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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十二章 シャクナゲ舞う南部紀行
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サヴォンリンナ神殿への道行き37 ”白狼城”の霧 四 -バーリフェルト男爵家の隘路② 籠城-

 バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドはトランテオン僭称王に謁見して、トランテオン僭称王にはリファニア王たる資質がないと見極めて、マルナガン王にこそ忠誠を誓うことを心に決めた。


 バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは本城であるダゴル城に戻ると防備を固めて閉じ籠もった。


 そして前日に命を発していたように街道付近の住民を食糧ごとダゴル城や街道から離れた集落に避難させた。


 この様子はすぐに物見からトランテオン僭称王軍の本陣に伝えられた。さらに先にバーリフェルト男爵家領に潜入させていた乱波からダゴル城から使者とおぼしき者が西方へ向かったがこれを街道で襲撃して殺害し書面を奪ったという報告が入った。

*話末注あり


 この書面はその報告から間もなく本陣に届けられた。


 その書面はマルナガン王に宛てられており、トランテオン僭称王が率いる軍勢がベムリーナ山地を西方へ移動しているというもので、従っている諸将についてもイルミコット侯爵を筆頭に全て記載してあった。


 これによりバーリフェルト男爵家は完全にマルナガン王側で明確な敵対勢力であることが判明した。


 イルミコット侯爵としては、今更ダゴル城の攻めたり食糧徴発に軍勢を散開させて余計なことに時間を取られることは避けたかった。


 イルミコット侯爵はトランテオン僭称王軍がベムリーナ山地を急行軍して、ほぼがら空きであろうホルメニア東部に侵攻してファヴェラス神殿でトランテオン僭称王の即位式をあげるという選択肢に全てを賭けていた。


 イルミコット侯爵の最大の敵は時間だったのだ。


 籠城したバーリフェルト男爵家勢への対応策としては渋々参加していることがわかっている貴族家から千程度の軍勢を抽出してバーリフェルト男爵家領内で食糧の徴発を行いながらダゴル城を囲んで置けばいいとイルミコット侯爵は判断していた。


 しかし寄せ集めのトランテオン僭称王軍としては、イルミコット侯爵の一存では軍勢全体の基本方針は決定できないので軍議が行われた。

 

 軍議はまずイルミコット侯爵配下の指揮官が状況と複数の対応策、そのメリットとデメリットを説明してから、各領主が意見を述べた。


ここでイルミコット侯爵が考えていたように少数の包囲部隊を残置して主力は前進するというイルミコット侯爵が考えてい方策が支持された。

 これでイルミコット侯爵は自分の決断を臨席しているトランテオン僭称王の許諾を貰い最終的な結論がようやく得られた。


 ここまででイルミコット侯爵が独断で方針を決められるよりも一刻(二時間)以上の時間が費やされた。


 ただ軍議はまだ終わらずどの軍勢が包囲部隊として残置するか、また兵糧の現地での強制徴発はバーリフェルト男爵家領内で少数の包囲軍に対する一揆を誘発する可能性があるので、バーリフェルト男爵領の東西の領主から購入するという形式で兵糧を得ることを決めるのに半刻(一時間)がかかった。


 そして緊急時の爲に携行している食糧を使い兵士に食事をさせると、バーリフェルト男爵家領を急いで通過することになった。


 先遣隊の出発は四刻半(午前十一時)で最後尾が行軍を開始したのは六刻(午後二時)だった。


 そして先遣隊が東西十六リーグ(約29キロ)のバーリフェルト男爵家領を抜けたのが八刻半(午後七時)、最後尾は十刻(午後十時)をかなり回っていった。


 こうした遅い時間でも行軍が出来るのは夏季の高緯度ならではである。


 トランテオン僭称王軍がバーリフェルト男爵家領を通過したのは五月十七日で日没は二十一時頃だった。日没後も二時間ほどは行軍するのに支障のない明るさがあった。


 ただ休息するべき時間に無理な強行軍を行ったので翌日は兵士を昼前まで眠らせて、再度の出発は五刻半(午後一時)になり三リーグ(約5.4キロ)ほど移動しただけだった。


 この遅延がなければマルナガン王軍とトランテオン僭称王軍が街道上で激突した”グラニダニの戦い”は数リーグほど西で行われただろう。


 その場合はグラニダニ山西方の場所によってはやや湿地になっているとはいえ大軍が展開出来る相応の地積がある草原で両軍が真面目しんめんもくの合戦をすることになる。

 

