サヴォンリンナ神殿への道行き39 ”白狼城”の霧 六 -グラニダニの戦い-
その後三百年のリファニアの歴史に大きな影響を与えた”グラニダニの戦い”はマルナガン王初年の五月二十日と二十一日の二日間行われた。
初日は両方の先遣隊がグラニダニ山東方の森林地帯で接触して小競り合いから始まり、双方とも次々に後方から進出してきた部隊による戦闘になった。
ただ森林地帯を通過する街道上の戦闘は狭い正面にしか兵を展開できずに、狭い正面での戦闘が行われたために兵力の寡多は問題ではなかった。
そして夕暮れで戦闘が終結した時には、マルナガン王軍はグラニダニ山西方の草原で陣形を整えていたが、トランテオン僭称王軍は森林地帯の隘路の中に細長く停滞していた。
そして双方とも相手が主力だということが判明して驚愕した。
大局的にはこれはトランテオン僭称王軍にとって千載一遇の僥倖だった。相手はマルナガン王の率いる軍勢であり、こちらが兵力で勝った状態で決戦を挑めるからである。
ただ陣形では最悪で決戦をするためにグラニダニ山西方の草原に押し出そうとすれば先頭の部隊から森林を出たところで包囲されて討ち取られてしまう。
相手も攻めにくいので持久する方法もあるが、ベムリーナ山中で万余を軍勢に補給を続けるワケにもいかない。
一旦撤退する方法もあるが追撃を受けて殿の部隊から順次食われてしまう。
マルナガン王軍の諸将はマルナガン王以下が周囲の警戒を命じて明日の戦勝を確信して夜襲を警戒する手配だけをして早くに就寝したが、トランテオン僭称王側はそうはいかなかった。
お飾りの総指揮官である少年王のトランテオン僭称王が母親のゲルグレットに付き添われて「軍議を始めよ」と言って退出したことでトランテオン僭称王側の軍議が始まった。
トランテオン僭称王と母親ゲルグレットが退出した時に何人かの領主から溜息が漏れた。
トランテオン僭称王が軍に同行しているのは全体の志気を高め、また首尾良くホルメニアに進撃出来た時はすぐにファラスベム神殿で即位を行えるようにする為である。
ただ少年王といっても母親が軍に同行するのは異例である。
ゲルグレットは我が子の即位をどうしても自分の目で見届けたいという主張を押し通したのだ。
ただ十代半ばになりながら母親の言いなりに行動しているトランテオン僭称王の姿を目の当たりに見た領主達は内心でトランテオン僭称王を我が王として仰いでいいものかという感情に基づく疑念が生じていた。
さて軍議はまず斥候に出た兵士の報告から現在の状況が説明された。報告が終わってもしばらく口をきく者はいなかった。
自軍の攻勢による早期の隘路突破が難しいことは明白である上に、突破してもその後手の打ちようがなかったからだ。
最初に口火を切ったのは南部四大領主の中で最も老年のスロヴァク子爵シブネイ・ゲオルドルドが発言した。
その内容は唯一取り得るのは側面を気にせずに。軍を展開させずに錐のように敵中央に切り込んでいくといものであった。
口々に反対の声が上がる。
するとスロヴァク子爵シブネイ・ゲオルドルドは他の案を検討して無理なら自分の案を実行するべきだと言って黙り込んだ。
そこで軍を展開できる地域まで後退する方策が検討された。二十五リーグ(約45キロ)ばかり後退するとグラニダニ山西方の草原以上の地積がある小盆地があった。そこで、戦端を開けば兵力の優位を利用できる。
ちなみにこの時にトランテオン僭称王軍が後退して展開したかったのは、祐司とバーリフェルト男爵家との縁が出来たバーリフェルト男爵領の代官所を中心にした盆地のことである。
この時点ではトランテオン僭称王陣営ではバーリフェルト盆地を支配するバーリフェルト男爵家が籠城したダゴル城を味方が包囲中であり、軍勢の展開には問題が無く事情が許せばダゴル城を強襲して奪うことで攻守の支撐点として利用することも考えられた。
