第5話 こんなこともあるんだね
焼肉は3月の中旬過ぎに行った。
この店は美味しい上にリーズナブルで、どこか家庭的な雰囲気もあり、穏やかな時間が流れていた。
この店に来てよかった。
彼女の表情を見て、こっそり喜んだ。
ふと隣の席を見ると、見覚えのある顔があった。
どう見ても、高校時代の体育の先生にしか見えない。
「隣にいる人、高校のときの先生っぽい」
西野さんに小声で伝えた。
「えーっ、声かけてみなよ」
その一言に背中を押され、恐る恐る近づいた。
「すみません、〇〇高校にいませんでしたか?」
その男性は、一瞬「えっ」という表情をして
「そうだけど」
「僕、〇〇高校にいたんですよ」
すかさず言った。
また、ほんの一瞬の間があった。
「えーっと、たしか陣内と同じクラスだよな?」
俺の名前は出なかったが、顔だけは覚えてくれていたらしい。
自分も先生の名前が出てこなかったことは内緒だ。
「おっ、彼女か?」
先生から聞かれたが、肯定も否定もせず、笑って誤魔化した。
すると、先生の隣にいた女性が西野さんの顔をじっと見て
「あれ、あなた✕✕高校にいなかった?」
「あっ……」
突然の問いかけに、西野さんは少し驚いた反応を見せたが、その女性の顔を見て思い出したようだ。
その女性は、西野さんの高校時代の家庭科の先生だった。
彼女は席を移動し、少し話をして戻ってきた。
「こんなこともあるんだね」
二人で顔を見合わせて笑った。
西野さんを前にしながら、高校時代の彼女を思い浮かべていた。
その頃の彼女も、きっと可愛かったんだろう。
ニヤけた口元を誤魔化すように、肉を口に運んだ。
肉を食べ終える頃、彼女に聞いた。
「この店、冷麺が美味しいんだよ。食べる?」
「うん。食べる」
考える間もなく答えた。
俺のお腹は、けっこう膨れていた。
「俺は小でいいかな。西野さんは?」
「私は中にしようかな」
俺の"小"に合わせないその姿に、彼女との距離が縮まった気がした。
店員を呼び、冷麺の小と中をひとつずつ注文した。
少しして、冷麺がテーブルに運ばれてきた。
店員は当たり前のように、小を西野さんの前に、中を俺の前に置いた。
思わず彼女を見ると、目が合った。
「まあ、そうだよね」
二人で笑いながら冷麺を交換した。
焼肉の帰りは少し遠回りして、海が見える道を走った。
澄んだ夜空には星と月。
水平線には漁火が見えた。
西野さんとのデートのときだけは、コンタクトにしていた。
慣れないせいか、遠くに広がる光が二重に見えた。
それはそれで、きれいだった。
ぼんやり眺めているうちに、細いカーブで反対車線にはみ出してしまった。
「危なっ」
思わずハンドルを切り直した。
「ごめんね」
「危ないよ」
彼女は笑って許してくれた。
二人で驚いた偶然の再会。
二人で笑った冷麺。
二人で見た漁火。
この日のことは、なぜか鮮明に覚えている。
あのときは、一緒にいるだけで楽しくて、幸せで、それ以上を望んでいなかった。
本当は、一歩踏み込めば何かが壊れてしまいそうで、怖かっただけなのかもしれない。
次のデートは4月1日。
『キャスト・アウェイ』を観たいと彼女を誘った。
初デートの3月3日のときも『キャスト・アウェイ』は上映していた。
テレビCMで気になってはいたけれど、初デートは無難に恋愛映画がいいと思って観なかった。
映画の前に、サティ1階にある老舗パスタ屋で昼食をとった。
西野さんはドリアを食べていた。
俺が何を食べたのかは、思い出せない。
映画は期待していた以上に面白かった。
サバイバル映画と思っていたら、極限の孤独と戦うヒューマンドラマだった。
彼女も気に入ってくれた様子だった。
映画館を出ると、慣れない屋上の駐車場で車を見失い、二人で歩いて探した。
濡れた床に足をとられて、滑りそうになった。
「滑るから危ないよ」
そう言って、後ろを歩く彼女に手を差し出した。
彼女と手を繋いだ瞬間、嬉しさが顔に出るのを必死に抑えた。
車はすぐに見つかった。
運転しながら、彼女の手の温もりを思い出していた。
きっと彼女は、何とも思っていなかったのだろう。
夕食はケンタッキーフライドチキンに行った。
西野さんはツイスターを食べていた。
俺が何を食べたのかは、やっぱり思い出せない。
また観たい映画があったので西野さんに話すと、すんなりOKしてくれた。
これまでデートに誘って断られたことはなかった。
いま振り返ると、デートは映画に行くか、ご飯を食べるかのどちらかだった。
遠くへのドライブや、一緒に買い物に行ったこともなかった。
ただ、彼女と会う理由が欲しかったのだろう。
観たい映画は『ハンニバル』だった。
今思えば、付き合う前の男女が観る映画とは思えない。
『ハンニバル』に誘っておきながら、前作の『羊たちの沈黙』はまだ観ていなかった。
一緒に予習しようと西野さんに言うと、彼女は迷う様子もなく頷いてくれた。
4月17日。
二人で『ハンニバル』を観に行く前日、久しぶりに西野さんと会った。
レンタルした『羊たちの沈黙』を俺の家で観た。
映画が終わって、彼女と話をしていた。
目の前で小さく体育座りしている彼女が愛おしくて、思わず彼女に言えないことが頭をよぎっていた。
あの頃、職場の人からMr.Childrenのアルバムを全部借りていた。
西野さんはMr.Childrenが好きで、家にあったそのアルバムを見て、話が弾んだ。
俺はMr.ChildrenのMDを作っていて、残り一曲を何にするか迷っていた。
「あと一曲なんだよね。西野さんに選んでほしいな」と、お願いした。
彼女は少し悩んで、『メインストリートに行こう』を選んだ。
俺の中では、そこまで上位ではない曲だったので、少し意外だった。
「ありがとう。良い曲だよね」
そう彼女に言った。
後日、『メインストリートに行こう』をMDに入れた。
第5話 ガイド
【〇〇高校】舞台の街から150km離れた街にある高校。親の転勤で中3から高校卒業まではその街で育った。
【陣内】高校時代のクラスメイト。サッカー部のキャプテン。あだ名はみっちゃん。
【✕✕高校】市内にあった女子校。亜衣ちゃんの母校でもある。今は廃校となっている。
【キャスト・アウェイ】トム・ハンクス主演。日本では2001年2月24日公開。ウィルソンとの友情が切ない。
【ツイスター】ケンタッキーフライドチキンのメニュー。調べてみたら2001年の3月から発売。あの時は発売して間もなかったようだ。もしかしたら私もツイスターを食べていたのかも。
【ハンニバル】アンソニー・ホプキンス主演。日本では2001年4月7日公開。レクター博士シリーズ二作目。
【羊たちの沈黙】アンソニー・ホプキンス主演。日本では1991年6月14日公開。レクター博士シリーズ一作目。アカデミー賞で主要5部門を受賞。
【MD】ミニディスク。1990年代後半から2000年代前半に全盛期を迎える。簡単にダビングできるのが売りだったが、iPodの登場により衰退した。
【メインストリートに行こう】Mr.Childrenの3枚目のアルバム『VERSUS』に収録。2014年の会員が最もライブで聴きたい曲アンケートでは26位に選ばれた。




