サヴォンリンナ神殿への道行き37 ”白狼城”の霧 四 -バーリフェルト男爵家の隘路③ 長蛇を逸す-
トランテオン僭称王軍から分離されて急遽バーリフェルト男爵家と一部の領民が立て籠もるダゴル城の包囲を命じられたバルトニチェク男爵家以下の五家の貴族領主軍は包囲が始まって二日ほどで手持ちの兵糧をほぼ食い尽くしてしまった。
新たな兵糧はバーリフェルト男爵家領の東西に位置する領主家が提供する約束であったが、トランテオン僭称王軍がいなくなったとたんに東西どちらの領主も兵糧の提供を渋った。
元々トランテオン僭称王軍にこれらの領主が領地通過を認めさらに兵糧を提供したのはその武威を恐れたのと、すぐに提供したのと同量の兵糧が後送されてくると約束されたからだ。
ベムリーナ山地を急行軍するために小荷駄を切り離して進む先の領主領で兵糧の提供を受けて同量の兵糧を後送するという計画はベムリーナ山地に入った様な場所では上手く機能したが、後送手段を通過してきた領主家に任せるという丸投げの計画で全体を統括する組織もない爲に兵糧の後送はすぐに行き詰まっていた。
後送された兵糧は自家が供出した分を受け取った後で、先の領主領に運ぶという算段であったが隣接する領主の関係がいいとは限らない。
自家の兵糧を回収すると先の領主に運べないから取りに来いと催促する家、自家の取り分が少ないと後送してきた隣の領主に抗議する家、後送はするがその仕事を出来るだけ先延ばしにする家などが出てきてトランテオン僭称王軍が通過してきたベムリーナ山地東部のあちらこちらで兵糧が行き詰まったような形になっていた。
当然、バーリフェルト男爵家の西側領主は勿論、東側領主も約束された後送されるという兵糧を受け取っていなかった。
すでに約三万に近いトランテオン僭称王軍本隊に二食ないし三食分の兵糧を提供している上にまだ包囲軍に兵糧を提供しようとしても物理的政治的な問題があった。
バーリフェルト男爵家領は近隣地域ではかなり大きな規模で、江戸時代では言えば一万石を越える規模があった。
しかし両隣の領主家は数千石規模の小領主であり、手持ちの兵糧をたとえ二三食分だとしても数万のトランテオン僭称王軍に渡せば貯蔵している兵糧はほとんど残ってはいなかった。
その上に包囲軍に兵糧を調達するとなると、領民から年貢の前払いという形で徴発する必要がある。
年貢の前払いとなると幾分は年貢の値引きが必要になり収入が減る。また五月という農民も手持ちの食糧が残り少なくなっている時期に年貢の前払いを要求するとなると、統治上の問題が生じる。
元々バーリフェルト男爵家領の東西に位置する領主家としては、これからも適度な友好関係を持っていかなけらばならないバーリフェルト男爵家が立て籠もる包囲軍の爲に自家の立場を悪くしてまでも兵糧を手配する理由がなかった。
それ以上にバーリフェルト男爵家がトランテオン僭称王軍に対して籠城したという事実がバーリフェルト男爵家の東西に位置する領主家をはじめトランテオン僭称王軍に兵糧を提供してきたベムリーナ山地の街道上の領主家に動揺をもたらしていた。
もしマルナガン王軍が勝利を収めればバーリフェルト男爵家は忠義の家、自分達は反乱軍に協力した逆賊となる。
バーリフェルト男爵家の籠城が起こる前までは、マルナガン王側が勝者となってもトランテオン僭称王軍の武威の前に多勢に無勢で仕方なく兵糧を渡したと言い訳をすればいいと自分達に言い聞かせてきた領主達の意識が変化してきた。
一旦、トランテオン僭称王軍の通過を許したことと兵糧を提供したことは挽回しがたいが、後送されてくる兵糧を受け取ればそれはバーリフェルト男爵家の行動と比べてトランテオン僭称王側の行為だと言われてもしかたない。
バーリフェルト男爵家の行動で日和見とみられるだろう測る天秤の一方の錘が変化したのだ。天秤を水平にする為には今までの行動を修正する必要が出てきた。
このバーリフェルト男爵家がトランテオン僭称王軍の領内通過に対して籠城したという知らせはトランテオン僭称王軍が通過してきたベムリーナ山地東側の領主家にも次々伝わった。
