第二百六十七話
お待たせしてしまい申し訳ありません。
魔族の兵士達ひしめく地下へと突入した私達。
アマコという無敵の敵センサーを先頭にしての移動は驚くほど、敵と遭遇せずに道を進めていた。
彼女の見ている世界は私達よりも先にある。
『スズネ、止まって』
『スズネ、曲がり角から来る』
『スズネ、喋らないで』
『スズネ、耳に触ろうとしないで』
もう隙がないとはこのことだろうか。
最早、私が思考していないうちから、アマコはそれを口にする。
「アマコ、私は君の耳に触るつもりなんてないよ……?」
「いや、スズネは突然、前触れもなく私の耳に手を伸ばしてきた。多分、何も考えてなかったと思う。そんな顔してた」
アマコの言う通り、何も考えていなかったのだろう。
なぜならそこに獣耳があるから……!
……冗談はさておき、さっきからこの階層の敵の気配が薄れていくのを感じる。
「アマコ、明らかに兵士の数が減ったよね?」
「うん。巡回も上に行ったみたい」
「それじゃあ、カズキ君か……。彼は大丈夫だろうか」
……彼を信じよう。
今更引き返すわけにもいかないし、今は確実に状況は動いている。
ついさっきまで下の階層で何かが争いあうような音が響いていたし……もしかするならウサト君とレオナは既に下で戦っているのか?
「さっきの戦闘音はウサト君だと思う?」
「最初は大きな魔物の争っている音だと思ったけど……ウサトならおかしくないなって」
「確証はないんだ……」
「多分、戦っているのはコーガ。ウサトはしょうがなく戦ってたけど、だんだんコーガのペースに乗ってきて本気で殴り合ったってところだと思う」
まるでその場面を見ていたかのようだぁ。
書状渡しの旅という圧倒的アドバンテージを得ているアマコにとって、ウサト君の動きを読むのは容易いことなのか。
「クッ……」
「なんで悔しがっているのか分からないけど……ッ、待って」
通路を進みながらアマコが待ったをかける。
咄嗟に刀の柄に手をかけながら、構える。
数秒ほど通路の先を見据え、予知に集中したアマコは、こちらを見上げる。
「このまま、下に行けると……思う」
「確かかい?」
「兵士達は脇目も振らずに上に向かって行ったから、大丈夫」
なら今のうちに下へ降りよう。
階段を降りながら、なるべく先を急ぐ。
「既にウサト君とレオナさんが下にいるということは、彼らは魔王の元に到着してしまった、コーガとアーミラに足止めを食らっているかのどちらか……」
「だったら、なおさら早く向かわなくちゃ」
アマコの言葉に頷く。
力も温存できたことだし、ここは多少の敵と遭遇してでも先を急ぐべきだ。
もし、ウサト君が先に魔王の元へたどり着いているというのなら、彼が無理をしていないか心配だ。
●
———それから、ヒサゴさんの置かれていた状況は最悪の一言に尽きた。
右も左も分からない土地に放り込まれた彼を待っていたのは、悪辣とも言える魔法の訓練であった。
勇者という形だけの名誉を与えられた人形として、彼はただひたすらになぶられた。
魔力の扱い方を口頭で伝えられたその後は、ただただ魔法を叩きつけられるだけの時間が過ぎる。
『——余所者ごときが、思い上がるなよ』
そう吐き捨てられ、倒れ伏す彼を助ける者は誰もいない。
あくまで僕が見たのは、彼が暴力に晒されているほんの一部分だ。
だけど、それでもこれがまともではないことは理解できる。
『魔法も碌に使えないとは』
彼らはヒサゴさんに魔法の使い方すらも教えていない。
『なぜ、立たない! 役に立たなければお前に価値はないぞ!!』
問答無用で異世界に呼び出したはずなのに、心無い罵倒に晒される。
彼が何をした?
救世主と呼ばれてこの世界に来たのではないのか?
それを、こんな体のいいサンドバッグのような扱いをされて、その後はただ唾を吐きかけられて、寒空の下に置き去りにされる?
