第122話 噛み合わない班
行軍訓練当日の朝、王都近郊の森の入口には一年生たちがずらりと並んでいた。
秋の朝らしい、少し張った空気。
冷たいというほどではないが、立ち止まっていると肩が引き締まる。
森の手前には、班ごとにまとめられた荷と支給品。
地図、携行食、水袋、火起こし道具、簡易の天幕布。
教師たちが最後の確認をしている間も、あちこちから声が上がっていた。
「本当に森で一泊するのか」
「迷ったらどうするんだ」
「いや、ちょっと楽しみだな」
緊張している者もいる。
だが、それ以上に、行事そのものへの高揚の方が強かった。
少し離れた場所には、セレナ、ヴィクトル、ガイル、ナディア、エドガーの姿も見える。
いつもの六人は、当然ながら全員別班だ。
視線が合う。
ヴィクトルは肩をすくめて笑い、
ガイルは短く頷き、
セレナは「変な負け方はしないでよ」とでも言いたげに目を細めた。
ナディアは柔らかく微笑み、
エドガーは相変わらず静かな顔でこちらを見ている。
言葉はなくても、それで十分だった。
教師が前へ出た。
「これより行軍訓練を開始する。確認地点は三つ。今夜は森の中で野営し、明日日没前までにゴールへ到着しろ。繰り返すが、これは自分一人が着けばよい訓練ではない。班で動き、班で着け」
その言葉のあと、班ごとに時間をずらして送り出されていく。
やがて、俺たちの番が来た。
「行こう」
そう声をかけて、俺は班の三人を見た。
カイル・フェルド。
マルク・ベネット。
エミル・ロスタ。
簡単な顔合わせは済ませているが、まだ空気は固い。
それでもこの時点では、どこにでもある即席の班にしか見えなかった。
◇
森へ入ってしばらくは、道もまだ広かった。
踏み固められた土。
目印の杭。
たまに分岐する獣道。
最初のうちは、ただ歩くだけなら難しくない。
難しくないはずなのに、班の空気は最初から少しずつずれていた。
「最初の分岐は右だと思う」
俺が地図を見て言う。
すると、エミルがすぐに反応する。
「左の方が近く見えるけど」
「左は沢に寄る。距離が短くても足場が悪いと結局遅れる」
「でも、試してみる価値はあるかもしれないだろ」
まっすぐな反論だった。
意地悪というより、単純に自分の考えを強く出すタイプらしい。
マルクは地図と俺の顔を何度も見比べている。
何か言いたげだが、口を開けずにいる。
そしてカイルが、少しだけ遅れて言った。
「まあ、左を選びたくなる気持ちはわかるな」
それ自体は、別におかしくない。
でも、妙に引っかかった。
正面から反対するわけでもなく、空気だけ少し揺らす感じがある。
「右で行こう」
俺はそう結論を出した。
「最初から不確定な方へ寄る意味は薄い」
エミルは面白くなさそうな顔をしたが、ついてきた。
その後も似たような小さなずれが続いた。
歩く速さ。
休憩を挟む間。
荷物をどう持つか。
水をどのくらい飲むか。
どれも、ひとつひとつは大したことではない。
でも、全部が少しずつ噛み合わない。
エミルはすぐ反発する。
マルクは遠慮して必要なことも言わない。
カイルは表面上は穏やかだが、時々、なぜか話がまとまりにくい方へ言葉を置く。
嫌な感じだった。
そして嫌な感じというのは、大抵、歩き方に出る。
四人の足音が揃わない。
呼吸の切れ目がずれる。
班として進んでいるというより、四人が同じ方向へ歩いているだけの集まりになっていく。
◇
最初の確認地点に着いた時、他の班がすでにいくつか先に来ていた。
教師から印を受け、少しだけ休む。
木陰に腰を下ろしたところで、エミルがぼそりと言った。
「やっぱり、最初の分岐は左でよかったんじゃないか」
その口調には、半分以上、結果論の響きがあった。
「そうとも限らない」
俺は短く返した。
「左を選んでいたら、別のところで時間を使った可能性もある」
「でも今、遅れてるのは事実だろ」
その言い方に、マルクがぴくりと肩を震わせた。
「ぼ、僕、もう少し早く歩いた方がよかったかな……」
「そういう意味じゃないよ」
俺が言う前に、エミルが強めに返す。
「なんでそうなるんだよ」
マルクが黙る。
カイルは水袋を持ち上げながら、ゆるく口を開いた。
「まだ一日目だし、焦ることもないだろ。どうせ夜営までには着くんだから」
