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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第10章 王立学院一年 二学期

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第107話 学院長からの依頼

 学院職員に呼ばれて教室を出ると、廊下の空気が少しだけ冷たく感じた。


 二学期初日。

 まだどの教室も、夏休み明けのざわつきを引きずっている。

 再会を喜ぶ声。休み中の話を交わす声。そんなものが石の壁に反響していた。


 だが、職員の後ろを歩くうちに、それも少しずつ遠ざかっていく。


 学院長。


 わざわざ教室まで人を寄越して呼び出す以上、軽い用件じゃない。

 夏休みの間にハル領で起きたことが学院側に伝わっているのか、それとも別の何かか。


 考えても答えは出ない。

 俺は黙って職員の後について歩いた。


 案内された学院長室の前で、職員が扉をノックする。


「連れてきました」


「入ってくれ」


 低く落ち着いた声が返る。


 職員に続いて中へ入ると、学院長室は相変わらず無駄のない部屋だった。

 重厚な机。整然と並んだ棚。窓から差し込む昼の光。飾り気は少ないが、それがかえってこの部屋の重みを強くしている。


 学院長は机の向こうに座ったまま、こちらを見た。


「リオン・ハル、新学期早々すまないな」


「いえ、失礼します」


 勧められるまま椅子に腰を下ろす。

 職員は一礼して部屋を出ていった。


 扉が閉まると、学院長はすぐに本題へ入った。


「夏休み中の働きは聞いている」


 思わず、少しだけ背筋が伸びる。


「ハル領の街灯、西の森の開拓、公衆浴場の整備。それに、領地運営の仕組み作りにまで手をつけたそうだな」


「……ある程度、です」


「謙遜はよい」


 学院長は手元の紙に一度視線を落としてから、再び俺を見た。


「多くの生徒は、ここで学んだことを卒業後に生かす。だが、お前は在学中にそれを試し、実際に結果を出した」


 その言葉は、褒めているようにも聞こえた。

 けれど、ただ褒めて終わる空気でもなかった。


 学院長は続ける。


「学院としても、それを見過ごすわけにはいかん」


 そこでようやく、俺は静かに息を吐いた。


 やはり、ハル領での動きはここまで届いていたらしい。


「本日は、その件でお呼びしたのでしょうか」


「半分はそうだ」


 学院長は頷いた。


「残り半分が本題だ」


 そう言って、ほんのわずかに姿勢を正した。


「来月、王が王都近隣のある領を視察なさる」


 王。


 その単語だけで、部屋の空気が一段重くなった気がした。


「私も説明役として同行することになっている」


 学院長はそこで言葉を切り、まっすぐこちらを見る。


「その際、お前にも私の供として同行してもらいたい」


 一瞬だけ、意味が頭の中で遅れて形になった。


「……私が、ですか」


「そうだ」


 あまりにあっさり言われたせいで、逆に重みがある。


「数日、授業を外れることになるが、公休扱いとする。学内手続きはこちらで済ませる」


 思わず問い返したくなる。


 なぜ俺なのか。

 Sクラスには他にも優秀な生徒はいる。

 上級生だっている。

 しかもこれは、ただの課外見学じゃない。王の視察に学院長の供として同行する。軽い話のはずがない。


 俺が口を開くより早く、学院長が先に言った。


「なぜお前なのか、という顔だな」


「……はい」


 学院長は小さく頷く。


「視察先は、表向きは大きな問題のない近隣領だ。立地も悪くない。人も物も通る。だが、それに見合うほど町も領地も育っておらん」


 王都近隣で、それはたしかに妙だ。


「商い、治安、人の流れ、運営――いくつもの綻びがある。だが、それらは一つひとつが決定的ではなく、だからこそ厄介だ」


 学院長は机の上で指を組んだ。


「机上の知識だけで見れば、見落とす者も多いだろう。だが、お前はこの夏、実際に人の流れを動かし、綻びを見て、仕組みを考えた」


 静かな声だった。


 けれど、その一言一言は重かった。


