第二百七十八話
お待たせしました。
第十二章【世界が動くとき】開始となります。
魔王との戦いを終えた僕達は、少しの間休息を取った後にリングル王国へと続く帰路を歩き始めた。
多少の魔物の襲撃にはあったが、それでも行きよりは大分早くリングル王国と魔王領を分ける大河へとたどり着いた。
行きと同じように僕とレオナさんの魔法で作り出した橋を渡ると、どういうわけかすぐにリングル王国からの迎えの騎士さん達とシグルスさんがやってきてくれた。
馬車に揺られながら、なぜ来てくれたのかシグルスさんに訊いてみると、リングル王国には既に魔王が送った書状が届けられているらしく、それで僕達が帰還することも知っていたらしい。
『皆様の姿をこの目で見るまで、我々も半信半疑でした。……ご無事でよかった。本当に』
シグルスさんが力強く、そう言葉にしてくれた。
そのままリングル王国へ到着し、最初にアマコと別れた僕達はすぐさま城へと通され、ロイド様と謁見することになった。
ネアとフェルムは別室で待ってもらうことにして、ロイド様の前には僕、先輩、カズキ、レオナさんが出ている。
「よく……よく、無事に帰ってきてくれた」
ロイド様の姿はどこかやつれていた。
僕達の安否をずっと気にしていたのか、安堵に胸を撫でおろした彼は、僕達全員を見回した。
「本来なら、お主達の帰還を総出で祝うべきではあるが、まずはお主達の話を聞くことが最優先だ」
「ロイド様、魔王から書状をいただいたとお聞きしましたが……」
「ああ、昨日、魔王の使い魔らしき魔物から送られたものだ」
先輩の言葉に頷いたロイド様が薄い茶色がかった羊皮紙を手に取る。
魔王が記した書状。
その文面に目を通した彼は、僕達へと視線を戻す。
「魔王は、我々に降伏すると記されているが、これは事実か?」
「はい。私達は魔王と戦い、死闘の果てに彼を打倒し結果、敗北を認めさせるに至りました」
「……そうか。戦いは、終わったのだな」
ロイド様は、肩の力を抜き玉座に背を預けるように脱力する。
数秒ほど、目元を手で押さえた後に、彼は背筋を伸ばして深呼吸をする。
「詳しい話を聞かせて欲しい」
「詳しい、話とは?」
「おぬし達が魔王領で何を見て、何を感じたのか。そして、魔王という強大な敵を前にしてどのように戦ったのかを、教えてほしい」
その申し出に困惑していると、ロイド様は申し訳なさそうに頭を下げた。
セルジさん達大臣がざわついた様子を見せるが、それでもロイド様は言葉を発する。
「すまない。本当はすぐにでもお主達を休ませてあげたいが、事態は既に動きつつある」
「……承知しております」
「これからは、戦いではなく。それ以外の問題が出てくるだろう。だからこそ、我々は魔族と言う種族への理解を深めなければならない」
「しかし、ロイド様。相手は魔族です」
「だからこそだ」
セルジオさんの言葉に、ロイド様は静かに声を返す。
「許してはならぬのだろう。それだけのことを魔王軍は我々にしてきた」
「ロイド様……」
「しかしそれでも怒りと憎悪のままに安易に魔族を滅ぼす選択を選びでもすれば、我々の内に決して消えない禍根を残すことになる。それはそう遠くない未来に火種となり、また新たな争いを呼び起こしてしまうだろう。……それだけは、絶対に避けなければならない。もう、命を奪い合う争いはたくさんだ」
王として悩み、三度の戦いを経たロイド様に、思わず口を噤む。
そう、だよな。
戦いなんて普通は誰もやりたくないし、命の奪い合いなんてしたくもない。
それこそロイド様なら、そう考えて当然のことだ。
もし、ここで魔族を滅ぼすことを是としてしまったのなら、それでロイド様とこのリングル王国という国の何かが決定的に変わってしまう。
「ウサト君、カズキ君」
先輩が僕とカズキの名を呼ぶ。
こちらを見る彼女に頷いた僕達は、この旅で起こったことを全て話すことに決めた。
どれだけ時間がかかろうと構わない。
僕達が出会ったグレフさんやキーラといった魔族達。
あの遺跡での戦い。
ナギさんが仲間に加わったこと。
魔王軍、そして魔王との最後の戦い。
そして―――スクロール。
できるだけ分かりやすく、この場にいる面々で補足を入れながら説明し終えたときにはロイド様を含めた僕達以外の人々は皆、驚きのあまり口を閉ざしてしまっていた。
特にその場にいたウェルシーさんは、驚きのあまり今にも気絶しそうな顔をしている。
「……う、うぅむ、魔王との戦い以外にも衝撃的な話を聞いてしまったな。先代勇者の相棒だった獣人に、お主達を元の世界に戻す可能性のあるスクロールか」
「スクロールに関しては、ファルガ様の協力を仰ぐべきだと考えております」
「ああ、すぐにでもミアラークに報せを送ろう」
帰る帰らない以前に、まずはファルガ様とすぐにでも情報を交換できるようにするべきだ。
