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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第10章 王立学院一年 二学期

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第110話 積み重ねる日々

 翌朝、俺はまだ空が白みきる前に目を覚ました。


 男子寮の中は静かだ。

 廊下にも人の気配はほとんどなく、窓の外から朝の冷たい空気がわずかに入り込んでくる。


 顔を洗い、軽く身支度を整えてから、いつものように外へ出た。


 二学期が始まって数日。

 学院の生活リズムは、もう少しずつ身体に戻りつつある。


 中庭の隅、人の少ない場所で木剣を抜く。

 足を開き、呼吸を整え、ゆっくりと一振り。


 夏休みの間、ノルに叩き込まれた感覚はまだ身体に残っていた。

 ただ数を振るんじゃない。

 足の運び。

 腰の向き。

 肩に余計な力が入っていないか。

 剣先がぶれていないか。


 ひとつひとつを確かめるように動く。


 それから踏み込み。

 切り返し。

 半歩引いて、もう一度踏み込む。


 息が少しずつ上がってくる頃には、東の空がようやく薄く明るくなっていた。


「朝から熱心だな」


 後ろから声がして振り向くと、ガイルが立っていた。

 いつの間に来たのか、腕を組んだままこちらを見ている。


「ガイルも早いね」


「目が覚めただけだ」


 そう言いながらも、その格好を見る限り、こいつも少しは身体を動かす気だったんだろう。


「見るか?」


「少しだけな」


 ガイルは短く答え、少し離れたところで俺の動きを眺め始めた。


 人に見られると、雑な動きはできない。

 もう一度呼吸を整え、そこからしばらくは無言で木剣を振った。


 最後の一振りを終えて木剣を下ろすと、ガイルが小さく言った。


「前より無駄が減ったな」


「そう?」


「少なくとも、前みたいに勢いだけで振ってはいない」


 それは、たぶん褒め言葉なんだろう。


「ありがとう」


「礼を言うほどでもない」


 相変わらず短い。

 でも、こいつなりにちゃんと見ているのはわかった。


 寮へ戻る頃には、朝の鐘が鳴る少し前だった。


 ◇


 朝食の席には、すでにヴィクトルがいた。


「遅い」


「遅くないよ。ちょうどいいくらいだろ」


「自主鍛錬なんてするからだ」


 そう言う本人は、まだ少し眠そうだった。


「お前も起きればいいのに」


「商人に早朝の素振りは必要ない」


「でも朝食はしっかり食べるんだな」


「そこは大事だ」


 ヴィクトルが真顔で答えると、向かいに座ったガイルが短く鼻を鳴らした。


「結局、朝からよく食う」


「食わないと午前の授業で死ぬだろ」


「死なん」


「お前は死ななくても俺は死ぬ」


 そんなやり取りをしながら、三人で朝食をとる。


 寮の朝食は王都らしくきちんとしているが、ハル領の家で食べていたものと比べると、どこか整いすぎている気もする。

 でも、それはそれで悪くない。


「二学期って、やっぱり一学期より重いよな」


 パンをちぎりながらヴィクトルが言う。


「授業のこと?」


「それ以外に何がある。教師どもが“基礎は終わった”みたいな顔してくる」


「まあ、それはそうだろ」


「お前は平気そうで腹立つな」


 俺は少しだけ笑った。


「平気というか、やるしかないからね」


 実際、その通りだった。


 この世界にはスマホもゲームもない。

 働きながら通っているわけでもない。

 だから時間の使い方さえ間違えなければ、予習復習の時間は十分に確保できる。

 卓上灯があるから勉強する環境も十分といえるだろう。

 