そしてトランテオン僭称王軍に兵糧を渡したが、まだ後送の兵糧を受け取っていない領主家は無理矢理、武威で兵糧を略奪されたという言い訳をする爲に後送の兵糧の受け取りを拒否することにした。
後送の兵糧を受け取ってしまった領主家はベムリーナ山地をトランテオン僭称王軍が移動というマルナガン王宛の密書を持った使者を出した。
この使者達はトランテオン僭称王軍のベムリーナ山地踏破を前にマルナガン王に密書を届けられる可能性は低いがそれでも密書を出したという事実は残る。
バーリフェルト男爵家の東西にある二つの領主家はもっと積極的な行動をした。
まず包囲軍に現在は手持ちの兵糧がないことを理由に包囲三日目に入った包囲軍に補給しないことを伝えた。
そして少数の兵力ながらバーリフェルト男爵家領に入りダゴル城や付近の集落に逃れて無人になった街道に面した家屋の警備を始めた。
この行動に包囲軍は最初は援軍で出てきたのかと思ったが、バーリフェルト男爵家の東西にある二つの領主家は連名で「トランテオン僭称王の命はバーリフェルト男爵家領で食糧など物品の徴発をしないとある。ただ末端の兵士がよからぬことをする可能性があるので無人になったバーリフェルト男爵家の家屋の警備を行う。無人の家屋には手を出さないように徹底されたい」というものだった。
さらに二つの領主家は「我等はバーリフェルト男爵家と抗争しておらず局外中立である」として、包囲軍がどうしたものかと判断に迷っているうちに使者をダゴル城に送り込んでしまった。
包囲軍は四日目には完全に行き詰まった。
すでになけなしの兵糧は二日前に底をついており、背に腹は代えられないので無人の家屋を捜索して食糧を探そうとしたいたが、それも武力行使をしなければ無理という状況になった。
包囲軍は敵中の孤軍になったという感じだった。
包囲が無理になったとしてトランテオン僭称王軍を追うか、東方へ撤退するしかないが兵士はすでに絶食状態でありどれほど行軍できるのかも疑わしかった。
そこへダゴル城からバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドの使者がやってきた。使者の背後には大きな亜麻袋を左右に駄載した馬が二十頭ほどもいた。
使者は開口一番にバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドからの差し入れだと断ってから「御滞陣まことに御苦労で御座います。当方は籠城中であり粗食で申し分かりませんがライ麦パンとお一人一杯ほどですがビールを持って来ました。お受け取り下さい」と言った。
使者の相手をした包囲軍の指揮官であるバルトニチェク男爵の家老は「少しお待ちを」と言って慌ててバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドに使者の口上の内容を知らせに行った。
包囲軍の総指揮官という立場にあるバルトニチェク男爵ケラバ・ハスフェルドルは包囲軍を構成する他の四家の当主を呼び出して、籠城軍が包囲軍に差し入れを行うという前代未聞の事態を話し合った。
当主達はこれは恥辱ではないかとも思ったが、背に腹は代えることができないので贈答品のやり取りという形にすることにした。
そして五人の当主は本営にしている幕舎にバーリフェルト男爵家からの使者を招き入れた。
バルトニチェク男爵ケラバ・ハスフェルドルは差し入れの礼を言うと「返礼で御座る」と言って各当主が持ち寄った、剣、ヘルメット、甲冑、籠手と脛当、陣羽織を差し出した。
これらは各当主が携行してモノの予備といった品々だが貴族家当主の品なのでそれなりに見栄えがあるものだった。
王家が記録するリファニアにおける合戦誌の中に”白狼の乱におけるダコル城包囲戦”として記載があり、勝者はバーリフェルト男爵家となっている。
その爲に五家の連合軍に包囲されながら勝利した記念として、現在もバーリフェルト男爵家にはこれらの品々が家宝として伝えられている。
また創家以来伝わっている軍旗は、三百年前の状態で上辺の房の一部が残っているだけで現在は何も残っていないが、それでも当主が出陣するときには旗があるものとして旗竿が本陣に立てられる。