ただ前述したようにすでにバーリフェルト男爵家領までの東方からの兵糧輸送は途絶しており、トランテオン僭称王軍が巧妙にバーリフェルト盆地まで後退してもそこに留まることは出来ずに兵糧を求めてさらに東へ東へと後退し続けただろう。
ただそのような事情になっていることを知らないトランテオン僭称王軍首脳のこの夜の問題は敵に接触したまま後退ができるかということである。
狭い山地の街道を延びきった形で後退すれば、敵は最後尾から順番に味方を食っていくのは明白だった。それは戦闘ではなく文字通りの掃討になってしまうだろう。
軍議が煮詰まるにつれて両側が深い森林地帯の街道上で長蛇の状態になっている自軍がマルナガン王軍の夜襲を受けるのではという恐怖感が諸将の頭に浮かんできた。
急遽多くの斥候を街道から周辺の森に派遣せよとの命令が出される。また警戒部隊を出来るだけ街道周辺に浸透させよとの命令も下る。
ようやく就寝しようとしていたトランテオン僭称王軍の兵士は寝床を湿った森の中にうつされ、半数の兵士が交代しながらも夜通しの見張りにつくことになった。
これだけの手配をして一刻(二時間)後にようやく軍議が再開された。しかし、時々味方を敵と誤認した騒ぎで度々軍議は中断された。
軍議は煮詰まらないまま夜が更けてくる。
結局、最初にスロヴァク子爵シブネイ・ゲオルドルドが言ったように長蛇の列のまま錐のように敵の中央突破を図ることになった。
現実的な妥協案として中央突破が無理でも敵が多少でも退くなら全力で退却を開始するということで軍議が決した。
ところがここでまた難問が発生する。誰が危険ですりつぶされる恐れの強い先陣になるかである。
喧々囂々(けんけんごうごう)の論議の末に、事実上の総指揮官であるイルミコット侯爵家ムブザ・デェウポウナ・リンハルトの軍勢から二百を出して先陣とする。
以下残りの三大領主から二百、以下中小の領主は百から三十程度の兵を出して順次吶喊することになった。
最後に四大領主の中で一番若いイプリンゲル子爵ウェルヴォ・ブルクハルドルが、大半の兵が遊兵になるなら、自隊の過半をグラニダニ山の南を迂回させるルートで進軍させて欲しいと言った。疲れ切っていた首脳陣は特に反対せず同意を与えた。
それが決した所で狭い街道を中で兵の入れ替えが開始された。その陣容ができるまで、首脳陣は軍議をしていた場所でようやく仮眠を取ることになった。
翌五月二十一日、領主権派軍の攻撃は四刻(午前十時)をかなり回ってから開始された。
これは前夜疲弊した兵士に多少でも回復する時間を与えたのと、早朝に出発したイプリンゲル子爵軍が背後から攻撃を行えば多少でも突破する可能性が上がるのでそれを待っていたことによる。
ただイプリンゲル子爵軍はグラニダニ山南麓の道のない森林地帯を迷いながら、一刻(二時間)に一リーグ(約1.8キロ)以下という歩みで進んでいた。
そして三刻半(午前九時)にイプリンゲル子爵軍の伝令が鋭意努力しているが、迂回攻撃が出来るかは不明という知らせを持ってきたことで一か八かの戦端を開くことにしたのだ。
マルナガン王軍は敵がしゃにむに攻撃を仕掛けてくるだろうから一旦受け流して、戦いが開始された後に敵が後退するのが困難になってから後手の一撃を食らわせてやろうと思っていたために自分から攻撃をするのを控えていた。
攻撃の様相は両軍が予想、あるいは覚悟したように進んでいった。両軍が対峙していたのは、グラニダニ山北方の隘路が三百メートルほどで終わりグラニダニ山西方の草原地帯の入り口が目の前という場所だった。
五刻(十二時)頃には森林地帯の出口近くまでトランテオン僭称王軍が押し込んでいた。
これは知らず知らずのうちにマルナガン王軍の兵士が精神的に受け身になっていたことによる。
敵が攻勢を中々開始しなかったことから何か策でもあるのだろうかと余計なことを考え出した。
