36. 夏子、小学校に行く
(夏子、小学校に行く)
夜……、……
朝子姉ちゃんが、校長先生に頼んで学校に行けるようにしてくれたという。
「なっちゃん、明日から学校に行けるわよ。一緒に行きましょうね」
嬉しそうなお姉ちゃんを見ていると、行きたくないとは言えなかった。
ととさんの心配そうな顔……
分かっているわ……、お姉ちゃんを困らせたりしないから……、他の小学生とも仲良くするわ……
朝……、……
朝子姉ちゃんと一緒に家を出た。
こんな青空の日に何で学校なんかに行かなければならないのかと少し不満……
昨日ととさんと行った公園で、あの大樹に登って遊びたいと思った。
他の小学生たちより一足早く学校に着いた。
職員室は慌ただしく、ごちゃごちゃだ……
その中で校長先生が、私を見に来た。
「……、四年生ですか……?」
「いえ、ちょっと事情が複雑で、まだ一度も学校に行ったことがないのです」
「……、そうですか? でも四年には見えませんね」
「じゃー何年生でしょう……?」
「……、六年生でいいのではないですか? 朝子先生のクラスで、とりあえず勉強してもらいましょう」
「そうですか……、では、そのように……」
「用務員の人に机を出してもらいましょう」
「ありがとうございます……」
「お姉ちゃん、私は六年生……?」
「そうみたいね……、何だか可笑しな話だけど……、でも、私のクラスだから、いいじゃない。一緒に勉強しましょうね!」
朝子姉ちゃんの嬉しそうな顔……、私は大きくため息をついた。
職員室を出て、朝子姉ちゃんのクラス……
「みんな、注目……、新しいお友達です。名前を松山夏子さんと言います。仲良くして下さいね……」
教室の一番後ろの隅に私の机があった。
「萌ちゃん、よろしくね」
私は、隣の席の子に挨拶した。
「……、え、どうして私の名前、知っているの?」
「何となくね……、……」
そんな時、先生の言葉が飛んだ。
「萌ちゃん、なっちゃんに教科書見せてあげてね」
「……、教科書見る……?」
「要らないわ……、見ても分からないから、耳で聞いているわー、……」
「……、何にも持ってこなかったの……?」
「そうなの……、私、学校に来たの初めてだから、どんなところかなって思って……、でも、一目見て分かったわ……、つまらないところね。こんなところに一日中座っていたら、根が生えそうよ」
「……、そうね……、見方によってはね……、でも、友達と一緒にいると楽しいわよ」
「友達ねー、……」
朝子先生の算数の授業が始まった。
「今日から分数の掛け算割り算をやっていきますね。その前に、分数の足し算引き算は覚えているかな」
先生は、黒板に分数の式、三分の一足す三分の二と書いた。
「じゃあ、私も友達にしてくれる?」
「もちろんよー! 仲良くしましょう」
「ありがとう……、萌ちゃん、いい人だね」
「……、大袈裟よ……」
萌ちゃんのにこやかな顔、エクボが可愛い……
その時、先生の声……
「なっちゃん、黒板を見てよ……」
「……、先生、ちょっと私、学校を見学してくるわ」
「駄目よ、それは後で、放課後にでもね」
「……、いいから、いいから……、先生は授業していて……」
私は席を離れて、黒板の前まで行って、式の答えを一と書いて教室を出た。
「……、なっちゃん!」
先生の止める声……、それでも私は、教室を出た。
廊下を歩いていると廊下側の窓から教室の中の様子が見えた。どの教室も同じだった。子供達は、行儀良く、みんな黒板を見ていた。
こんなところに一日中いられないわ。ととさんのところに帰ろう。
私はやっぱりこの世界には馴染めないのかな……
職員室を通って、下駄箱が連なる玄関の手前、保健室の表示がある部屋の中に一人の少女がいた。
少女は机に向かって教科書とノートを置いて勉強しているようだった。
「何で、一人で勉強しているの……?」
私は部屋の入り口の前に立って訊いた。
綺麗な子、髪は長く後ろで一つに結んでいた。
冷めた、無表情の顔が私を見た。
「え、……、貴女の心が見えないわ……」
その時、保健の先生らしき人が奥から出てきた。
