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辺境伯アシュレイ・ドロ・クリトンは、戦後処理が落ち着いた頃に、ヒシフォートにいる元帥閣下の元を訪ねた。
「改めて、此度の戦争へのご助言・作戦の遂行など多大なる助力に深く感謝を申し上げます。」
元帥閣下に、国王に対するものと同等以上の礼を執った。決して国王に見られてはならない礼だった。
辺境伯と騎士団長、側近たち同行の者全てが膝を付き、頭を最大限下げていた。
「辺境伯、そのような礼を取ってはいけない。貴殿が耐えていてくれたからこそ、国の北西は守られています。それは、貴殿方の功績に間違いない。私は、貴殿を称える。」
「いえ…ありがたき…ありがたき幸せに存じます。」
辺境伯は、飾る言葉を持ち合わせておらず。貴族らしい言葉を紡げなかった。
元帥閣下が、隣にいるフーカ様へ視線を向けた。
今日は、大魔導士のフード姿ではなく。美しいドレスをお召しになっていた。ドレスのラインは大仰なものではない。だが、フーカ様が近づいてきて驚く。ドレスの裾から腰近くまで、美しい刺繍が布と同じような色で施されていた。
これほどの衣装は、見たことがない。
妻のドレスに刺繍をひとつ入れることが、どれほどのものか知っているつもりだ。だからこそ、貴婦人たちは華やかな色を使い豪華さを競っている。
その刺繍を、布と近しい色で入れるなど…そのような贅沢を出来るというのか。なんということだ…。
元帥閣下とは、知力・戦力・そして財力も天と地ほどの差があるということか…。
「皆さん、お体の調子はいかがですか?」
「フーカ様、この度は私や騎士団長を始め、騎士・兵士・領民を広く助けていただき、その多大な温情に対し、報いるだけの感謝を表す術もございません。今後、私を始め辺境の民たちは、フーカ様への感謝を示すため、年2回の…」
「辺境伯、遮ってしまって申し訳ありません。私は人としてできることをしただけで、命を助けることしか出来ませんでした。手足を失った多くの方は、今後不便を強いられます。ですから、そんなに大仰に思わないでください。」
「とんでもありません、フーカ様の功績は…どれほど尽くしても、見合うものではないのです。」
「それなら…少しおねだりしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんでございます。ご希望をかなえられるよう全力で当たらせていただきます。」
「楓花さん、そこまでです。細かい話は…ここではなく、応接間で行いましょう。」
無邪気に話し始めたフーカ様を、元帥閣下が慌てて止められた。
閣下が慌てるような物をお望みになるのか?いや、着ているドレスも何もかもが見たことのない一級品だ。これらは、閣下であるから揃えられる品々だろう。
もしも、家宝をお望みになられたとしても、献上するつもりはある。
辺境伯は、気を引き締めた。
応接室へと通された。
元帥閣下とフーカ様、その後ろにグリフォン隊隊長と執事長が立ち、壁際にはメイドと執事たちが立っていた。
辺境伯は、向かい合う席に騎士団長と並んで座った。
「先ほどは、失礼した。何分…楓花さんは公式の場を理解しておらず…。」
「ごめんなさい。」
「いえ、とんでもございません。我々は、出来うる限りお望みの物を揃えさせていただきます。具体的にはどのようなものをお望みでしょうか?」
フーカ様が嬉しそうに両手を合わせて右頬へと当てた。
「そうですね、これから年に何度か伺ってもよろしいですか?先触れ無しでもいいですか?…よろしいのであれば、その時だけでいいので、魔導車を停める場所が欲しいです。」
「そのような場所はいくらでも…。」
「あとですね。辺境伯のご子息がとてもかわいらしかったので、お伺いした時には遊ばせていただきたいの。」
「そのようなことはいくらでも…。息子がとても喜びます。」
「あとは…港や漁業権などいろいろな利権はあると思いますが…」
港の利権をお望みか?確かに我が領にとって最大の権利だ。
あれらが欲しいといえば、お渡しする覚悟はあるが…それは、我が領の実質的な支配者になることを意味する。
なんでも差し出すつもりはあるが、覚悟が足りなかったようだ。
冷や汗が、背中を伝っていく。
辺境伯は、楓花の次の言葉を待った。
フーカ様は両手の指を伸ばしたまま、左右を合わせた。
「私と同行者に、釣りをする権利も欲しいです。」
室内に静寂が訪れた。
誰も言葉を発しない。
今、何を言われた?
確認の必要がある。
港の支配権ではなく、釣りと行ったか?
「は?釣りですか?フーカ様のお手を煩わせなくても、いくらでもお望みの物を釣り上げて献上しますが。」
「そうじゃないの。自分で釣り上げたいの。」
「はぁ…?」
元帥閣下が、苦笑しながら言葉を挟んだ。
「ああ…辺境伯、お気遣いいただいて申し訳ないが。こういう人なので、そちらの都合がよい時に釣りをさせてやってほしい。もしかしたら、私も同行するかもしれないが…」
「まぁ!ケイさんも一緒に釣りをするの?楽しみですね。」
楓花が、敬一郎ににこやかに問いかけるが、辺境伯は戸惑っていた。
着ている物、風貌、身のこなしその全ては、彼女が貴人であることを語っていた。
それなのに、彼女の望みは金や物ではなく、やりたい事を叶えるための一時的な場の提供だった。
港の権利もいらないのか?本当に?
「フーカ様、我が家には家宝の玉などもありますが、お望みにはなられないのでしょうか?」
「え?家宝ですよね?大切に仕舞っておいたほうがいいですよ。珍しい物を見るのは好きなので、今度見せてくれるなら、それはそれで嬉しいですけど…」
「はぁ…」
辺境伯は困ってしまい、元帥閣下を見るが気にも留めておられない様子だ。
後ろにいる隊長と執事長も、穏やかな様子でフーカ様を見ている。
これで普通らしい。
「辺境伯…閣下のお名前は?」
「アシュレイ・ドロ・クリトンでございます。」
「それなら、アシュレイさ…様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「楓花さん、ファーストネームはいけません。家族以外では、特別な関係にしか許されません。」
「フーカ様でしたら、どうぞお呼びいただいて構いません。私もお名前でお呼びしておりますので。」
「ですって、ありがとうございます。では、改めてアシュレイ様、よろしくお願いします。」
元帥閣下の言葉は、フーカ様には届いていない。
フーカ様のお陰で、和やかに終わってしまった。
だが、ここからが本番のはずだ。
執事長が動いた。
「フーカ様、別室にご用意がございますので、お越しいただけますかな?」
「あら、ギルバートさん?何かありました?」
フーカ様は立ち上がると、元帥閣下の執事長に促されて立ち上がった。
「それでは失礼させていただきます。ごゆっくり。」
部屋を出る前に、振り返り挨拶をしてくださるとにこやかに退室なさった。
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