044「アイドル少女、ステージに立つ」
ステージの舞台袖まで着くと、悠希ちゃんと理緒菜ちゃんが直前の準備を行っていた。
「来たわね。コンディションは……聞かなくても良さそうね」
私の顔をちらりとだけ見て、理緒菜ちゃんはフッと微笑んでストレッチを再開した。
「はい! ご心配おかけしました」
そう返事を返して、ステージの方の様子を見る。
「私たちは次の次だよ」
そんな私を見て察してくれたのか悠希ちゃんがタイムテーブルを共有してくれる。
私は衣装のズレを直したり、理緒菜ちゃんを見習って軽くストレッチをしたりして、出番までの時間を使っていく。
出演していたグループがパフォーマンスを終えて下手側へ捌けていく。そして、私たちの直前の組が上手側からステージへと出ていく。
いよいよ私たちの順番がやってくる。
「緊張する?」
顔に出ていたのか悠希ちゃんがそう声をかけてくれる。
「少し……。でも、それ以上に楽しみではあります」
確かに緊張はしている。けれど、さっきまでのような失敗に対する恐怖から来るような緊張ではなく、目の前に映る煌びやかなステージにこれから私が立てるという高揚感にも似た緊張。
たくさんの人にアイドルとしての私を届けられる滅多に無い――いや、来年には卒業していて学園祭には出られないことを考えると、アイドル宮川香奈にとって最後の大舞台になるかもしれないステージ。
そして、観客席で見てくれてるだろう修斗さんと桜庭さんに私のこれまでの成長を見せることのできるこれ以上ない舞台。
失敗するかもとか、失敗したらどうしようとか、今の私はそんなことに思考を割いている余裕なんかない。
全身全霊。思考も感覚も意識も、『私』を構成する全部をこのステージに注ぎ込む。
いつの間にか深く瞑想していた私は、背中を軽く叩かれた衝撃で我に返る。
目を開けると、直前のグループが下手側へ捌けていってるところで、理緒菜ちゃんはステージへと歩いていた。
「行こ」
騒がしいはずの会場内の全く聞こえなくて、それでも悠希ちゃんの声ははっきりと聞き取れる。
悠希ちゃんも理緒菜ちゃんに続いてステージへと歩いて行き、私もそれに追従する。
ステージに出て、所定の位置に着く。それと同時に私たちが選んだ曲が流れ始める。楽曲と、理緒菜ちゃんと悠希ちゃんの歌声。それ以外の余計な音は一切聴こえない。
私の体はこの二週間練習し続けた振り付けを自然になぞる。ほとんど無意識に踊っていることを意識として感じている不思議な感覚。
歌って、踊りながら、時には理緒菜ちゃんや悠希ちゃんとアイコンタクトをして、ステージを跳ね回るようにパフォーマンスをする。
――楽しい!
