第96話 未来への灯り
翌朝、俺は父上の許可をもらって、領都の西側にある空き倉庫を見に来ていた。
西門から市場へ向かう道を少し外れた場所。
荷の出入りには不便すぎず、冒険者ギルドや商人たちの動線からも遠くない。
古びてはいるが、立地は悪くなかった。
隣にはノルがいる。
「ここが今使っていない倉庫?」
「ええ。以前は穀物や雑貨の一時保管に使っていましたが、今はほとんど空です」
扉を開けると、乾いた木と古い埃の匂いがした。
中は薄暗いが、天井は思っていたより高い。壁際には古い棚が残り、床も一部は傷んでいるものの、張り直せば十分使えそうだった。
俺は中へ入り、ゆっくり歩く。
入口近くは完成品の仮置き。
奥は木材の保管。
右手に支柱の加工。
左手に灯具の組立。
青輝石は湿気を避けて別区画。
頭の中で、一つずつ配置していく。
「……うん」
「どう見ます?」
ノルが聞く。
「ここなら木工と組立はいける」
倉庫の中央まで進みながら言った。
「支柱の加工は問題ない。灯具の取り付けもここで回せる。完成品の仮置きもできるし、領都の中だから設置場所へ運ぶのも楽だ」
「悪くない、ということですな」
「かなりいい方だと思う」
ただし、全部がここで完結するわけじゃない。
壁際の古い作業台に手を置いて、俺は小さく息を吐いた。
「木材と青輝石は領内で何とかなる。でも、それだけじゃ街灯は量産できない」
「ガラスと金具ですか」
「うん」
透明な覆いに使うガラス。
開閉や固定のための金具。
蝶番、留め具、細かい細工物。
屋外で使う以上、雨風に耐える部材も要る。
試作品は形になった。
でも、十本、二十本と揃えるなら、同じ規格で安定して作れないと意味がない。
「木工と組立はできる。けど、全工程の内製はまだ無理だな」
ノルは静かに頷いた。
「まずは外から引きつつ、こちらでできる部分を増やすしかありませんな」
「そういうことになる」
その時だった。
外から足音が近づき、倉庫の入口で軽い声がした。
「やっぱりここだったか」
振り向く。
立っていたのは、見慣れた顔だった。
「ヴィクトル」
「久しぶりだな、リオン」
ローデン商会の跡取り。
学院ではいつも飄々としているが、今の目は完全に商売人のそれだった。
「手紙を読んだら、じっとしてられなくてさ」
「来ると思ってたよ」
そう返すと、ヴィクトルは楽しそうに笑った。
「ノル、紹介する。学院の同級生で、ローデン商会の跡取り、ヴィクトルだ」
「はじめまして。ノルと申します」
ノルが一礼する。
ヴィクトルも軽く手を上げた。
「ヴィクトルです。よろしくお願いします」
そのまま倉庫の中へ入り、一周する。
床の軋みを確かめ、棚の傷みを見て、出入口の幅を測るように目を走らせる。
何気ない動きなのに、ちゃんと値踏みしているのがわかった。
学院の中で、一番意見が合うのはたぶんこいつだ。
セレナやエドガーは頭がいい。
ナディアも落ち着いていて話しやすい。
でも、“どう動かせば形になるか”を一番自然に考えられるのはヴィクトルだ。
前世でも、こういう人間と話す時が一番早かった。
理屈だけでもなく、夢だけでもなく、数字と流れの中で話ができる。
考え方の相性がいいんだろう。
「悪くないな」
ヴィクトルが言った。
「最初の工房なら十分だ。全部をやるには狭いが、木工と組立に絞るなら回る」
「俺もそう見てた」
「だろうな」
ヴィクトルは口元を緩め、それからすぐに顔を締めた。
「で、不足部材は?」
俺は簡単に整理して伝えた。
「質の安定したガラス。金具類。蝶番、留め具、そういう細工物。木材と青輝石はハル領でいける」
「ふむ」
「試験導入がうまくいけば、その先は本数が一気に増える。だから継続調達が前提になる」
ヴィクトルは腕を組んだまま少し考え、それからきっぱりと言った。
「なら、早めに内製化を考えた方がいい」
ノルが横で眉を動かす。
「いきなり、ですか?」
「いきなり全部じゃない」
ヴィクトルは梁を見上げたまま続けた。
「最初は外から引けばいい。ガラスも金具も、今はそうするしかない。だが、これが本当に回り始めたら、外に頼り続けるのはもったいない」
「利益も主導権も逃げる、ってことだね」
俺が言うと、ヴィクトルはにやりとした。
「そういうこと。やっぱりお前、話が早いな」
俺も少し笑う。
やっぱりこの辺の感覚は近い。
「街灯が領都だけで終わるなら、そこまで急がなくてもいいかもしれない。でも、これって多分そうじゃないだろ?」
ヴィクトルの言葉に、俺は頷いた。
「王都でも使える。他の領都でも使える。街道に置ければ、夜の治安も物流も変わる」
「だよな」
ヴィクトルは指を一本立てた。
「治安改善」
もう一本。
「警備費用の圧縮」
さらに一本。
「夜の人流増加」
最後に少し笑う。
「商売の伸び」
街灯は、ただ明るくするだけの道具じゃない。
夜道が安全になれば、人が動く。
人が動けば、物が動く。
物が動けば、金が動く。
「だから、握れた時の利益はでかい」
ヴィクトルが言う。
治安改善の主導権。
量産による利益。
他領への供給。
さらにその先、街灯を足掛かりにした新しい工房や技術。
「街灯は、ハル領の柱になりうる」
自然と、そう口に出ていた。
ノルが静かにこちらを見る。
