第九章 追う者と追われる者 (人形)
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グランヴィッツ卿とリンが出ていくと、カッセル卿は一人、ひび割れた眼鏡をはずし棚の上に置く。純粋に目が悪いわけではないようだ。
「この眼鏡のように……語り手として僕の役目は終わったということかな?」
暗闇に一人語り掛ける。すると待ちわびたように奥からゆっくり闇の中にシルエットが浮かび上がった。
「僕を殺す為にわざわざこんな田舎までくるなんて、君も物好きだね」
「……」
物好きと言われた人物は黙ったまま何も答えない。全身黒のローブとフードで体を隠しており、フードから見え隠れする顔には、異様な仮面が被られていた。
「教会のタブーは口数も少ないようだね。ドゥーブル卿がヘタを打つわけだ。さすがの彼もナーヴェル卿様に敵わなかったと……」
「……抗わないのですか?」
「抗う? 愚問だよ。勝てない戦はしないタイプなんだ。それに枢機卿としても、古本屋としても十分いい思いはさせてもらったからね。ここらが潮時でもしょうがないかな」
「それで“影”を逃がしたのですか?」
疑問系の言葉でありながら、仮面の下から発せられる声は抑揚もなく淡々としていた。
「無駄死にする必要はないからね。彼らには嘘をついて別の任務についてもらっているよ。悪い事をしたかな……後で恨まれるかも。さて、長話は好きじゃないんだ。やるならさっさとしてくれないかな?」
覚悟を決めたようにカッセル卿は目を閉じる。
その仕草を確認すると同時に、仮面の人物は一歩ずつ前に進んでいく。二人の距離が近づき、手が届く距離まで来ると、仮面の人物は袖からナイフを一本取り出し振りかかった。その瞬間、下ろされたナイフはカッセル卿の喉元を切り裂くことはなかった。なぜなら先程まで仮面の人物が立っていた場所には、柄に細かな装飾が施された鋭利なナイフが突き刺さっていたのだから。
「申し訳ありませんセシル様。当てるつもりが避けられてしまったようです」
間一髪、投げ込まれたナイフを仮面の人物も咄嗟に後ろに飛び退くことで避けていた。
「十分さ。カッセル卿が無事なら」
聞き覚えのある声にカッセル卿が目を開けると、古本屋の入口には先程、確かに出て行ったはずのグランヴィッツ卿とリンの姿があった。
「グランヴィッツ卿……どうして?」
「私がドゥーブル卿を狙った犯人なら、次はカッセル卿の命を狙うはず。だから貴方も何も私達に言わなかったのですね」
「うん、そうだね。さすがグランヴィッツ卿……僕の想像のはるか上をいくね」
「お褒めに預かり光栄です。ただ、長話は彼女を退けてからです」
そう言うとグランヴィッツ卿は、彼女こと、教会のタブーであるエリザを見つめるように視線を向ける。二人の視線の間には仮面一枚しか遮るものはなかった。
「退いてくれないか。エリザ」
「セシル様。何を言っているんですか?」
態勢を低くして臨戦態勢のリンは驚いたように言う。
「リン、黙っていてくれ」
「え……あ、はい」
いつもの優しい物腰とは違うグランヴィッツ卿の言葉に、リンは素直に頷くことしかできない。
「もう一度言う。退いてくれないかエリザ。今、私達を一緒に殺してしまうのはキミや、キミに命令している存在にとって都合が悪いのではないか?」
「……」
グランヴィッツ卿の問いに、エリザは黙ったまま立ち止まる。
「……いいでしょう。この場は引きます」
そう言うとエリザは一歩ずつゆっくりと後退り、店の奥の暗闇へと同化するように消えて行った。
「ふぅー……意外と大胆なことをするなグランヴィッツ卿は」
緊張の糸がとけたのか、カッセル卿はその場に座り込んだ。その頬には大きな粒の汗が流れている。
「それを言うならカッセル卿こそでは。随分大胆でしたよ」
「はは。お互い様ってことだね。似合わないことはするものじゃないね。ほら、手がまだ震えてるよ」
そう言ってカッセル卿が差し出した手は、小刻みに震え続けていた。
「エリザって言っていたね。教会のタブーの事を知っているのかい?」
「……知っているというほどではありません。ただカッセル卿の言葉でいうなら昔……少し縁があったので」
「タブーと縁があるなんて、グランヴィッツ卿はすごいのか……変わっているのか」
心から関心したようにカッセル卿は言う。
「セシル様、敵はどうやら完全に撤退したようです」
そう言って外を警戒しにいったリンが戻ってくる。
「そうか。ありがとう」
「それで、これからグランヴィッツ卿はどうするの? 僕のせいで完全に君も狙われる立場になってしまったかもしれないよ」
「元々、あの方には忌み嫌われていましたので同じことです。それに私の目的は変わりませんから」