スクロールを受け取ったウェルシーさんに指示を出したロイド様が、こちらを向く。
「本当に、よく頑張ってくれた。お主達の尽力の末に、戦いが終わりを迎えた。……王国を代表して感謝の意を示そう」
深々と頭を下げるロイド様。
いつもなら物怖じしてしまうが、一国の王が頭を下げて感謝するその意味が分からないはずはない。
ここは、何も言わずその感謝を受け取ろう。
「長く話させてしまってすまなかった。長旅で疲れているだろう、ゆっくりと休息をとってくれ」
『ハッ』
ロイド様の言葉に従い先輩達が立ち上がる。
しかし、僕は立ち上がらずに先輩に声をかける。
「先輩。ネアとフェルムに先に帰るように伝えてくれませんか?」
「……うん、分かったよ」
これから僕が何を話すのか察してくれた先輩が頷いてくれる。
そのまま三人が広間から出たところで、僕は何も言わずに待ってくれていたロイド様と向かい合う。
ウェルシーさんも、セルジオさんも複雑そうに僕を見ている。
「書状に僕のことも書かれていたんですね」
「……うむ」
戦いの時と、その後しか関わっていないが分かる。
魔王は性格が悪い。
もしくは意地悪だ。
見方によっては、僕が一から説明する手間を省いてくれたと考えることもできるだろう。
「無理に従う必要もない。お主は……いや、お主達は我々の勝手な行いで平和な日常から連れ去られたようなものだ。それにも関わらず、お主達はリングルの民のために戦ってくれた。力を、貸してくれた」
「ロイド様……」
「スクロールを手に入れ、ようやく元の世界に戻れる可能性が出たというのに……他ならぬお主がその選択そのものを拒否しなくてはならないのは……あまりにも酷すぎる」
やっぱりロイド様は僕のことを気に病んでくれている。
その心遣いを嬉しく思いながらも、僕は首を横に振る。
「魔王を殴り倒してしまった時点で、この答えは変えることはできません。逆を言えば僕がその覚悟を持ち続けている限り、魔王は裏切ることはないでしょう」
これは最早、確信に近い。
殴り合ったからというわけではないが、あの戦いを通じて魔王がどのような人物かはなんとなく理解できている。
「そこまで、言い切るか」
「あくまでこれは僕の主観でしかありません。周りから見れば疑わしく思えるのも分かります。相手は魔王、これまで戦争を仕掛けてきた張本人で、人々にとって最も恐怖の対象とされている人物です」
戦争が起こったという歴史は変わらない。
死んだ人も戻らない。
これまで恐れられてきた魔王への恐怖を消し去ることもできない。
「だからこそ、魔族と人間、どちらの種族も知る僕が間に立ちます」
「おぬしは、両方の種族の悪意に晒されることになるかもしれんのだぞ?」
「覚悟の上です」
この役目は、誰かがやらなければならないのだ。
きっと、他の誰かが同じ役目を担ったとしても、きっとその人は魔王を、魔族を恐れてしまう。
魔族の現状を公平な目で見ることを放棄してしまう。
「これからも、僕はこの世界の人々のために動き続けます。だから、遠慮なく命じてください。僕はそのためにここにいます」
「……頑固なところまで、ローズに似てほしくはなかった」
「あの人は、僕にとっての師匠ですから」
「ああ、分かっている。……分かっているのだ」
ロイド様は、堪えるように玉座の端を握りしめる。
数秒ほどして肩の力を抜いた彼は、顔を上げる。
「ウサトよ……。これからは、異世界人ではなくリングル王国の民として共に戦おう」
「はい……!」
この瞬間、僕は元の世界への未練を断ち切った。
故郷に、両親に思いを馳せることはあるだろうけど、帰ろうと思うことはない。
———親不孝者で、ごめん。
もう二度と会うことが叶わないであろう両親に、内心で別れの言葉を浮かべながら前を向く。
●
ウサト君は、この世界に残る選択を選んだ。
それは、とても苦しい選択だと思う。
彼は私のように元の世界に失望してもいないし、人並みの生活を送る選択もあったからだ。
それなのに、彼は元の世界の平穏な生活を捨ててこの世界で戦う道を選んだ。
その決意は、賞賛されるべきものなのだろう。
カズキ君も、これから苦しい決断を迫られる。
彼はウサト君と同じように、元の世界に帰るだけの理由がある。
そして、それと同時にこの世界に残りたい理由もある。
……彼に関しては、セリアとフラナに任せておけばいいだろう。
あの二人ならば、カズキ君を支えることができるのだから。
「———それなのに、私は、なんて浅ましい女なんだ……ッ!!」
「なんでお前はここにいんだよ」
「そうよ、ここ客間よ」
カズキ君がフラナとセリアと再会したあたりで、そっと空気を読んだ私はウサト君の話が終わるまで待っているというネアとフェルムのいる客間のテーブルに突っ伏していた。
手には紅茶のいれられていた空のカップがある。
「もっと紅茶をよこせぇ!」
「紅茶はお酒じゃないんだけど……」
