022「アイドル少女、出遭ってしまう」
修斗さんと神無月さんの勝負の日。
私たちは神無月さんから勝負の行方を観戦する許可を貰って、皆で修斗さんを応援することにした。
でも、応援とは言うけど、勝負に勝った時と負けた時のどちらが修斗さんのとって良いのかは私には分からなかった。
勿論修斗さん本人の意思を尊重するなら修斗さんが勝つ方がいい。けれど、負けてチームに入った方が未来の修斗さんにとって良いのかもしれない。
自分のことでもないのに、ここ数日はこんなことばかり考えていた。
当の修斗さんは勝負が決まってから、放課後はすぐに練習に向かっていたみたい。普段の放課後はのんびりしながら行動している修斗さんからは想像できなくて、それだけで修斗さんの真剣さが伝わってきた。
いろいろ無駄に一人で考え込んだり、修斗さんの真剣さを目の当たりにしてきたからか、昨日は緊張してしまって寝付きが悪かった。
何から何まで部外者なのに自分でも本当に意味がわからない。
今日も唯ちゃんと優さんと会場近くの駅で待ち合わせの約束をしたのだけど、家に居るとそわそわしてしまって落ち着かなかったから約束の時間よりも随分早く来てしまった。
駅の改札から少し離れたところの壁際に背を付けて待ち合わせ時間を待つ。
週末だからか駅構内には人で混雑していて、ともすれば唯ちゃんや優さんが来ても見落としてしまうかもしれない。
「香奈ちゃんじゃーん」
駅の喧騒の中で嫌にはっきりと聞こえる私を呼ぶ声。
声のする方を見ると、そこには私と同じくらいの年齡の女の子三人組。
彼女たちを知覚した瞬間に本能が「逃げろ」と警告する。でも、足が動かなかった。
「引きこもりから脱出できたんだぁ~」
私に声をかけてきた女の子が心にも思ってなさそうな顔で言い放つ。
「まだアイドルやってるんでしょ~?」
「あー見た見た。ステージ上で倒れてた奴でしょ」
取り巻きの女の子たちがケタケタと笑いながら言う。
彼女たちは私にとってのトラウマ。
彼女たちのいじめによって、私はアイドル活動どころか学校に通うことすらできなくなっていた。
いじめの理由はアイドル活動をしているのを知られたから。それの何が気に入らないのか分からなかったけど、事実として標的にされてしまったのだ。
「アンタみたいなブスがアイドルでやってけるわけないってアタシらが教えてあげたのにね~」
「悲劇のヒロイン気取って注目を浴びたいんでしょ。ステージ上で倒れるのとかまさにそうじゃん」
不登校となってしまった私は数ヶ月の間自室にこもりきりになってしまった。しばらくして家の中では自由に過ごせるようになったけど、いじめの主犯たちが多少の注意で済まされてしまったこともあり、学校へ登校するようにまではなれなかった。
そんなところにお母さんと担任の先生が勧めてくれたのがアイドル学園だった。
「せっかく――」
更に嫌がらせが続きそうなところでスマホの着信音が鳴り響き、女の子が電話に出る。
「もしもし? うん、居るよー。えっ、マジ……? わかった……」
一分もない通話を終え、舌打ちをしながらスマホをしまう。
「最悪。ドタキャン食らったわ」
「えーっ」
三人ともが肩を落として落胆する様子を見せる。そして、私と目が会う。
その目は私の心を壊した目。使い捨ての玩具を見るような明らかに人間を見る目じゃない。
それを分かっていても私の体は震えるだけで足を踏み出してはくれなかった。
「ねぇ、アタシら暇んなっちゃったからさぁ。ちょっと遊ぼうよ」
◇ ◇ ◇
「ああッ」
駅から少し離れた人気のない路地裏に連れてこられた私は、雑に投げ捨てられて地面に転がる。
直後に追い打ちをかけるように踏みつけられる。
「あーイライラするわ」
「またやりすぎて学校にバレないようにしなよ~?」
取り巻きの子の一人がスマホを弄りながら、こちらには目も向けずに言う。
「わかってる――わよッ!」
