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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第10章 王立学院一年 二学期

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第112話 視察の予習

 視察の日程が近づいてきた、ある日の放課後。


 授業を終えた俺は、寄り道をせずそのまま図書室へ向かった。


 王立学院の図書室は、昼間の教室とは空気が違う。

 高い天井まで届く本棚。

 細長い窓から差し込む夕方の光。

 紙と革と、少し乾いた木の匂い。


 話し声もほとんどなく、ページをめくる音だけが静かに響いている。


 奥の空いた机に資料を広げる。

 学院長から渡されたローヴェル伯爵領の資料と、図書室から借り出した王国東部の地図、街道史、宿場運営の記録集、近年の領地税制に関するまとめ本。


 こうして並べてみると、完全に勉強というより調査だ。


「さて……」


 小さく呟いて、まずは地図から見直す。


 王都から東へ。

 街道は途中でいくつかの分岐を持ち、その一つがローヴェル伯爵領へ流れ込む。

 さらにその東隣には、ベイルン家――ガイルの実家の領。


 位置だけ見れば悪くない。

 むしろかなり良い。


 視察対象になるくらいだ。

 王都に近く、王国東部の流れにも乗れる。

 伯爵領としての規模も中堅。


 これなら、もっと伸びていてもおかしくない。


 ページをめくる。


 《綻び:街道流通量と宿場規模の不一致》


 やはり、そこが最初に浮かぶ。


 さらに税収表へ視線を落とす。


 《綻び:人口推移に対する徴税効率の低下》


 もう一枚。

 町の配置図。


 《綻び:生活導線と商業導線の乖離》


 最後に、宿と市場の簡易記録。


 《綻び:滞在者数に対する滞留率の低さ》


「……来てるのに、残らない」


 思わず言葉が漏れた。


 人は来る。

 荷も通る。

 でも町に熱が残っていない。


「やっぱり、一人で難しい顔してたわね」


 顔を上げると、いつの間にかセレナが立っていた。


「来ると思ってた?」


「少しだけ」


「正解」


 セレナは軽く肩をすくめて、俺の向かいに腰を下ろした。

 手には数冊の本がある。しかも全部、領政とか都市運営とか、その手の題名だ。


「ずいぶん本気だな」


「あなたが図書室に来る時点で、遊びじゃないもの」


 当然でしょう、とでも言いたげな顔だった。


「で、どこまでわかったの?」


「わかったというより、綻びが増えただけかな」


 俺が資料を指で叩くと、セレナは身を乗り出してきた。


「見せて」


 資料と地図を一通り見たあと、彼女は細く息を吐く。


「たしかに妙ね」


「どのへんが?」


「立地のわりに、全部が“足りない”感じがするのよ」


 やっぱり、そう見えるか。


「伸びていないこと自体より、伸びていないのに大きな失政の話が出てこない方が不自然だわ。普通、これだけ鈍ければ誰かの失策として噂になるもの」


「でも、そうじゃない」


「ええ」


 セレナは配置図の上に指を置いた。


「つまり、誰か一人が露骨に失敗したわけじゃない。逆に言えば、誰も“ここが悪い”と断言できない形で停滞している」


 政治の匂いがする言い方だった。


「いたな、やっぱり」


 今度はヴィクトルの声だった。


 振り返ると、片手に薄い帳面を抱えたままこっちへ歩いてくる。

 その後ろにはガイルもいた。


「お前らも来たのか」


「お前一人で資料読んでるだろうなって顔してたからな」


「どんな顔だよ」


「面倒なことに首まで浸かってる顔」


 失礼だな、と思ったが、たぶん当たっている。


 ヴィクトルは俺の隣へ座ると、机の上の資料を見た。

 ガイルは椅子を引く前に地図へ目を落とす。


「ローヴェルか」


 その短い声に、俺とセレナが同時に顔を上げた。


「何か知ってる?」


 聞くと、ガイルは少しだけ考えてから答えた。


「通ったことはある。何度もではないが」


「どういう印象?」


「……薄い」