普段が楽しくないということではない。アイドルをやっているのはいつだって楽しい。
でも、普段"楽しい"と感じるのはステージ上でのパフォーマンスを終えた後に"楽しかった"と思っている。普段のステージ中は楽しいと感じる余裕がないというのがより正しい表現だと思う。
今日は違う。
歌っている、踊っている、その最中。"今"が心の底から"楽しい"。
集中力が切れた訳じゃない。全身全霊を今この瞬間に出しているつもり。その上で楽しいと感じる余裕がある。
不思議な感覚。初めての感覚。けど、そんなものに戸惑っている暇はない。
この楽しい時間を私自身も存分に味わわなきゃ勿体ない。
楽曲と歌声だけが聴こえていた耳に、会場の盛り上がる声が聴こえてくる。観客席の顔は見えないけど、声と会場の雰囲気で楽しんで貰えているのが分かる。
私はそれが嬉しくて、楽しくて、笑みが抑えきれない。
目を合わせた理緒菜ちゃんも悠希ちゃんも楽しそうに笑っている。
そんな楽しい時間も学園祭ではあっという間。
気づけばパフォーマンスは終わっていて、それにワンテンポ気づくのが遅れてしまった私は、二人よりも遅れて下手側の方へと捌けていく。
「楽しかったね、香奈ちゃん」
舞台袖に引っ込むなり悠希ちゃんが微笑みながら声をかけてくる。
「はい! 本当に楽しかったです!」
まだ余韻で少しふわふわとしている感覚の中で私も笑顔で答える。
「化物叩き起こしちゃったかもしれないわね……」
理緒菜ちゃんもまた口角を上げながら、独り言のように呟く。
独り言の内容はよくわからなかったけど。
「宮川さん!」
背後では既に次のグループがパフォーマンスを始めている中、舞台袖に現れたのは桜庭蒼空さんだった。
桜庭さんは私を見つけると、真っ直ぐ私に駆け寄ってくる。
「桜庭さん。どうしたんですか?」
今日の最後に桜庭さんも出番があるから、きっと見てくれているんだろうとは思っていたけど、まさかこんなところに居るなんて。
「控え室で見てたんだけど、居ても立っても居られなくてさ」
桜庭さんは目をきらきらとさせながら、まるでプレゼントを貰った子供のような顔で言った。
「ステージ、とても良かったよ。本当に……去年から見違えるほど良くなった」
「日本一のアイドルからそんなこと言われるなんて光栄じゃない」
桜庭さんの言葉に理緒菜ちゃんが言い返す。
「U-rioの二人には前から言ってるけど、配信オンリーだけじゃなくて、もっと観客を動員する現地のライブもやったら今日みたいに盛り上がるし、熱狂的なファンも増えると思うのに」
桜庭さんは理緒菜ちゃんの方に振り返って言う。
理緒菜ちゃんと桜庭さんの話しぶりからすると、顔見知りというよりは、それよりももう少し親しい感じがする。
桜庭さんの言う通り、U-rioは活動のほとんどがインターネットでのもの。会場に人を入れて行うライブは勿論、テレビなどのメディアにも滅多に出ない。だから、今年の――一応去年も――学園祭に出るとなった時は、界隈ではとても話題になっていた。
桜庭さんの活動とは、ほぼ対極の位置だからお互い名前を知っている程度なんじゃないかと思ってた。
「人を入れてやるとファンの人たちに"各地を回って欲しい"って言われるから、ライブを何回もやりたくない理緒菜とは合わないみたい」
悠希ちゃんが桜庭さんの疑問に回答する。
理緒菜ちゃんはそういうの嫌そうなのはわかる。
「そういうのが勿体ないなあって思ってるんだけど……まあいいや。とにかく、とても良い刺激を貰ったよ。今日のこの後の僕のライブ、楽しみにしてて欲しいな」
「はい! 観客席で見ます!」
そう言って桜庭さんは控え室の方へと戻っていった。
私たちも控え室に戻って衣装を着替えてから各自解散ということになった。私は、あんな凄いステージに一緒に立たせて貰った理緒菜ちゃんと悠希ちゃんに何度もお礼を言って別れた。
会場の通路を通って観客席に入って、生徒のために用意された観客席スペースへと向かう。
そこで修斗さんと優さんに会って、一緒に残りのステージを見ることに。
学園祭のクライマックスに向けて、様々な場所で活躍する人気アイドルたちがパフォーマンスで盛り上げる。
そうして迎えたエンディングの桜庭さんを除いた生徒たちの最後のステージは、L'AILE。学園祭で組んだ三人から結成されたグループであるL'AILEは、最後の学園祭にこのために用意された新曲を披露する。
このサプライズに会場中が盛り上がった後、満を持して桜庭さんがステージに立つ。
会場には、アイドル学園の生徒・配信や中継用のメディア・学園所属生徒の親族などの関係者くらいしか入れていなかったはずだが、それでも会場が壊れるんじゃないかと思うくらい盛り上がった。
こうして、学園祭は終わりを迎えたのだった。




