057「一般少年、相談を受ける」
「ただいま」
「ただいまー!」
「おかえりー……ってあら、未来も一緒だったのね」
週課のバスケから帰ってくると、ダイニングから顔を出して母さんが出迎える。
母さんの言葉に反応するように俺の背後から未来が飛び出す。
「帰ってくる途中でたまたま会っただけだけどね」
「そうなの。じゃあ、タイミング良いし、夕飯の買い物に付き合ってくれない?」
母さんが未来に向かって言い放つ。それを聞いた未来は嫌そうな顔を隠しもしない。
「えー! 嫌だよ、帰ってきたばっかでゆっくりしたいのに。お兄ちゃんに付き合ってもらいないよ!」
「ゆっくりしたいのは、寧ろバスケしてきた俺の方だが」
反論しておかないと「それもそうね」とか言い出しかねないから、しっかりと拒否の姿勢はとっておく。
「修斗は駄目よ。お客様が来てるんだから」
そう首を横に振る母さん。俺と未来は要領を得ず、顔を見合わせて首を傾げる。
そういえば、母さんはダイニングの方から出てきたなと思い至り、ダイニングの方へと歩く。
「お、お邪魔してますっ……!」
ダイニングテーブルについている宮川が申し訳なさそうに声を出す。
「えっ!? 香奈さんだ! こんばんわ!」
「こ、こんにちはっ」
未来は宮川の姿を見て、いろいろ察したらしく、下ろしかけていたポシェットを肩に掛け直す。
「わかった。お母さんの買い物に付き合うよ」
「物わかりの良い子に育って嬉しいわ」
そう言いながら、母さんはトートバッグを肩にかけて、その中から車の鍵を取り出す。
「じゃあ、一時間後くらいに帰ってくるから。あとは二人でごゆっくり~」
「いってきまーす!」
母さんと未来は家から出ていったのを見送る。
俺は帰りに買ったスポーツドリンクを鞄から取り出し、二口ほど飲んでからダイニングテーブルにつく。
「さてと。答えは出たのか?」
単刀直入に宮川に尋ねる。
宮川がここに来た理由を聞いた訳では無いが、十中八九"アイドルを続けるのか辞めるのか"に関することだろうというのはわかりきっている。わざわざ何の用であるかを白々しく問い掛けるのも時間の無駄だ。
相手が宮川じゃなく桜庭やら藤田であれば、嫌味も込めて問い掛けたりもしただろうが。
「……いいえ」
「そうか」
宮川の表情を見ても、とても決意の固まった人間の顔じゃないことは見て取れる。
「なので、修斗さんに相談に来ました」
「……なるほどな」
迷惑を被った――こういう表現をすると宮川が落ち込むから口には出さないが――という事実。そして、アイドルを辞めることを宮川が選ぶのであれば、それはつまり俺はあの告白に対する答えを今度は返す必要があることになる。
そういう意味では、今回の宮川の問題には、いくらか俺が関与していることになる。
「私はたくさんの人に相談して助言をもらいました。その上で、私がわかったのは"自分でしか答えは出せないんだ"ということでした」
「そりゃそうだろうな。どっちにした方が良いって言われても、あんたは納得できないだろ」
「はい……」
宮川は俯いて小さな声で返事をする。
宮川は見た目や言動こそ人に流されやすく気の小さそうな雰囲気があるが、実際は取捨選択が下手くそで自分が望むものは全て欲しいと願う強欲さがある。けど、望んだものが全て得られると思えるほど傲慢ではない。だから、絶対に不可能だとわかっていても、全てを得られるように自分の努力でなんとかしようとして、身を投げ捨てるような行動に出る。
宮川香奈という人間が、そもそも二者択一と向き合えるようにできていない。
「そんなあんたが俺に何を相談するんだ?」
宮川の悩みの答えは、他人よりも当事者に近い俺が助言する方がいくらかマシとはいえ、俺が出しても納得はできないだろうとは思う。
「……私の告白の答えを聞きに来ました」
「は……?」
思いもしていなかった問いを投げ掛けられ、混乱する脳内で情報を整理する。
アイドルを続けるのかどうかの答えに関する話をしにきたんじゃないのか?
