016「一般少年、冬休みに入る」
それから二ヶ月ほど。
アイドル学園に入ってからの一ヶ月とは比べ物にならない平穏が続き、アイドル学園特有のなんとなく厳かな雰囲気にも慣れきった頃。
十二月も折り返しを迎え、冬休みを目前に控える時期。
この時期はアイドルにとって特に忙しいらしく、桜庭が現れることは勿論、軽森も藤田も学校すら休む日が目立った。ライブもそうだし年末の特別番組や配信の出演やその準備等がある。
「マジでエグすぎる。死ぬ」とは、軽森の言。数日前に珍しく登校した日の放課後、普段のハイテンションさの欠片もない死んだ魚のような目でポツリとそう呟き、どこかへと――恐らくアイドルの仕事だろうが――歩いていった。
そんな様子を一緒に見ていた宮川は深刻そうな顔をしていたが、後日登校していた藤田によれば毎年恒例であるという。"いつものこと"というニュアンスは伝わったがいつものことであっていいものなのかという疑問は拭えない。
授業を終えて、学園からの帰路で乗る電車の窓からは、クリスマスのイルミネーションが街を彩る様子が見える。まだ日が落ちきっておらず、イルミネーションが綺羅びやかに光っている訳では無いとはいえ、飾り付けられた街からはクリスマスの雰囲気を感じることができる。
電車を降りて改札を抜けた先で、よりはっきりその雰囲気を一身に感じる。
サンタクロースを信じるような年でもなくなった俺にとって、クリスマスというのはほとんど縁のないイベントだ。強いて言うなら母さんが張り切って作った料理が出てくる日くらいでしかない。
外の冷たい空気で冷えた手を息で暖めてから両手をポケットに突っ込んで自宅へ向かって歩き出す。
街の広告スペースには、桜庭の年末ライブのポスターが目立つように貼り出されている。都心から外れた住宅街の最寄り駅にもこれだけ大々的にポスターが貼られるほどの影響力と知名度。それを改めて実感する。
アイドル学園に転入してすぐに眼の前に桜庭が現れた時には確かにその存在感に圧倒された記憶もあるが、学園祭のことがあったからかそれにも慣れてしまったところがあり、なんならちょっと鬱陶しいところのある知人くらいになってしまっている。
駅周辺を抜けると、すぐに住宅街に景色が移り変わり、クリスマスの雰囲気は大分薄れる。マメなところはそういう飾り付けがされているところもあるが、まあ数は多くない。
しばらく無心で歩いて家へと着く。俺は鞄から鍵を取り出して扉を開け、中へと入る。玄関の鍵を閉めてリビングへと向かう。
「ただいま」
キッチンで洗い物をする母さんに声をかける。
「おかえり~」
母さんは洗い物を続けたまま、顔だけこちらに向けて応じる。母さんの返事を聞いた俺は二階の自分の部屋へ向かう。
「あ、修斗!」
振り返って一歩踏み出したくらいのタイミングで母さんに引き止められる。
「何?」
更にもう一度振り返って母さんに向き直る。母さんは洗い物を終えてタオルで手を拭いてからキッチンの入口あたりまで歩いてから口を開く。
「クリスマスの予定はないの?」
「ないな」
愚問だろと言わんばかりに軽くため息をつきながら即答する。
「そんなわざとらしくため息つきながら言わなくても、私も別に『彼女と過ごすの?』と聞いた訳じゃないわよ」
手を口に当ててプッと吹き出すように笑って言う。
「ほら、アイドルならクリスマスにライブしたりすることもあるでしょ? 前みたいにそういうのに誘われたりとかないの?」
前みたいにというのは、BORDERLESSのライブに行った時のことだろう。
「ないよ」
そう断言する。
断言した後になんとなく嫌な予感がした。
「……たぶん」
とは言うものの、今回は流石に桜庭も軽森も藤田も忙しそうだから、俺に何かちょっかいをかけたりするような真似はしてこないはずだ。
「ふーん、そう。じゃあクリスマスの夕飯は貴方の分も作っちゃっていいのね」
「ああ」
そういう確認かと納得する。
「……もし要らないってなったら、わかったタイミングですぐ連絡しなさいよ?」
「わかったよ」
再度釘を刺され、しっかりと返事を返す。
◇ ◇ ◇
そうして一週間ほど経ち、クリスマス当日。 今年は曜日の関係でクリスマスが冬休み前最後の登校日となっている。
とはいえ、授業らしい授業もなく式も午前中に終えて、午後からは冬休みみたいなものだ。
「今日から冬休みだってのに俺はまだ稼働しなきゃなんないよ~」
ホームルームも終わり、生徒は各々動き出している中、真っ先に正面の席に座ってそう愚痴るのは軽森。情けない声で「あぁ~」と鳴きながら机に突っ伏す。
「アイドルやめればいいじゃねぇか」
帰りの準備を進めながら吐き捨てるように言う。
「やめるわけないのわかってて言うの意地悪すぎんよ~。ちょっとくらいヨシヨシしてくれてもよくないか!?」
「男をヨシヨシする趣味はない」
別に女子にもヨシヨシすることはないが。
「本当にお疲れ様です、優さん」
そんな様子を近くで見ていた宮川が軽森をヨシヨシする。
物理的にヨシヨシした訳では無い。
「香奈ちゃんは修斗と違って優しいなあ!」
ブンッと音が聞こえてきそうな速度で突っ伏していた顔を上げ、口角を釣り上げた顔で俺に当てつけるように言う軽森。
「けど、香奈ちゃんだって忙しいよね?」
軽森の顔がふっと真剣なものに変わり、顎を摘みながら記憶を探るような仕草をしながら問いかける。
「えっ……と、はい。そうですね」
予想外な話題に飛び、宮川はしどろもどろになりながら答える。
「香奈ちゃんもお仕事あるのねぇ~」
そんな宮川の両肩に手をかけて、背後から顔だけ出したのは藤田だった。突然両肩を叩かれた宮川は体をびくりと震わせて驚く。
「は、はい! 所属事務所で開催されるライブに出ます。私の出番自体は二十分くらいですけど」
藤田からの問いにピンと背筋を正して答える宮川。
「ああ~今日レッスンなきゃ見に行けたのにな~」
「あらぁ、もしかして今日なの~?」
軽森が悔しそうに口にした内容から、宮川の出演するライブが今日であると察する藤田。
そんな会話を他人事のように聞いていると、悪巧みでもしているようなニッコリとした藤田の笑顔がこちらに向けられていた。
「修くん、この後暇かしら~?」
しまった。完全に油断してた。




