12
いつもより少し長めです。
敬一郎もエルが用意した部屋で夕方に眠り、夜に起きて大和の楓花の家に戻った。
大和に帰ると朝のハズだ。
楓花に礼を言うと外へ出た。
十分に寝たはずだけれど、朝の光の眩しさに目を細めてしまう。
近所の人から見ると、完全な朝帰りだろう。敬一郎は、気づかれる前にと思い急いで車を出した。
そして、いつも通り弁護士の仕事をこなし、シャーレなどの道具の手配をかけるとすぐに真珠宮へ帰った。いくつかの品は現物を購入していた。
「ギルバート、これらを職人に作らせてほしい。大至急だ。」
「かしこまりました。」
「ここに戻ってくる時に、空のワゴンを2台持って戻って来い。暫く使いたい。」
「かしこまりました。」
待っている間、敬一郎は机の上に仕分けされている書類ケースを見る。
どの箱も書類が山積みになっていた。
緊急性の高い箱を確認し、サインや可否を書いていく。
「お待たせしました。こちら空のワゴンにございます。それからお茶をお持ちしました。」
「ああ、ありがとう。」
敬一郎は、1台目のワゴンに水の入ったビニールバックを置いた。
2台目のワゴンに、果物の入ったバスケットを並べた。
みかんにネーブル、それからイチゴだ。ついでに貰った小松菜と蕪も取り出した。
「見事な果物に野菜ですな。この時期に珍しい。こちらは、どちらからのお品でしょうか?」
「この水から鑑定してみるといい。」
「かしこまりました、失礼致します。」
ギルバートは、袋容器に入った水を鑑定レンズを通して見て、目を見開いた。
『聖水10.02L:聖なる泉の妖精が汲んだ聖水。』
「なっ!?なんですかこれは…。」
「そっちの果物も見てみろ。」
「はっ、はいっ!」
『聖なるみかん:聖水で育ったみかん。甘くて美味しい。浄化作用強。食べると体内の魔を払う。』
「はぁ!?」
離れて立っている侍従や騎士たちにとって、落ち着きのない執事長は、見慣れない姿だった。あまりにも、執事長らしくない。
執事長は、騎士たちの視線に気が付いたらしく姿勢を正した。
顔は、驚き過ぎて元に戻っていないようだ。
「こほんっ」
「旦那様、人払いをしても、よろしゅうございますか?」
「構わない。」
執事長が部屋に控える者たちに視線を走らせた。
「部屋を出て、外からしっかりと警備せよ。」
「はっ!」
全員が部屋を出たことを確認したギルバートは、部屋の明かりをつけてカーテンを閉めた。
朝だというのにカーテンを閉めるというのは、それだけ重要な内容を話すことを意味していた。
「この大量の聖水は何でございますか?聖水というのは、煌びやかで小さな瓶に半分ほど入っているものだと記憶しておりますが。」
「そうだな。私もそうだと知っている。」
「それに、妖精が汲んだとは…なんでございましょうか?妖精が聖水を汲むなど…お伽話で読んだことはございますが、現実に?」
「そういうことになるな。」
「こちらの聖水で育てた果物や野菜とは、何でございましょう?」
「何…私にもわからない。楓花さんの家に泊まったら土産に持たされた。」
「は?コホン…さようでございましたか。」
フーカ様の家へ泊った!?
それは、つまりそういう解釈で、よろしいのでございますね。旦那様。
ギルバートの目が、ギラッと光った。
「フーカ様のご自宅はどちらに?」
「それは言えない。国の管轄外にあるが、場所は言えない。」
「なるほど、わかりました。確かに…聖水で野菜や果物を育てるというのは、表には出せませんな。」
「まぁ…そうなるな…。」
フーカ様は、聖水のある場所にお住まいになっている。
つまり…真の聖女様なのだろう。
それも国の管理下になく、聖教会の管理下ですらない。
なんという重要な秘密だ。
これは、隠し通さねばならない。
聖教会が出てくると、保護などと言い始めてしまいかねない。
確かに聖水のある場所では、リリーやサナをご自宅に連れていくことなど出来ないだろう。
子供は無邪気で無知である。うっかり話し自らを危険に晒しかねない。
なるほど、あれほどかわいがっていらっしゃるのに、連れて帰られない理由はこれか。
「聖…フーカ様の家へ男が、泊まっても良いものなのですか?」
「何か問題か?」
あっさりと返してくる旦那様に、ギルバートは呆れた。
これは、何もなさっていないのではないか?