あまりにも理不尽すぎる。
「———なんだ、これは……!」
「う、ウサト……?」
怒りの目で魔王を見る。
当の彼は、僕の反応を楽しむかのように薄っすらと笑みを浮かべている。
「こんなものは訓練じゃない! ただの拷問だ!!」
「「……」」
僕と同じ気持ちなのか、顔を背けるネアとフェルム。
ああ、こんなものが訓練であっていいはずがない。
「そもそも、勇者という存在そのものが兵士にとっては疑わしいものであったのだろう? 上に立つ者があの様なのだ。ならば、それに仕える者達も同じ程度なのは当然だろう」
「どうして、この人は抵抗しないんですか?」
あそこまでの扱いをされたら怒りだって湧くはずだ。
少なくとも僕は怒った。
そりゃ、怒りまくってむしろやってやるぞこの野郎って気にまでなったくらいだ。
僕の問いかけに魔王は玉座に肘をかける。
「奴は自身の置かれた現状を全く不満に思ってなどいない」
「……は?」
「そもそも、歯牙にもかけていないだろうよ」
あんな扱いを受けているのに?
抵抗も、文句の一つも口にしないのは彼が現状を受け入れてしまっているからか?
そこに反骨心どころか、怒りの感情すらもないというのか?
『———』
「ウサト、この人まだ動こうとしているわ……」
「……!?」
すると、過去のヒサゴさんの幻影が動き出す。
剣に打たれ、魔法に晒され全身を傷だらけにしながら立ち上がった彼は、血がにじんだ柄を握りしめると、そのまま素振りを始めたではないか。
「奴は、兵士だ」
「……?」
「召喚される以前の世界で一人の兵として戦に身を捧げ―――その末に敗れ、最期は敗残の兵として敵に嬲り殺される末路を辿るはずだったが、どういうわけか勇者召喚などでこの世界にやってきてしまった」
ただ一心に剣を振り続けるヒサゴさん。
彼がどの時代にいたかはおおよそ予想はできるけど、そもそもの僕達と認識自体が異なっているのか?
「守るべき主も、家族も既に存在しない。その身に既に何も残されていないなりに奴は、偶然にも自身を死の淵から救ったヘイガル王国への恩を返そうとしているのだ」
「……恩を、返す……」
「理解できないだろう? 奴からこの話を聞いたときは、私も耳を疑ったぞ」
愉快そうに笑う魔王。
命を救われたから恩を返す。
それはある意味で納得できる理由ではあるけど、こんな状況に置かれてまでそれを貫こうとする理由が分からない。
「そして、私は興味を持った」
魔王が指をくるりと回す。
すると周囲の景色が慌ただしく動き回り、一つの場面へと固定される。
それは地を覆いつくすほどの駆ける漆黒の魔獣たちの群れ。
魔獣たちの襲撃に、ヘイガルの騎士と思われる人々が襲われては、倒れていく。
「元より眼中にはなかったが、ヘイガル王国の領土に魔術で作り出した魔獣達を送り込んでやった。勇者の実力を知るためにな」
「ッ……!」
「当然、慌てふためいたヘイガルの王は迎撃を試みたが、他国にすらまともに相手にされない国の武力など程度が知れている。成す術もなく、自国が滅ぼされるのを悟った王は何をしたと思う?」
「……ヒサゴさんを、送り出した?」
「半分正解だ」
半分……?