ヴィクトルは、やっぱりな、という顔で笑った。
「だろうな」
だが、そのためには壁がある。
「問題は職人だ」
ヴィクトルが現実へ引き戻すように言った。
「ガラス職人。金具職人。細工物を一定規格で揃えられる人間。今のハル領にはまだ少ないだろ?」
「うん」
そこが一番大きい。
材料を外から引くことはできる。
でも、長く続けるなら、作る人間が必要になる。
ここでノルが初めて深く頷いた。
「現場から見ても、規格が揃わないのは厄介ですな」
「どういうこと?」
「巡回中に壊れた時、部材や留め具が一本ごとに違えば交換に時間がかかる。夜の見回りで使う以上、直しやすさも重要です」
その一言で、話が一段現実に落ちた。
「たしかに」
俺は頷いた。
「作るだけじゃなく、直せないと意味がない」
「ええ。そこまで含めて“使える街灯”でしょう」
俺は少しだけ黙った。
いずれは、こういう専門職人を育てる場が必要だ。
王都にも、この領都にも、貧しさの中で埋もれている人たちはいる。
事情は様々だろう。
でも、教育と技術があれば、そこから抜け出せる人も少なくないはずだ。
ただ、生きるだけで精一杯の人間に、技術を身につける時間はない。
だからまず、領を豊かにしなければならない。
ハル領を。
できれば、この国全体を。
「リオン様?」
ノルの声で、思考が戻る。
「いや……やっぱり、職人を育てる仕組みもいずれ必要だなと思って」
ヴィクトルが面白そうに目を細めた。
「そこまで見てるのか」
「見えてしまった、って感じかな」
「悪くない」
そしてすぐに、商人の顔へ戻る。
「なら方針は簡単だ。最初は外から引け。だが、木工と組立は今すぐハル領で固めろ。その間に規格を作れ。数が読めた時点で、ガラスも金具も呼ぶなり育てるなりすればいい」
最初から全部抱え込むな。
でも、将来は自分たちのものにしろ。
その言い方は、かなりしっくりきた。
「それで行こう」
俺が言った時、倉庫の入口から父上が入ってきた。
「まとまったようだな」
「うん」
俺は倉庫の中を見渡しながら答える。
「ここを街灯工房にしたい。木工と組立はここでやる。足りない部材は最初は外から引く。でも、将来的には内製化も視野に入れる」
父上は静かに頷いた。
「よし。ならこの倉庫を街灯工房として改装させる」
そのまま一歩進み、倉庫の中を改めて見回す。
「改装費、最初の資材購入費、職人への手当、試験導入分の製作費――そこまでは領の予算で出す」
俺は父上を見た。
「本当にいいの?」
「ここまで話を聞いて、金を出さぬ方がおかしい」
父上は淡々と言う。
「試作品の成功は見た。治安への効果も見込める。しかも、それで終わらず将来の柱になる可能性まである。なら、ここは領として賭ける場面だ」
そこで父上は入口の外へ向かって声を上げた。
「入れ」
すぐに外で待っていたらしい使用人と下働きたちが、ばたばたと入ってくる。
後ろには大工らしい男までいた。
ノルが少しだけ目を見開いた。
「もう呼んでいたのですか」
「話がまとまるなら、その場で動かすつもりだった」
父上は短く答えると、倉庫の奥を指した。
「まずは床の傷んだ部分を確認しろ。棚は使えるものだけ残せ。今日中に埃を払い、明日から木材を運び込める状態にする」
大工がすぐに頭を下げる。
「はっ」
「入口脇の空き地には仮置き用の屋根を作れ。青輝石を濡らすな」
「承知しました」
動きが一気に始まった。
古い棚が運び出される。
窓が開け放たれ、埃が光の筋の中で舞う。
床板を叩いて傷みを確かめる音が響き、外では早くも縄と木材を抱えた人足が走り始めていた。
さっきまで、ただの空き倉庫だった場所が、目の前で“工房になる前の場所”へ変わっていく。
その速さに、思わず笑いそうになる。
父上はやっぱりこういう人だ。
決めたら、止まらない。
「ただし」
父上が俺を見る。
「使う以上は結果を見せろ。まずは試験導入区間を確実に形にすることだ」
「うん。やるよ」
ノルがすぐに続く。
「騎士団からも人手を出せます。重い木材の搬入や、完成品の運搬は手伝えるでしょう」
「商会側も動きますよ」
ヴィクトルが言う。
「ガラスも金具も、最初の調達はこっちで引きます。ただし、その代わり、規格は最初にきっちり決めましょう」
「もちろん」
父上は倉庫の中央へ進み、その場を見回した。
今はまだ、ただの空き倉庫だ。
埃っぽくて、古びていて、何も始まっていなかった場所。
でも、もう違って見える。
ここで支柱が削られ、灯具が組まれ、街灯が量産される。
それが領都の通りに立ち、夜を変え、人の流れを変えていく。
その先には、街灯だけじゃない。
工房。
職人。
教育。
新しい産業。
まだ形にもなっていない未来が、倉庫の中に薄く重なって見える気がした。
「まずは街灯工房だな」
そう呟くと、ヴィクトルが横で笑った。
「まずは、な」
俺も少し笑う。
たしかにその通りだ。
いきなり全部は無理だ。
でも、一歩ずつなら進める。
そして、今のハル領なら、その一歩にはちゃんと意味がある。
未来へと繋がる明かりは、もう試作品だけじゃない。
今度は、事業として動き始める番だった。
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