「……、貴女は、見かけない子ね……」
「私、今日、初めて学校に来たのよ」
「どこか具合でも悪いの……?」
「どこも悪くないわ……」
「……、それなら教室に帰りなさい。まだ授業中でしょう」
「教室にいたくないから、今から帰るところなの!」
「……、教室にいられないって、誰かにいじめられたの?」
「……、いじめ……、……」
いじめという言葉に少女の心が動いた。
「今日、来たばかりだから、それはないわね……」
「教室にいられない子は、保健室で勉強するのよ。貴女もここにいらっしゃい。一緒に勉強しましょう……」
「こんないい天気なのに、お部屋の中にいるんだなんて馬鹿じゃないの……、今まで何を勉強して来たのかしら……」
「もー、そんなこと言って、保育園じゃないんだから、小学校は勉強するところなのよ」
「……、それなら、私、小学校なんか要らない……」
私の話を聞いて、少女の心が開いた……
そして、男子三人に酷いいじめをされている光景が見えた。
「……、分かったわ。この子、こんな酷いいじめをされていたのね。あんたをいじめた奴ら、私は許さない!」
「どこのクラスなの……?」
少女は、冷めた無表情の顔で私を見ていた。
「……、分かったわ!六年一組ね……、朝子姉ちゃんのクラスでなくてよかったわ」
私は、戻って六年一組のクラスに入った。
「……、君は誰……、何処のクラスだ?」
担任の男の先生が訊いた。
私はそれには答えず、クラスの児童に叫んだ。
「足立和子をいじめた者、庄司、充、治、立ちなさい!」
「何処のクラスの子か知らないけど、自分のクラスに帰りなさい。今は授業中だ!」
「有馬先生、よく平気で授業できるわね!和子ちゃんは、今も保健室で一人勉強しているのよ!」
「それは、彼女が進んで決めたことだから……」
「その原因を作ったのは、あの三人よ!」
「……、俺たちは何もしてないよ。いじめている奴はこのクラスにはいないよ!」
庄司が座ったままクラスを見回して言った。
充も治も、顔を見合わせて頷いた。
「あんたたち、よく平気で嘘がつけるのね。嘘をつく人は閻魔様に舌を抜かれるのよ」
教室の中が笑いで一瞬和んだ。
「笑ったわね……、私は閻魔様と友達なのよ!」
また、教室中が笑いで満ちた。
「……、いいわ、そこの三人、庄司、充、治、今日から毎晩、地獄を見せてあげるわ。どんな事でも、弱いものをいじめたり嘘をついたりすれば、どうなるのか、身をもって体験するのね……」
「よかったなー、庄司、充、治、生きているうちに地獄が見られて、普通は死なないと見られないんだぞー」
「それなら、有馬先生も見せてあげるわ。三人のいじめを知りながら、見過ごしていた罰よ!」
「はいはい、もういいかな。教室に帰りなさい!閻魔大王によろしくね……」
私は学校を出た……
帰り道、不快な嫌な気持ちで、心は苛立っていた。
こんな気持ち、あの役所に行った時と同じだ。
こんな腹立たしい、ムカムカする気持ち初めてだと思った。
どうしてもっと人の喜ぶことをしようとは思わないのかしら?他人の喜びを自分の喜びとして感じないのかしら。人の悲しみを見てどうして、喜べるのよ!
私は初めて自分の涙を見た。
「……、ととさん、もう学校なんか行きたくない!」
私は、走ってお店に入り、ととさんに抱き付いた。止めどない涙が顔を覆った。
「もう、帰って来たのか?嫌な事でもあったのか?」
「……、嫌なことばかりよ。あの役所の人より、もっと酷い人ばっかりよ!」
「……、そうだな……、学校も集団という社会の縮図のようなものだからなー、嫌なこともあるさ……」
「……、そしたら私、どうしたらいいの……?」
「そんな嫌なことは、ほっといて、楽しい良いことを探すんだね」
「……、私、見て見ぬふりなんてできない、できないわ……」
また、嫌な悲しい辛い気持ちが湧いて来た。
どうにもならない気持ちが心を押し潰す。
「夏子は、やっぱり菩薩の子なんだな……」
「……、菩薩の子、かかさん、かかさん、私を連れに来て……、もうここにはいたくない……、かかさん、かかさん……、助けて……」