 これはトランテオン僭称王軍が望んでいて決戦であり、劣勢だが全軍が計算された戦力でマルナガン王が一元指揮するマルナガン王軍、数的優位があるが一部の軍勢には期待できない上に指揮系統に問題がトランテオン僭称王軍との戦いとなる。


 後世の兵家は苦戦はしたかもしれないが、マルナガン王軍は少なくとも負けずにトランテオン僭称王軍は撤退した可能性が高いと判断している。


 ただ不確実性がある合戦はやってみなければわからない。決戦が行われればリファニアの歴史が大きく異なった可能性がある。


 実際には”グラニダニの戦い”はマルナガン王軍がグラニダニ山西方の草原地帯で万全の陣形を整えた中で、トランテオン僭称王軍は草原地帯に向かう深い森林と地形の関係から迂回が困難な街道で渋滞した状態で戦うというまことに不利な条件を課されて合戦に勝つ以前にその窮地を如何に逃れるかという状況に追い込まれた。


 結果的にはバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドの動向がマルナガン王軍の勝利のお膳立てをしたといえる。


 バーリフェルト男爵家と一部領民が立て籠もったダゴル城は五月十八日から二十三日まで包囲をされていた。

 ただ包囲した軍勢はトランテオン僭称王軍の中でも、戦意が特に低いと見られていた領主家軍だった。


 なんのことはなく戦意が低くまた装備も貧弱で戦力として当てに出来ずただ兵糧を食い潰すか行軍の足手まといになる軍勢を包囲軍という名目で後方に残置したというのが正確である。


 包囲軍は五家で総数千弱ほどであり五家で一番大きな三百の兵を有するバルトニチェク男爵ケラバ・ハスフェルドルが指揮をとることになていた。

 包囲されているバーリフェルト男爵家の兵力は家臣兵士の二百五十に、領民からの徴募兵が四百で要害であるダゴル城に包囲軍が攻撃をかける戦力はなかった。


 またバーリフェルト男爵家領では農民兵が組織されて各集落は防備が固められていた。


 バーリフェルト盆地では五月は作付けが終わり、七月半ばから始まる収穫期までの間の農閑期にあたるので農民兵の動員も容易だった。

 さらに各集落にはバーリフェルト男爵家の家臣が密かに送り込まれて、彼等の指示で領内全体における調整された農民兵の動員や配備が行われていた。


 通常は包囲戦の場合は後方からの補給に加えて周辺から武威を持って徴発し、場合によっては籠城側の源泉となる地域の”青田刈り”や民家への”焼き討ち”をして籠城側に圧力を加える。


 ただそのような威圧的なことをすれば寡兵と見切られているダゴル城包囲軍は自分達に対しての一揆を誘発してしまうので包囲軍がダゴル城を囲んで潜んでいるという状態だった。



挿絵(By みてみん)




 その包囲網もダゴル城からは半リーグ半(約1.4キロ)ほど離れた場所にあった。


 これは”雷”という飛び道具がある爲で、通常の軍務をこなすような巫術師の”雷”の射程は半リーグ(約0.9キロ)を軽く超えると見ておいた方がいいので安全の爲にはその位の距離が必要だった。


 無論、”雷”には”屋根”という対抗策があるが、包囲網全体を防御が出来るほどの巫術が包囲軍にいる訳でもなく、また籠城側の”雷”の攻撃は任意に行えるが、包囲網の”屋根”は延々と展開し続けなけらばならず巫術師の体力が持たない。


