第114話 ローヴェル伯爵
ローヴェル領都へ入ったその足で、俺と学院長は伯爵邸へ向かった。
領都の中心部に建つ邸は、いかにも中堅伯爵家らしい造りだった。
広すぎず、狭すぎず、古さはあっても荒れてはいない。正面の石段も磨かれているし、門番の立ち方にも隙はない。
ただ、どこか印象が薄い。
豪奢でもなければ、強い個性もない。
悪く言えば無難、良く言えば堅実。そんな空気が邸全体に漂っていた。
応接室へ通され、少し待つとローヴェル伯爵本人が姿を見せた。
「ようこそお越しくださいました、学院長殿」
年の頃は父上より少し上だろうか。
痩せても太ってもいない、中肉中背。目元は柔らかく、出てきた瞬間に威圧感を振りまくタイプではない。
学院長が立ち上がり、簡潔に挨拶を返す。
俺もそれに続いた。
「初めまして、ローヴェル伯爵。ハル子爵家嫡男、リオン・ハルです」
「リオン君か。噂は耳にしているよ」
伯爵はそう言って、ほんの少し笑った。
目つきに嫌味はない。
少なくとも、俺を変に持ち上げようとか、探ろうとかいう感じではなかった。
「まだ若いのに、ずいぶん忙しくしているらしいね」
「いえ、できることをしているだけです」
「その“できること”が人より多いのだろう」
言い方も穏やかだった。
この人は、たぶん悪人じゃない。
そう思った。
ただ同時に、この人が自分から何かを大きく変える姿も、あまり想像できなかった。
学院長は形式的な言葉をいくつか交わしたあと、すぐに本題へ入った。
「本隊の到着は明朝と伺っております」
「はい。その予定です」
「では、それまでの間に領都を少し見せていただきたい。表向きな案内ではなく、普段の空気が見えれば十分です」
伯爵は少し驚いたようだったが、嫌な顔はしなかった。
「それはもちろん構いません」
むしろ、ほっとしたようにすら見えた。
「王のご視察となると、どうしても皆が硬くなります。整えるべきところは整えておりますが……その前に見ておかれたい、というお気持ちもわかります」
その言い方に、俺は小さく引っかかった。
整えるべきところは整えている。
それ自体は間違っていない。だが裏を返せば、この人は“整える”ことはできても、“変える”ことには慣れていないのかもしれない。
「ご許可いただけるなら、ありがたい」
学院長が言うと、伯爵はすぐに頷いた。
「どうぞご自由に。ただ、何か不都合があれば遠慮なく仰ってください。隠し立てするつもりはありません」
それも本心なのだろう。
やっぱり、この人は悪くない。
悪くないが――それだけで領が伸びるわけでもない。
面会を終えて邸を出た時点で、俺の中の伯爵像はだいたい固まっていた。
善良。穏やか。礼儀もある。
だが、変化を押し切る胆力は薄そうだ。
◇
学院長と二人で、改めて領都を歩く。
昨日、門前で見た違和感は、昼の光の中だとさらにわかりやすかった。
町へ入る人間はいる。
荷も来ている。
だが、その流れが妙に鈍い。
門をくぐる直前で足を止める旅人。
荷台の紐を結び直す商人。
中へ入るかどうかを測っているみたいな空気。
昨日は見た目の印象だった。
今日は、その動きの不自然さがはっきり見える。
門を抜けたあとの大通りは、整ってはいた。
石畳に目立つ割れはなく、通りも汚れすぎていない。店も閉まりきってはいない。
でも、やはり熱が弱い。
宿場へ近づいても、昨夜途中で泊まった宿場のような“留まり”がない。
人が腰を落ち着ける空気が薄い。
学院長が横で聞く。
「どう見える」
「人はいます」
「それは誰でも見ればわかる」
「でも、残っていない」
学院長は黙って先を促した。
「街道の流れはちゃんとあるのに、それが領都の力に変わりきっていない感じがします。町の中に人がいるのに、町が人を受け止めきれていないというか……」
自分で言っていて、まだ輪郭は曖昧だ。
だが、完全に見当違いでもない気がしていた。
市場へ回る。
野菜も肉も布も、最低限は揃っている。
住民が日々の暮らしを回すには十分だろう。
けれど、街道の要衝らしい広がりがない。
外からの流れを吸って膨らんでいく町の市場ではなく、領民の生活を支えるための市場で止まっているように見える。
水場も見た。
住民にとっては使いやすい位置なのだろう。女たちが桶を持ち、子どもが走り、生活の流れとしては自然だ。
だがその流れと、旅人や商人の動きが妙に交わらない。
住民の町と、外から来る者の町が、うまく重なっていない。
俺が足を止めて地図の写しを見ていると、学院長が静かに言った。
「断定はするな」
「はい」
「だが、違和感は忘れるな。現地に来る価値は、そこにある」
