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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第10章 王立学院一年 二学期

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第113話 視察へ出発

 日々の自主練と授業、予習と復習を重ねているうちに、時間は思っていたよりずっと早く過ぎた。


 ローヴェル伯爵領の資料は何度も読み返した。

 地図も、税収表も、宿場の記録も、頭に入るだけ入れた。


 それでも結局、最後は現地を見なければわからない。


 そう思っていたら、もう視察当日だった。


 ◇


 その朝、俺はいつもより少し早く目を覚ました。


 まだ外は暗い。

 男子寮の廊下も静まり返っていて、足音を立てるのが妙に気になる。


 顔を洗い、旅装を整える。

 学院の制服そのままではないが、学院側の随行者として見苦しくないように整えた服だ。動きやすさを残しつつ、だらしなく見えない程度にはきちんとしている。


 木剣を持って外へ出るか、少しだけ迷った。


 結局、中庭で軽く身体をほぐすだけにした。

 素振りも数えるほど。

 今日は鍛える日じゃない。身体を起こして、呼吸を整えるだけでいい。


 冷たい朝の空気を吸い込みながら、肩と足を動かす。


 落ち着いているつもりだった。

 でも心の奥には、やっぱり少し緊張がある。


 王の視察。

 学院長の供。

 ローヴェル伯爵領。


 ただの見学ではないと、もう何度も言われていた。


 寮へ戻り、荷をまとめて食堂へ向かう。

 朝食の席には、すでにヴィクトルとガイルがいた。


「来たか」


 ガイルが短く言う。


「早いな」


「お前らも」


 席につくと、ヴィクトルがパンをちぎりながら顔を上げた。


「で、今日は学院長と一緒に先に出るんだよな」


「うん。王の本隊とは別動になるらしい」


「そっちの方がいいだろうな」


 ヴィクトルはあっさり言った。


「王と一緒にぞろぞろ入ったら、町の人間も貴族も、見せたい顔しかしないだろ」


「同感だ」


 ガイルも頷く。


「先に入れるなら、その方が見えるものは多い」


 俺もそう思う。


 今回、学院長と俺は王たちの本隊とは別に動く。

 本隊は王都を出たあと、途中で宿泊も伴い、迎え、報告、儀礼、それらを省くことはできない。王が公に動く以上、ただ真っすぐ視察先へ向かけばいいというわけではない。


 一方で学院長は、先に現地へ入っておきたい。

 説明役として、王が到着する前に空気を見ておきたいし、俺にも取り繕われる前のローヴェルを見せておきたい。


 だから別動だ。


「変なもの見つけてくるなよ」


 ヴィクトルが言う。


「見つけたくて見つけてるわけじゃない」


「でも見つける」


「……否定しない」


 ガイルが少しだけ口元を緩めた。


「帰ったら聞かせろ」


「わかった」


 短いやり取りだったが、それで十分だった。


 食事を終え、俺は荷を持って寮を出る。

 振り返ると、二人はもう食堂の入口には立っていなかった。


 見送りに来るような性格じゃない。

 でも、あれでいい気がした。


 ◇


 学院門の前には、すでに馬車が待っていた。


 王家の馬車ほど豪奢ではない。

 けれど学院長が乗るにふさわしい、落ち着いた造りのしっかりした馬車だった。護衛も最小限ながら隙がない。


 学院長は門の前で立ったまま、こちらを見た。


「来たか」


「お待たせしました」


「いや、ちょうどよい」


 学院長は頷き、馬車へ目を向ける。


「前にも話した通り、我々は王の本隊とは別に動く」


「はい」


「本隊は王の移動だ。途中で宿泊も伴うし、迎え、報告、儀礼、それらを省くことはできん。だが、私はできるだけ先に視察先へ入っておきたい」


 学院長はそこで一拍置いた。


「ローヴェル領は街道沿いに細長く伸びた領だ。王都から視察先の領都までは、一泊必要になる」


 その説明で、頭の中の地図が少しはっきりした。


 ローヴェル伯爵領は王都の東にある近隣領だが、すぐ隣というわけじゃない。

 街道に沿って細長く領地が続いているから、人も荷も領内をよく通る。

 にもかかわらず、領としての伸びが鈍い。


 だからこそ、余計に妙なのだ。


「我々も途中で一泊するが、本隊よりは簡素に進む。その分、余計な目を引かずに済む」


「先に現地の空気を見ておくため、ですか」


「それもある」


 学院長は淡々と答える。


「王が着いてからでは、どうしても人は取り繕う。貴族も役人も、見せたいものを前に出す。そうなる前の顔を見ておくに越したことはない」


 やっぱり、そういうことか。


 俺は小さく息を吐いて、荷を抱え直した。


「乗れ」


「はい」


 馬車へ乗り込み、ほどなくして車輪が静かに動き出す。


 王立学院の門が、朝の薄明かりの中でゆっくりと後ろへ遠ざかっていった。


 ◇


 王都を出るまでの道は静かだった。


 まだ朝が浅く、店の多くは開ききっていない。

 人通りも少ない。

 ただ、東門へ近づくにつれて、荷馬車や行商人の数は少しずつ増えていく。


 東へ向かう流れは、たしかにある。


 門を抜けると、王都の石壁が背後に小さくなっていった。

 そこから先は、整備された街道がまっすぐ延びている。


 学院長は馬車の中で多くを話さなかった。

 ときどき資料を見返し、窓の外を確かめる程度だ。


 俺も無理に話しかけず、外を見る。


 東へ向かう荷の数は、思っていたより多い。

 穀物、布、木材、陶器。