正しいようでいて、これもまた嫌な方向へ働く言葉だった。
焦りを抑えているようで、まとまりも作らない。
俺はそこで小さく息を吐いた。
なんだ、この感じ。
前にも知っている。
誰かが大きく間違っているわけじゃない。
でも全員が少しずつ違う方向を向いていて、班として前へ進む力だけが削られていく空気。
◇
確認地点を出たあとも、流れは良くならなかった。
沢を越える時、マルクが足を滑らせかける。
俺がすぐ手を伸ばして支えたが、そこで列が止まる。
「す、すみません……」
「大丈夫」
そう言って立て直そうとしたところで、エミルが低く言った。
「だから止まるんだよ」
責めるつもりだったのか、ただ出た言葉だったのかはわからない。
だが、言われた方には十分刺さる。
マルクは目に見えて縮こまった。
カイルがそこへ入る。
「言い方がきついと余計に動けなくなる」
止めているようでいて、また空気だけが散る。
嫌になるほど噛み合わない。
昼を過ぎた頃には、さすがに俺も気持ちが沈み始めていた。
正しいと思うことを言っても、空気が悪くなる。
まとめようとするほど、まとまらない。
その感触は、前世の記憶とよく似ていた。
うまくいかない会議。
正しいと思って出した方針に、誰も腹落ちしていない空気。
焦って言葉を重ねて、余計に人が離れていく感じ。
あの頃の俺は、人を動かしているつもりで、実際には押していただけだった。
「……またか」
小さく漏れた声は、自分でも驚くほど乾いていた。
前世でもそうだった。
正しいことを言えば、人は動くと思っていた。
ちゃんと説明すれば、理解してくれると思っていた。
でも、人はそんなふうには動かない。
それを知ったはずなのに、また同じことをしようとしていたのかもしれない。
失望しかけた。
班に、ではない。
自分に、だ。
◇
小さな斜面を越えた先で、俺は足を止めた。
「少し休もう」
エミルが眉をひそめる。
「また?」
「このまま進んでも、多分もっとずれる」
強く言い返さず、俺は近くの倒木へ腰を下ろした。
そして、水を一口飲んでから、深く息を吐く。
前世とは違う。
ハル領で、俺はそれを学んだ。
工房でも、温泉でも、街灯でも、正しさだけでは人は動かなかった。
ローヴェルでも同じだった。
まず必要なのは、答えを押しつけることじゃない。
「……まずは班員を動かそうとするんじゃなく、班員を見よう」
そう思った瞬間だった。
視界の端に、淡い文字が浮かぶ。
《綻び:失敗恐怖》
まず、マルクを見た時だった。
次に、エミル。
《綻び:主導権反発》
そして、カイル。
少しだけ間を置いて、淡く、冷たい文字が浮かぶ。
《綻び:不自然な誘導》
思わず息が止まる。
やっぱり、そうか。
でも、その直後に別の感情が胸をよぎった。
綻びの目は、便利な力だ。
問題がどこにあるか、言葉になる前に見える。
でも、だからこそ危うい。
人の弱いところが先に見える。
疑う理由が、簡単に見つかる。
使い方を間違えれば、誰のこともまっすぐ見られなくなる。
もし今の俺が、この文字だけを信じたらどうなる。
マルクは頼りない。
エミルは面倒だ。
カイルは信用できない。
――そうやって、全部切っていくこともできる。
でも、それをやった瞬間に、このスキルは人を助ける力じゃなくなる。
この力そのものが良いか悪いかなんて、たぶん決まっていない。
見えた綻びをどう扱うかで、いくらでも変わる。
このスキルがすごいんじゃない。
このスキルを使う人間が、どうありたいかだ。
見えたなら、疑うためじゃなく、近づくために使うべきだ。
俺はもう一度、息を吐いた。
◇
「少し、話していいかな」
そう言うと、三人とも少し意外そうな顔をした。
俺はまずマルクを見る。
「さっき、地図を見て何か言いかけてたよね」
マルクはびくりと肩を揺らした。
「え……」
「気づいたことがあったなら、聞きたい」
責めるつもりはなかった。
ただ、本当にそう思った。
マルクはしばらく黙っていたが、やがて小さく言った。
「……右の分岐の先、目印が少ない気がしたんだ。でも、間違っていたら迷惑かけると思って……」
「間違っていてもいい」
俺はすぐに言った。
