サヴォンリンナ神殿への道行き36 ”白狼城”の霧 三 -バーリフェルト男爵家の隘路①- 付録:リファニアの官位
祐司とパーヴォットは”南国街道”が一番”白狼城跡”に接近している場所に来た。
「ユウジ様、城跡に続く小径がありますよ」
パーヴォットが言うように”南国街道”から分岐して、それなりの人数が利用するのか小径というより整備された山道のような道が周囲からはひときわ高い”白狼城跡”に続いていた。
「まだ時間は早いし宿屋は予約済みだ。歴代のイルミコット侯爵がどの景色を見ていたか見ていこうか」
祐司がパーヴォットを誘うとパーヴォットも「是非に」と同意した。
祐司とパーヴォットが”白狼城跡”への道に入ると祐司が思い出したように言った。
「そういえばバーリフェルト男爵家も”白狼の乱”で家運が上向いたんだな。王都にいる時にアッカナンさんから聞いた」
アッカナンはバーリフェルト男爵家の祐筆で祐司の親友ともいうべき関係になった男である。
「わたしはヘルヴィ先生から聞きました。三度もです。でも二度目からは少し話始めてから、これは以前話しましたねと言って終わったので正確には一度です」
ヘルヴィは祐司とパーヴォットが王都に居た時にバーリフェルト男爵家がパーヴォットにつけてくれた家庭教師で、祐司とパーヴォットが王都にいる間にバーリフェルト男爵家の雇員から住居を拝領する家臣に出世した。
「そうか。わたしは酒屋で酔っているアッカナンさんが相手だったからまるまる三度聞かされた。
それも二度目、三度目と話に尾びれやアッカナンさんの感想が付け足されて長くなっていた」
祐司は苦笑しながら言った。
祐司とパーヴォットと深い縁が出来た王家直参貴族バーリフェルト男爵家は王家直参としては新参者になる。
バーリフェルト男爵家の祖は初代バーリフェルト男爵は、当時は士爵であるがスバックハウ王の次男フドバルドの六代目に当たる。
スバックハウ王の王妃はリファニアの歴史に燦然と輝くカリニカである。
(第九章 ミウス神に抱かれし王都タチ 北風と灰色雲10 十二所参り 四 スバックハウ王と王妃カリニカ ① など参照)
種々の慣例法を成文化し王位継承をも明文化したことで立法王の称号があるスバックハウ王と王妃カリニカは四人の成人した子をもうけたが、この四人の血筋からは多くの貴族家が成立した。
そしてその貴族家はリファニア歴代の王のなかでも五本の指に入るほど聡明なスバックハウ王を差し置いて「我が家は王妃カリニカの血筋です」と自慢する。
王妃カリニカは千年以上前の人物で出自は日本でいえば時に客の要求に応えて身を任せる白拍子に近い芸人である。
いわば卑賤の身でありながら貴族達がカリニカの血筋であることを誇りにするのであるからリファニアの女性で群を抜いて評価が高いことがわかる。
バーリフェルト男爵の祖先は前述したようにスバックハウ王の次男フドバルドの六代目にあたるキミザン・デルネファルである。
キミザン・デルネファルはスバックハウ王から見て七代目となる。これだけ起点となる王から離れるとキミザン・デルネファルは王族の末端といった立場で、それなりの地位はあったが王家の家臣だった。
キミザン・デルネファルは地方豪族の誘いを受けて、その娘を妻に迎えて現在のバーリフェルトの地へ下向した。
キミザン・デルネファルのような王族の末端でも地方豪族が望み得ない官位があり、地方ではそれなりの権威となった。妻の実家はその威を借りたかったのだ。
*話末付録あり
キミザン・デルネファルは妻の実家の援助を受けながら当時はほぼ無人の地であったバーリフェルト盆地の開拓を進めて開発領主になった。
こうして領地らしきモノが形成された時点でキミザン・デルネファルは士爵に叙任されて王族の末端から貴族となった。
リファニアでは新貴族は全て士爵である。そしてどんなに領地があろうが一代は貴族として矜持を持っているかを判断されてから領地面積と人口から準男爵以上の爵位が与えられる。
キミザン・デルネファルの場合は晩年に至り当時のリファニア王である第二十三代リファニア王ティモスから本貫の地名にちなんだ家名を変更してバーリフェルト男爵として叙任された。
これはおよそ八百年前のことになる。
日本で八百年前といえば鎌倉時代になるので、鎌倉幕府の実力者であった三浦義澄や安達盛長の家が延々と続いている様な感じになる。
祐司は本文で時にバーリフェルト男爵家のことを他人に説明する時に「古き家」と表現しているが、三百家ほどあるリファニア王により叙任された準男爵以上の家の中で五百年以上宗家が継続して当主を継いでいるのは五十家ほどでバーリフェルト男爵家のように八百年続いているのは十七家しかない。
リファニアでは女性当主が一族の男性と結婚して男系の血を残しながら継ぐことがあるので、男系相続の継続性は日本よりは有利と言える。
