第二百七十話
昨日に引き続き、二話目の更新となります。
『ヒサゴ、兵士は粗方片付けたよ』
かつての魔王の居城。
今は遺跡と呼ばれる地下に沈んだ城の中で魔族の兵士を剣で切り伏せたナギさんが、ヒサゴさんに声をかけた。
彼の眼前にも何人もの魔族の兵士と、僕達が戦った光魔法を吸収するゴーレムと同じ姿をした個体がばらばらの状態で転がっていたが、ヒサゴさんの身に怪我などは見られない。
『この先に、魔王がいるんだね』
『ああ、そうだろうな』
短く返事を返しながら彼は自身の右手に握られている刀を見る。
ファルガ様の翼を元にした勇者の武具であり、邪龍の心臓に突き刺された小刀とは別のもう一振り。
それをなんの感慨もなく見つめているヒサゴさんに、ナギさんが話しかける。
『なあ、ヒサゴ』
『……どうした?』
『この戦いが終わったあと……魔王を倒した後、お前はどうするんだ?』
彼女の質問にヒサゴさんは、無表情のまま前を向く。
『あと、か』
『やっぱり、獣人の里に帰るのか? お前が作った場所だから皆お前の帰りを待っているだろうしな』
『……ナギ、お前は?』
どこか絞り出すようにそう訊いた彼に首を傾げながら、ナギさんは照れくさそうに頬をかいた。
『私? 私は……まだ決めてないな。あ、姉さんが里でいい人を見つけたらしいから、お祝いとかしたいな』
『離れ離れになった、姉妹だもんな』
『ああ、まあ、再会できたのもヒサゴのおかげだよ』
ナギさんの言葉を聞いた彼は、罪悪感に苛まれるように表情を険しいものへと変える。
しかし、それでも彼は強く握りしめていた拳を解き―――掌から一つの光の球を取り出す。
『俺に、これから先の未来を生きる資格はない』
『……ヒサゴ?』
『……いや、そもそも生きるべきではないというのが正しいか』
自らを嘲るように笑ってみせた彼は、自身の掌を見つめながら続けて言葉を発する。
『俺という存在は、多くの人々の命を、未来を不幸なものにする。あのサマリアールの人々のように……』
光の球を放り、虚空から取り出したのは精巧に作られた石棺であった。
まるで元からそこにあったかのように落ちたソレを見たナギさんは、訳が分からないという表情を浮かべる。
『ヒサゴ、なんだ、それ……』
『ナギ、すまない』
『ッ、なにを―――』
次の瞬間、ナギさんの胸にはヒサゴさんが突き出した刀が突き刺さっていた。
『———え?』
物理的に傷つけたわけではない。
光に包まれた刀身は、背中から貫通することなく、彼女の胸に沈み込んでいた。
何度も見た系統強化の封印の光。
『予知魔法を持つお前が……いずれ来る時代を、その時代に生きる人々を、俺の代わりに見てくれ』
『ヒ、サ……ゴ』
『恨んでくれていい』
ナギさんの身体が光に包まれる。
それに合わせ、彼女の目も徐々に閉じられていく。
石のように固くなっていく彼女の身体を抱えたヒサゴさんは、石棺に彼女をいれる。
『……すまない』
石でできた蓋で石棺を完全に塞いだ彼は、足元に落ちている兵士の剣を手にとる。
そのまま暗い通路の先へと進んで行く彼の姿は、どこまでも孤独なままだ。
「この記憶は見てはいなかったが、なるほどそういうことだったか」
魔術を弄ぶりながら魔王は感心したように、吐息を零した。
「まあ、間違ってはいないだろうな」
ヒサゴさんの突然の行動に、状況が呑み込めず言葉を失っている僕達に魔王はそんな言葉を口にする。
「今のが、間違っていないと?」
「カンナギは強者ではあるが、ヒサゴの全力の戦闘についてはいけない。間違いなく私との戦いで足手まといになっていただろうし―――なにより、ヒサゴが戦いの後も平穏な人生を過ごせるはずもない」
「……なぜ?」
「逆に聞くが、奴のような強さを持つ人間を、野心のある輩が放っておくと思うのか?」
「……」
脳裏によぎるのは勇者の力に魅入られたサマリアールの王と、魔術師の姿だ。
彼らがああなったのは、ヒサゴさんの強すぎる勇者の力を目にしてしまったせいだ。
ヒサゴさんに責任は全くないが、彼らのような人間が他にいないとは限らない。
