043「アイドル少女、ステージへと向かう」
時刻は十九時を回って学園祭も終盤。
私たちの出番も近づいていて、今は学園内にあるイベントホールの控え室でその時を待っていた。
控え室は個室というよりは会議室のような大きさで、私たち以外にも出番の近いグループが同じように待機していた。
グループ毎に一曲のみのステージを矢継ぎ早に行う形式だから、待機時間に比べて待機しているアイドルの数が多い。それらに対して個室を割り振って管理するのは、運営の人たちにとっても大変すぎるし非効率であることは私にもわかる。
控え室に設置されたモニターには、学園祭の様子が中継されていて、現状の進行具合を確認できる。
私は控え室に並べられた複数の長机のうちの一つに座って、モニターに映っているグループと手元のタイムテーブルを見比べる。
中継で映っているグループから考えると、私たちの順番が回ってくるまであと二十分くらいだろうか。
なんだか気分が落ち着かなくてじっと座っていられない。
辺りを見回すと、理緒菜ちゃんや悠希ちゃんは当然、同室の他のグループの人たちも静かに順番が来るのを待っている。
平常心を保っていられないのは私だけみたいだった。
学園祭のタイムテーブルは、運営である学園側が設定する。生徒側からの希望等は基本的に受け付けておらず、タイムテーブルを公表した後に生徒からの要望が出せない訳では無いが、ほとんどそれが通ることはないと唯ちゃんは言っていた。
設定されたタイムテーブルについて、公表こそされていないが暗黙の了解として、知名度のあるメンバーで構成されたグループや話題になるであろうグループは終盤に配置されることが多い。
本当に特殊な事情を抱えていたとはいえ、タイムテーブルを一週間前に変更した上に大トリに設定された去年の私たちはとんでもない状況だったんだなと改めて思う。
去年までは一日で全てのステージを行っていたため、夕方くらいからはずっと人気アイドルたちが終わりまで出続けているイベントだった。生徒同士が自由に組めることもあって、設定されたタイムテーブルも人気アイドルの中での厳密な知名度や人気順には並んでいなかった。そのため、社会人にとっては定時直後の時間帯に応援しているアイドルが出てしまった場合に、リアルタイムで見ることが出来ないという不満もあったみたい。
今年は二日開催になったこともあり、初日の終盤にも振り分けられるようになったことでそういう不満も少しは解消される効果が期待される。と、優さんが言っていた。
つまり二日目の終盤。恐らく学園祭で一番の盛り上がりを見せるこの時間帯は、人気アイドルたちばかりの学園祭ゴールデンタイムと言える。
当然場数を踏んだアイドルばかりなため、ステージ直前でも緊張で心を乱したりはしない。なんだか胃が痛くなってきているのは私だけなのだ。
宮川香奈というアイドルで見れば当然今ここに居るのは場違いではあるのだが、私が居るという部分を差し引いてでもU-rioの二人が学園祭に参加することの話題性が大きいということなのだろう。去年は不運によって出られなくなってしまったということも今年の期待度に拍車をかけていそう。
私は胃痛を紛らわせるようにお腹を擦る。
「大丈夫?」
長机の隣に座っている悠希ちゃんが小声で耳打ちする。
「だ、大丈夫です。たぶん……」
「大丈夫そうには全然見えないけどね」
悠希ちゃんの奥に座っている理緒菜ちゃんが、頬杖をつきながら独り言のように呟いた。
大丈夫だと自分を自分で鼓舞しないとどうにかなってしまいそうであるのは事実。
私にとって初めての――去年のことは全然覚えていないので――大舞台。会場の広さも観客も普段の私の活動とは比べ物にならないほどの規模。
加えて、私の脳裏にはどうしても去年のことがチラついてしまっている。
記憶があるのは、医務室で目覚めてからだけど、目が覚めた時の血の気の引き様は今でもはっきりと思い出せる。
もうあんな思いはしたくない。私自身がどうというよりも、修斗さんや桜庭さんと同じように、理緒菜ちゃんや悠希ちゃんに迷惑をかけるのが何よりも怖かった。
「すみません……」
「謝ることないよ。誰だって緊張することはあるもの」
悠希ちゃんが背中を擦ってくれる。けれど、胃の痛みが引くことはなかった。
必死に胃の痛みに耐えていると、控え室の扉がノックされて学園祭の運営の人が入ってくる。
「玉城理緒菜さん、岩井悠希さん、宮川香奈さん。そろそろ移動お願いします」
心臓が大きく脈打つ。平衡感覚がなくなり、座っている状態なのに倒れそうになる。
さっきまでぼんやりと頭の中にあるだけだった、ステージ上で倒れる私の映像が急にはっきりと想像される。
私の隣に立つ悠希ちゃんが何か声をかけてくれるのが聞こえるけど、話の内容が上手く聞き取れない。
「はい、大丈夫、です……」
答えになっているのかもわからないまま答えを返して、私は立ち上がる。
真剣な顔で私を見る理緒菜ちゃんと、心配そうな表情で私を見る運営の人。