僕が首を傾げると、ヒサゴさんの姿が現れる。
その後ろには酷く煤汚れた身なりの――いや、この人たちは……。
「獣、人」
数えきれないほどの、二〇〇人単位の獣人達が枷をつけられたまま騎士達に前へ前へと送り出されている。
その手には刃こぼれしたお粗末な剣が握られているが、痩せ細った体では満足に振るえないほどに彼らは衰弱しきっていた。
「ヘイガル王国は奴隷として保有していた獣人達を魔獣の餌にし、時間を稼ぐことにしたのだ」
「———ッ!」
内心の怒りを押さえつけながら、テーブルに拳を叩きつける。
大理石かなにかでできているテーブルは真っ二つに砕け、床に倒れる。
平気な顔で獣人達を囮にするヘイガル王国が許せない。
そうさせる理由をつくった魔王が許せない。
だけど、今ここで怒って過去が変わることはない。
「ウサト、落ち着きなさい」
「ああ、分かってる……」
シエルさんが腰を抜かしてしまっている。
少し申し訳なく思いながら、椅子に座り襟を正す。
この場にアマコがいなくてよかった。
怒りを静めている間に、景色は動き出す。
大地を覆う黒い魔獣の群れ、その前に放り出された武器を持つ獣人達と、ヒサゴさん。
『じゅうじん、とやら』
彼は、獣人達へと目を向けると無言のまま剣を振るい、鉄製の枷を切り裂いていく。
ごとり、と地面に落ちる枷を呆然と見ている獣人達を振り返りもせずに、彼は掌からカズキと同じ光魔法を浮かび上がらせる。
『逃げろ』
その一言で自由になった獣人達は逃げ出していく。
そんな彼らへと魔獣は襲い掛かるが、その直前にヒサゴさんから放たれた光の光線が魔獣を貫く。
『手前らの相手は、俺だ……!』
濁流の如く魔獣たちが数をなしてヒサゴさんへと襲い掛かる。
だが、その数を目の前にしても彼は止まらないどころか、両手に握りしめた剣と魔法で魔獣を切り捨てていく。
まともな魔法の訓練を受けていないはずなのに。
魔獣との戦いすらも初めてなはずなのに、彼はいとも容易く魔獣を切り捨て亡骸へと変えてしまっている。
彼が放った光線が薙ぎ払われれば、射線上にいる魔族達の胴体が両断される。
カズキの極力被害を押さえるような光魔法の使い方ではない、ただ相手を滅ぼすためだけの力。
圧倒的な強さで戦い続けた彼の前には、最早敵の姿はなく、魔獣たちの亡骸しか転がっていない。
『———』
しかし、それでも彼は敵を探そうとする。
まだ終わっていないと言わんばかりに、半ばから折れた剣の柄から手を離さず、魔獣たちの返り血にまみれたまま戦場をゆらゆらと歩いていく。
なにが彼をそうさせるのか、最早執念とさえ思える彼の行動に疑問を抱いていると、彼の服を小さな手が掴んだ。
彼が振り返ると、そこには獣人の子供がいた。
『もう、終わった……よ……?』
雑に伸ばされた汚れた金色の髪。
頭に生えたキツネのような耳と尻尾を見た僕達は、驚きの表情を浮かべる。
「アマコ……!?」
「どうして、あの子が……!?」
生気のない瞳でヒサゴさんを見上げる10歳前後の獣人の少女。
彼女の声でようやく正気を取り戻したヒサゴさんは、その手に持った剣を地面に落としながら、掠れた声を零した。
『ッ、日凪……!?』
『……?』
『いや、違う。……お前、誰だ?』
疲れ果て、地面に座り込んでしまったヒサゴさんの言葉にアマコと似た少女は自身の名前がないことを口にする。
『他の奴らは?』
『みんな、逃げちゃった』
『そうか。それじゃ、どうしてお前はここにいる?』
『ここが一番安全だったから、残った』
まるでそれが分かっていたかのような確信めいた言葉。
それが嘘ではなく、本心で言っていることを理解したヒサゴさんは、大きなため息をついた。
『お前、行く当てはあるのか?』
『そんなの、あるはずない』
『奇遇だな。俺と同じだな……』
彼は、目元を隠すように手を添える。
『守るべき主君を失い、何よりも大切にすると誓った妻も、子供達も、いなくなっちまった。……どうして、俺を死なせてくれねぇんだろうなぁ』
それは、ヒサゴさんがようやく見せた人間らしい感情であった。
そんな彼を見て少女もどうしていいか分からず呆然としていると、二人のいる戦場にヘイガル王国の騎士達がやってくるのが見えた。
『お前、これからどうする?』
『今更逃げられないし、また奴隷に逆戻りだと思う』
『……。あぁ、クソ、ここまで来たら見捨てられねぇか……』
頭をかいた彼は立ち上がり、少女と向き合う。
『俺についてくるか?』
『……いいの?』
『ああ。……お前、名前がなかったんだよな?』
「うん……」
目を丸くする少女に、暫し思案するように腕を組むヒサゴさん。
十数秒ほど時間をかけた彼は、再び少女へと視線を向ける。
『お前の名前は、ナギ……カンナギだ』
『カン、ナギ?』
この子が、ナギさんだったのか……!?