 夏休みの間は領のことで忙しかったが、学院に戻れば今度は学院での生活をきちんと回すだけだ。


 食事を終え、三人で教室へ向かう。


 王都の朝の空は高く、校舎の石壁はまだ少しだけ冷たかった。


 ◇


 午前の授業は、数学、魔法理論、王国史だった。


 二学期に入って、たしかに内容は一段階重くなっている。

 教師たちも、一学期のように基礎を噛み砕いてはくれない。


 だが、今のところ困るほどではない。


 数学では、式そのものより、途中の整理の仕方が少し複雑になった。

 魔法理論では、属性の安定性や持続効率の話が増えた。

 王国史も、ただ年代や出来事を覚えるだけじゃなく、なぜその政策が行われ、何がうまくいき、何が失敗したのかを考えさせられる。


 夏休み前までなら、授業の内容はどこか遠かった。

 今は違う。


 数学は帳簿や数量管理とつながるし、魔法理論は街灯や温泉の実用化と重なる。

 王国史で語られる政策の成否も、領地運営の話として前よりずっと生々しく感じられた。


 授業が終わるごとに、必要なところを短く書き留める。

 あとで見返しやすいように、要点だけを拾っていく。


 そうして午前が終わると、昼休みになった。


 ◇


 昼は、いつものメンバーで食堂の一角に集まった。


 セレナは今日も背筋がぴんと伸びているし、ナディアは静かに席につく。

 エドガーも自然に同じ卓についた。


 先に口を開いたのはヴィクトルだった。


「そういえば、来月の視察までに何を準備するんだ?」


「何を、って?」


「服とか靴とか、そういうのもあるだろ。王の前に出るんだから」


「ああ……」


 たしかにそういう問題もある。


 セレナが少し考えるように言った。


「服装は学院側からある程度指示が出るんじゃないかしら。むしろ勝手に飾り立てる方がまずいと思うわ」


「それもそうか」


「旅装と正装の中間、くらいになるかもね」


 ナディアが静かに言う。


「動けないと困りますし、でも軽すぎても駄目そうですね」


「面倒だな」


 ヴィクトルがすぐに言った。


「商人はそのへん楽でいい」


「お前はお前で、変なところで高い布使うだろ」


「見栄えは大事だからな」


 そこでガイルが、淡々と口を挟む。


「靴だ」


「ん?」


「服より靴を気にしろ。馬車で移動しても、視察先で歩くなら足が死ぬ」


 その言い方に、少し笑いそうになる。


「経験あるの?」


「ある」


 短いが、妙に重みがあった。


 エドガーも珍しく同意する。


「それは正しい。服は多少どうにでもなるが、足回りは大事だぞ」


「じゃあ、先に靴を見た方がいいか」


「そうね」


 セレナが頷く。


「視察前に一度、王都の靴屋へ見に行くといいわ」


 話題はそのまま、旅の支度や王都の店の話へ流れていった。


 どの店が融通が利くとか、靴職人の腕がどうとか、寮生活の中ではあまり出てこないような話をしているのに、空気そのものは重くない。


 内容は本当に他愛ない。

 でも、こういう時間があると、学院に戻ってきたのだと実感する。


 昼食を終える頃には、午後の鐘が近づいていた。


 ◇


 午後の授業も、いつも通りに進んだ。


 眠くなるほど退屈でもなく、気を抜けるほど簡単でもない。

 ちょうどいい重さの課題と説明が続く。


 視察の件が頭の片隅にないわけじゃない。

 でも、今考えても答えが出るものでもない。


 だから、目の前の授業を受ける。

 必要なことを聞いて、覚えて、あとで整理する。


 やるべきことをやる。

 それだけだ。


 授業が終わり、男子寮へ戻る頃には、もう日が傾き始めていた。


 部屋に戻る前、廊下でヴィクトルが振り返る。


「お前、今夜も資料読むのか?」


「読むつもり」


「ほどほどにしろよ。考えすぎると余計に眠れなくなるぞ」


「それはお前だろ」


「否定はしない」


 ガイルはそれだけ聞いて、短く言った。


「寝不足で行っても意味はない」


「わかってるよ」


 軽く手を上げて別れ、それぞれ自室へ戻った。


 ◇


 夕方から夜にかけては、いつものように予習と復習に使った。


 今日の授業の要点を整理し、明日の範囲へ軽く目を通す。

 数学の途中式を確認し、魔法理論の注釈を書き写し、王国史の重要な流れを頭の中で並べ直す。


 地味だが、こういう作業をしておくと後が楽になる。

 結局、積み重ねるしかない。


 夜ご飯を食べ終える頃には、寮の中もかなり静かになっていた。


 部屋へ戻り、机の上に学院長から渡された資料を広げる。


 ローヴェル伯爵領。


 最初のページは地図だった。

 王都から東へ伸びる街道。領都の位置。周辺村落。河川。街道分岐。

 次は人口。

 主要産業。

 税収の推移。

 宿場町の規模。

 行商人の往来記録。


 一見すると、普通だ。

 むしろ悪くないように見える。


 王都から二日。

 街道も通る。

 伯爵領としての規模も中堅。

 これならもっと伸びていてもおかしくない。


 ページをめくった、その時だった。


 視界の端に、淡い文字が浮かぶ。


 《綻び:街道流通量と宿場規模の不一致》


 手が止まる。


「……やっぱりか」


 小さく呟いて、もう一度そのページを見直す。


 さらに次。

 税収表。


 《綻び:人口推移に対する徴税効率の低下》


 もう一枚。

 水場と町の配置図。


 《綻び:生活導線と商業導線の乖離》


 次のページ。

 宿と市場の簡易記録。


 《綻び:滞在者数に対する滞留率の低さ》


 思わず椅子に深く座り直した。


 一つ一つは、決定的ではない。

 だが、どのページにも小さなズレがある。

 まるで、表面だけは整っているのに、細部を見ればどこも少しずつ噛み合っていないみたいだ。


 資料を閉じることはせず、最初のページへ戻る。


 一晩で軽く読んで済むものじゃない。

 これはちゃんと時間をかけて読み解く必要がある。


 外では、夜の風が窓をわずかに鳴らしていた。

 寮の中は静かで、どこかの部屋から紙をめくる小さな音だけが聞こえる。


 一見すると普通に見える。

 だが、細部に目を向けるたび綻びが浮かぶ。


 ローヴェル伯爵領は、思っていた以上に厄介かもしれない。


 机の灯りの下で、俺はもう一度静かに資料へ目を落とした。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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