「理解を超えた力は人の心を狂わせる。奴もそれをよく分かっていたのだろう。事実、私を封印した後、奴は表舞台に出ることなく、そのまま消えていったらしいからな」
……でも、どうしてヒサゴさんはナギさんを封印したのだろうか。
彼女が次に目覚めたのは、数百年後の―――僕達の生きている時代だ。
それについて問いかけてみようとすると、目の前の景色は変わる。
それは―――過去の魔王と、ヒサゴさんが相対している光景であった。
『ついに、ここまできたか』
『手前との因縁もここまでだ』
今と同じように玉座に腰かけている魔王を鋭く睨みつけるヒサゴさん。
魔王は、彼の手に握られている剣を目にし、不快気に眉をひそめる。
『ファルガの武具を持っていないとは、私を嘗めているのか?』
『もう、あれは必要ない』
断言するヒサゴさんに魔王は怪訝な表情を浮かべる。
『刀はあくまで俺の力を補助するためのものだ。ただ便利であって、失っても支障はない。それとも手前は刀の力だけが、俺の実力だと抜かすつもりか?』
『———ク、クク、口が減らぬ男だ。なるほど貴様にとって最早、神龍の武具など不要ということか。ますます化物だな、人間』
『俺からすれば、手前の方が化物だ』
互いに悪態を返す魔王と勇者。
しかし、そのやり取りはどこか慣れた間柄を思わせるものであった。
もしかすると、記憶で見ている以外で何度も交戦していたのかもしれないな。
『戦う前に、いくつか質問をしてもいいだろうか?』
『あん? 今更何言ってやがる』
『今だからこそだ。戦いが始まれば、互いにそれどころではなくなるだろうからな』
『……はぁぁ……』
観念したようにため息を零したヒサゴさんが、雑に剣を突き立てる。
腕を組んだ彼に魔王が話を切り出す。
『貴様は、何を考えて私を倒そうとしている?』
『は?』
『今更、人間のために戦っているなどという甘いことは言わないだろう? そのようなことを口にするのなら―――ヘイガル王国は滅びずに済んでいるはずだからな』
自身を召喚したヘイガル王国の滅亡、と聞いて彼は眉一つ動かすことはなかった。
『我々が矛を交えることには別に不満はない。死出へと旅立った部下達も闘争に興じ、満足して死んでいった。だが、戦っているはずの貴様の戦う目的そのものが、未だに不明なのは、私としても些か不気味に思える』
『……』
『貴様は、なんのために戦っている? 勇者として使命などという蒙昧なもののためではないだろう?』
魔王の問いかけにヒサゴさんは暫し無言になる。
沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。
『俺は、人間の可能性を信じている』
『……この期に及んで、そのようなことを口にするのか? 既に人間なんぞに愛想を尽かしていると思っていたんだがな』
『愛想なんてとっくに尽かしている』
ヒサゴさんの言葉に魔王は怪訝な表情を浮かべる。
人間の可能性を信じているのに、愛想は尽かしているのか?
見ているこちらとしても意味が分からない。
『信じるのは、今じゃない』
『ほう?』
『今は、混迷の時代だ。俺の生きた世と同じように戦により人の心は蝕まれ、荒んでしまっている』
彼の元居た世界。
恐らく、戦争が身近にあった時代だ。
僕達の生きていた時代と比べるまでもなく、壮絶な場所だったに違いない。
『戦いの世こそが人々の心を荒ませる理由の一つだ。ならば、その戦いがなくなれば、人の心も良いものに変わっていくのではないか―――過ぎたる力は、必要ないんじゃないか? 俺は、そう考えた』
『ク、クク……』
過去の魔王が笑みを堪えるように口元を押さえる。
ヒサゴさんの覚悟をあざ笑うかのように、肩を震わせたまま彼は口を開く。
『なんだ、つまり貴様は健気にも未来という不確定なもののために身を犠牲にして戦ったということか? 分かっているのか? それは酷く狂った理想の押し付けにすぎないのだぞ?』
『そのために、試練は残した。後は先に生きる人間に委ねる』
……もしかして、未来に生きる人々を試すために邪龍を魂だけ封印してその肉体を滅ぼさなかったのか?