 馬車の車輪の跡も深く、街道が日常的に使われていることがわかる。


 しばらくそうしていた頃、学院長がふいに口を開いた。


「学院での学びはどうだ」


 意外な問いだった。

 思わず視線を戻す。


「学び、ですか」


「そうだ。授業、課外、周囲との関係。お前にとって、王立学院はどう見えている」


 少しだけ考える。


 問われれば、すぐに答えられる気がしていた。

 たぶん、ずっとそう思っていたからだ。


「恵まれていると思います」


 俺はまっすぐ答えた。


「学ぶ内容もそうですし、友人関係も良好です。自分より頭の回る者、違う見方をする者、領地では出会えなかった人間が周りにいます」


 学院長は黙って聞いている。


「授業の内容も、今の自分にはちゃんと意味があります。前よりずっと、現実とつながって見えるようになりました」


 そこで少しだけ息をつく。


「恵まれた環境にいられていると思いますし、それは本当に感謝しています」


 学院長はしばらく何も言わなかった。

 それから、窓の外へ一度だけ視線を向け、静かに言った。


「それはよかった」


 短い言葉だったが、どこか柔らかかった。


「勉強そのものだけでなく、勉強以外のところでも学ぶことが多そうだな」


 思わず少し笑う。


「否定できません」


「だろうな」


 学院長の口元も、ほんのわずかに緩んだ気がした。


「知識は机の上で得られる。だが、人の見方や物事の重さは、それだけでは身につかん。お前はその両方を今、同時に学んでいる」


 そう言われると、少しだけ背筋が伸びる。


「はい」


「なら、その環境を無駄にするな」


「はい」


 それで会話は終わった。

 だが、不思議とさっきまでの緊張が少しだけ薄くなっていた。


 ◇


 途中の宿場で、俺たちはその日は早めに馬を休めることになった。


 王の本隊ならもっと厳密な警備と儀礼がつくんだろうが、こちらは学院長の一行だ。

 目立たない分、宿場の空気もそのままに近い。


 夕方の宿場には、ちゃんと熱があった。


 遅れて入ってきた旅人が食事を頼み、荷を下ろす者がいて、宿の主人が泊まり数を数えている。

 馬の世話をする音、水を汲む音、値段を交渉する声。


 大騒ぎするほどではないが、人が来て、休んで、金を落として、また出ていく流れが自然に回っている。


 その光景を見ながら、俺は小さく呟いた。


「やっぱり、ここには熱が残ってる」


 学院長が視線だけこちらへ向けた。


「何が違う」


「急ぐ人もいますけど、休む人がいる。食べる人がいる。馬を止める人がいる。荷を整える人がいる」


 宿場の様子を見ながら答える。


「ただ通るだけじゃなくて、一度ここで流れが留まってる」


「なるほど」


 学院長はそれ以上は何も言わなかった。

 だが、否定もされなかった。


 その夜は簡素な宿に泊まり、翌朝また早く出た。


 資料の内容と、昨日見た宿場の熱が頭の中で重なる。

 ローヴェルに近づけば、あれがどう変わるのか。

 それを考えながら、馬車の揺れに身を任せた。


 ◇


 二日目の昼前、ローヴェル伯爵領の領域へ入った。


 街道沿いに細長く続く領だけあって、道そのものはよく使われている。

 馬車も旅人も、決して少なくはない。


 なのに、妙な違和感があった。


 来ている。

 通っている。

 でも、昨日の宿場で感じたような“留まりの熱”が薄い。


 荷馬車は急いでいる。

 旅人も、休むというより先を見て歩いている。

 道沿いに店は見えても、そこで人がほどける感じがない。


「……来てるのに、残ってない」


 小さく呟くと、学院長が聞いた。


「何か見えたか」


「まだ、はっきりとは」


「それでいい」


 学院長は静かに言う。


「机の上で答えを決めてくるな。現地は、資料よりもずっと雑だ」


「はい」


「だが、その雑さの中にしか出ない綻びもある」


 その言葉は、妙に腑に落ちた。


 ◇


 ローヴェル伯爵領の領都が見えたのは、昼を少し回った頃だった。


 遠目に見れば、たしかに整っている。

 城壁もある。

 門前には人もいて、街道の要所らしい形はしている。


 だが、近づくにつれて違和感は濃くなった。


 門へ向かう荷馬車の列が、思ったより短い。

 そのわりに、門の外で止まっている人が多い。


 旅人が立ち話をしている。

 荷を少しだけ下ろしている馬車もある。

 町へ入るでもなく、完全に去るでもなく、門の手前で流れが淀んでいた。


 その光景を見た瞬間、視界の端に淡い文字が浮かぶ。


 《綻び:流入前滞留》


 思わず息を止める。


 やっぱりだ。


 資料の上では、ただの数字だった。

 だが現地では、それは人の足と荷の流れとして、もっと露骨に形になっている。


 門の前で人が止まる。

 町へ入る前に、何かが引っかかっている。


「……なるほど」


 気づけば、そう呟いていた。


 学院長が隣で聞く。


「何かわかったか」


 俺はまだ門の前を見たまま答えた。


「いえ。まだ仮説です」


 でも、紙の上よりはずっとはっきりしていた。


 ローヴェル伯爵領の問題は、町の奥から始まっているんじゃない。

 もっと手前――人が町へ入る、その前からすでに始まっている。


 馬車は速度を落とし、門前へ近づいていく。


 王の本隊が来る前のローヴェル領。

 まだ取り繕いきれていない、その顔。


 資料の上では違和感だったものが、現地ではもう、目に見える綻びになっていた。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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