 ただ半リーグ半も離れると投擲兵器の射程外であるので、ただダゴル城を包囲して見ているだけである。


 また包囲網の長さも地形障害も加わって、三リーグ弱(約5.3キロ)に及んでいた。包囲軍は千弱と称していたが正面戦闘に参加出来る兵士は七百ほど、タゴル城に籠城をいている兵力と拮抗していた。


 その七百ほどの兵力で三リーグ弱を超える包囲網に分散させるのである。すなわち四間(約7.2メートル)に一人の兵士という薄さである。

 しかもそれは全ての兵士が交代無く一日中包囲網にいた場合であるから、実際は兵士一人当たりは十間(約18メートル)ほどを担当しなければならなかった。


 また薄い包囲網の一画を攻撃されるとすぐに突破されてしまうので、それに対する予備兵力捻出しなければならず益々包囲網の兵士の密度は薄くなった。


 これではタゴル城を強襲するどころかタゴル城が外部と連絡できないようにするのは精一杯であるが、地の利に明るいバーリフェルト男爵家の家臣は包囲網を易々と通過して周辺農村との連絡を取り外部情報を収集していた。



 包囲軍の兵糧はバーリフェルト男爵家領の東西の領主家が提供するという話だった。


 トランテオン僭称王軍の本隊が領内を通過する時はその武威を恐れて、提供分は後送して補償するからという口約束で兵糧を提供した。

 

しかし本隊が過ぎ去った状態ではバーリフェルト男爵家領の東西にある領主家の態度は目に見えて変化した。

 食糧の集積や輸送に手間がかかっているという様々な理由をつけて兵糧の提供の伸ばしを図りだした。


 五月という時期は新たな収穫までに二・三月という時期で貯蓄食糧はかなり減っている上に、凶作となった場合を見込んで出来るだけ手持ちの食糧を残しておきたいという心理が働く。


 このために包囲を初めて二日もしないうちに包囲軍は手持ちの兵糧を全て消費してしまった。

 そこで包囲軍の総指揮官バルトニチェク男爵ケラバ・ハスフェルドルは交渉によって周辺農村から食糧を調達しようとした。


 ただし交渉と言っても対価に何かを用意出来るワケではなかった。


 三百年前のリファニアでも貨幣は流通していたが、それはリファニアの畿内であるホルメニアや沿岸部の物資の生産が豊富な地域が中心であり南部の田舎領主に過ぎないバルトニチェク男爵ケラバ・ハスフェルドルは従軍に際して、ベムリーナ街道という物資の往来が或る程度あるバーリフェルト男爵家の人間が聞いたら吹き出すほどの少量の貨幣しか携行できていなかった。


 そして他の四家も似たような状況だった。


 そうなれば物々交換であるが、包囲軍が差し出せる物は武器や自分達が来ている衣服しかない。


 その為にようよう話だけは聞こうという農村で、後送されてくる兵糧を使って二割増しで返すので食糧を調達したいと申し込んだ。


 すると村長と名乗った男は「わたしらの殿様を包囲しているお方は五人の御領主様と伺っております。一食分の食糧について御領主お一人が人質に出ても貰いとう御座います。その一食分を二割ましで返していただいた時点で人質をお返しします」と返事をした。


 これを聞いた交渉役のバルトニチェク男爵家の家老は激怒して顔を真っ赤にした。しかし次の声を上げることは自制した。

 家老と一緒に交渉に出てきたのは相手を刺激し無いために十名ほどで目の前には、明らかな敵意の視線を向けて武装した百人程の農民兵がいたからだ。


 家老は村長と名乗った男の提案など呑めるはずがなかった。兵糧を得る為に貴族家当主が農民の人質として出せるワケがない。万が一にそのような事が起これば物笑いの種で永劫にその貴族家の恥辱になる。


 村長と名乗った男は家老が沈黙を続けるので「出来かねるのであれば交渉は終わりで御座います。ただわたしが何とか抑えておりますが、若い者は血の気にはやっております。行動するときは十人以上でいることをお勧めします」と半ば脅迫めいたことを言った。