そしてその旗竿にはバーリフェルト男爵家がこの八百年間参加してきた合戦の名が記されたペナントがつけられているが、その数は二百ばかりもあるので神道の祭祀に使用する大幣のような形状になっている。
ダゴル城包囲戦もペナントになって誇らしいバーリフェルト男爵家の歴史として旗竿に結ばれている。
差し入れと贈答品のやり取りが終わるとバーリフェルト男爵家の使者は以下のようなことを文章を伴って告げた。
『この度は二王が並び立つというリファニア開闢以来の出来事となった。バーリフェルト男爵家はマルナガン王を正しき王として死を賭して忠誠を誓うことを決めた。
貴家らはトランテオン僭称王を選びその命で心ならずも我が城を包囲していることは承知している。
貴家らは我がバーリフェルト男爵家に少しばかりの遺恨がないことは承知している。まして我がバーリフェルト男爵家も貴家らに寸辺の遺恨はない。
あと少しの時が経てば二王のうちリファニアに相応しい王が、もう一人の王を成敗するだろう。
このような辺土での争いは今回の出来事にはまったく影響はしない。今度の包囲戦で自家の信ずる王に尽くすことで我等の面目は保たれた。
今後も包囲を続けられて、さらに貴家の面目を保たれればよかろうと思う。
ただ現在は避難して無人となった街道付近の農耕地に我が領民が立ち入って作業することを排除しないで欲しい。
住民が避難して無人になった家屋は、バーリフェルト男爵家の家臣と持ち主が確認の上で使用して貰って構わない。
家屋は丁寧に扱い、針一本藁一つかみといえども持ち出さないようにお願いする。
昨日、近隣の領主家より我が領内の治安維持を代行して行うとの有り難い申し出を受けたが、そのような負担をかけるのは我が家の沽券にかかわあるので、日々一定数の兵を城外に出して無人になった地域の見回りを行いたい。
貴軍が秩序ある行動をして、我が領民やその財を害し無い限りはバーリフェルト男爵家が貴軍の兵糧を供給すると約束する。
この約を守るためにバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドの弟フェベン・カイナルドを貴軍が我が領内から出るまで人質として預ける。
貴軍も四家の当主のうちの一人か世子を人質としてバーリフェルト男爵家に預けることを要望する 署名バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティド』
この申し出にバルトニチェク男爵ケラバ・ハスフェルドル以下の貴族家当主達は少し相談する時間をいただきたいとして使者を待たせることにした。
元々、バルトニチェク男爵家をはじめ包囲軍の四家はトランテオン僭称王を擁立した南部四大貴族家に領地を接するなどしており、遠征軍への参加を断れなかっただけでありトランテオン僭称王を自家の犠牲にしてまで奉じようと気持ちは当主からまったくない。
さらにベムリーナ山地を行軍する過程でトランテオン僭称王の気概のなさや、母親ゲルグレットまでもが従軍してトランテオン僭称王はその言いなりになっている姿を見て先行きに不安をつのらせていた。
そこでバーリフェルト男爵家の要望を全て飲んで明らかな親マルナガン王派のバーリフェルト男爵家と通じたという事実をつくることにした。
人質については揉めることは必死だったのでバルトニチェク男爵ケラバ・ハスフェルドルは自軍に同行させていた弟をダゴル城に入れることで素早く処理した。
こうした手配が終わると万が一、トランテオン僭称王軍がベムリーナ山地を敗走して引き返したきた時にはバーリフェルト男爵家に協力して敗走する軍勢と一戦いをするというマルナガン王への”返り忠”をバルトニチェク男爵ケラバ・ハスフェルドルはすることにした。
さらにトランテオン僭称王軍には使者を出してダゴル城の包囲を続けながら開城に向けて交渉中であるという事実を自分達に都合良く読み替えた報告をすることにした。
翌日から朝一番にダゴル城からバーリフェルト男爵家の家臣に率いられた農民兵の一団が出てきて包囲線で挨拶をしてから、近隣の様子を見て回り昼前にダゴル城に戻って行った。