返事をしながら今度は私の横腹を蹴り飛ばす。呻く私。
また心が壊れていく。私自身もいじめられていた頃に戻っていくような感覚。
「呻くなッ! 黙って蹴られてなさい! 耳障りなのよ!!」
道端に居た虫の息の根を止めるように何回も何回も思い切り踏みつけられる。
……そっか。私は彼女たちから逃げられることはないんだ。学校を変えて物理的に距離を取ってもこうやっていつか見つかってしまう。そうしてまた心を壊される。いつか心が元に戻らなくなるまで……ううん、きっと壊れたままになっても続くのだろう。
こんな夢も希望もない状況でも涙は出なかった。
泣くと彼女のイラつきが加速して暴力の過激さと時間が伸びるだけ。もう忘れたと思っていた記憶なのに体はしっかり覚えている。
すると、私のポケットのスマホに着信が入る。
既にボロボロでぐったりとしていた私よりも早く、彼女は私のポケットからスマホを取り出して画面を覗き込む。
「何。"藤田唯"? 誰これ」
待ち合わせの時間、過ぎちゃったのか。
彼女たちが現れてから時間経過が把握できていない。
このままだと唯ちゃんや優さんにも迷惑がかかってしまうかもしれない。
「アイドルじゃない?」
「あーテレビとかに出てるやつ?」
取り巻きの子たちが興味なさそうにしながら答える。
「ふーん。人気アイドルと知り合いになって、自分も人気アイドルになった気分って感じ? きっしょ」
彼女はそう言って舌打ちをしながら着信を切ってスマホを地面に落とした。
「ああー、ちょっと本気でイライラするわ。アレ、やろうよ」
最早動くのも辛いはずだったのに"アレ"と言われて心臓が強く脈打つ。
「えー? アレめんどいって。大体ここらへんにそんな場所あんの?」
「探してよ。アンタらもアレ好きじゃん」
「そうだけどさ~。わざわざ今から場所探すの私嫌だって」
彼女と取り巻きの一人が言い合いする。
「……ちょっと歩くけどこれ。いいんじゃない?」
ずっとスマホを弄っていた方の取り巻きの子が、言い合っている二人に割って入ってスマホ画面を見せる。
「……いいじゃん。ここにしよ」
私を無理矢理立ち上がらせて、彼女たちは再び場所を移した。
駅の方面と逆に更に十数分ほど歩いた先、住宅街からも少し外れたような荒れ地にある泥池の前に連れられる。
「絶好のロケーションじゃん! やるぅ~」
彼女はスマホを弄っていた取り巻きの子の肩を嬉しそうに叩く。次に彼女は私の首根っこを掴み、泥池のギリギリまで移動する。
「ほら、座れ」
そう命令され、逆らう気力すらも削り取られた私は力なくその場に座り込む。彼女も私のそばにしゃがみ込み、私のポニーテールの根っこを掴む。
「はーい、いくよー」
そう聞こえたと同時に頭を思い切り引っ張られ、私は泥池の中に頭を突っ込まされた。
水底に沈められるんじゃないかってくらいの強い力で頭を抑えつけられ、自らの意思で顔を上げられなくされる。次第に苦しくなって体内の空気を水中に思い切り吐き出し、代わりに泥水を吸い込む。
同時に頭を引っ張られて顔を上げる。
「ゲホッ、ゲホッ」
泥水を吐き出して咽る。足りない空気を求めるように呼吸が荒くなる。
口の中は草や泥でよく分からないことになっている。
「きゃはははっ。みっともない顔! はい、次いくわよー」
私の顔を見て楽しそうに笑う。そして、私の顔を泥池に沈める。
私の顔を泥池に沈める、しばらくしたら引き上げる、苦しそうな私を見て笑う。それを幾度となく繰り返す。
辛くて涙が出たけど、顔はそれ以上にぐちゃぐちゃで涙どころではなかった。
気が遠くなるほどそれらが繰り返された頃、異変が起こる。
息が続かなくて限界なのに引き上げられない。頭を抑えつける力が弱まらず、花や口から泥水が絶え間なく入ってくる。
私は無我夢中で藻掻いて腕が水面を思い切り叩く。
すると押さえつける力がなくなり、私は勢いよく顔を上げる。