「気づいたことを言わない方が、後で困ることもある」
マルクが顔を上げる。
「君、ちゃんと見えてると思う。だから次からは、気づいた時点で言ってほしい。合ってるかどうかは、その後に皆で考えればいい」
マルクは少し迷って、それから小さく頷いた。
「……うん」
次に、エミルを見る。
「エミルも、言いたいことがあるなら聞かせてほしい」
「……別に」
「あるでしょ」
そう言うと、エミルは少しだけむっとした顔をしたが、黙りはしなかった。
「Sクラスの人って、最初から答え持ってる顔してるから嫌なんだよ」
思ったより、まっすぐな言葉だった。
「こっちはまだ考えてる途中なのに、正しい道はこっちだって顔されると、従うだけみたいで腹が立つ」
なるほど。
俺は少しだけ苦笑した。
「それは、悪かった」
エミルがこちらを見る。
たぶん、謝るとは思っていなかったのだろう。
「君、さっき斜面の足場とか、ぬかるみとか、先に見えてたよね」
「まあ、あれくらいは」
「そういうの、助かる。地図で見えるものと、足元で見えるものは違うから」
エミルは口を開きかけて、閉じた。
「だから、反対したい時は反対していい。ただ、意地でぶつかるんじゃなくて、何が見えてるかを言ってくれると助かる」
しばらく沈黙があった。
やがてエミルは、ぶっきらぼうに言う。
「……見えてることは、ある」
「じゃあ、それを聞かせてほしい」
今度は、少しだけ素直に頷いた。
最後に、カイルを見る。
ここだけは、少しだけ難しい。
「カイルも、何か引っかかってることがあるなら聞きたい」
カイルは表情を変えなかった。
「別にない」
「本当に?」
「……どういう意味だ」
その返しが、少しだけ硬かった。
「さっきから、時々、話がずれる感じがしてた。もし何か気になることがあるなら、横から濁すより、そのまま言ってもらった方が助かる」
数秒の沈黙。
空気が少しだけ張る。
やがてカイルが、低く言った。
「……班の中で、一人だけ最初から全部見えてる顔をされると、面白くないってだけだ」
その言葉に、少しだけ本音が混じっていた。
全部じゃない。
でも、全部が嘘でもない。
「それも、わかった」
俺は頷いた。
「じゃあ、余計に言ってほしい。今のままだと、誰も得しない」
カイルはそれ以上何も言わなかった。
だが、目を逸らしもしなかった。
ここで無理に踏み込むのは違う気がした。
俺は立ち上がる。
「完璧に仲良くやれとは言わない。でも、この訓練は四人で着く訓練だ」
三人の顔を順に見る。
「だから、せめて言いたいことは言える班にしたい。俺も決めつけるのをやめるから、皆も気づいたことは出してほしい」
言葉にしてしまうと、少しだけ肩の力が抜けた。
さっきまでみたいに、班を動かすために押すんじゃない。
まずは声が出るようにする。その方が、たぶん前へ進める。
「行こうか」
今度は、誰もすぐには反発しなかった。
歩き出してしばらくしてから、マルクが小さく声を上げた。
「次の分岐、多分右で合ってる。左は足跡が少ない」
「ありがとう」
俺はすぐ答える。
少し先を見ていたエミルも言う。
「右でも、その先の斜面は端を歩かない方がいい。真ん中がぬかるんでる」
「了解」
後ろから、やや遅れてカイルの声がした。
「荷の紐、一本緩んでる。止まるほどじゃないけど、次の休憩で直した方がいい」
「ありがとう。次で見る」
完璧じゃない。
空気が急によくなったわけでもない。
でも、さっきまでとは違った。
その後、野営地につき、順番に見張りを置いて仮眠を取ることにした。
夜中、俺は1人で火をみながら色々と考えた。
森の中で厄介なのは、道に迷うことだけじゃない。
人が噛み合わなくなることの方が、よほど班を遅らせる。
そして今、俺はようやくそこへ手を伸ばし始めていた。
綻びの目は、使い方次第だ。
切り捨てるための力にもなる。
近づくための力にもなる。
なら、俺は後者でありたい。
そう思いながら、前へ続く森の道を見た。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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