と、いいつつも差し出したカップにネアは紅茶を注いでくれる。
何気ない優しさにウルッとしながら、私は二人に話しかける。
「ネア、フェルム、話し相手になってくれてありがとうぅ……!」
「反応してくれるだけで話し相手なのかお前……?」
「ここまで憐れな勇者っているのかしら……」
引いたような、冷たい目で見られる。
そんな視線に晒されるのは最早慣れたものなので、微笑を返す。
「そんな目で見るな、気持ちよくなってしまう」
「こいつ無敵か……?」
さらにドン引かれてしまった。
しかし、私は強い女なのですぐに立ち直る。
「私さ、ウサト君がこっちの世界に残るって聞いて心のどこかでそれを喜んでしまったんだよね……」
「唐突に真面目になるのやめてくれないか……? 温度差凄すぎるぞ……?」
頬を引き攣らせたフェルムは、気まずそうに頬をかく。
多分、ウサト君が元の世界に帰る選択肢を選んだのなら、私はきっと同じ道を選ぶだろう。
異世界と天秤にかけても、今はウサト君のいる面白くて楽しい日常を求めてしまう。
「ウサト君のいるこの世界を生き続けられる。そう考えたら、自分が喜んでいることに気付いた」
彼がこの世界に残る決断をした理由を知っているにも関わらずにだ。
だから、そんなことを考えてしまった私が、とても浅ましく思えて仕方がなかった。
「お前自身は、元の世界に帰ろうとか思わないの?」
「全然。そこらへんは全部見切りをつけてるよ」
格式のある家に生まれ、定められる道を進むはずだった人生。
気づかないうちに弟を傷つけていた現実。
今の私ならそれをどうにかできる決断力も、行動力も備わっているはずだが―――、今の私がそう在ることができるのはウサト君がいるからだ。
彼のいない世界に、生徒会長でクールビューティな犬上鈴音はいてもリングル王国の勇者なイヌカミ・スズネはいない。
「……別にボクはそういう考えが悪いとは思わない」
「え?」
「お前とは違って選ぶとか関係ないが、ボクもウサトが残るって聞いてちょっとだけ安堵した」
「「……」」
私とネアが驚きの目でフェルムを見る。
いたたまれなくなったのか、フェルムは顔を紅潮させながらテーブルを叩く。
「あ、あの化物がいなくなったら張り合いがなくなるからだ! 勘違いすんな!」
「ツンデレ乙……!」
「その言葉の意味が分からないけど、バカにされてるのは分かるぞ!!」
照れ隠しに怒るフェルム。
彼女の本音を少しだけ聞けたことに満足していると、口をつけたカップをテーブルにおいたネアが肩をすくめる。
「私は、正直に言うなら残念ね。ウサトが帰らなくて」
「え?」
予想外の答えに私とフェルムが呆気に取られた声を漏らす。
……正直、ネアがそんなことを口にするとは思わなかった。
アマコとこの私に次いで、ウサト君と親交のある彼女がまさか……!?
「だって、ウサトが帰るって元の世界でしょ? それに隠れてついていったら、楽しそうじゃない?」
「……は? つ、ついてくるつもりだったの!?」
「ふふ、冗談よ。冗談」
な、なんだ冗談か。
でも全然嘘に思えないんだけど。
優雅に背もたれに背中を預けるネアに、戦慄する。
「どちらにせよ、ウサトは大変でしょうねぇ」
「他人事だね……」
「どうせ、巻き込まれるのは目に見えてるし。変に騒ぐ必要ないわ」
どこか諦めたような顔をするネアに、私は嫉妬ゲージを上昇させる。
なにその慣れたものだって反応。
しかし、ウサト君がこれからが大変だということについては同意するしかない。
休息する時間は与えられるだろうが置かれている状況と、魔王軍側との交友関係からして彼が仲介を担うことになるだろう。
「ウサト君、あっちの軍団長全員と知り合いだもんね……」
「全員と殺し合ったな。ついでにアーミラとも」
やはり殴り合いで相互理解を深められるのだろうか。
コーガあたりとかそれっぽい。
「つまり、私も殴りを究めれば友達が増える?」
「おい、ネア、こいつまた変なこと考えてんぞ」
「はぁ、この勇者はもう……」
その時、脳裏に電撃が走る。
最早、天啓というべきアイディアを閃かせていると、不意に私達のいる居間の扉が開かれる。
「もう、先に帰ってもいいっていったのに……って、あれ、先輩?」
「……ウサト君ッ!」
ロイド様とのお話を終えたウサト君が、ネアとフェルムを迎えにきたようだ。
二人よりも先に、彼の前に歩み寄った私は先ほど思い浮かんだアイディアを口にする。
「私、救命団に入団してもいいかな!?」
「……あの、疲れているならすぐに休んだ方がいいと思うんですが……?」
普通に優しくされてしまった……!?
というより、そこまで心配されるほどなのかい!?
ウサトの選択に一番ショックを受けたのはロイドでした。
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