この影響は戦闘が始まってからマルナガン王軍の兵士の戦い方に反映する。
しかし出口付近の最後の数十メートルは見て目にもわかるほど、西に向って登りになっておりマルナガン王軍が梃子でも動かなくなる。
ただ出口が近くなり街道付近の木々が疎らになってきたために、両軍とも自然と左右に展開しだした。
街道部分は出口に向かって明らかな登りになっているが、街道周辺はほぼ平坦で街道は溝のような構造になっていた。このために街道部分のマルナガン王軍が突出するような形になった。
これが五刻半(午後一時)頃の状況である。この時点で双方に死者はほとんど出ていない。
これはマルナガン王軍にとっては、いささか不味い状況である。相手が小出しにしかグラニダニ山西方の草原に出てこられないという前提で、それを圧倒的兵力差で順次撃破する。
もしトランテオン僭称王軍が撤退を開始すれば、最後尾を順次食っていけばいいという算段だった。
ところが意に半ば反するようにトランテオン僭称王軍先鋒の攻撃は苛烈でグラニダニ山西方の草原直前の地点で、ある程度の横幅と縦深を持って隊形を組みつつあった。その中央に位置する街道ではマルナガン王軍が包囲されつつあるのであった。
その時最近組織された”剣士隊”の血気にはやった若い郷士達とその従者数百名ばかりが一抱え以上もある大きな丸太を持ち出してきた。
丸太には、幕舎を固定する太い金属製の杭が打ち込まれており若い郷士や従者はそれを手がかりにして易々と丸太を持ち上げていた。
この剣士隊は王都貴族や王家直参郷士の次男以下が主だった構成員である。
領主の次男以下は、嫡子の家臣としての立場に立つ分家として生きていければまだしも小規模な領主の次男以下は下手をすると部屋住みとなることもあった。それが嫌ならば、中央盆地や北部に自分の運試しに出て行くかである。
どうしても、王都で貴族や郷士の面目を保ちたければ、近衛隊に入り直参になるしかなかった。
ただ、近衛隊兵士は上層の平民にも門戸が開かれており、身分上の見栄のために郷士、貴族は半隊長以上のポストにつく必要があった。
その数には限りがあり狭き門であった。入隊が許されるのは品行方正で武術に覚えのある堅物に近いような者が多かった。
この枠に入らない下級貴族や郷士の若者の間では、日本でいう”歌舞伎者”のように徒党を組んで王都を闊歩するということが当時流行っていた。
その徒党は、幾つかのグループに分かれており、街中で出会うと喧嘩沙汰を起こすなど行動が目に余ってきていた。
そこでダレン王の末期から現王マルナガンとヤスカル伯爵が中心になって、世襲ではない本人限りの”剣士隊”を創立した。
これは後に近衛隊以外の王立常備軍の基礎になる。
*話末注あり
その”歌舞伎者”の中で有名人だったのが三つに分かれた剣士隊の一番隊の隊長バルレ・ラディスラという人物で、数々の芝居にも登場するためリファニア人なら名を知らない者はいない。
*話末注あり
日本の歴史にはバレル・ラディスラに上手く当てはまるような人物はいないが、町奴の大物幡随院長兵衛を殺害した旗本奴の水野十郎左衛門が善玉として名を残して、遠山影元、いや遠山金四郎のようになったと言えばいいだろう。
バルレ・ラディスラは貴族の四男ながら王都で十代のころから百人近い無頼の徒を率いたという男で数度官憲に逮捕されてもいる。
それがどういった風の吹き回しか、改心するから仲間ともども”剣士隊”に入れてくれとマルナガン王とヤスカル伯爵に直訴してきた。
かなりの反対があったが、街中で暴れる連中を統制できるならというくらいの気持ちでヤスカル伯爵が剣士隊に入ることを許可した。
そしてマルナガン王は今度の遠征では遊撃隊としてくらいなら利用できるかもしれないという理由で参加が許していた。