私は目をぎゅっと瞑って、自分の両頬を力一杯叩いた。緊張と胃痛は解けないけど、感覚はある程度戻ってきたし、ちゃんと音も聞こえる。
「香奈」
「はい」
理緒菜ちゃんに呼ばれて返事をする。
私の返事を聞いた理緒菜ちゃんはそれ以上何も言わずに控え室を出ていった。困惑した様子で運営の人も控え室を出ていき、私と悠希ちゃんも後に続いた。
「えっと……では、ステージ近くの待機場所まで案内しますね」
運営の人がそう言って、理緒菜ちゃんの前に立ち廊下を先導して歩く。
私たちがステージ方面へ歩き出したとほぼ同時に背後の方で、人が走ってくる音と声が聞こえてくる。
私たちは何事かと後ろを振り向く。
「ちょっと! 困りますよ!」
「ほんのちょっとだけって言ってるでしょ~?」
私が視界に捉えたのは、走ってくる唯ちゃんとそれを追う恐らく運営スタッフの人。そして、唯ちゃんの真後ろを走る修斗さんだった。
唯ちゃんは私たちと目が合うと、走る速度を上げて私たちのもとへと辿り着いて、私の目の前で止まった。
「なんとか間に合ったみたいね~」
少し乱れた息を整えながら唯ちゃんはそう零した。
「藤田さん!」
追いかけてきていたスタッフさんも少し遅れて追いつき、唯ちゃんを糾弾するように声を上げた。
唯ちゃんは即座に対応し、スタッフさんの肩を掴んで方向転換させる。
「私は目的達成できたので戻るわね~。ご迷惑をかけて申し訳なかったわ~」
「ちょっと! 彼も一緒に――」
「彼には五分……いや、二分だけ時間をあげてちょうだい~?」
「な、何を勝手なこ――」
スタッフさんの口が唯ちゃんの手によって塞がれ、それ以上を口にすることはできなかった。
スタッフさんの口を塞いだまま、唯ちゃんは顔だけをこちらに向ける。
「ということだから、二分だけね~? それ以上は私怒られちゃうからちゃんと守ってね~?」
そう言ってスタッフさんと一緒に通路を戻っていった。
スタッフさんの様子から察するに、時間を守ろうが守るまいが怒られるだろうことはツッコんだほうがよかったのだろうか……。
嵐のようにやってきて去っていった唯ちゃんにその場に残された私たちは混乱したまま状況がうまく呑み込めなかった。
そんな中、理緒菜ちゃんが修斗さんに近づき、顔をめがけて指を指す。
「遅い!」
「これでも結構急いだ方なんだが」
「そもそも今日のこの時間まで予定を入れるんじゃないわよ。今回は間に合ったから許すけど、今後は優先順位ってものを学びなさいよ」
そう言って理緒菜ちゃんは通路を歩いていってしまった。
「香奈ちゃんのこと、頼んだ」
悠希ちゃんも修斗さんにそう一言だけ言って理緒菜ちゃんの後を小走りで追っていった。案内をしてくれていた運営さんは困惑しながら、少し悩んだ後、職務を全うすることを優先して理緒菜ちゃんたちを追った。
通路には私と修斗さんだけが取り残される。
「……頼んだと言われてもな」
ため息交じりにぶつぶつと呟く修斗さん。
「まあ、なんだ。頑張れよ、最後までちゃんとやり遂げるところ見とくから」
修斗さんは、私と視線を合わせずにそっぽを向きながらそう言った。
「はい! 頑張ります!」
私は明るく大きな声で返す。
「……じゃ、戻るわ」
「あ、あの!」
それ以上話すことがないと言うように踵を返した修斗さんを、思わず引き止めてしまう。
引き止めてから自分の行動に疑問を抱く。けど、振り返った修斗さんの方がよっぽど懐疑的な目で私を見ている。
「あー……っと……。その……練習試合は、勝ったんですか?」
必死に何かないかと言葉を捻り出す。
我ながら酷い内容だとは思う。
「は?」
修斗さんは豆鉄砲を食らったように目を丸くする。
「その……ちょっと、気になった、というか……」
余りにもしどろもどろに言葉を紡ぐ。
「今聞くことかよ」
私もそう思います。
「……まあいいか。二試合やって両方勝ち。優秀なキャプテンが居たおかげだな」
「そ、そうですか」
それを聞いてなんだという話なのだが。
バスケットボールに詳しくもない私はそれ以上の返答ができなかった。当然のように沈黙が流れて気まずくなる。
「んじゃ、今度こそ戻るわ」
「はい。あっ……」
私がそう声を漏らすと、修斗さんは「まだ何かあるのか?」と言わんばかりの表情で私を見る。
私は修斗さんに背を向けて、口を開く。
「背中、押してもらえませんか……?」
口にしてから、この期に及んで図々しいお願いをしてしまったと自省する。
「すみません、やっぱりい――」
――やっぱりいいです。
そう言って振り返ろうとすると、背中に手が当てられる。
「去年と違ってあんたが今日のためにどれだけ努力したかは見てない。けど、どうせ馬鹿みたいに努力したんだろうことはなんとなく想像つく。だから、自信持ってやってきな」
私は何を不安に思っていたのだろう。
修斗さんの言葉は不思議とそんな気持ちにさせてくれるものだった。
「……はい! いってきます!!」
修斗さんに優しく背中を押されて、その勢いのまま振り返ることなくステージへと向かって歩く。
胃の痛みはいつの間にかなくなっていた。




