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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第9章 リオンの夏休み

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第104話 人を育てる

 父上の執務室に広げられた帳簿の山を前に、俺はしばらく無言で数字を追っていた。


 木材の搬出量。

 青輝石の採掘と加工。

 北村の青葉草。

 街灯工房の材料費と人件費。

 西の森の護衛費。

 温泉周りの整備費。

 そして、まだ小さいが確実に増え始めている雑多な支出。


 伸びている。

 間違いなく、ハル領は伸びていた。


 でも、その伸び方がきれいじゃない。


 入ってくる金は増えているのに、出ていく金の方が先に走っている。

 しかも現場ごとの数字が揃っていないせいで、本当の残りが見えにくい。


 俺は手元の紙に、入金時期と支払時期をざっくり並べ直した。

 そこへ、少し厳しめの条件も足す。


 木材の売却が一度遅れた場合。

 青輝石の搬出で護衛費が上振れした場合。

 街灯の増設を今の調子で続けた場合。

 西の森の前線拠点の人足がもう一段増えた場合。


「……やっぱりか」


 小さく呟く。


 父上が向かいから聞いた。


「見えたか」


「うん」


 俺は紙を父上の方へ向けた。


「今のペースで投資と支払いを続けた場合、順調に入金があっても余裕は薄い。帳簿上は黒字でも、手元の現金は想像よりずっと早く減る」


「どれくらいだ」


「かなり保って二月半。ちょっと輸送が詰まったり、支払いが重なったりすれば、もっと早い」


 父上の視線が鋭くなる。


「もっと早い、とは」


「下手したら、俺が学院に戻ってしばらくした頃には危ない」


 部屋が静かになった。


 ノルも、壁際で腕を組んだまま顔色を変えている。

 ヴィクトルも、さすがに軽口を挟まなかった。


「つまり」


 父上が静かに言う。


「伸びているが、このままでは現金が尽きる可能性がある、と」


「うん。正確には、“このまま勢いで回し続けたら”だね」


 俺は指で紙の数字をなぞった。


「今のハル領は、稼げてないわけじゃない。むしろかなり良い。問題は、稼ぎ方より、回し方が伸びに追いついてないこと」


「帳簿が粗いからですか?」


 ノルが低く言う。


「それだけじゃない」


 俺は首を振った。


「帳簿の形式が現場ごとに違う。報告の上がり方も違う。誰がどこまで責任を持つかも曖昧。だからズレが出ても、すぐには見つからない」


 さらに一拍置いて続ける。


「今はまだ、領地が元気だから誤魔化せてる。でも元気な時にしか仕組みは直せない。弱った後じゃ遅い」


 父上は椅子にもたれ、小さく息を吐いた。


「では、どう動く」


 俺はそこで、頭の中で整理していた三本柱をそのまま言葉にした。


「まず短期。今すぐ必要なのは、管理できる人間を採ること」


「経験者、か」


「うん。西の森、工房、領都の商業、それぞれに最低一人は数字を見られる人間が要る。今のままじゃ、現場が増えるほど父上に負担が寄る」


 父上は黙って頷く。


「次に中期。夜間学校を作りたい」


 ヴィクトルが少しだけ眉を上げた。


「学校?」


「働きながら通えるやつ。読む、書く、計算する。あと帳簿のつけ方、数量確認、報告の仕方。今のハル領に必要な実務だけに絞る」


 ノルが口を開く。


「昼働いている者が、夜も学べますかな」


「毎日は無理だと思う。だから最初は数日おき、少人数でいい。工房見習い、商店の手伝い、現場責任者候補……そういうところから始める」


「なるほど」


「最後に長期」


 俺は父上を見る。


「子ども向けの学校を作りたい。幼い頃から読み書きと計算ができる人間を増やす。そうすれば、五年後、十年後のハル領は根本から変わる」


 父上は、そこで初めて少し大きく目を細めた。


「そこまで考えているのか」


「考えるだけならタダだからね」


「軽く言うな」


 そう言いながらも、父上の声は否定ではなかった。


 ただ、すぐに現実へ引き戻す。


「理屈はわかる。だが、金はどうする」


 そこだ。


 採用には金がいる。

 夜間学校には場所も教材も必要だ。

 教師役にも手当がいる。

 子どもへの教育まで含めれば、さらに長い金が要る。


 今のハル領は、帳簿の上では伸びている。

 でも、新しい固定費を軽く増やしていい段階じゃない。


 少しだけ沈黙が落ちた。


 その空気を破ったのは、ヴィクトルだった。