当日の戦いでは”剣士隊”は予備隊に指名されていたが、他の剣士隊の長を誘って街道にいるトランテオン僭称王軍に突入させて欲しいと、バルレ・ラディスラはマルナガン王に直訴してきた。
この当時の剣士隊は制服があるわけでもなく、かつて街中を闊歩していた派手な武装と服装をそれぞれが勝手に着用していた。見た目は戦場には場違いな任侠者の集団、もしくは愚連隊である。
マルナガン王は、バルレ・ラディスラに直接会い、その目が真剣であることを知ると遊兵になっているくらいならここで手柄と男を上げよと言った。
喜び勇んだバルレ・ラディスラは事前に用意させていた、大きな丸太三つを三つの隊に分けた。
バルレ・ラディスラの一番隊を先頭に大きな丸太が、ものすごい勢いで街道にいるトランテオン僭称王軍に突入した。
元歌舞伎者の剣士隊隊員は王都で徒党を組んで疾走しながら「ドケドケ、吹っ飛ばすぞ」と蛮声を上げていたが、この時も同様の蛮声で自分を鼓舞し相手を威嚇した。
数トンはある丸太が走るほどの速度とはいえ生身の人間がかざした楯に突入する。一撃で楯は砕け、楯を持っていた持っていた兵士、その兵士を後ろから支えていた兵士を数人まとめて文字通り吹き飛ばした。
それでも百人以上で持った丸太の勢いは止まらずに、事情が分からず街道で立ちすくんでいるトランテオン僭称王軍の兵士をなぎ通しながら二三百メートル程も進んだ。
後続の二本の丸太も、逃げ惑う領主権派軍の兵士をなぎ倒しながら進んでくる。その後には、一メートル以上の長さの両手剣を振りかざした”剣士隊”が、トランテオン僭称王軍の兵士と見ると剣を頭に叩きつけるように続いた。
このリファニアの基準からは長大な剣は、当時の無頼の徒が好んで持った剣で”剣士隊”の男達はこの剣を背負うか従者に持たせるというのが定番だった。
隊列を組んだ真面目の合戦では剣は槍にかなわない。
ただ街道上の細長く狭い場所で密集していては、槍襖の効果はあげにくく槍の取り回しが困難であっという間に相手に間合いを詰められる。
間合いが詰まれば剣に勝機が出てくる。この街道を丸太が密集している敵を蹴散らかして突進するという特殊な状況下では”剣士隊”の街中の喧嘩に最適化して作られた長剣は最良の兵器だった。
一旦、止まったバルレ・ラディスラの指揮する丸太は他の二本が追いついてくると、再び疾走を開始した。
三本の丸太は再びトランテオン僭称王軍兵士をなぎ倒しながら突進する。狭い街道に満ちているトランテオン僭称王軍兵士は丸太が間近に接近するまで何が起こっているか理解できていなかった。
やがて丸太の突進にトランテオン僭称王軍兵士が逃げ出す。それが合図で何が起こっているのかもわからない後方の兵士も、逃げてくる兵士につられて逃げ出した。
この頃には草原の出口付近に展開していたトランテオン僭称王軍は、増援が来なくなったことで瞬く間に王権派軍によって森林地帯に放逐された。
そして左右の脅威がなくなったマルナガン王軍の他の部隊も続々と街道に侵攻してきた。
正規軍というべき近衛隊が、”剣士隊”に追いついた時は”剣士隊”は丸太を放り出して勝ちどきをあげていた。
丸太を抱えた”剣士隊”は一リーグ(約1.8キロ)ほども突進したがさすがに疲労困憊して後続の兵に追撃を任せてほとんどの兵は座り込んだままで勝ち鬨を上げていた。
”剣士隊”はこの時点で長蛇の頭を得ていた。トランテオン僭称王軍の実質的な総指揮官とも言うべきイルミコット侯爵家ムブザ・デェウポウナ・リンハルトを討ち取ったのだ。
当日、イルミコット侯爵家ムブザ・デェウポウナ・リンハルトはかなり後方にトランテオン僭称王やその母親のゲルグレットと共に位置していた。
ところが自軍が押し気味になりグラニダニ山西方の草原にある程度の幅を持って進出出来そうだとの報告に、陣立てを指揮するために過半の領主を引き連れて街道上に細長く蝟集した軍勢の半ばよりかなり前まで進出していた。