「強いな。グランヴィッツ卿は」
「そういうカッセル卿こそどうされるのです?」
「うーん。どうしようかな……元々ここで死ぬ予定だったから、後の事は何も考えてなかったな……グランヴィッツ卿達のせいだよ」
「せい……ですか?」
命を助けことがせいと言われてしまっては、さすがのグランヴィッツ卿も困ってしまう。
「そう、だから責任をとって僕も同行させてもらえないかな?」
「え?」
カッセル卿の言葉に普段クールでポーカーフェイスなグランヴィッツ卿も、さすがに驚きを隠せないでいた。
--------------------------------暗い地下室の一室---------------------------------------
ヒュー
暗い地下室に一陣の風が舞い込むと、笛の音のような音がする。
これが来客を知らせるドアベル変わりであることは、部屋の住人にとって当たり前のことになっていた。
「エリザか?」
暗闇に向かって、低くかすれた声が問いかける。
「……はい」
暗闇から返ってきたのは対照的に透き通る女性の声。
「ドゥーブル卿の件はご苦労であった」
「……ありがとうございます」
「ただ……カッセル卿の件は……貴様らしくない」
最後の“ない”という言葉に、力強く怒りが込められているのが伝わってくる。
「……申し訳ありません」
「謝罪の言葉など……私は求めていない。私が求めるものはなんだ?」
「結果のみです。シャルル・ド・ナーヴェル卿様」
「分っているな。では……なぜ仕損じた?」
「それは……」
「言わずとも知れたこと……あの男の存在か?」
「いえ……それは」
慌てたように一歩前に踏み出した瞬間、小さなロウソクの火が地下室の中に一本だけ灯る。揺れる火に照らされるように黒いローブに黒いフードを被ったエリザの姿が映し出される。
「言い訳はよい。分かっておる、貴様も所詮は女であったか」
「……」
「情に流される愚かな女は“影”としての生き方も誓いも守れず、朽ちていくのみ。その手に囲み、守るものも守れないまま。愚かだ……愚かではないか? エリザ」
「……」
淡々と語るナーヴェル卿の言葉に、エリザは黙っていることしかできなかった。
「二兎を追う者は一兎をも得ず……素晴らしい言葉だ。まさに世の理を表し、今の貴様をも表している」
「……」
「願いはなんだ? その手にはすでにエイダを握っているはず……その小さな手に二つは入らぬ」
「……はい」
「……よく考えて動くことだ」
そう言い残しナーヴェル卿は一人、地下室を出ていく。残されたのは膝まずいたままのエリザのみだった。
隙間風も入らない密閉された地下室の中、ロウソクの火が自然にフッと消える。再び暗闇が部屋の中を支配し始める。それでも黒い衣装に身を包んだエリザは動かず、じっと何かを考えているかのようだった。
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「カッセル卿は本当に一緒に行かれるのですか?」
「本人がそのつもりのようだ」
リンの問いかけに私も頷くことしかできない。なぜなら目の前のカッセル卿は古本屋の入口に鍵をかけ、今にも旅立とうと意気込んでいるのだから。
「よし、準備完了。行こうかグランヴィッツ卿? いや、旅の時はジーニアスさんだったかな?」
そう言って確認してくるカッセル卿は気のせいか少し、追われている立場でありながら嬉しそうに見えた。
「ジーニアスでいいですよ。カッセル卿」
「おっと、僕の名前はカッセル卿じゃないよ。今日からノーベルで」
「そうでした。ノーベル」
「そうそう。リンさんもよろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
「固いよ。僕はもう枢機卿じゃないんだから。フランクにね」
「……頑張ります」
横目でチラッとリンは私に救いを求めるように視線を送ってくるがすまない。今さらカッセル卿ことノーベルを置いていくわけにもいかないし、リンには慣れてもらうしかないことだ。
「じゃあアルセントを目指して出発だ」
意気揚々と駆けていくノーベルを心配そうに追いかけるリン。旅の友が増えていくことも旅の醍醐味とはいうけど。これもカッセル卿の言う縁なのだろう。任務を遂行できなかった彼女は無事だろうか……ふいに考えしまう。今、考えたところでなにもかわりはしないし、何もできないことなのに。今の私には、今できることをやるしかない。今は目の前の道のりを一歩ずつ進んでいくだけ、先を行く彼らに追いつくために。
…………………………… Cecil side story Fin …………………………