「その話、ローデン商会に持っていけるかもしれない」


 父上とノルの視線が、同時にヴィクトルへ向いた。


「どういう意味かな?ヴィクトル君」


 父上が問う。


 ヴィクトルはいつもの軽い顔ではなく、きちんと商会の人間の顔をしていた。


「読み書きと計算ができる人間が増えるなら、得をするのはハル領だけじゃありません。商会にとっても、人材は喉から手が出るほど欲しい」


「店員、番頭候補、帳場、現場管理……か」


 俺が言うと、ヴィクトルが頷く。


「そういうことだ。これは慈善じゃない。投資として話ができる」


 父上が腕を組んだ。


「見返りは」


 ヴィクトルはすぐには答えず、こちらを見た。

 俺も同じことを考えていた。


「街灯」


 俺が先に言う。


「ハル領外での販売は、ローデン商会に優先して扱わせる」


 父上の眉がわずかに動く。


「広く渡しすぎではないか?」


「全部は渡さない」


 俺は首を振った。


「期間と地域を区切る。製造の主導権はハル領が持つ。価格の基準もこっちで決める。そのうえで、王都や周辺主要都市での販売窓口を、一定期間ローデン商会に優先して任せる」


 ヴィクトルが口元を上げた。


「悪くない条件だ」


「そっちも、金だけじゃなくて人を出してもらう」


「人?」


「帳簿がわかる人。店で数字を回してきた人。夜間学校の最初の教師役になれるような人」


 そこで、ヴィクトルは少しだけ肩をすくめる。


「……そこまでの条件なら、俺一人では決められないな」


 父上が冷静に返す。


「当然だろう」


「うちの実家から金も人も出すなら、父――商会長の判断が要る」


 ヴィクトルは俺を見た。


「手紙は出す。というか、出すだけじゃ足りない。直接話したい」


「王都に戻る前に、一度実家へ戻るってこと?」


「そうだな。今の話は、紙の上だけで済ませるには大きい」


 その言い方で、こいつも本気なんだとわかった。


「でも、いいの?」


 俺が聞くと、ヴィクトルは鼻で笑う。


「いいも悪いもない。ここまで見せられて、黙って見てるのは商人として損だ」


 父上が静かに言う。


「ローデン商会への見返りとしては筋が通る。ハル領としても、今の段階で教育の初期費用と人を外から引けるなら大きい」


 ノルも頷いた。


「短期の採用と並行して夜学まで動かせるなら、現場はかなり助かりますな」


 俺は机の上の帳簿を見た。


 光を作った。

 湯屋も作った。

 でも、結局それを回すのは人だ。


 帳簿を揃えるのも人。

 湯屋の利用料を数えるのも人。

 青輝石の在庫を間違えずに報告するのも人。

 街灯の材料が足りないと先に気づくのも人。


 発明だけじゃ、領地は長くは伸びない。


 人を育てないと、どこかで必ず詰まる。


「じゃあ、決まりだね」


 俺はそう言って顔を上げた。


「短期で採用。中期で夜間学校。長期で子供たち向けの学校。その三本柱でいく」


 父上が静かに頷く。


「良い」


「採用はすぐ動く。夜間学校は場所と教師役のあたりをつける。子供たち向けの学校は構想だけ先に整理しておく」


 ノルが口を開く。


「現場で見込みのありそうな者はこちらで拾っておきましょう。数字に強そうな者、真面目に報告を上げる者、そのあたりは見ております」


「助かる」


 そしてヴィクトルは、少し真面目な顔で言った。


「俺は一度戻る。父に手紙を出して、できれば直接話す。たぶん、その方が早い」


「どれくらいで動けそう?」


「準備ができ次第だな。お前が王都へ戻る前には、一度返事の形を持ってきたい」


 それなら十分だ。


 夏休みはあと三週間。

 短いけど、まだ打てる手は多い。


 父上が最後に俺を見る。


「リオン」


「うん」


「光を作り、湯を作った。次は人か」


「そうなるね」


「おまえはこの領の発展に欠かせない人間になったな」


 俺は少し笑った。


「ありがとう。でもまだまだだよ」


 父上も、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 執務室の窓の外では、今日も領都が動いている。

 荷が流れ、人が増え、金が回り、ハル領は確かに前へ進んでいる。


 だからこそ、その流れを受け止める器が要る。

 次に育てるべきものは、人だ。


 俺は積み上がった帳簿の山の向こうにある、まだ形になっていない未来を静かに見据えていた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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