 こうして周辺の農村から食糧を交渉で得るという算段は失敗に終わった。


 実はこの村長と名乗った男は、実際の村長から服を借りたバーリフェルト男爵家の家臣が扮した偽村長だった。その為に相手が絶対に呑めないようなことをすらすらと口にしたのだ。


 そして次の日に三人分の血のりがべったり付いた下着が目立つ場所に放置されているのが見つかった。すぐに点呼をすると三人の兵士が行方不明になっていうのがわかった。


 死体は見つからなかったが装備と衣服が奪われたことは容易に推測出来て包囲軍の装備を装着した者達に再び襲撃される可能性があることを示していた。

*話末注あり


 そこでバルトニチェク男爵ケラバ・ハスフェルドルは合い言葉を決めさせたが、その翌日にまた目立つ場所に高札のような物が設置され”合い言葉は〇〇”と書かれていた。


 これで空きっ腹の包囲軍兵士は震え上がった。

 

 そして兵士達は集団行動以外は拒否するようになった。何とか兵士の士気を下げずに脱走舎を出さないために数名ほどした配置できない歩哨地点はすべて引き揚げられて包囲網は益々穴だらけになった。


 包囲軍は山野で得られる僅かな木の実や野草、キノコを探したが、それに使う体力は得られる食糧には見合わなかった。

 そしてなけなしの貨幣でバーリフェルト男爵家領東側の領主領の農家から購入した大麦を砕いて煮込んだ重湯より薄めた白っぽい液体を飲んで飢えに耐えるしかなかった。


 包囲軍が肉体的に困窮して精神的に追い詰められている間にもバーリフェルト男爵家が籠城を選びマルナガン王側に明確についたという事実が波紋のように周辺地域に広がっていった。



注:詰めが甘い

 バーリフェルト男爵家は領民のから慕われることが出来た「古き家」で質素剛健な家風です。また歴代当主は神々の恩恵に感謝しつつリファニア王に忠義であり時勢を見る目もあります。


 ところが時に祐司とパーヴォットも呆れるような行動を当主や家中の主だったものがしでかします。


 この間抜けなバーリフェルト男爵家の家風によって王都滞在時にさんざん酷い目にあった祐司とパーヴォットは王都を去る頃には「あれも含めてバーリフェルト男爵家の愛すべき家風だ」と諦観していました。


 その家風とは「一言多い」と「詰めが甘い、もしくは肝心なところが抜ける」です。その愛すべき家風からは三百年前の当主バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドも逃れられませんでした。


バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは大軍を前に臆することなく籠城を決意して領民の身の安全も図っています。


 しかし肝心のマルナガン王に急を知らせる使者は殺害されています。


 前日には大軍の接近を感知したのですからまず第一報の使者を(王都にいるはずの)マルナガン王に出すべきです。

 翌日も相手がトランテオン僭称王軍と完全に判明した時に続報の使者を出すべきでした。


 使者を出したのは籠城を始めてからです。


 ただバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドがトランテオン僭称王がリファニア王に足るかを判断してから使者を出したとも考えられます。

 それでも一人だけ使者を出すという「詰めが甘い」という行動をバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドはしでかしています。


 乱波の潜入は予想できますから確実に情報がマルナガン王に届くように巡礼などに身をやつした複数の使者を用意するべきでした。


 もしバーリフェルトバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドの出した使者がベムリーナ山地を東進中のマルナガン王率いるマルナガン王軍に出会っていれば、マルナガン王の勝利という結果に加えてマルナガン王が戦傷が元で一年後に死去するという事態はなかったでしょう。



注:見つからなかった死体

 行方不明になった三人の包囲軍兵士は実は殺されてはおらず拉致されただけでした。バーリフェルトバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは、今後の情勢変化を見据えて包囲軍がバーリフェルト男爵家に感情的に敵意を湧かさないように配慮していました。


 そこで相手が攻撃してこない限りは、こちらから包囲軍に手を出すなという命令をバーリフェルトバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは出していました。

 下着についた血のりは家畜の血で、相手を不安にさせなおかつ疑心暗鬼にさせることが目的でした。

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