「だから連れて行く。現場を見る目を持つ者が、一人必要だ」


 俺は少しだけ視線を落とした。


 名誉、なのだろう。たぶん。

 でも、それだけじゃない。


 王が行く。学院長が同行する。

 その場に俺が学院側の随員として入る。


 それは、見に行くというより――試されに行く、に近い。


「詳しい視察先は、後日改めて伝える」


 学院長が言う。


「現時点で言えるのは、立地のわりに発展が鈍く、表向きより少々厄介な事情を抱えているということだけだ」


「厄介な事情、ですか」


「そこまで今ここで語るつもりはない」


 きっぱりとした返答だった。

 つまり、本当にまだ口外すべきでない内容なのだろう。


 学院長はそこで少しだけ声を低くした。


「一つ、よく覚えておけ」


「はい」


「これは見学ではない」


 その一言で、背筋がさらに伸びる。


「王の前で軽率な口を利くな。見たものを見たまま口にすればよい場面もあるが、言葉を選ばねばならん場面もある」


「……承知しました」


「それと」


 学院長は俺をじっと見た。


「お前は現地を見に行く。だが同時に、お前自身も見られに行く」


 そこまで言われて、ようやく本当の意味で理解した気がした。


 視察先の領の人間だけじゃない。

 王も、学院長も、周囲の大人たちも、同行者も。

 皆が俺を見る。


 ハル領で何かをやった生徒が、外でどう振る舞うのか。

 学院は、俺をただの優秀な生徒として扱う段階を過ぎようとしているのかもしれない。


 俺は一度、息を整えた。


「自分にどこまで務まるかはわかりません」


 それでも、視線は逸らさずに言う。


「ですが、現場を見る機会なら学べることは多いと思います。期待に応えられるよう努めます」


 学院長は短く頷いた。


「よろしい」


 それで話は終わりだった。

 長くはない。だが、十分に重い話だった。


「下がってよい。詳しい日程は後日通達する」


「はい。失礼します」


 立ち上がって一礼し、学院長室を出る。


 扉が閉まった途端、廊下の空気がやけに軽く感じた。

 けれど、自分の足取りまで軽いわけじゃない。


 来月、王の視察に同行する。

 しかも学院長の供として。


 夏休み前の自分なら、こんな話は現実味がなかっただろう。

 だが今は、ただ驚いて終わる気にはなれなかった。


 見に行ける。

 そして、見られる。


 なら、行く意味は大きい。


 教室へ戻る頃には、授業の切れ目を過ぎていた。

 扉を開ける前、俺はもう誰もいないだろうと思った。


 だが、中には一人だけ残っていた。


「……セレナ?」


 窓際の席に腰をかけていたセレナが、こちらを見る。


「やっぱり、ただ事じゃなかったのね」


「待ってたのか」


「少しだけ」


 少しだけ、と言いながら、その顔は最初から帰りを待つつもりだった人間の顔だった。


「で?」


 セレナは席から立ち、机に軽く腰を預ける。


「何を言われたの」


 少し迷ったが、全部を伏せる必要はないと思った。


「来月、王が近隣領の視察に行くらしい」


 セレナの目が、わずかに細くなる。


「学院長も同行するって」


「……それで?」


「俺にも、学院長の供として同行してほしいって言われた」


 数日授業を外れること。公休扱いになること。詳しい事情はまだ後日だということ。そこまで伝えると、セレナは黙った。


 ほんの数秒の沈黙だった。


 けれど、その沈黙には驚きと、別の何かが混じっている気がした。


 やがてセレナは、小さく息を吐く。


「……なるほどね」


「何が?」


 俺が聞くと、セレナは少しだけ苦笑した。


「もう学院も、あなたをただの生徒としては見ていないのね」


 その一言が、妙に深く胸に落ちた。


 夏休みは終わった。

 学院に戻ってきた。

 教室も、校舎も、日常も、表向きは何も変わらない。


 けれど、二学期はたぶん、前とは違う。


 俺は静かになった教室の中で、その言葉の重みをゆっくりと噛みしめていた。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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