その時代に生きる人が、手を取り合って邪龍という脅威に立ち向かえるか試した……?
いや、そんな無茶苦茶な話があるのか?
『俺の残した試練で滅ぶような未来であれば、それまでだ』
『仮に、私を打倒した後、貴様はどうするのだ?』
『さあな。もう二度と、魔法を使うことはないだろう』
『つくづく、意味不明な生き方をする男だな。そこまで争いが起きることを避けようとするか。人間共など、切り捨てればそれで済むものを……』
辟易とした様子の魔王。
すると、何かを思い出したのか悪意のある笑みを浮かべた彼は、魔術で何かを取り出した。
『では、戦いを終えた貴様にはこれは必要か?』
そう言葉と共に取り出したのは、金色に輝く紙のようなものだった。
見た限り、スクロールのようだけど、あれはなんだろうか?
『なんだそりゃ』
『これは貴様を元いた世界に返す帰還術式が刻まれたスクロールだ』
『……ヘイガルにあったものか』
「は!?」
元の世界に帰るスクロール!?
ヘイガル王国はそんなものまで用意していたのか!?
思わず魔王を見るも、彼は僕の反応をおかしそうに見ているだけだ。
『これがあれば、貴様はこの世界から消えることができるぞ? そうなれば、貴様を探す者も現れまい』
ひらひらとスクロールを翻す魔王に、ヒサゴさんは敵意を向ける。
『いらん。そんなもの俺には必要ない』
『そうか? 一応言っておくがこれは本物だぞ?』
『くどい』
愉快気にスクロールを消し去る魔王。
元の世界に帰るためのスクロール、か。
『貴様がこれを大人しく受け取るようなら、次元の狭間にでも放り込んでやろうと思っていたが、随分とまあ期待を裏切らないでくれる』
『んなことだろうと思ったよ……』
「魔王様、性格悪すぎでは……?」
「私は魔王だぞ?」
従者のシエルさんにまでドン引きされている魔王。
というより、封印される以前の魔王はヒサゴさんの前だと、かなり感情が豊かなように見える。
それに感じる威圧感も、過去の方が強いことから間違いなく今の魔王は弱体化しているように感じる。
『どちらにしろ、試すべき未来は先にある。俺はここに、最後の楔を打つ』
『———そうか。だからこそ、貴様はここで、この私と相対しているわけか』
ヒサゴさんが床に突き立てた剣を手に取ると、魔王は楽し気に笑い玉座から立ち上がる。
『いいだろう! 壊れたなりに出したその思惑を実行に移せるか否か! 今ここで試してみるがいい!!』
『言われなくとも、そのつもりだ』
戦いが、始まる。
魔王と勇者の、過去に行われた最大の戦い。
魔王が数百を優に超える魔術を展開させ、ヒサゴさんも同等の光の球体を自身の周囲に作り出す。
『初手だ』
周囲に浮かんだいくつもの光の球を自身に取り込んだヒサゴさんが、魔王へとその手に握った剣を軽く振るう。
ただそれだけの挙動だが、僕ですら目で追えないほどの速度で繰り出された一撃は、容易く天井と床を叩き割り、斬撃となって魔王へ襲い掛かる。
『随分と嘗められたものだな』
『!』
掌を前に突き出すだけで斬撃を消滅させた魔王が、魔術を発動させる。
一つだけではない。
いくつもの魔術を同時に発動させ、それらは光の奔流となり一斉にヒサゴさんへと殺到する。
彼の系統強化である封印すらも間に合わないほどの、物量に任せた魔術は、彼の身体を空中へと打ち上げ、さらに追撃を叩き込み続ける。
『———止めねば、無限に空を舞うことになるぞ?』
頭上の天井すらも突き破るほどの攻撃に、最早ヒサゴさんの姿は見えない。
それを見ている僕達も、あまりの絶望的な魔王の力に呆然とするしかなかった。
———全盛期の魔王の力。