「私は、アイドルを続けるのか辞めるのかを悩んできました。それは私にとって、修斗さんとお別れするのか一緒に居るのかを悩んできたことと同じことを意味します」
単なる"アイドルとして人気が出てきた今、改めてこれからもアイドルを続けるのかどうか"という問いであれば、こんなに悩むことはなかった。
これほどまでに宮川が悩んでいるのは後者の悩みも付随していたから。
「私が告白した時、修斗さんは好意を示してくれました。だから聞きたいんです。もしも、私がアイドルを辞めるという選択をした時、修斗さんは私と付き合ってくれますか……?」
そこまで問われて漸く宮川の意図を理解した。
仮にこの質問に対する俺の答えが"付き合わない"だとすれば、宮川の答えが決まるようなものだ。アイドルを辞めても俺が告白を断るなら、アイドルを辞める決断をする意味がなくなるも同然なのだから。
「あんたが相当切羽詰まってるのはわかったよ。俺が"付き合わない"って言ったら、絶対この世の終わりみたいな顔になる癖に、それをわざわざ確かめようってんだから」
肩を竦めて体を硬直させる宮川。
「その上で答えるなら、"付き合うよ"」
宮川は複雑そうな顔になる。
複雑な顔にもなろうな。告白への回答としては嬉しいものだろうが、悩みの答えに関してはこれで振り出しに戻ったんだから。
俺は続けて口を開く。
「付き合う、が……。個人的な話をするのであれば、俺はアイドルを辞める選択はして欲しくないな」
「どうしてですか!?」
宮川は目を見開いて驚いた後、食い入るように身を乗り出して尋ねてくる。
「前も言ったろ。努力家だから好きだって。あんたがアイドルとして頑張ってるところを見るの結構好きなんだよ。だから、アイドルを辞める選択はして欲しくない」
嘘偽りのない本音。俺が宮川に惹かれたのは、宮川の努力をこの目で見てきたからだ。勿論それ以外にも要素はあるが、一番大きいのは努力を見てそれが実っていく過程を見てきたことなのは間違いない。
宮川は乗り出していた体を引っ込めて椅子に座り直す。
「ずるいです。私が凄く悩んでいることがわかっててそんなこと言うなんて」
「だから、アイドルを続けるように後押ししてるだろ」
それが後押し足り得ないだろうなということもなんとなくわかっているが。
「……わかりました。私、アイドルを続けることにします。そして、修斗さんとは――」
「宮川自身はどうなんだ?」
俺は宮川の言葉を遮って問い掛ける。
「どうって……何がですか……」
「アイドルを辞めて欲しくない、というのは俺の考えでしかない。それを鵜呑みにして答えを決めるのか? あんた自身が考えてることはないのか?」
宮川は返答に窮し、再び俯く。
「ありますよ……」
宮川は震える声で絞り出すように口にする。
「私はアイドルを続けたいです。ハチバチさんの作ってくれた曲のおかげで、とても注目を浴びてファンの人もちょっと前からは考えられないほど増えました。受験勉強があって活動に注力こそできていませんが、今はアイドルとして活動するのが本当に楽しいんです」
宮川は俯いたままで、どんな表情をしているのかはわからない。
代わりにポニーテールが目につく。結び目を隠すように飾り付けられた見覚えのある真っ赤なシュシュ。
あの時からずっと欠かさず付け続けているのは知っている。
思えば、宮川はあの時から変わり始めたんだろう。
「それと同じくらい修斗さんと一緒に居たいです。きっかけは確かにハチバチさんのおかげです。でも、私がそれまでアイドルを続けることができたのは、修斗さんが居たからです。練習が辞められない私を諭してくれました。私が出演するライブを見に来てくれました。いじめられている時に助けに来てくれました。本番前に不安に駆られている私の背中を押してくれました。私は……貴方が見てくれていたから頑張れたんです」
テーブルに一粒の水滴が零れ落ちる。
「どっちも諦めることなんてできないんですよ! でも、選ばなきゃならないんです! どっちかを諦めなきゃならないんです! 私には選べる訳ないのに! ずっと苦しいの! でも、誰も助けてくれない! だって、私が選ばなきゃならないから! 意味がわからない! 選べないって言ってるのに! もう嫌なの! 全部全部全部全部ッ!」
宮川は勢いよく顔を上げて叫ぶ。顔をぐちゃぐちゃにしながら、見たことないような感情で喚き散らす。
一頻り叫び終えた宮川は、肩で息をしながら椅子の背もたれにぐったりと寄りかかる。
「助けて……助けて、ください……」
座ったままぐったりとしている宮川は、まだ涙を流しながらか細く声を漏らした。
「宮川の気持ちはこれ以上ないくらい理解した。俺から言えるのは一つだ」
宮川の泣き腫らした顔が俺の方を見る。
「俺は待てるぞ。十年でも二十年でも待ってやる。そして、アイドルをやりきって引退した時、まだあんたが俺のことを好きで居たなら、もう一度告白しに来な。その時は付き合おう」
「……好きでいられるかなんて……そんなの、わかんないじゃないですか……」
宮川は椅子にもたれかかったまま、微動だにすることなく不貞腐れるように言った。
「俺は"待てる"と言ったぞ。この意味、わかるよな? それとも、あんたが俺を好きでいられる自信がないのか?」
「あ、あります! 例え百年会えなかったとしてもずっと修斗さんを好きでいます!」
宮川は急に生気を取り戻したように立ち上がり叫ぶ。
寿命を考慮しなかったとしても百年は流石にどうかと思うが。
「なら決まりでいいか? あんたはアイドルを続けて、いつになるかはわからないが引退した時、まだお互いがお互いを好きでいられたなら付き合う。あんたの選択を、同時には難しいが順番には選べるようにする」
「……わかりました」
こうして、俺と宮川は長い――本当に長い約束を交わした。