バーリフェルト男爵家は代々堅実な家柄を保ち営々とバーリフェルト盆地の開墾を進めてきた。
バーリフェルト男爵家は王妃カリニカの血統を誇っているので、自家はリファニア王家の親戚衆という意識があり歴代のリファニア王には忠実に仕えてきた。
八百年前から百五十年ほど続いた前期リファニア王国の全盛期が過ぎ去ると、次第に地方領主の独立性が高まりリファニア王の権威が低下していった。
その中でバーリフェルト男爵家は一分にも満たない割合ではあるが律儀に王家に納める年貢を出して、即位式などのおりには多額の献上をしてきた。
このような地方領主はリファニア王家にとって得難い存在なので、形式的とはいえ歴代のバーリフェルト男爵家当主には”ベムリーナ・サルナ州太守代”、王都都監などの官職を与えて来た。
このバーリフェルト男爵家が大きな決断をしたのが、創家五百年後に遭遇した”白狼の乱”である。
それまではリファニア王に忠実に仕えることで官職を得て周辺領主より格上であるという利を得てきたバーリフェルト男爵家であるが、二王が並び立つという中でマルナガン王、トランテオン僭称王のどちらの陣営につくかという選択を迫られた。
当時の当主であるバーリフェルト男爵家クレンカ・キオスティドは多くの地方領主がそうであったようにしばらく情勢を見極める爲に日和見をする方針だった。
ところが突然、ベムリーナ山地を迂回進撃してリファニアの畿内であるホルメニアに侵攻しようとするトランテオン僭称王軍がバーリフェルト盆地に出現した。
無論、リファニア全体の緊張度が上がっていたので境界線上には防備柵を備えた簡易的ながら陣地のようなものをバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは設置させていた。
トランテオン僭称王軍の接近は前日の昼過ぎに判明していたので、バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは街道付近の住民に疎開命令をだした。
そしてダゴル城の防衛を家臣に固めさせて、バーリフェルト男爵妃及び世子と女子嫡子を急いで領外に逃した。
そして疎開の準備が出来た街道近くの領民に食糧などを隠匿した上で、ダゴル城内に入るように命令を出した。
バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは僅かな供回りだけを連れてトランテオン僭称王軍の到着を隣接する領主領との境界線で待った。
やがて朝の小雨と霧の中に幻影のようにトランテオン選書王軍の前衛が現れた。
その前衛をバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは頭を下げて丁寧に出迎えました。ただしバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドが率いていた人数は二十人ほどだったが、背後に数十の旗幟を掲げさせており霧の中でそれは千ほどの軍勢が待機しているように見えた。
バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは前衛の指揮官に「どこの軍勢が我が領内を通過されるのでしょう。領内を通過されるのなら指揮官殿にお会いしたい」とトランテオン僭称王軍とわかっていながら要望した。
トランテオン僭称王軍は相手がよもやと思うはずのベムリーナ山地からホルメニアに侵攻して、ファヴェラス神殿で即位を行う算段で、ベムリーナ山地を進行中という報がマルナガン王側に知られればホルマにあの防備を固められて、ファヴェラス神殿も厳重に防備されてしまうことは承知の上だった。
ただトランテオン僭称王軍がベムリーナ山地を進行中という報告を受けても、軍勢の再配備にはどんなに早くとも十日ほどはかかると計算していた。
その爲にトランテオン僭称王軍は山中の道行きでありながら、出来るだけ軽装で強行軍をしていた。
またベムリーナ山地を軍勢が移動しているという情報を伝達させないために、先遣部隊も数リーグほど先にしか出さずまたホルメニア方面に行く者達を数日拘束していた。
トランテオン僭称王軍の首脳部の考えではベムリーナ山地を西に進むほど秘匿は難しくなるが、前述したようにマルナガン王軍の行動にはタイムラグが出るのは必至なので綿密に一日の移動距離を計算していた。
もし万が一にでも行く手の領主がマルナガン王に忠誠を誓い阻止行動に出て数日でも抵抗されれば計画は瓦解する。
その爲に通過する領主領の領主には味方しなくとも、トランテオン僭称王軍の通過を見送ればそれだけで戦後の憶えはめでたいと告げていた。
しかしバーリフェルト男爵領の入り口で当主自らが軍勢を率いて出てきたと先鋒から本営に連絡が入った時は半ば厄介なことになったという程度の雰囲気でだった。