「ゲホゲホッ、おえっ……はぁ、はぁ……」
私はその場にうずくまって必死で呼吸することしか出来ない。
「このっ……! 泥水がかかったじゃないッ!!」
彼女の怒号が聞こえたと思ったら横腹あたりに強い衝撃が来て、私は泥池に体ごとふっ飛ばされた。
そこまで深い池ではなかったから溺れることはなかったものの、全身が泥に塗れた。
「やーい、歯向かわれてやんのー」
「ほんっと最悪! 死ねばいいのに!」
泥池に浸かる私を見下しながら彼女たちは話す。
「これ、撮ってグループに共有しよ」
「いいわね。そのくらいしないと気が晴れないわ」
身も心もボロボロで立ち上がる気力すらない私は、スマホのカメラを向けられても泥池から抜け出せず、せめてもの抵抗に顔を背けるくらいしかできなかった。
「はい。じゃあ、送し――」
悪魔のように笑う彼女がスマホを操作して、大袈裟に腕を振り上げて画面をタッチしようとしたその時だった。
彼女の後ろから腕が伸びてきて、スマホを操作しようとした腕を掴む。
「きゃあっ!」
急な出来事に困惑する彼女が悲鳴を上げ後ずさる。しかし、掴まれた腕は振りほどけない。
後ずさったおかげで彼女の腕を掴んだ人物が私からも見えるようになる。
修斗さんだった。
「だ、誰よアンタッ!!」
修斗さんは彼女のスマホを奪い取り、近くに建っていた電柱に叩きつける。
「ちょっと何して――グゥッ!」
修斗さんの行動に彼女が詰め寄ると、修斗さんは彼女の首を掴み持ち上げる。
「ぐ、ぐるじ……」
首を掴まれたまま持ち上げられて、つま先立ちになっている。首が絞まり呼吸が出来ず、修斗さんの手を外そうと藻掻く。
ここに現れてから一言も発さない修斗さんは、彼女が苦しむのを観察したまま微動だにしない。
怒涛の出来事に取り巻きの子たちも固まったまま動けない。
「やべ……て……」
苦痛に涙を流しながら訴える彼女の言葉がまるで聞こえてないかのよう。
表情も無のままずっと変わらない。これは本当に修斗さんなのだろうか。
窒息が近いのか彼女の抵抗が弱くなり始める。
そこで私は我に返る。
「修斗さ――」
「おやめなさい、木崎修斗」
私よりも一瞬早くそう制止する声が聞こえて、修斗さんは首を掴んでいた手を離す。
急に解放された彼女は勢いそのままに尻もちをつき、喉に手を当てて必死に空気を吸う。
修斗さんはやってきた神無月さんとアイコンタクトを取ると、尻もちをついたままの彼女を一瞥し私の方へと歩いてきた。
泥池など見えていないかのように躊躇無く入ってきた修斗さんは、私の側まで来ると手を差し出す。
「立てるか?」
その声色と顔は、つい先ほどまでとは打って変わったいつもの修斗さんだった。
いつも通り無愛想だけど、怖くはない。
「は、はい……!」
私は差し出された手を両手で掴み、引っ張り上げられるようにして立ち上がろうとする。
しかし、足にうまく力が入らず泥池に尻もちをつく。水が撥ねて、泥水飛沫が修斗さんにもかかる。
「あ、ご、ごめんなさっ」
「ちょっと。ひっくり返って」
慌てて謝るも全く意に介さず、ゆっくり押されて尻もちの体勢から四つん這いのような体勢に変えられる。
修斗さんはその私の顔の前に背を向けてしゃがみ込む。
「えっ……と?」
「背負ってやる。まだ泥水に浸かってたいのか?」
泥だらけの状態でそんなことしたら、修斗さんまで泥だらけになってしまう。
そう思って躊躇してしまう。
「お姫様抱っこにするか?」
私は急いで修斗さんの背中におぶさった。
私の体重がしっかり乗ったことを確認した修斗さんは、軽々と立ち上がりそのまま歩いて泥池を上がった。
「場所はお伝えした通りです。できるだけ早めにお願いしますわ」
私たちが上がるまでの間に連絡を取っていた神無月さんは、通話を終えてスマホをしまうと私と修斗さんを見て少し笑う。
辺りを見回すと、三人はまだ動けず固まっていたみたいだった。