それが突然、前方から悲鳴が聞こえて来たと思うと大勢の兵が我先にと後退する奔流の中で立ち往生してしまった。
後退する兵をなんとか止めようとしている時に、何が起こっているのかわからないまま”剣士隊”の丸太がイルミコット侯爵家ムブザ・デェウポウナ・リンハルトの乗っていた輿にまともに激突した。
輿は木っ端微塵になりイルミコット侯爵家ムブザ・デェウポウナ・リンハルトは数メートルも投げ飛ばされて、そのまま”剣士隊”やそれに追いついてきた近衛隊をはじめとするマルナガン王軍の兵士数十人に踏まれた。
誰かが倒れているのがイルミコット侯爵家ムブザ・デェウポウナ・リンハルトであると気が付いた時には彼は虫の息であっという間に首を取られた。
この後は堰を切ったように敗走するトランテオン僭称王軍を背後から次々とマルナガン王軍が討ち取っていくという掃討戦になった。
注:”剣士隊”と王立軍
”剣士隊”はその名の通りに各自が背中に背負う長剣を装備していました。しかし主要な武器は長槍です。
戦列を組んで長槍で戦うというリファニアの標準的な部隊編成ですが、敵が怯んできたと思うと長剣を振りかざして敵陣に突入することを旨にしていました。
狭い場所で一対一や少人数で戦う場合は、取り回しの関係から剣が槍より有利ということもありますが、原則としてオープンスペースで行われる合戦では槍が圧倒的に有利になります。
また剣を武器として扱うにはそれなりの習練が必要ですかが、槍は戦列を組んで前後に動かす、頭上に掲げて振り下ろすといったことが出来る程度の訓練で有効な武器になります。
そして素人に毛が生えた兵士にでも槍衾を組まれると剣はまったく対抗出来ません。
しかし相手が怯んだ時に一斉に抜刀して突っ込むと槍で突っ込むより大きな効果が出ます。槍は体を貫きますが剣は身体の欠損をもたらす武器だからです。
体の一部を薙ぎ払い、またからだを切り裂く剣は恐らく長い間ネコ科の大型獣の襲撃にあっていた人間にとっては本能的に恐ろしいモノなのです。
これは実際に槍や剣とやりあった経験がなければ実感しにくいですが、戦乱が毎年どこかで起こり尚武の気質に満ちた当時のリファニアでは多くの人間が理解できたことでした。
戦闘員の大部分が銃で武装していた西南戦争で薩摩軍の斬り込みが効果を上げていたので、政府軍も抜刀隊を編成して塹壕戦や視界の悪い中で活躍した例もあります。
ただこの抜刀隊は警視隊の剣術に手練れな士族出身者から構成されており、その過半は薩摩出身でした。
ただ二十年後の日清戦争では警視庁が抜刀隊を編成して義勇兵として活動したいと陸軍に申し出ますが時代遅れと一蹴されています。
”剣士隊”は貴族や郷士の子弟で構成されますが、幾ら彼等が不良分子であっとしても剣術は身についています。
むしろ自分の剣術を磨く爲に自分にあった師匠のもとで研鑽をし、自分が一派を立てるとばかりに我流の剣術にのめり込んで者もいました。
ただ流派がばらばらなので集団でありながら個々に戦うような集団になります。
王家ではこれを無理に矯正することなく、ここ一撃という場合に使う無鉄砲な剣士集団として”剣士隊”を創立しました。
”グラニダニの戦い”で武名を上げた”剣士隊”は第六十代リファニア王バスサラスの時代に平民を兵士として受け入れてリファニア王立軍と改称します。
ただ”剣士隊”の末裔として王立軍の兵士は白兵戦用の剣を入隊時に支給されて今でも装備しています。
注:ラディスラ
”剣士隊”のラディスラは男性ですが、大巫術師スヴェアの娘もラディスラという名前です。
リファニアには日本の”ひかる”とか”かおる”と同じように男女兼用という名がいくつかありラディスラもその一つです。
パーヴォットも実は男女兼用の名前ですが、元々希な名前でほとんどが女性に使用されています。