包囲軍で実際に包囲の任務に当たっている者は数分の一で、後の兵士らは割り当てられた住居で過ごしていた。
そこへ近隣の住民が種々の物品を持ち寄って、包囲軍の兵士達が持っている衣服や小物と物々交換するという風景が見られた。
この籠城軍と包囲軍の奇妙な関係は三日間にわたり続いた。
三日目の昼頃、三百人ほどの兵士の一団に護送された覆いをして誰が乗っているかわからない二つの輿が足早にバーリフェルト男爵家領に入って来た。
包囲軍が誰かを誰何して止めようとすると、指揮官が「スロヴァク子爵シブネイ・ゲオルドルド様が急病になられた。取り急ぎ後送中であるので道を空けられよ」といい”スロヴァク子爵シブネイ・ゲオルドルドの通行を妨げることのないように”というトランテオン僭称王の著名が入った書状を見せた。
スロヴァク子爵シブネイ・ゲオルドルドはトランテオン僭称王を擁立した南部四大貴族の一人で高齢であることから、さもありなんということで納得した。
そしてトランテオン僭称王軍はどこまで進出したかを問うた。
指揮官は「三日前にはグラニダニ山付近にあった」とだけ言った。
順当な道行きでまだマルナガン王とトランテオン僭称王のどちらが勝利するかは未定だが、ベムリーナ山地を隠密裏にトランテオン僭称王軍が順調に進んでいるとなるとここでは神妙な態度を取っておくべきと言う意識が包囲軍の指揮官バルトニチェク男爵ケラバ・ハスフェルドルに働いて二つの輿とその護衛兵をに包囲軍は道を開けた。
数刻後にバーリフェルト男爵家領西側領主からの知らせにより実は通過したのはトランテオン僭称王と母親ゲルグレットであることが判明して、バーリフェルト男爵家と包囲軍の貴族当主達は長蛇を逃したことに切歯扼腕した。
このバーリフェルト男爵家領西側領主からの知らせとは、前日の五月二十一日に西方二十五リーグ(約45キロ)にあるグラニダニ山近辺の街道でマルナガン王直卒の軍とトランテオン僭称軍が合戦に及び、トランテオン僭称王軍は事実上の総指揮官イルミコット侯爵以下の主要な領主が討ち取られて算を乱して敗走中でまもなくバーリフェルト男爵家領にも間もなく現れるから、間もなく追撃中のマルナガン王軍が来るまでにトランテオン僭称王軍を討ち取るなり足留めされるがよかろういう内容だった。
五月二十一日の昼過ぎからトランテオン僭称王軍は全軍の一括的な指揮系統が消滅した上に各貴族家単位の組織までが崩壊して大混乱の中でそれこそ算を乱しての無秩序な敗走状態に陥っていた。
その状態になる前にいち早くトランテオン僭称王直卒の軍勢だけが組織を維持した敗走ではなく撤退を開始していた。
これは敗走時に街道で長蛇の列になっていたトランテオン僭称王軍の最後尾にトランテオン僭称王とその手勢がいたことで撤退路に混乱した軍勢という障害がなかったことが大きいが、一番の理由はトランテオン僭称王の父である前王太子バルガネンの時代から仕えているナンゼナ・コルネドという家令の慧眼による。
ナンゼナ・コルネドはトランテオン僭称王の供回り衆の長という立場で出陣していた。
コルネドは前方での混乱を察知すると家臣数名に様子を見に行かせた。
家臣達はすぐに戻ってきて、マルナガン王の軍勢が既に街道上に並んでいたトランテオン僭称王軍の半ばまで来ていることと次々に自軍が切り崩されて敗走している軍勢もあると告げた。
さらに一番最後に戻ってきた家臣は総指揮官イルミコット侯爵が討ち取られるか捕縛されことと、トランテオン僭称王を擁立した四大貴族の一人セルミナイト子爵も討ち取られて軍勢はあちらこちらでは抵抗しているが大混乱で間もなくマルナガン王軍がここに至ると報告した。
その言葉を裏付けるように単身あるいは数名のどこの家中とも判然としない者達がトランテオン僭称王の本営の横を後方に走り去っていた。
コルネドは「急いで撤退したしましょう」と進言した。
トランテオン僭称王の母親ゲルグレットは「逃げるとは何事か。今こそファニア王の威厳で軍勢を立て直して陣内に入り込んだ敵勢を返り討ちにするのです」とトランテオン僭称王に言った。
トランテオン僭称王は母親ゲルグレットの言いなりだが希に時に反対意見を言うことがある。その時は一歩も退かないのでゲルグレットが折れることになる。