今まで通過してきた領主領は江戸時代の基準で言えば四千石以下の旗本といった小領主ばかりだった。
バーリフェルト男爵家は今まで通過してきた領主領の中では一番大きいが、それでも当時でようよう一万石程度であり家臣は百人程度で、農民兵を動員しても兵力は五百を越えることは考えられなかった。
万余の軍勢の前には蟷螂の斧にも劣る状況である。
それでも城に籠もられると攻め落とすのに数日を浪費する可能性があった。そして放置すれば後方の補給を妨害される恐れがあった。
トランテオン僭称王軍は身軽に移動するために、小荷駄というような補給部隊を伴っていなかった。
兵糧は進出する先の領主領から得ていたが、手頃ではあるが時間がかかる略奪という手段でははなく二日分の食糧を提供してくれれば徴発という名の略奪をせずに数日中に同量の食糧を後方から届けるという脅かし半ばの要請を領主にしていた。
このカラクリは次のようなものだった。
味方勢力圏からベムリーナ山地に入ったところで、最初の領主に通過を認めさせるとともに二日分の兵糧を渡して数日したトランテオン僭称王軍が進軍した次の領主領に運びその領主家に渡すように依頼した。
さらに最初の領主家の家臣を同行させて数日で、兵糧が届くので一時兵糧を貸して欲しいということを次の領主家に伝えさせた。
実際は兵糧を消費するのはトランテオン僭称王軍であるが、兵糧を一時的に使うのはトランテオン僭称王軍が侵攻してきた領主ということになる。
これによって日和見したい各領主はマルナガン王には直接トランテオン僭称王軍に兵糧を提供したのではないという口実が出来て、トランテオン僭称王軍の強制的な徴発も免れることが出来るので領内通過だけならという気持ちになった。
ベムリーナ山地の領主領から兵糧を平和裡に兵糧を調達するということを繰り返してトランテオン僭称王軍はベムリーナ山地を急行していた。
バーリフェルト男爵家にも同じ話を持ちかけて、その領内で兵糧を得て通過するつもりだった。
しかし領主が自ら軍勢を連れて出てきたという話を聞いた本陣が厄介な事と思った理由は、もし領内通過を認めず抵抗すると言った場合は負けないことはわかっていてもやらなくてもいい合戦をして時間を無駄にするからである。
またトランテオン僭称王に加勢して軍勢に加わるなどと言い出すとたとえ数百の小勢だとしても種々の手配をしなければならないからだ。
先鋒から入った第二報はバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドがトランテオン僭称王に謁見したいというものだった。
そこで予定にはなかったが全軍は一旦停止して、バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドを街道上に天幕を張った本陣に招き入れた。
儀礼服に身を包んだバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは随員を二人だけ連れてトランテオン僭称王軍の本陣とされる天幕に赴いた。
そこには一段高い場所にトランテオン僭称王と母親のゲルグレット、そして左右にイルミコット侯爵を筆頭に諸将である領主が居並んでいた。
バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドはトランテオン僭称王に丁寧な挨拶をすると、イルミコット侯爵を筆頭に一人一人の貴族領主に挨拶をした。
そしてようやく挨拶が終わるとバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは「如何なる理由で我が領内を通過されるのでしょう」とトランテオン僭称王に問うた。
これにはすぐにイルミコット侯爵が「偽王マルナガンを討伐する軍勢である。出来れば貴家も速やかに参加して欲しい。それが出来なければ兵糧が後送されるので一時兵糧を貴公の領内で調達したいので今日中に引き渡して欲しい」と時間を気にしながらやや早口に言った。
そして末席にいたバーリフェルト男爵家の東隣にあたる領主の家臣が「その兵糧は我が家が貰い受けます。数日中に我が家より同量を運び込みましょう。隣家の誼でよろしくお願いします」と言い足した。
バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは「では、一度城に帰り算段をいたします」といって本陣を去った。
実はバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドが本陣を訪れる前に、彼を捕らえてバーリフェルト男爵家から無理にでも兵糧を出させようという意見もあった。