「……はい」
町の外縁も歩いた。
そこでも、何かが薄くずれている感触は消えなかった。
荒廃しているわけじゃない。
町が死んでいるわけでもない。
それなのに、伸びきらない。
資料の綻びが、現地の空気と少しずつ繋がっていくのを感じていた。
◇
夕方が近づくにつれて、領都の空気は少しずつ変わった。
町そのものが別物になるわけじゃない。
たった半日で街路の形が変わるはずもない。
変わるのは、人の立ち方だ。
門前の兵がいつもより姿勢を正し、役人たちの足取りが無駄に速くなる。
店先も、普段より少しだけ整えられている。
誰かが急に豊かになったわけじゃない。ただ“見られる準備”をしているだけだ。
学院長と俺は一度伯爵邸へ戻り、そこで本隊到着を待つことになった。
陽が傾ききる少し前、外が急に騒がしくなる。
「来たようですな」
邸の執事がそう告げた。
学院長が立ち上がる。
俺もそれに続いた。
門前へ出ると、ローヴェル伯爵とその家臣たちがすでに整列していた。
その向こうから、本隊が見える。
先頭は騎兵。
続いて王家の旗。
重すぎず、だが軽くはない列。王の移動だと一目でわかる。
その中心にある馬車は、学院長のものより一段格が高かった。
華美というより、誰が乗っているかを示すための威厳がある。
列が止まり、侍従が動く。
そして王が姿を現した。
王は今年四十五歳らしい。
若々しいという年ではないが、衰えたというには早い。背筋が伸び、顔色も良い。なにより目がよく動く。立った瞬間から、すでに周囲を見ていた。
その横に立つ若い男が第一王子なのだろう。
エドガーとはだいぶ違った。
よく喋りそうな顔をしているし、実際、馬車を降りた直後から側近へ二言三言何かを指示している。動きに迷いがない。
――あれが第一王子か。
アルフレッド・アルスレイン。
昨年学院を卒業した、王太子。
もちろんSクラスだったそうだ。
ローヴェル伯爵が一歩前へ出て、深く頭を下げる。
「陛下、このたびはローヴェルへお越しいただき、誠に光栄に存じます」
「急な視察だ。気を遣わせたな」
王はよく通る声でそう言った。
静かに圧を出すタイプではない。むしろ場を動かす声だ。だが軽くはない。気安く見えるのに、誰も本当に気安くは接せられない。そういう不思議な重さがあった。
学院長が進み出て、正式に挨拶する。
「お招きに応じ、先行して参りました」
「うん、ご苦労。早くから入ってもらえたのは助かる」
王は学院長に対して、旧知の者へ向けるような口調で応じた。信頼があるのがわかる。
そして、その視線が俺へ向く。
「君がリオン・ハルだな」
思ったより自然な言い方だった。
俺はすぐに一歩進み、頭を下げる。
「ハル子爵家嫡男、リオン・ハルです。本日は随行の機会をいただき、ありがとうございます」
「そう固くならなくていい。……と言っても難しいか」
周囲が少しだけ和む。
「私はレオンハルト・アルスレイン。この国の王だ。まあ、見ての通り、堅苦しい場でも黙ってばかりはいられん性分だ」
その口調は気さくにも聞こえたが、軽くはなかった。
むしろ、よく喋るからこそ、その場を自分のものにしてしまうような強さがあった。
「ハル領の話は聞いている。ヴァレスト公爵からも、宰相からも、エドガーからもな」
その名前が並んだ瞬間、俺は少しだけ背筋を正した。
「今回、学院長に君を同行させてもらったのは、少し見てみたかったからだ。机の上で賢い若者はいくらでもいる。だが、小さくても実際に流れを動かした者はそう多くない」
横で第一王子が口元を緩める。
「父上がそこまで言うのは珍しいですよ。私は君の顔を見る前から少し興味があった」
やはり、よく喋る。
だが軽口のようでいて、観察している感じがある。
エドガーが“黙って見る”なら、この人は“喋りながら測る”人だ。
「アルフレッド・アルスレインだ。改めてよろしく、リオン君」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
そう返したところで、横から妙に甘い声が入った。
「陛下、やはり若き才が集まると場が華やぎますな」
グレイヴ侯爵だった。
にこやかだ。
丁寧だ。
いかにも王に忠実であるかのような顔をしている。
だが、俺へ向ける視線だけが一瞬だけ冷えた。
ほんの一瞬だけだ。気づかない人間なら見落とすくらい。
だが見えた。
王は侯爵の言葉を軽く受け流し、すぐに領都の方へ顔を向けた。
「さて」
その一言で空気が締まる。
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