この時のトランテオン僭称王は「家令の言う通りにしましょう」と断言した。
そしてトランテオン僭称王とその手勢は今まで通ってきた街道を物理的に可能な限りの速度で引き返しだした。
その途中でコルネドは先に逃げた者を見つけると、自分はトランテオン僭称王の家令であると名乗り相手の所属する家中と名前を聞き出した。
そしてコルネドは「味方が後退してくるまで一刻(二時間)はここで待て。それをせねば敵前逃亡となる。味方に先んじて逃げたとトランテオン僭称王が見届けておるぞ」と半ば脅迫めいたことをいってその場に留まらせた。
これがその場で死守せよなどと言えば、逃げる相手に「逃げるな」と声をかけるのと同じで効果がない。
しかし一刻という時間を区切り、それまで待ていれば敵前逃亡にトランテオン僭称王が問わぬと言われれば死地から少し離れてそれぞれの家中でも今後の身の処し方を考えている余裕が出来ていたことで、逃げた者隊は家令に言われたようにその場に留まった。
これは一度は逃げた者をもう一度戦わせようという算段ではなく、トランテオン僭称王軍の敗走という情報がトランテオン僭称王の撤退より先に伝播しては困るからだ。
この逃避行の途中で道端で落伍兵の収容をしていたスロヴァク子爵家の兵士の一団と行き会った。
ベムリーナ山地を強行軍しているトランテオン僭称王軍は公称三万を越える人数である。当然、日々落伍兵が生じる。
これを回収してどこかで本隊に合流させるか、ベムリーナ山地を突破した先にもうける予定の策源地に集める爲の収容部隊が組織されていた。
その回収部隊はトランテオン僭称王を擁立した南部四大貴族家のうちスロヴァク子爵家の軍勢が担当していた。
ここでコルネドは一計を思いついた。
コルネドは百数十人ほどの収容部隊の率いていた指揮官と主だった者を集めると、トランテオン僭称王と臨席させた。
そしてコルネドは「本日、グラニダニ山付近でマルナガン王軍と交戦状態になった。現在、主力は東方のバーリフェルト盆地で決戦を行う為に移動を開始した。トランテオン僭称王は先にバーリフェルト盆地に向かうことになった。貴隊はここで待機して本隊の到着を待って指示を受けろ」はトランテオン僭称王を背後にして、まるでトランテオン僭称王の命令を代弁しているかのように言った。
収容部隊の指揮官達は「仰せの通りに」と平伏した。
さらにコルネドは「敵の乱波の活動が認められる。欺瞞の爲に貴隊が持っているスロヴァク子爵家の旗印を二流借り受けたい」と言った。
こうしてコルネドはスロヴァク子爵家の旗印を手に入れると、それまで掲げていたトランテオン僭称王の個人旗とリファニア王を示す”青星旗”を畳ませてスロヴァク子爵家の旗印を掲げた。
そしてトランテオン僭称王の隊列ではなく、体調不良になったスロヴァク子爵シブネイ・ゲオルドルドが後退する隊列だということにした。
二十一日はそれこそ体がいうことを利かなくなるほど休まずに進んで十七リーグ(約31キロ)ほども距離を稼いだ。
そしてコルネドは惜しみなく貨幣を使い街道沿いの農家から直接すぐ食べられる食糧を得た。
また疲労して隊列についていけなくなった者は、多少の路銀を与えて「後から来い」とだけ言って切り離した。
こうして二十二日の午後にバーリフェルト男爵家領に入ったのだ。
トランテオン僭称王は家令コルネドの機智もあって、五日でベムリーナ山地を突破して南部地域に戻り態勢を立て直そうとするが、すでに本拠地ともいえる南部地域といえども安全な場所はなかった。
結局一ヶ月後にはようよう手配できた二隻の船を使ってトランテオン僭称王、母親ゲルグレット、あまりにトランテオン僭称王に深入りしてもはやマルナガン王による赦免が叶わないと観念した貴族達が家族ともども仇敵ともいえるヘロタイニアに落ち延びることになる。
ヘロタイニアに亡命したトランテオン僭称王とその一行のその後については「440話 第十一章 冬神スカジナの黄昏 王都の陽光2 ベルファネルの嵐 一」~「443話 王都の陽光5 ベルファネルの嵐 四 -リヴォン川河口海戦-」に記述があります。




