第108話 いつもの教室
翌朝、俺が教室へ入ると、いつもの顔ぶれがだいたい揃っていた。
俺が席に着く前に、ヴィクトルが真っ先に口を開く。
「で?」
「で、って何」
「学院長に呼ばれた話だよ。朝まで待ったんだから、もう話せ」
ずいぶん堂々としているが、昨日は寮で会わなかったんだから仕方ない。
俺がため息交じりに鞄を机へ置くと、ナディアも静かにこちらを見た。
「無理にとは言わないけれど……気にはなります」
「俺もだ」
ガイルも短く言う。
セレナは昨日聞いているはずなのに、改めて口を挟まなかった。
たぶん、俺が自分で話すのを待っているんだろう。
俺は一度みんなを見回してから言った。
「来月、王が近隣の領へ視察に行くらしい」
教室の空気が少しだけ締まる。
「学院長が説明役として同行することになってて、その供として俺にも来てほしいって」
「……は?」
最初に反応したのはヴィクトルだった。
「お前、いきなり話が重いな」
「俺もそう思ったよ」
「数日は授業を外れる。でも公休扱いだってさ」
ナディアが目を瞬かせる。
「本当に、ただ事じゃなかったのですね」
ガイルは腕を組んだまま黙っていたが、その目は少しだけ細くなっていた。
そこで、意外にも先に口を開いたのはエドガーだった。
「その件なら、僕もある程度は知っていた」
やっぱり、と思う。
王家の人間なんだから当然かもしれない。
ヴィクトルがすぐにそちらを見る。
「知ってたのかよ」
「王が動く話だ。全部を自由に話せるわけじゃないけどな」
エドガーは落ち着いた声で続ける。
「ただ、単なる慰問や形式だけの訪問ではない。視察先は、表向きには大きな問題のない領だが、内情は少し違うらしい」
「少し違う、ねえ」
ヴィクトルが椅子に深く腰掛け直す。
「いかにも面倒そうな言い方だな」
「実際、軽い話ではないと思う」
エドガーはそこで言葉を切った。
それ以上は、さすがにここでは話せないということだろう。
すると、今度はガイルが低い声で言った。
「今回の視察は俺の実家の領に近い場所だ」
全員の視線がガイルに集まる。
「知ってるのか?」
「詳しくはない」
ガイルはそう前置きしてから続けた。
「だが、噂なら聞いたことがある。立地は悪くない。王都も近い。人も物も通る。なのに、町が妙に育たんらしい」
「それは……変ね」
セレナが言う。
「普通、王都に近いだけで有利なはずよ」
「そうだ」
ガイルは頷く。
「治安が最悪というわけでもない。飢えているわけでもない。けれど、栄えているとも言いづらい。何が悪いのか、外から見てもはっきりしない領だと聞いた」
「なるほどね」
ヴィクトルが口元に手を当てる。
「一番厄介なやつだ。潰れてる原因が一つなら簡単だが、そうじゃないと面倒くさい」
その言い方は、いかにも商人らしかった。
俺は昨日学院長に言われた言葉を思い出していた。
商い。
治安。
人の流れ。
運営の綻び。
表向きには問題が薄いのに、全体としてうまく回っていない。
たしかに、それは一番ややこしい。
「でも」
ナディアが少し首をかしげた。
「どうしてリオンが選ばれたのかしら」
その問いには、セレナが先に答えた。
「ハル領でやったことがあるからよ」
昨日と同じ口調だったが、今朝のそれは少しはっきりしていた。
「街灯も温泉も、結局は人の流れや街の動きに関わる話でしょう。学院長はそこを見ているんじゃないかしら」
「まあ、そう言われた」
俺がそう返すと、ヴィクトルが肩をすくめた。
「納得だな。少なくとも、ここで一番“ただ見学して終わらない”のはお前だ」
「それ、褒めてる?」
「半分はな」
そこで授業開始の鐘が鳴った。
教室の空気が、一度きっちりと日常へ戻る。
だが、今の会話のせいか、俺の中では少しだけ違って見えていた。
来月の視察。
王。
学院長の供。
ただ授業を受け、課題をこなすだけの二学期では、もうなさそうだった。
◇
午前の授業は、歴史、政治経済、魔法理論と続いた。
夏休み前までなら、教科書の文字は教科書の中だけにあるものだった。
だが今は違う。
政治経済の授業で「物資の流れと税の取り方」が出れば、すぐにハル領の帳簿が頭に浮かぶ。
魔法理論で属性の安定性や持続効率の話が出れば、街灯の青輝石や水入りガラスのことを思い出す。
同じ授業のはずなのに、前より実感がある。
教わっていることが、もう“いつか使う知識”ではなくなっていた。
その変化を、たぶん俺自身が一番はっきり感じていた。
昼を挟んで午後になると、今日は課外活動で工房へ向かう日だった。
いつものように工房棟へ移動すると、担当教師がこちらを見て、少し面白そうに口元を動かした。
「来たか、ハル領の街灯職人」
