第十章 岸壁の上の要塞(報道)
「エイダさん、口にソースが付いてますよ」
マリアさんに指摘されると、エイダはナイフとフォークを置いておしぼりで口についたソースを拭きとる。食欲もすっかり元に戻った様子のエイダを見ていると、なんだか安心してしまう。
ここはバーデンハイムの宿屋に併設された食堂、少し遅い朝食を食べにきた僕達は、すいている食堂の奥の席に座って、おすすめのパンケーキを食べていた。
「なにニヤニヤしてるんだ?」
隣で僕の顔を見ながらルインさんは言う。
「別にニヤニヤしてませんよ」
「嘘つけ。さっきから口元が緩んでいるぞ」
そう言われて思わず手を口に当ててみる……うん、確かに緩んでるかも。でもしょうがないことだ。ずっと病に苦しんでいたエイダが、いつもの笑顔を見せてくれるようになったのだから、口元だって緩んでしまうだろう。だれだって。
「あ、今開き直ったな」
「な……いや……それは」
また心を読まれたように見透かされる。僕は顔にでやすいのか……ルインさんには隠し事ができそうにないな。
「そ、そんなことよりもた、食べましょう」
ナイフでパンケーキをカットすると、誤魔化すように勢いよく口の中にねじ込む。そんな僕の様子にあきれたのか、ルインさんもナイフとフォークを動かし始めた。
「それにしても、教会が大変なことになっていますね」
テーブルの端に無造作に置かれた新聞の一面を見て、マリアさんは言う。
「そうだな。枢機卿が二人も殺され、さらに一人は行方不明。それだけでも大事なのに、疑われている犯人が同じ枢機卿となれば、結束された組織力を誇る教会内部にもほころびは生じてしまうだろうな。意図的なのか……止められなかったのか、これだけ新聞に情報が載っているだけでも異常だよ。いつもの教会なら裏で差し止めにしててもおかしくはなさそうだけどな」
そう言ってルインさんは、一口サイズに切り分けたパンケーキをフォークで口の中にもっていく。
「本当に……セシルさんが犯人なんでしょうか?」
新聞にはデカデカと『若き枢機卿の乱心か?!元老院の枢機卿10席の立場から一転、教会から追われる立場へ転落』と書かれている。新聞に書かれた情報では、殺された枢機卿や行方不明の枢機卿に会いにいったセシル・フォン・グランヴィッツ卿が犯人であることが確定事項のようになっている。それでも僕はなんだか信じられなかった。一度しか出会ったことはないし、そこまで話したわけではないけど、少しの間一緒の時間を共有した立場から、なんとなくあの人が同じ枢機卿を殺すようなことをするとは思えなかったのだ。
「さぁな。俺には分からん」
そう言ってルインさんは、口直しとばかりにコーヒーの入ったカップを持ち上げる。
「心配じゃないんですか?」
「心配か……心配じゃないかって言われれば心配だけどな。今一緒にいない奴のことを心配したってしょうがないだろ。捕まったとは書いてないし、無事に逃げてるってことだ。それに俺としてはお前の方が心配だけどな?」
「え? 僕ですか?」
思いもよらない言葉にフォークに刺したパンケーキを落としてしまう。
「そうだよ。隠してるつもりだろうけど、殺されたドゥーブル卿のことが気になるんだろ?」
「バレてましたか……」
ほほ笑んでいるマリアさんもしっかり頷いている。そんなに顔に出ていたのだろうか。
「でも……まさかだよな。通っていた学院の、それも担任の先生が実は教会の枢機卿だったなんて」
「そうですね。新聞で知るまで信じられなかったです。まさかアラド先生が……」
思い出されるのは教壇の前で教科書片手に授業を行うアラド先生の後ろ姿と、ときどき居眠りをする僕を皮肉めいた言葉で叱る姿だ。怒った時は怖い先生ではあったけど、嫌いな先生ではなかった。どちらかといえば好きな先生だ。それは僕だけではなく、他のクラスメイト達もきっと同じ気持ちだっただろう。アラド先生が亡くなったことで、そのことを改めて実感させられた。
枢機卿としての一面ばかりが新聞に話題として取り上げられている中で、一つの新聞だけは隅のほうにアラド先生の名前で記事を載せていた。記事によるとアラド先生が亡くなった次の日、学院の玄関横に作られた献花台には、たくさんの生徒や街の住民が花を供えていたそうだ、その数は1000以上とのこと。同じ日にリレイドの教会に併設された献花台には800の花が、比べる物ではないけどリレイドの街ではドゥーブル卿としてよりもアラド先生として慕われていた証拠でもあった。集まり続ける生徒たちの姿に筆者も驚かされたという文章で締めくくられていた。記事の横に記載された編集者の名前はサッチェル・パウダーと記され、この記者がわざわざリレイドまで取材に行ったことが分かる記事だった。
「ご馳走様です。ちょっと部屋にいますね」
パンケーキが残ったままのお皿にナイフとフォークを置くと、僕は顔を伏せたまま食堂を出て、そのまま部屋へと続く階段を上っていた。
吹っ切れたつもりだったけど……駄目だな。思い出してしまうとつい一人になりたくなってしまう。これではきっと今頃、ルインさん達が余計に心配しているかもしれない。
自分で自分を責めながら部屋に戻ると、一直線に窓を開く。待ちわびていたかのように冷たい風が部屋の中に侵入してくる。窓の外に広がるのは雪景色だけ、遠くに見える白く染まった山をいくつ越えたら、海が見えてくるのだろう。学院の窓からはいつも太陽の光に照らされた海が見えていた。目を閉じると、潮の香りと、海鳥の鳴き声が聞こえてくる気がした。よく廊下に立たされた時に感じた情景である。
「そんなに私の授業はつまらないかね? リオン君?」
幻覚のように耳の奥に声が聞こえてくる。思い出の中のアラド先生はいつも、怒っているようで、それでいて優しく見守っていてくれていたような気がする。
スッと頬を、暖かな水滴が流れ落ちる。それでも風は変わらず吹き抜けていく。肌寒くなってきたので開けたままの窓を閉めた。やっぱり駄目駄目だ。こんな姿を見られてはきっとアラド先生に怒られてしまうような気がした。




