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「旦那様、フーカ様は不思議な方ですね。素晴らしいお衣装をお召しで、お茶を飲む姿も貴婦人らしいものなのに、天真爛漫でいらっしゃる。」
淑女に対して天真爛漫という表現は、馬鹿にした意味合いを持つ。辺境伯は観察するが、妻の表情からそういった感情は読み取れない。
「あっ…失礼しました。領の救世主に使う言葉ではありませんでした。申し訳ありません。バカにしているつもりでもなく…その…心からの…」
「わかるよ。フーカ様は、純粋なお方だ。ただただ、アッシュを愛でてくださっている。そのためになら、床に座るのも平気だ。子供を抱き上げるし、御身に自由に触れさせてしまう。そういうことを言いたいのだろう?」
「はい…その通りでございます。お召し物や、身のこなしは貴婦人ですのに、子を愛でている姿があまりにも慣れたもので…その…。」
「お前は、あのスプレーとかいう容器に入っていた物の中身が、何か知っているか?」
「あの霧を吹く道具ですか?いえ…中身までは存じ上げません。」
「ついてこい。」
急な話題転換に驚く妻を執務室へ連れていく。
我々の様子を見ていた執事長が、スプレーと鑑定レンズを用意していた。
「それで見てみなさい。」
「はい、失礼します。」
妻は、鑑定レンズを覗いてしばらく言葉を発しなかった。
ただ、その目や動きが雄弁に彼女の驚きを語っていた。
「旦那様…癒しの聖女のスプレーと妖精の汲んだ聖水って…」
しばらくして、妻が発した言葉はそれだった。
妻は、我がクリトン家へ嫁いでくるまでは、聖教会の聖女候補として修道院で育ってきた。12才までは、生まれた伯爵家で淑女教育を受け、13才から聖女候補として修道院で育った。17歳を前に今代の聖女候補が絞られ、妻は候補から外された。
上位の鑑定レンズは、使用者のスキルや才能により、見え方が変わるという。
癒しの聖女と読み取れたのは、彼女が聖女候補として真面目に勉めた証明だろうか。
「癒し?君にはそう読み取れたのか…聖女様のようだよ。ただし、聖水も聖女も公式な記録は確認できなかった。公には認められていないようだ。おそらくは、ヒシ家の重大な秘密だろう。こちらが気付いていることは、元帥閣下にもフーカ様にも言わないように。」
「はい、とても口にできません。」
妻の手は、震えていた。
「どうした?」
「あの…旦那様、聖女様に…アッシュが…聖女様のお胸を…アッシュが…」
聖女様の御身は、聖なるものであるから、男が触れてはならない。汚してしまってはならないと言いたいのだろう。
「元帥閣下が、気にしていない。大丈夫だろう。」
「本当に?ご存知ないからでは?」
「問題なら、フーカ様も許さないだろう?」
「そうであればいいのですが。」
妻が少し言葉を切り、考えていた。
辺境伯は、妻の言葉を待った。
「この聖水の力は、私の知っているものではありませんでした。聖教会の聖女様は、長い聖句を唱えられたのちに、聖水をお使いになりますが…これほどに澄んだようには…。」
「そうだな。わかるよ。私も何度も儀式に参列したが、荘厳な衣装で、長い聖句を唱えられた。だが…これほどではなかった。言葉を選ばないなら、わずかに清まったかな?と思える程度だ。あのように、たった一吹きですっくりと魔を払われるなど…それも聖句なしで、しかも誰もが使えるのだ。」
「ええ…恐ろしい…恐ろしいほどのお力です。それに…」
「ん?どうした?」
「癒しの聖女様とは…物語の中のお方ではありませんか?」
「何かそういう物語はあるのか?私は聞いたことがない。」
「修道院には、癒しの聖女様のお話しがございます。戦場を駆け抜け、戦士たちを癒したそうにございます。伝説ですので、実在したとは思えません。ですが…」
「この度の戦争は、フーカ様がいなければ被害は甚大なものであり、今頃は隣国の支配下に置かれていただろう。」
「それでございます。伝説の癒しの聖女様…そのように思えてなりません。」
「本物の救世主か…。」
「はい、まさに…。」
妻は、床へ跪きスプレーに対して祈りを捧げた。
「旦那様、いかがなさいましたか?」
執事長が声をかけてきた。
執務に向かっていた辺境伯は、そこでペンが止まっていることに気が付いた
「いや、あのホワイトジャイアントだが…あの丘で狩ったものらしい…」
「なんと…。」
元帥閣下からの手紙には、そのように書かれていた。
つまり、もしかしたら戦争で勝っても、背後からあの巨体に襲われていたかもしれないのだ。
執事長は、驚愕の表情で固まっていた。
「物語でしか出てこない生き物だと思っていた。この地にも伝承はあるようだが、途絶えたものだと思っていた。まだいるとは…。」
「お父君のお代から、姿を見たとの報告はございませんでした。」
「ああ、だがもしも…あのままであったら、私と騎士団長は散っていた。そこにあの巨体が襲い掛かったとなれば…本当に…恐ろしいことだ。」
「ホワイトジャイアントは、何頭いるのかがわからないが、まだいるかもしれない。警戒は怠らないように。騎士団長に指示を出そう。」
「はっ。すぐに御前に…」
辺境では、対策のための堀が彫られ始めた。街の外周に掘られる。ただの堀でも、取り急ぎは足を一瞬止めることは出来るだろう。夜は、火を焚き警戒態勢が取られることになった。
「それにしても…妖精の汲んだ聖水か…。」
あの時、妻はそう言っていた。
通常の聖水とは異なると思ったが、妖精が実在し妖精に聖水を汲ませる事が出来るなど、夢物語のようだ。
だから、あえてあの場では追及しなかった。
妻は、癒しの聖女様という言葉に重きを置いていた。
妖精の方がはるかに夢のような話なのに、妻は「癒しの聖女」を注視していた。
神殿育ちの元聖女候補が、そちらに注目していた。
癒しの聖女に、妖精の汲んだ水、そして伝説のホワイトジャイアントの出現、これから何が起ころうとしているのか?全てが偶然だとは思えなかった。
なぜよりによって、自分の世代なのかと恨み節を言いたくもある。
「旦那様、妖精については公表されているのは、王城と元帥閣下の真珠宮にございます。」
「元帥閣下の?だが、聖水は聖教会本部にしかないだろう?」
「そう言われております。」
「もしかしたら、元帥閣下の真珠宮にも聖水の泉があるのかもしれないのか?」
「可能性としては、否定する根拠はございません。」
「助けられた手前、詮索したくはないが…妖精と言うのが気になるね。」
「はい。もしかしたらば、妖精を聖教会本部に送り込み汲ませた可能性もありますが、泉が同じというには、あまりにも…。」
「あまりにも?確かに、効果が違い過ぎるな。」
「はい、おっしゃる通りにございます。」
辺境伯は、執事長の言葉に苦笑いをしてしまう。
言いたい事はよくわかる。
だが、元帥閣下はもとよりフーカ様をこれ以上詮索するのも、どうにも躊躇してしまう。
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