いきなりそれか、と思う。
「職人まではいってませんよ」
「そうか? 報告だけ読むと、十分それらしく見えたが」
教師はそう言って、机の上に置かれた資料を軽く叩いた。
「今日は予定を少し変える」
周囲にいた生徒たちがざわつく。
「ハル領で実用化されたという街灯の話を題材にする。せっかくだ、作った本人に説明してもらおう」
やっぱり、そう来るか。
ヴィクトルが横で小さく笑う。
「頑張れよ」
「他人事だな」
「俺はもう何度か聞いてるからな」
工房へ来ているのは、Sクラスの中でも比較的この手の課外活動を選ぶ面々だった。
ヴィクトル、ガイル、ナディア、セレナもいる。
教師は腕を組んで俺を見る。
「街灯そのものの話も面白いが、今日は一つ、特に気になることがある」
「何ですか」
「灯具に水を入れたガラス容器を使うことで、通常よりかなり明るく見えるようにしたそうだな」
そこか。
「聞けば、光源そのものを大きく強めたわけではないらしい。では、なぜそう見えるのか。説明できるか?」
周囲の視線が集まる。
ただ作れただけでは足りない。
昨日も学院長に言われたが、ここでもまた別の意味で試されている気がした。
俺は少し考えてから口を開く。
「光そのものを増やしたわけじゃありません」
教師が頷く。
「続けろ」
「青輝石の光を、そのままむき出しで使うと、光が散りやすいんです。明るくは見えても、必要な方向にうまく届かない」
工房の机に置かれていた小さな灯具を手に取る。
「でもガラスで包んで、その中に水を入れると、光の広がり方が少し変わります」
「変わる、とは?」
教師が聞く。
「まっすぐ抜けるだけじゃなくて、広がる方向が整いやすい。要するに、同じ光でも足元や通りに届きやすくなるんです」
ナディアが首を傾げた。
「光の向きが、少し扱いやすくなるということ?」
「うん。増やしたというより、使い方を良くした感じかな」
「なるほど……」
セレナが静かに呟く。
「同じ灯りでも、見せ方で街の明るさそのものが変わるのね」
「そういうこと」
そこでガイルが腕を組んだまま言った。
「つまり、少ない魔力でも広く照らせるようにしたわけか」
「かなりざっくり言えばそうだね」
「それならわかる」
やはりガイルは、細かい理屈を全部追わなくても本質を掴むのが早い。
ヴィクトルも口を挟む。
「商売で言えば同じ元手で見栄えを良くしたようなもんだな。余計な損が減る」
「お前の例えはだいたい金に寄るな」
「間違ってないだろ」
教師はそのやり取りを聞きながら、口元にわずかな笑みを浮かべていた。
「いい」
短く言う。
「作っただけでは技術とは言いきれん。人に伝え、再現できて初めて技術になる」
その言葉は、少し胸に残った。
たしかにそうだ。
俺がわかっているだけでは意味がない。
街灯を広げるなら、人に教え、理解させ、再現できる形にしなきゃいけない。
「ハル領で起きたことを、ここで言葉にできるなら無駄ではなかったということだ」
教師はそう言って、今度は他の生徒たちへ向き直る。
「お前たちも聞いただけで終わるな。技術とは、仕組みと再現性だ。思いつきではない」
そこで課外活動は、街灯を題材にした小さな議論へ移った。
どうすれば少ない魔力で長く灯せるか。
ガラスの厚みを変えたらどうなるか。
屋外と屋内で形をどう変えるか。
いつもの工房の時間のはずなのに、今日は妙に空気が濃い。
俺の夏休み中の出来事が、もう学院の中でも“外で起きた話”じゃなく、学ぶべき題材として扱われ始めている。
その事実が、少し不思議で、少しだけ落ち着かなかった。
課外活動が終わり、工房棟の外へ出ると、夕方の風が少し涼しかった。
空を見上げたところで、横にセレナが並ぶ。
「ねえ」
「何?」
「来月の視察」
やっぱりそこへ戻るか、と思う。
「うん」
「たぶん、あなたが思っているより面倒なことになるわよ」
昨日と同じような静かな言い方だった。
でも今度は、少しだけ確信が混じっている。
「そう思う?」
「ええ。王が動く。学院長が同行する。そして、そこへあなたが連れて行かれる」
セレナはまっすぐ前を見たまま言う。
「ただの見学で済むはずがないでしょう」
その言葉は、やけに素直に胸に落ちた。
学院の日常は戻ってきた。
授業も課外活動も、ちゃんとここにある。
でも、その日常の先には、もう別の流れが見えている。
来月までに、もっと見えるものを増やしておきたい。
工房棟の前で立ち止まりながら、俺は少しだけ長く息を吐いた。
二学期は始まったばかりなのに、どうやらのんびりしている暇はなさそうだった。
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