039「一般少年、思い耽る」
夏休みが明け、九月。
まだ夏の面影は残っているものの、ところどころに秋の陰が見え隠れし始める頃。
朝のホームルームでちぃちゃん――クラス担任の伊東千鶴のこと――から連絡事項が伝えられる。
「来週から学園祭期間になります。参加希望の生徒は今週中に参加申請してくださいね」
学園祭。聞き覚えのある単語が耳に入ってきて物思いに耽る。
そういえば、もうアイドル学園に来て一年経つんだな。
ここ数ヶ月は比較的平穏に過ごしていて忘れていたが、去年の今頃は特にいろいろ巻き込まれて大変な目に遭った。桜庭が現れて、軽森と藤田と知り合いになって、BORDERLESSのライブに連れて行かれて、学園祭に参加して。
思い返せば返すほど、ただの一般人男子高校生が経験する学生生活からは程遠い日々だった。
どうしてあんなことに……。
「なあ、今年は出るのか?」
いつの間にかホームルームが終わって、ちぃちゃんが教室を後にしようとしている中、前の席に座っている軽森が振り返って問いかけてくる。
「愚問だな」
「なるほどね。誰と出んの?」
俺は次の授業の準備のために教科書とノートを取り出す。ノートを開いて前回の板書を読み返し、授業前に軽く復習を始める。
「無視はやめて」
「話す価値がないと判断したんだが」
別に読み返す気もほとんどなかったノートを閉じて、椅子の背もたれに寄り掛かる。
「去年だって出たくて出たわけじゃないことは知ってるだろ」
「そりゃあね。転入当初は本当にアイドルなんか微塵も興味なさそうだったし。けど、一年経っていろいろあった上でなら心境の変化もあるかなってさ」
俺は腕を組んで深く息を吐く。
心境の変化ねぇ……。
「無いとは言わない。だからと言って、学園祭に出る気になるのとは全く別だ」
そもそも俺は平穏に過ごしていたいんだ。
この学校は"アイドル学園"と称されるだけあって、日本でも屈指の特異な環境ではある。ただ、だからこそ、ただの一般人である俺は、周りからすれば歯牙にもかけない存在であったはず。
事実として、このアイドル学園で一般人として一年ほど過ごしてきて、全く関係性も何もないアイドルから話しかけられたりすることはなかった。
……"関係性が全くなければ"の話ではあるが。
関係性がなかったはずなのに俺のことを知っていた桜庭蒼空。関係性もなく、俺のことも知らなかったはずなのに、いの一番に俺に話しかけてきた軽森優。
俺の平穏が木っ端微塵にされた原因の九割九分はこの二人の男によるものだ。
同日に転入してきた宮川や、ライブチケットを押し付けてきた藤田の存在も原因の一部にはなるだろうが、そんなものは元凶共に比べれば些細なことだ。
「勿体ねぇなあ。当時見てたけどステージ結構良かったのに」
元凶の片割れは、そんな自覚もないのか悪びれもせず宣う。
学園祭のあの日のステージに関しては、自分は演者だったし後から配信やらで見返すこともなかったので、客観的に見てどうだったのかとかはわからない。
学園祭というイベントとしての結果は出なかったというのが俺の認識。
それに対して、もし"良かった"という感想が出るんだとしたら、それはメインでやってた宮川の努力。それと、桜庭の存在が理由に挙げられるだろう。
桜庭は正体を隠していたとはいえ、パフォーマンスを見れば一般人でないことは見てる側からでも察することはできた可能性がある。そう考えれば、軽森がステージを見た感想への影響は少なからずあったのだろう。
まあ軽森はアイドル自体が好きなのと、知り合いには甘い採点しそうなタイプだから当てにはならなそうだが。
「他人事だからって適当言いやがって。とにかく俺は出るつもりはない」
きっぱりとそう断じる。
「香奈ちゃんにお願いされても?」
不可解な疑問を投げ掛けられて、思わず目を細めて軽森を見る。
「誰だろうと関係ないな。軽森でも藤田でも答えは変わらない」
「ふぅ~ん……」
軽森は含みがあるような態度で相槌を打つ。
「でも、唯ちゃんに言われて断れんの?」
「……抵抗はする」
◇ ◇ ◇
放課後、帰りの支度をして帰路につく。
学園の玄関から外に出ると、校門の辺りに人だかりが出来ているのを視界に捉える。
「何あれ」
いつの間にか背後に立っていた軽森が、同じく校門の様子を見て疑問を口にする。
「さてな。俺が知るわけないだろ」
俺たちは歩き出し、徐々に人だかりに近づいていく。
