056「アイドル少女、とことん相談する」
車が止まり、運転手さんが降りて後部座席のドアを開けてくれる。車内のどこかを蹴ったりしないようにゆっくりと気をつけながら車から降りる。
「ありがとうございます……!」
車から降りた私は運転手さんにお礼を告げる。
車で送って貰った上にこういう扱いを受けるのは恐縮だったけれど、断ろうとしても聞き入れてもらえる様子がなかったので諦めた。
運転手さんは軽く会釈をして運転席へと戻っていった。そのまま走り出して行く車を見送ってから、私は目的地に向き直る。
神無月さんが行き先を伝えてくれて、送ってくれた人も神無月グループの人だから、間違った場所に送られたということはないはず。だけど、なにぶん始めてくる場所だから合っているのかという不安はある。
表札の"木崎"という文字を確認してからインターホンの前に立ち、二回ほど大きく深呼吸をして心を落ち着けながらボタンを押した。
インターホンの音が鳴り響き、数秒の後に声が聞こえてくる。
『はい。あら、宮川さん! 今出るわね』
一方的にそう声が聞こえて、返事をする間もなくインターホンが切られる。
声の感じから修斗さんのお母さん――木崎美玖さんだったと思う。
修斗さんじゃなかったのは緊張せずに済んだ気がするけど、美玖さんだとここに来た理由の説明をしなきゃならないのではないのかと思い至り、別の緊張が湧き上がってくる。
なんとか落ち着こうとあたふたしている間に、玄関扉からカチャンと鍵を開ける音がしてどきりとする。間髪入れずに扉が開けられる。
「いらっしゃい、宮川さん」
「こ、こんにちは、美玖さん。突然すみません……」
明るく出迎えてくれる美玖さんに挨拶と謝罪を兼ねて会釈する。
「いーえ。でも、ごめんなさいね。修斗、今居ないのよ」
「……そうですか」
やっぱり連絡もせずだと、修斗さんにとって迷惑だとか以前にこういうことも起こってしまう。
神無月さんを責めるつもりはないけれど、結果としてタイミングが悪くなってしまったなと思う。
「でもまあ、いつものあれだろうし、もう少ししたら帰ってくると思うわよ。宮川さんの時間があればだけど」
美玖さんの言う"いつものあれ"が何を指しているのかはわからない。でも、定期的に行っている何かがあるみたいだとは理解できた。
「わかりました。また後で来ます」
そう言って踵を返そうとすると、「ちょっとちょっと」と声をかけられる。
「こんな何もない住宅街で時間を潰すの大変でしょう? 中に入ってお待ちなさいな」
「わ、悪いですよ!」
「いいから」
迷惑を掛けられないと断ろうとする私の腕を掴んで、美玖さんは私を家の中へと引きずり込んでいった。
観念した私はダイニングまで通されて椅子に座らされる。
「はい、これ。りんごジュースしかなかったけど良かったら飲んで」
美玖さんがコップに入ったリンゴジュースをテーブルの私の前に置く。
「あ、ありがとうございますっ!」
出されたコップを手に取り、一口飲む。
美玖さんも椅子に座って手に持っていたリンゴジュースに口をつける。
「そういえば、宮川さん大変ねぇ」
美玖さんがそう切り出し、心当たりしかない私はびくりと体を震わせる。
修斗さんが追いかけ回される件があってから、しばらくアイドル学園の登下校は美玖さんの送り迎えをしてもらっていた。
とすれば、当然なぜ送り迎えが必要な事態になったのかは把握しているはずで、その原因が私にあることも知っているはず。
「すみません……。修斗さんに迷惑をかけてしまった、その影響で美玖さんにも迷惑をかけてしまいました……」
テーブルに額がぶつかる寸前まで深く頭を下げる。
「あー、いいのいいの。私は修斗がとんでもない目に遭ったのを聞いて爆笑してたくらいだから」
「そうなんですか……」
あれは爆笑するような話ではなかったと思う。
「だって、あの子。前の学校で辞めたバスケに戻ってくるように言われたり、辞めたことで奇異の目で見られることが嫌でアイドル学園に転入したのよ? 平穏に学生生活を過ごしたいからって。それが変な記者に追いかけ回されてたら爆笑もするわよね」
神無月さんのような人に言い寄られたりしたということなのだろうか。
修斗さんは人間関係にドライなところがあるから、そういう煩わしいのは避けたかったということなのかも。
「確かに平穏とは程遠いですね……」
今回の件に限らず、修斗さんはアイドル学園での生活の多くを平穏に過ごせたとは言えないと思う。
学園祭、神無月さん、私のいじめ、二回目の学園祭。
修斗さんが求めていた平穏を壊した原因の大半が私だと知ったら、美玖さんはきっとまた爆笑するんだろうな。
そう思いながら私は苦笑した。
「まあ、そもそもアイドル学園なんかに行っても、平穏に過ごすことなんて出来なかったと思うけどね」
「……どうしてですか?」
修斗さんのようなアイドルじゃない人がアイドル学園に入った時、何も起こらず平穏に過ごせる可能性は比較的高いように思う。
実際、アイドルばかりの中にアイドルではない人がやってきたら、少しは珍しく思われるかもしれない。だけど、アイドル学園ではそういう人は全くいない訳ではない。修斗さんのように兄弟姉妹でアイドル学園に通っていたりする人は意外と多い。