見た目がアマコにそっくりで、逆に気付かなかった。
思えば血筋が同じだから似ていてもおかしくないんだけども……!
『気に入らなかったか?』
『ううん、今日から私は、カンナギ』
反芻するように何度も自身の名を呟く子供のナギさん。
というより、彼女のあずかり知らぬところで過去のナギさんを見てしまっている訳だが、これは大丈夫なのだろうか?
「これがヒサゴと、貴様達の知るカンナギの邂逅。ヒサゴは死した娘の面影をカンナギに見て、カンナギは名を得たことで自身の拠り所を見つけたというわけだ」
「……」
「だが、今回の戦いでヒサゴは勇者としての力を多くの者達に見せつけた。ヘイガルの者達、当時の私にもな」
勇者としての実力を示す。
それは、国同士の争いが行われていた当時から考えると、あまりいいことではないはずだ。
なにより召喚したのがヒサゴさんを人間同士との争いで利用しようとしているヘイガル王国、大量の魔獣たちを一人で相手取ることのできる彼を見過ごすはずがない。
「まさか、ヒサゴさんはそのまま戦争の道具として―――」
「いや、それがな。面白いことに放逐されたのだよ」
「……は? 放逐?」
くつくつと笑みを噛み殺す魔王に、僕だけではなくネアとフェルムも意味が分からないといった表情を浮かべる。
「ヘイガルはな、ようやく自分たちがどのような存在を召喚してしまったのかを知って、怖気づいたのだ」
「……いえ、意味が分かりません」
「百人の兵に値する戦力、それがヘイガルが望んだ勇者。だがヒサゴは百どころか万単位の魔獣を単騎で殲滅する異常な戦果を挙げてしまったのだ。そして王は悟った―――ヒサゴがその気になれば、ヘイガル王国など簡単に滅ぼせるとな」
「そんなバカな……」
「自分たちが勇者であるヒサゴを虐げていた自覚はあったようだからな。いやはや、面白い余興ではあったぞ。己の力に余る存在からの報復に怯える奴らの姿は」
百人力、一騎当千を超えて万夫不当の存在だったヒサゴさん。
魔法を手に入れて、そこまでの強さを身に着けてしまったのか、はたまた元からそこまでの力を有していたかは分からないが、まさか強すぎる力のせいで恐れられるようになるとは……。
「つまりだ。奴を知らず、まともに向き合うことすら放棄したヘイガルの王は、結果としてヒサゴという戦力を自ら手放し、破滅の道へと進んだということだ」
思わず頭を抱える。
そんな無責任なことをするなら、勇者召喚なんてしなければよかったのに……。
「そもそも貴様の知る二人の勇者と、ヒサゴは違う」
「それは……当然じゃないですか?」
似ている過程はあれども周囲の環境が全く違いすぎている。
「貴様達にはヒサゴが行った勇者としての偉業という下地があるが、奴には何もなかった。勇者としての逸話もなければ、持て囃される理由もない」
先輩とカズキは先代勇者であるヒサゴさんが魔王を封印したという偉業を成し遂げていたから、その立場も確立されていた。
そうか、だとすれば当時の勇者としてのヒサゴさんが評価されたのは、魔王を封印した後だからそれまで彼は……。
「奴の生きていた時代の人間は面白いぞ。お前達にとっては悪い意味ではあるがな」
再三と、そう言葉にした魔王は心底愉快そうな顔で、ヒサゴさんとナギさんへと視線を送る。
小さい頃は、アマコと瓜二つなカンナギ。
尚、成長速度は全く違う模様。
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