ただただその力に圧倒されていると、頭上に放たれ続けている魔術が前触れもなく消し飛んだ。
『———ク、クハハハ!! おいおい、貴様、そういうこともできたのか!』
最早、天井を突き破り夜空が広がる頭上を見上げた魔王が笑う。
同時に頭上に開けた夜空が、再び何かに覆いつくされる。
『山をも落とすか、勇者!!』
『よくもやってくれたな、この野郎……!』
現れたのは―――呆れるほどに巨大な質量を持った山塊であった。
まるで天地そのものが逆転したかのように、降り注ぐ岩々。
それらを見上げた魔王は、指揮者のように多数の魔術を操りながら迎え撃とうとする。
二人の力が再度激突したその瞬間、周囲に光が満ちる。
魔王と勇者の戦い―――それは、僕達の予想を遥かに超えた、まさしく別次元の領域にあるものであった。
「———よい余興にはなっただろう?」
気づけば、目の前の光景は消え去り、魔王が魔術で作り出した幻も全て消えていた。
椅子に座っていた僕達も、暫し唖然としたまま状況が呑み込めていなかったけど、我に返るとすぐに魔王へと視線を向ける。
「かつての人間の愚かさと、ヒサゴという勇者の歩んだ道と、その行動に隠された真意。中々に短くまとめてはみたが、よく理解できたことだろう」
「……貴方の出鱈目さもしっかりと伝わりました」
「ファルガから既に聞いているだろう? 今の私に、先ほど見せた過去のような力は振るえん」
だがそれでも尚、まだ僕達とは大きな差があることは明白だ。
目の前の魔王も、ヒサゴさんと同じく規格外の力を持つ一人だったのだから。
「あくまで余興ついでではあったが、我々が人間という種族を信用することができない理由は理解できたか?」
「……ええ」
「ならば、このまま私を倒し、魔族を滅ぼす覚悟を決めるか?」
魔王の試すような言葉に、僕は暫し瞳を閉じて考えをまとめる。
たしかにヒサゴさんにした人間達の仕打ちは酷いものだろう。
獣人に対する扱いもそうだ。
そんな歴史が、魔族に人間を信じさせないようにさせてもおかしくはないだろう。
「選択、か」
自分の可能性を狭めるな。
この旅に出る際、ローズはそう言った。
僕の選択で、魔族が滅ぶか滅ばないかの瀬戸際にあるなんて思い上がってはいない。
だけど、さっきのヒサゴさんの記憶を―――人間の仕出かしてきた負の歴史と、かつての魔王軍との戦いを見て、僕の頭の中で一つの決意のようなものが浮かんでいた。
「貴方を倒すことと、魔族を滅ぼすことは同じ意味じゃない」
「……なんだと?」
「とりあえず、これまでの分も含めて貴方はぶん殴ります」
もう吐き出した言葉は止められない。
軽く息を吸い、自身のこれからを決定づける言葉を口にし―――、
「そして、僕は―――」
「はい! どっかぁぁん!」
側方の扉が、突然凄まじい勢いで開かれる。
光を背負いながら仁王立ちで現れたのは―――さっきまで待ち望んでいた少女であった。
「やいやい魔王! この雷の勇者スズネが来たからにはもう観念するんだねっ!」
目を丸くする魔王に揚々と指を突きつける先輩と、その後ろで頭を抱えているアマコの姿に僕達も思わず頭を抱えるしかなかった。
シリアスブレイカースズネの登場に頭を抱えるウサトでした。
次回から、コメディ要素復活となります。
今回の更新は以上となります。
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本日、新作『無能狩人の事件記録~境界に立つ者~』の投稿を開始いたしました。
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