しかし今まで穏健にすることで軍勢を急行させることが出来ていたことと、当主を捕らえることで余計にバーリフェルト男爵家が強固になったり、この先の領主が警戒する恐れがあるので、そのままバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドを返した。
バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドが拉致の危険を犯してトランテオン僭称王の本陣に出向いたのは面識がなかったトランテオン僭称王の値踏みをしたかったからである。
バーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは世子の時代も含むと四度王都を訪問して即位前のマルナガン王と歓談をしていた。そしてそれなりにマルナガン王の人物や能力を評価していた。
そのマルナガン王と比べるとまだ少年とはいえトランテオン僭称王は、背後の母親ゲルグレットの指示がなければバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドの挨拶に対する対応もまともに出来ずまた終始イルミコット侯爵の顔色を見て自分から何かをしようとする様子はなかった。
見るからにイルミコット侯爵の傀儡であり、母親ゲルグレットの強い影響下にあることが見て取れた。
何よりバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドが知りたかったのはトランテオン僭称王が王としての威厳があるかどうかだった。
自分も高位貴族であるバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドは王や貴族の威厳とは、教えられて身につく者ではなく元々備わっているものが幼少より自身ではぐみ育てるものだということを理解していた。
結論を言えばバーリフェルト男爵クレンカ・キオスティドはマルナガン王にはリファニア王たる威厳があるが、トランテオン僭称王にはそれが欠けていると判断した。
付録:リファニアの官位
日本では唐の官品令に倣って大宝律(701年)に官位令が成文化されます。
大宝律では親王が一品から四品までの四階、諸王・諸臣は正一位から少初位下までの三十階になりますが、特定の官職はそれに相当した官位がなければなりませんでした。
リファニアでは第五代リファニア王リブラレルの時代に家臣の上下関係を示す為に官位制度が整います。
リブラレル王の定めた官位は一等から七等までで、これは戦場に出た時の上下関係を明確にしていました。
リブラレル王の時代はまだ文官であっても、従軍することは当たり前の時代であったので常は軍事組織の埒外にいる人間を軍事組織に動員した時のために上下関係を定めておいた方が組織が円滑に動いたのです。
現在日本では官位に相当する位階は叙勲した時に与えれ、形式的なものですが千数百年の時を超えて残存しています。
リファニアでは王家の職制と官位は一体となっており、ある官職の官位は何等であると定めがあり異なる職種の間での上下関係がわかります。
各等は正等と補等に分かれますので七等といっても十四階に分かれます。また現在は七等補の下に初等と初等補があり全部で十六階になっています。
例えば一等官は宰相、一等官補は家老職、二等官は各種奉行、近衛隊司令、王立軍司令などとなっています。
リファニアの官位は現代日本における公務員の等級に相当して禄も官位に連動して与えられます。
一等から二等補までは親任官でリファニア王が臨席する親任式を経て任命されます。三等から四等補までは勅任官でリファニア王の勅旨によって任命されます。
五等と五等補は奏任官でリファニア王への上奏を経て任命されます。六等から初等補は判任官でリファニア王から委託を受けた官吏により任命されます。
キミザン・デルネファルの時代には王族は官職に関係なく親王一等から五等という別枠がありました。
原則は一代を経るに従って一段ずつ下がり六代目で無等になりますが、功績によっては次の代も同じ等となったり希ですが功績があれば生存中に階位が上がることもありました。
キミザン・デルネファルは起点の王から七代目ですが、先祖の功績もあって親王三等という官位を保持していました。
またキミザン・デルネファルの時代は貴族家はまだ百家ほどしかなく、地方の豪族にはその上下関係を示す為とリファニア王の臣下と認めるという形で外一等から外七等という形式上の官位が与えられていました。
ただ外一等と外二等は例がなく実質的に外三等が最上位で過半は外五等から外七等でした。
そうした地方へ親王三等という官位を持ったキミザン・デルネファルが婿として迎えられれば周囲には押しが利く存在となります。




