れたところで黙って立っていた。
◇
荷を下ろし、水を受け取り、教師への簡単な報告が終わったあと。
マルクとエミルが少し先へ行った頃、カイルがこっちへ歩いてきた。
表情は、いつものように硬いままだ。
でも、目の色が少し違う。
「……リオン」
「うん」
カイルは何か言いかけて、口を閉じた。
それから、少しだけ視線を落として言う。
「悪かった」
短い言葉だった。
「何が?」
俺はあえて聞き返した。
カイルが苦く笑う。
「最初の態度だ。……自分の行動は間違えだった」
やはり、そうだった。
「でも、何度も切る機会があったのに、リオンはそうしなかった」
その声は、前よりずっと静かだった。
「見抜いてたんだろ」
「だいたいは」
数拍の沈黙。
風がまた吹いて、訓練場の端に立つ旗が揺れた。
「正直、意味がわからなかった」
カイルが言う。
「なんでそこで突き放さないのか、本当にわからなかった」
それはたぶん、自然な感想なんだろう。
俺だって前世の頃なら、たぶん切っていた。
信用できない相手は外す。その方が早いと、当たり前に思っていたかもしれない。
「でも」
カイルが続ける。
「今日、四人で着けたのは、あの時切らなかったからだとも思う」
そこで一度、言葉が止まる。
そして、不器用に、だがはっきりと言った。
「……ありがとう」
その言葉は、本物だった。
俺は少しだけ息を吐いて、頷いた。
「ありがとうは受け取るよ」
カイルが顔を上げる。
「でも、謝るなら次は最初から班の一員でいてほしい」
カイルは一瞬だけ目を見開き、それから、小さく笑った。
「……善処する」
「次はそうして」
「わかった」
短いやり取りだった。
でも、それで十分だった。
完全に何かが解決したわけじゃない。
グレイヴ側のことも、ガレスのことも、終わったとは言えない。
それでも少なくとも今日、この班は四人で着いた。
それは事実だ。
◇
夕方の光の中、俺は訓練場の端から森を振り返った。
綻びの目は、確かに便利な力だ。
問題を早く見つけられる。
人の弱さも、歪みも、ずれも見える。
でも、それだけじゃ人は前へ進まない。
見えた綻びをどう扱うか。
そこで初めて、そのスキルが助けになるか、ただの疑いの道具になるかが決まる。
四人で着いた。
それだけのことなのに、たぶんそれが一番難しかった。
そして今、俺はようやく、少しだけその意味をわかり始めていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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