修斗さんの場合は、桜庭さんが修斗さんのことを知っていて接触を図ってきたことが一番大きいと思う。そのせいで学園祭に巻き込まれて、U-rioの二人にも存在を認知されてしまった。
後はアイドルではない生徒に興味を持っていた優さんが居たことも大きい。そこから唯ちゃんとも知り合いになって、BORDERLESSとL'AILEに繋がりができてしまった。
この二つは偶然でしかなくて、桜庭さんが修斗さんのことを知らなければ、優さんと同じクラスでなければ、修斗さんは比較的平穏に過ごせたと思う。
「んー、私の血が入ってるから?」
美玖さんは、けろりとそう言ってのける。
「……え?」
根拠になっていない答えが返ってきて、鳩が豆鉄砲を食ったようにきょとんとしてしまう。
「知っての通り、私って結構壮絶な人生歩んでるじゃない?」
「そ、そうですね……」
美玖さんは元アイドル。それもとんでもなく人気のあったトップ中のトップ。だけど、その活動期間は三年ほどとトップアイドルとしてはあまりにも短い。
短い活動期間の理由は、所属していた事務所が不祥事によって突然倒産してしまったから。
「だから、そういう何かに巻き込まれがちなところが遺伝してるんじゃないかって思うのよ」
トラブルに巻き込まれがちなのは遺伝とか関係あるんだろうか……。
そうツッコミそうになったのを抑える。
そこで私は気づいた。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「何かしら?」
「美玖さんは、どうして結婚したんですか?」
私の質問の意図がわからないようで首を傾げる美玖さん。
「アイドルとして復帰しようとは考えなかったんですか?」
美玖さんは事務所の倒産後、一時的に行方がわからなくなり、次に現れた時には結婚を発表している。
つまり、美玖さんは"アイドル"と"恋人"を天秤にかけて、恋人を選んでいる。
正確に言えば、アイドルとして活動していなかった期間ではあるけれど、美玖さんにその気さえあれば別の事務所で再スタートもできたはず。
今の私に最も近い境遇にあった人なのは間違いない。
美玖さんは「あー」と唸る。
「復帰しようとは思わなかったわねぇ」
「どうしてですか?」
美玖さんの返答にかぶるほどの早さで続けて問い掛ける。
「庄矢さん――あ、夫の名前ね。庄矢さんに会ったのは海外旅行中だったんだけど、道に迷って困ってるところを助けてもらってね」
事務所倒産から行方がわからなくなっていた時期は、海外旅行に行っていたと聞いたけど、結婚相手ともそこで出会っていたんだ……。
「向こうも旅行中だったみたいで、なんだかんだあってそれから一緒に行動することになったのよ。こっちは当時高校卒業したての小娘で、庄矢さんから見たら危なかっかしく見えたんだとは思うのよ」
修斗さんのお父さん……会ったこともないけれど、なんとなく修斗さんのような人を想像してしまう。
「何か約束したという訳じゃないんだけど、いつの間にか旅行期間はずっと一緒に行動しててお互い結構いい感じだったのよ。そしたら、帰りの日どころか飛行機の時間まで一緒だって言うじゃない。そこで『これは運命の人なんだ』って思って、その場でプロポーズしてたわ」
「こ、告白じゃなくてですか!?」
"告白して恋人になる"という過程を飛ばした、想像の上を行く展開に思わず口を挟んでしまった。
すると、美玖さんは一瞬目を丸くした後に笑い出した。
「それ、当時庄矢さんにも言われたわ。『いきなりプロポーズ?』って」
当然の反応だと思う。
「それで、庄矢さんに『成人してからならいい』って言われたから、旅行から帰って"結婚するからアイドル復帰はしない"と宣言して、成人してから結婚に至ったって感じね」
ずっとうじうじ悩んでいる私とはまるで正反対だ。
「アイドルよりも結婚を選んだのはなんでですか……?」
私は続けて尋ねる。
「さっきも言ったように"運命の人だと思った"からなのが一番ね。アイドルやってるのも好きだったけど、仮に庄矢さんと結婚せずにアイドルに復帰した時のことを想像したら、きっと後悔するなって思ったから」
「後悔……」
私には、どっちがより後悔しないかなどわからない。そこに順序はつけられない。
「後悔って言うと失敗みたいな言い回しになるわね。要するに、より自分が幸せになれると思う方を選ぶってことよ。自分が好きなことをするのも、なりたいものを目指すのも、自分が幸せでありたいと思うからじゃない?」
幸せになれると思う方を選ぶ。
その言葉は、なぜだかわからないけれど凄く心に残った。
「お悩みの手助けにはなれそうかしら?」
「え、どうして――」
私の悩みについては話していないのに、美玖さんに見透かされたような物言いをされて思わず口元を覆う。
「そりゃわかるわよ。恋人が居るんじゃないかって話題になってたアイドルが、突然うちを訪ねてきて、真剣な顔で"私がアイドルを続けずに結婚した理由"を聞いてくるんだもの」
美玖さんがそう優しく微笑んで言うと同時に、玄関の方から物音がする。
「お待ちかねの人が帰ってきたみたいね」




