第109話 同行者の名
放課後、寮へ帰る準備をしている中、再び学院職員に呼び止められた。
「リオン・ハル。学院長がお呼びだ」
前回と同じ職員、同じ無駄のない口調。
二度目ともなると、さすがに教室でざわつかれることも減る。いや、減るというより、周囲が「また何かあるのか」と思うだけで、変に騒がないようになっていた。
俺は短く返事をして、そのまま学院長室へ向かった。
廊下を歩きながら、何となく予想はしていた。
来月の王の視察について、そろそろ詳しい話が来る頃だろう、と。
学院長室の前で一度立ち止まり、扉を叩く。
「入りなさい」
中へ入ると、学院長は机の向こうで書類を見ていた。
俺が一礼すると、顔を上げる。
「度々すまないな。座ってくれ」
「はい」
腰を下ろすと、学院長は手元の紙を一枚脇へどけた。
「前回話した、来月の視察の件だ」
やはりそうか。
「詳細が固まった」
学院長はいつも通り、回りくどい前置きなしで本題へ入る。
「視察先は、王都東方のローヴェル伯爵領だ。馬車で二日ほど。王国東部の中堅伯爵領で、立地も規模も悪くない」
ローヴェル伯爵領。
初めて聞く名ではない。
たしか、王都から東へ抜ける街道の途中にある領だ。人と荷が通るには十分な位置にある。
「東隣には、ベイルン家の領がある」
学院長がそう付け加えた瞬間、ガイルの顔が頭をよぎった。
「表向き、ローヴェル伯爵領に大きな問題はない」
学院長は指先で机を軽く叩く。
「治安が崩壊しているわけでもない。飢えに苦しんでいるわけでもない。反乱の兆しがあるわけでもない」
「ですが、王が視察に行く」
「そうだ」
学院長は頷いた。
「立地に見合うほど町が育っておらず、税収も伸び悩んでいる。商いも人の流れもあるのに、それが領の力に結びつききっていない。そうした“見えにくい綻び”がある」
見えにくい綻び。
その言い方は、妙にわかりやすかった。
壊れているわけじゃない。
だが、うまく回ってもいない。
そういう場所が一番厄介だ。
「王は、それを自分の目で確かめるつもりだ」
学院長はそこで、別の紙を取った。
「今回の視察には、王と王家側の随員、文官、記録官、それにいくつかの貴族家も同行する」
そこまで聞いた時点で、これはもう単なる“現地確認”ではないのだとわかる。
顔触れそのものが、ある種の政治だ。
「具体的な名を伝えておく」
学院長は淡々と読み上げた。
「ルフェン子爵。財務と徴税面での意見役だ。オルド男爵。街道整備と土木に通じている。――そして、グレイヴ侯爵」
その名が出た瞬間、ほんのわずかに指先が止まった。
自分でも気づくくらい、一瞬だけ反応が遅れた。
学院長はそれを見逃さなかった。
「……どうした」
「いえ」
俺はすぐに顔を上げる。
「何かあるのか」
静かな問いだった。
だが、学院長の目はしっかりこちらを見ている。
ほんの一瞬だけ迷ってから、俺は首を振った。
「いえ、たいしたことはないですよ」
それは半分本当で、半分嘘だ。
たいしたことがないわけじゃない。
ただ、ここでわざわざ長く説明するほどのことでもない。
石切り場での青輝石不法採取。
ベルク商会。
その裏にいたグレイヴ侯爵家。
あの時、俺が止めなければ、グレイヴ侯爵領はもっと利益を得ていた可能性がある。
しかも今や青輝石は、卓上灯、携帯灯、さらには街灯の中核資源になっている。
グレイヴ侯爵家からすれば、俺は目障りな存在になっていてもおかしくない。
「そうか」
学院長はそれ以上は追及しなかった。
ただ、ほんの少しだけ俺を見たあと、何事もなかったように話を戻す。
「グレイヴ侯爵家は、近年こうした場によく顔を出している。現当主になってから目立った実績に乏しい分、王の前で存在感を示したいのだろう」
なるほど。
学院長自身は、そこにそれ以上の意味は見ていないらしい。
俺は内心だけで、小さく息を吐いた。
「今回、お前には私の供として同行してもらう」
学院長の声で意識を戻す。
「同行する学生は、お前一人だ」
一人。
改めて言われると、やはり重い。
「学院の代表、ということですか」
「そう思ってよい」
学院長は即答した。
「ただし」
そこで学院長の声が一段低くなる。
「前にも言ったが、これはただの見学ではない。視察先を見る目も必要だが、同時にお前自身も見られる」
昨日の言葉と同じ意味。
だが今日は、同行者の顔ぶれを知ったあとだから、より重く感じた。
王。
学院長。
文官。
貴族たち。
そして、その中にグレイヴ侯爵。
たしかに、これは“見に行く”だけの話じゃない。
「承知しました」
俺は短く答えた。
「自分にどこまで務まるかはわかりませんが、現場を見る機会として、できる限り学びます」
「よろしい」
学院長は頷く。
「出発までまだ日がある。この資料を渡す。ローヴェル伯爵領についてまとめたものだ。最低限の数字と地図は目を通しておいて欲しい」
「はい」
「私から伝えることは以上だ」
立ち上がり、一礼して学院長室を出た。
扉が閉まると、廊下の静けさがやけに耳に残る。
ローヴェル伯爵領。
中堅伯爵領。
東部。
王都から二日。
そして、そこに顔を出すグレイヴ侯爵。
視察先のことより、その同行者の名の方が頭に引っかかっていた。
ただの見学で終わる気がしない。
そんな予感だけが、妙にはっきりしている。
廊下の窓から差し込む夕方の光が、長く床に伸びていた。
学院の中はいつもと同じように静かで、遠くから生徒たちの声が少しだけ聞こえる。
なのに、自分の周りだけ空気が少し変わった気がした。
夏休み前までは、試験や実技で結果を出すことが、ここでの自分の役割だった。
でも今は、それだけじゃない。
ハル領でやったことが、もう学院の外へつながっている。
そして来月は、その先を見に行くことになる。
王の視察。
ローヴェル伯爵領。
グレイヴ侯爵。
来月の視察同行は、ただの見学では終わらない気がしていた。
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