だが、聖女様であるなら手出し出来ない。してはならないし、手出ししないのが正解でもある。
先ほどまで、やっと手を出したと推測して喜び、何もしていないことにがっかりしていた。
ギルバートの心の中は、忙しかった。
自分の感情の上下に付いていけていない。
旦那様は、透明な容器のレバーを動かしグラスに聖水を注いだ。
それをテーブルに置くと一歩下がった。
「真珠宮の妖精よ、貴方に聖水を捧げよう。」
真珠宮には、妖精が住んでいるという。
だが、その姿を見た者はいない。
時折、食べ物や飲み物が消えることを「妖精の悪戯」と表現するが、本当にいるとは誰も信じていなかった。
旦那様の周辺に、ハラハラと金と白に輝く粉が散り始める。
グラスの水が消えると、それらが集まり曖昧なヒト型を作った。
「おぉ…」
「貴方がこの宮殿の妖精か…。もう少し飲みますか?」
妖精の言葉は聞こえないが、まだ欲しいのだとなんとなく分かった。
旦那様が別のグラスに取り、聖水を移すとまた飲み干した。それを何度も繰り返す。その度に妖精の輪郭は、はっきりとした少女のものへと変わっていった。
真珠宮の妖精は、少女のようだ。表情まではわからない。
だが、〈いるらしい〉存在が、はっきりと〈いる〉存在だったとわかった。
ギルバートは、信じられない思いでそれを見ていた。
「そうだ。この果物を食べますか?これは、イチゴという赤い果物です。こちらはミカンという果物で…」
旦那様が、そう言いながら皿に取っていく。その皿をテーブルに置く前にイチゴが消えた。ミカンが消えると、妖精ははっきりとした姿を見せた。
金色の髪と瞳、真っ白な肌。少女の容貌だが、白いドレスはかなり傷んでいた。
「貴方が真珠宮の妖精か、いつも見守ってくれて感謝している。この部屋に貴方への祭壇を作ろう。」
妖精は、ふわりと笑うと旦那様の周囲を回るように宙を舞い消えた。
「ギルバート、この宮の妖精はまだお元気だったな。」
「そのようでございますね。安心いたしました。」
ギルバートは、信じられない思いだった。
あの妖精が、消える前に旦那様へ祝福を送ったように見えた。
なんと有難いことか。
伝説の妖精が生きていて、この宮に現在もお住まいである。
妖精のいる家は、安泰だと言われていた。迷信だとしても、今確かに見たのだ。信じてしまいたくなる。
「ギルバート、この聖水をグラスに入れ、この宮と屋敷の各フロアの四隅に置くように。この部屋にも祭壇を設えよ。そこの手入れも頼む。」
「はっ!」
「これは、この部屋で保管する。私とお前との秘密だ。いいな?」
「承知しました。祭壇から降ろした水はいかがしましょう?」
「それは任せる。」
「かしこまりました。」
この真珠宮と屋敷の四つ角には小さな祭壇があった。
そこに毎朝、水を置いている。その水を聖水にせよと旦那様は仰せなのだ。
聖水は、魔を払う。
魔というのは、どこからともなくやってきて、いつの間にか居つくのだ。
魔導士というのは、略語だ。
昔は、「聖魔を導く者」と表記されていた。魔だけではなく、聖も操ることができる。この世の理を読み解き、聖と魔を知る者でもある。
その聖が失われ、今では魔を操るものと認識されていた。
魔導士の館でもあるこの宮では、魔は在るものである。
それを払う祭壇があるのも、そこに聖水をささげるのも、なんとも不思議なことではあった。
聖水は消えていることが多いが、残っている場合は、ギルバートが近くの窓から外へと捨てるようになった。
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