「薄い?」


 ヴィクトルが眉をひそめる。


 ガイルは頷いた。


「悪い町ではない。荒れてもいない。だが、妙に印象が残らない」


 それは、たしかに変な表現だった。


「町に活気がないってこと?」


「そうとも少し違う」


 ガイルは言葉を選んでいるらしかった。


「人はいる。荷馬車も通る。宿も店も見える。だが、なぜか“ここで止まりたい”とは思わなかった」


 その言い方に、俺の中で何かが引っかかる。


 来る。

 見える。

 でも止まりたくならない。


「俺の方からも一つ」


 ヴィクトルが持ってきた帳面を開いた。


「これは実家経由で見た、王都東方の商流まとめの写しだ。ざっくりした数字だけだが、ローヴェルの名前は何度も出てる」


「何かわかるの?」


「はっきり言えば、荷は通ってる」


 ヴィクトルは指で行を追う。


「でも、商会の中じゃ“腰を据えるには弱い場所”って見方が多い。支店を大きく置くほどじゃない。倉庫を持つにしても中途半端。宿場としても一泊二泊で稼げる熱が薄い」


「人と荷はあるのに?」


「だから変なんだよ」


 ヴィクトルは肩をすくめる。


「普通、街道の流れがあるなら商売の熱もついてくる。でもローヴェルは、通過点にはなっても、目的地にはなっていない」


 ガイルの「止まりたくならない」と、妙に重なった。


「つまり」


 俺は地図と帳面を見比べながら言う。


「流れはある。でも残らない」


「そういうこと」


 そこで、少し離れた本棚の影からナディアが歩いてきた。


 最初からこの辺りにいたのか、それとも今来たのかはわからないが、表情を見る限り、ある程度は話を聞いていたらしい。


「皆さま、やはりこちらにいらしたのですね」


 相変わらず柔らかく丁寧な口調だ。


「ナディアも?」


「はい。リオンさんが図書室へ向かわれたと聞きましたので」


「……なんかもう、みんな普通に集まるな」


 俺が言うと、セレナが即答した。


「あなたが一人で考え始めるとろくなことにならないからよ」


「その言い方はひどくない?」


「半分は本当だろ」


 ヴィクトルが横から言う。


 否定しきれないのが少し悔しい。


 ナディアは、今までの話を一度静かに聞き終えてから、そっと口を開いた。


「皆さまのお話をまとめると、ローヴェル領は“悪い領”というより、“何かが噛み合っていない領”に思えます」


 その一言で、机の上の空気が少しだけ整理された気がした。


「悪政や戦乱で疲弊した領なら、もっとわかりやすいはずです。ですが、そうではない。人も物も来ているのに、そこから先へうまく繋がっていないように聞こえます」


「そうね」


 セレナが頷く。


「どこか一つが壊れてるなら、もっと話は早いのよ。でもローヴェル領は、全部が薄く鈍い感じがする」


 その時だった。


「図書室で集会か?」


 低い声がして、振り向く。


 エドガーだった。


 いつものようにきっちりした姿勢で立っているが、目だけは少し面白がっているように見える。


「王子まで来たか」


 ヴィクトルが言うと、エドガーは軽く眉を動かした。


「その呼び方はやめろと言ったはずだが」


 そう言って、エドガーも机の端に立った。

 座らないあたりが、いかにもこいつらしい。


「ローヴェルの予習か」


「知ってる範囲で、何か聞いてない?」


 俺が聞くと、エドガーは少しだけ考えた。


「全部は知らない。だが、王宮で出ている話ならある」


 空気が静かになる。


「ローヴェル伯爵家の報告自体に、大きな不備はないそうだ。収穫は極端に悪くない。治安も破綻していない。反乱の芽もない。帳簿上は、“物足りないが問題とは言いきれない領”に見える」


「なのに父上――いや、王が行く」


「そうだ」


 エドガーは短く答えた。


「王宮で出ていたのは、“数字のわりに現地の手応えが鈍い”という言い方だった」


 それは、なんとも嫌な表現だ。


「数字のわりに?」


「うん」


 エドガーは頷く。


「本来ならもっと活気があっていい。もっと税が伸びてもいい。もっと商いが熱を帯びてもいい。なのに、そうなっていない。誰かが露骨に失敗しているわけでもない。だから、余計に気味が悪い」