近づきたくて近づいている訳では無いが、校門を通らないと学園の敷地からは出られないため致し方ない。
人だかりに近づくにつれて、どうやら何かが中心にあって、それに対して学園の生徒が集まっているだろうことが分かる。
「あっ」
大分近づき、人だかりの一番外側あたりまで到達すると、軽森が何かに気づいたように声を上げた。
人だかりの中心に何があるのかわかったらしい。
歩いて横を通り抜けようとしつつ、人の壁の隙間から中心に何があるのか見えないか様子を窺う。
「げっ」
人と人の間から桜庭蒼空の顔を発見する。
せっかく奴自身が卒業したおかげで絡まれる心配がなくなったのに、ここで捕まったら意味がなさすぎる。
俺は視線を正面に向けて、早く人だかりから離れようと歩く速さを上げる。
「蒼空様ー!!」
軽森が大声で桜庭に向かって呼びかける。
他のファンへの対応と同様に軽森が居る方向に対して手を振ってくる桜庭。
「あ、木崎君!」
そして俺を見つけてしまった。
桜庭は「ちょっとごめんね」と言いながら、人をかき分けてこちらへ歩いてくる。
桜庭の意図を察したのか、俺と桜庭の間に壁のように立ちはだかっていた人々が移動して行き一本の綺麗な道が開通する。
そうして何の障害もなくなった桜庭が俺の目の前まで歩いてくる。
「やあ。久しぶり、木崎君。会えて嬉しいよ」
「ああ……」
「俺は別に嬉しくないが」という言葉は、周りの目もあるため口するのは憚られた。
「時間あるなら少しお話しない?」
お断りすぎる。
「いや、集まってるファンはどうす――」
「軽森君も一緒にどう?」
「是非! お願いします!!」
やんわり断ろうとしたが、桜庭に一歩先を行かれ、軽森ごと抱き込まれた。
桜庭は集まっていたファンたちに謝罪をして、俺たちを連れて学園内の食堂へと向かった。
「急に誘っちゃったし、ここは僕が出すよ」
食堂のカウンター近くにある注文用のタッチパネルの前で桜庭が言う。
俺は躊躇無くドリンクのメニュー一覧からグレープソーダを選ぶ。桜庭に奢ってもらうのに少し遠慮するような感じだった軽森も少し悩んでカフェラテを選ぶ。最後に桜庭がホットコーヒーを選択して注文を確定する。
少ししてカウンターで出された飲み物をそれぞれ受け取り、食堂奥にある四人用のテーブル席に座る。
「さて、助かったよ。あのままだとずっと足止め食らっちゃいそうで困ってたんだ」
席に着くなりコーヒーを一口飲んで桜庭が言う。
逃げる口実に俺を使うのはやめて頂きたいんだが。
「学園に来るの卒業以来すよね?」
「そうだね。卒業してからは大学もアイドルも忙しくて、全然そんな余裕なかったからね」
軽森の質問に答える桜庭。
笑い話のように言う姿からはまるで大変そうに思っているようには聞こえない。
「そんな忙しい日本一のアイドル様がどうしてアイドル学園に?」
面倒事に巻き込まれた嫌味を込めて尋ねる。
「学園長からお呼び出しがあってね。学園祭の出演要望だって」
軽森があまりの驚きに椅子をガタガタと揺らす。
「そ、蒼空様が出るんすか? 学園祭に!?」
そら驚きだ。なんせ在籍中は出禁だったというのに。
まあ去年は出てたんだが。
「そうなんだ。審査対象としてじゃなく、エンディングにゲストとしてって感じみたいだけど」
学生であるうちは桜庭が出るなら審査対象になるのは当たり前。しかし、そうなると結果的にほぼ出来レースになるため、出禁にせざるを得なかった。
審査対象外という扱いで出すにも、本来は正当に評価を受けられるはずのアイドルが除外されるのは、本人にとって良くても外からの印象としては良くは映らない。
それが卒業後であれば、審査対象ではないゲストとして出すことに違和感はないということなのだろう。
「なるほどな。学生じゃなくなって出てもイベントを破壊しないからか」
「あえて酷い言い方しなくてもいいんだよ?」
桜庭が苦笑しながら言った。
それから学園祭出演について軽森が根掘り葉掘り聞き始めた。
それによれば、今日は桜庭の学園祭出演についての詳細を詰めるためにアイドル学園へ足を運んだということらしい。
俺が「ならこんなところで油を売ってて良いのか」と聞くと、「マネージャーがやってくれてるよ」と涼し気な顔で抜かした。その後、鬼の形相をしたマネージャーらしき人物が食堂にやって来て、「ファン対応が終わったら向かうって言ったでしょうが」と怒鳴りながら桜庭を引きずっていったのだった。