 さっきセレナが言ったことと、かなり近い。


「父上は、こういう“説明のつかない鈍さ”を嫌う」


 エドガーはそう言った。


「誰かの報告を聞いて終わるより、自分で見た方が早いと判断したんだろう」


 なるほど。


 王がわざわざ行く理由としては、たしかに筋が通る。


 机の上の資料へ、もう一度視線を落とす。


 街道流通量と宿場規模の不一致。

 人口推移に対する徴税効率の低下。

 生活導線と商業導線の乖離。

 滞在者数に対する滞留率の低さ。


 一つ一つだけ見れば、まだ断定はできない。

 でも、みんなの話を重ねると、なんとなく輪郭だけは見えてくる。


 ローヴェル領は、人も物も来ている。

 なのに、町がそれをうまく受け止められていない。


 あるいは、受け止める前にどこかで流してしまっている。


「現場を見なければ、やっぱり断定はできないな……」


 俺がそう言うと、ガイルが頷いた。


「見るべきは町そのものだけじゃない。町へ入る前と、出た後も見た方がいい」


「俺もそう思う」


 ヴィクトルが続く。


「町の中だけ見てると、ただ“活気が薄い”で終わるかもしれない。でも商売って、来る前と去る時に本音が出るからな」


「政治の話も同じよ」


 セレナが腕を組む。


「見せたい場所だけ見ても意味がないでしょうね。誰がどこに立って、何を言い、何を隠すか。そちらも見ないと」


「皆さまのお話を聞いていると」


 ナディアが静かに言う。


「なおさら、一人で見るには惜しい気がしてきますね」


 その言葉に、少しだけ間が空いた。


 たぶん、全員が同じことを思ったからだ。


 最初に口にしたのは、やっぱりヴィクトルだった。


「……というか、それ、俺たち全員で見に行った方が早くないか?」


 セレナが小さく笑う。


「商い、地理、政治、王宮側の空気。たしかに、この場の顔ぶれで見た方が得るものは多そうね」


「そうですね」


 ナディアも穏やかに頷いた。


「少なくとも、そう思ってしまうくらいには気になる領です」


 エドガーはすぐには何も言わなかった。

 でも否定もしなかった。


 俺は資料の上に指を置いたまま、静かに息を吐く。


 たしかにそうだ。


 このメンバーで現地を見られたら、たぶんもっと早く輪郭が掴める。

 誰か一人の視点じゃなく、それぞれの見方を重ねた方がいい。


 だが実際に行くのは、今のところ俺だけだ。


「とにかく、今はできるだけ頭に入れておくしかないか」


 そう言うと、ヴィクトルが頷いた。


「まあな。どうせお前なら、現地でまた厄介なもの見つけるんだろ」


「見つけたくて見つけてるわけじゃないんだけど」


「でも見つける」


「否定はしない」


 それに、たしかに今は予習の段階だ。


 断定はできない。

 決めつけてもいけない。


 でも、資料とみんなの話を重ねたことで、見に行くべきものは少し増えた。


 人の流れ。

 町の入口。

 宿場。

 市場。

 税の拾い方。

 町の中と外の空気。


 そして、王がわざわざそこへ他の貴族を連れて行く理由。


 その答えは、たぶんまだ机の上にはない。


 夕方の光はいつの間にか薄くなり、図書室の窓は深い橙色に染まり始めていた。

 机の上の紙にも、長い影が落ちている。


 俺は資料を閉じず、もう一度最初のページへ戻した。


 予習だけで全部がわかるほど甘くはない。

 でも、まったく見当違いのまま行くのとも違う。


 ローヴェル伯爵領は、どうやら一筋縄ではいかなさそうだ。


 そんなことを考えながら顔を上げると、机を囲むみんなの表情もどこか似ていた。


 次に本当に必要なのは、たぶん――現地を見る目だ。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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